「浦和市」を含むwiki一覧 - 1ページ

曲本の小字 - 埼玉県の小字

曲本村→美谷本村大字曲本→美笹村大字曲本→戸田町大字曲本(→戸田市大字曲本)、浦和市大字曲本現在の地名:さいたま市南区大字堤外、曲本、内谷、戸田市大字曲本三条目(さんじょうめ):1959年に浦和市に編入し、1975年に西浦和一・二丁目になっ

島根の小字 - 埼玉県の小字

したんだ):現存。石橋(いしはし):現存。沖田(おきた):現存。油高根(あぶらたかね):現存。東松ノ木(ひがしまつのき):1969年に一部が浦和市に編入し、翌年に(浦和市)大字昭和になった。1970年に(大宮市)大字昭和になった。荊田(ばらた):飛地組替により一部が五関村に編入し

内谷の小字 - 埼玉県の小字

内谷村→美谷本村大字内谷→美笹村大字内谷→戸田町大字内谷(→戸田市大字曲本)、浦和市大字内谷現在の地名:さいたま市南区内谷、戸田市大字内谷新手(しんで):1959年に浦和市に編入し、1975年に西浦和一丁目になった。拾丁目(じゅうちょうめ)

塚本の小字 - 埼玉県の小字

塚本村→大久保村大字塚本→大久保村大字塚本(→浦和市大字塚本→さいたま市大字浦和塚本→さいたま市桜区大字塚本)、馬宮村大字塚本(→大宮市大字塚本→(一部)さいたま市大字大宮塚本→さいたま市西区大字塚本

松本新田の小字 - 埼玉県の小字

松本新田→美谷本村大字松本新田→美笹村大字松本新田→浦和市大字松本新田現在の地名:さいたま市南区松本田端(たばた):1959年に浦和市に編入し、1978年に松本一~四丁目、曲本一丁目になった。坂下(さかした):1959年に浦和市に編入し、1978年に

大谷口の小字 - 埼玉県の小字

大谷口村→谷田村字大谷口→浦和町大字大谷口→浦和市大字大谷口→(一部)さいたま市大字大谷口→さいたま市南区大字大谷口、緑区大字大谷口現在の地名:さいたま市緑区原山、大字大谷口、南区大字大谷口坊ノ在家(ぼうのざいけ):1967年に原

(植田谷領)在家の小字 - 埼玉県の小字

(植田谷領)在家村→大久保村大字(植田谷領)在家→浦和市大字在家 →(一部)さいたま市大字在家→さいたま市桜区大字在家現在の地名:さいたま市桜区大字昭和、大字在家根切(ねきり):1971年に大字在家字稲荷に編入した。隣接する島根にも字上根切

大牧の小字 - 埼玉県の小字

大牧村→尾間木村大字大牧→浦和市大字大牧 →(一部)さいたま市大字大牧→さいたま市緑区大字大牧現在の地名:さいたま市緑区東浦和、大字大牧大北(おおきた):西方の飛び地。2002年に東浦和一・三・四・八丁目になった。東浦和三丁目に大北公園、大

大間木の小字 - 埼玉県の小字

大間木村→尾間木村大字大間木 →浦和市大字大間木→(一部)さいたま市大字大間木→さいたま市緑区大字大間木現在の地名:さいたま市緑区大字見沼、東浦和、大間木、大字大間木水深(みずふか):1985、2019年に芝原三丁目、大間木二・三丁目になっ

メニュー - 埼玉県の小字

トップページダウンロード版凡例+ 旧浦和市- 旧浦和市浦和の小字針ヶ谷の小字本太の小字駒場の小字(木崎領)領家の小字上木崎の小字下木崎の小字瀬ヶ崎の小字大谷場の小字太田窪の小字原山新田の小字大谷口の小字広ヶ谷戸の小字円正寺の小字三室の小字道祖土の小字上山口新田の小字大牧の小字大間

道祖土の小字 - 埼玉県の小字

道祖土村→三室村大字道祖土→浦和市大字道祖土現在の地名:さいたま市緑区道祖土蔵ノ下(くらのした):1982年に道祖土一・四丁目になった。道祖土蔵下遺跡がある。戸崎(とさき):1982年に道祖土一・三丁目になった。瀬ヶ崎四丁目に浦和戸崎公園がある。後原(うしろは

(与野領)町谷の小字 - 埼玉県の小字

(与野領)町谷村→土合村大字(与野領)町谷→浦和市大字町谷 →(一部)さいたま市大字町谷→さいたま市桜区大字町谷現在の地名:さいたま市桜区町谷、大字町谷後(うしろ):1985、1986年に町谷一・二丁目、道場二丁目、南元宿二丁目になった。中

中尾の小字 - 埼玉県の小字

中尾村→尾間木村大字中尾→浦和市大字中尾→さいたま市大字中尾→さいたま市緑区大字中尾現在の地名:さいたま市緑区大字中尾不動谷(ふどうやつ):現存。1967年に一部が原山三丁目になった。大字中尾に交差点「不動谷(ふどうや)」、バス停「不動谷」

旧浦和市の通称地名 - 埼玉県の小字

受け継がれている。神明一丁目にバス停「神明台」がある。本町(一~三丁目):浦和町が市制施行する際に一般公募した町名。昭和2年の浦和総覧付図(浦和市街図)に記載されている。実際に使われたかどうかは不明。日出町(一~三丁目):同上仲ノ町:同上春日町:同上初音町:同上仲町(一~二丁目)

(木崎領)領家の小字 - 埼玉県の小字

(木崎領)領家村→木崎村大字(木崎領)領家→浦和町大字領家→浦和市大字領家現在の地名:さいたま市浦和区領家、大東立野(たての):1943、1967年に北浦和町二丁目、針ヶ谷町三丁目、領家四・六・七丁目になった。木崎村の道路元標があった。 領家六丁目に

南元宿の小字 - 埼玉県の小字

南元宿村→土合村大字南元宿→浦和市大字南元宿 →(一部)さいたま市大字南元宿→さいたま市桜区大字南元宿現在の地名:さいたま市桜区南元宿、大字南元宿後(うしろ):1986年に南元宿二丁目になった。前(まえ):1986、1988年に南元宿一丁目

太田窪の小字 - 埼玉県の小字

太田窪村→谷田村大字太田窪→浦和町大字太田窪→浦和市大字太田窪→(一部)さいたま市大字太田窪→さいたま市南区大字太田窪現在の地名:さいたま市緑区太田窪、原山、南区太田窪、大字太田窪小太田(こだいた):1967年に原山二・三丁目にな

大谷場の小字 - 埼玉県の小字

大谷場村→谷田村大字大谷場→浦和町大字大谷場→浦和市大字大谷場現在の地名:さいたま市南区南浦和、大谷場、南本町上町(かみちょう):1954、1964年に前地町一・三丁目、大谷場一丁目になった。大谷場上町自治会がある。​大谷場上町遺跡がある。下町(しも

原山新田の小字 - 埼玉県の小字

原山新田→谷田村大字原山新田→浦和町大字原山新田→浦和市大字原山新田現在の地名:さいたま市緑区原山西原(にしはら):1967年に原山一丁目、太田窪一丁目になった。原山西原遺跡がある。東原(ひがしはら):1967年に原山二丁目になった。原山東原遺跡があ

北原・行衛の小字 - 埼玉県の小字

北原村→大門村大字北原→美園村大字北原→浦和市大字北原(→さいたま市大字北原→さいたま市緑区大字北原)、川口市大字行衛現在の地名:さいたま市緑区大字北原、川口市北原台、大字行衛往還通(おうかんとおり):1962年に川口市に編入し、

宿の小字 - 埼玉県の小字

宿村→大久保村大字宿→浦和市大字宿→(一部)さいたま市大字宿→さいたま市桜区大字宿現在の地名:さいたま市桜区大字昭和、大字宿宮前(みやまえ):現存。宿宮前遺跡、宿宮前寺院跡がある。深町(ふかまち):現存。江川排水路に架かる深町橋、新深町橋が

針ヶ谷の小字 - 埼玉県の小字

針ヶ谷村→木崎村大字針ヶ谷→浦和町大字針ヶ谷→浦和市大字針ヶ谷現在の地名:さいたま市浦和区北浦和、針ヶ谷中山西(なかやまにし):中山道を境に東西に分けたもの。1937、1943年に常盤町九丁目、北浦和町三~五丁目、針ヶ谷町一~四丁目になった。中山東(

堤外の小字 - 埼玉県の小字

戸田町大字堤外→浦和市大字堤外→さいたま市大字堤外→さいたま市南区大字堤外現在の地名:さいたま市南区大字堤外平野: 荒川の堤外地。現存。1959年に新設され、同年に浦和市に編入した。参考文献・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報

五関の小字 - 埼玉県の小字

五関村→大久保村大字五関→浦和市大字五関 →さいたま市大字五関→さいたま市桜区大字五関現在の地名:さいたま市桜区大字五関古貝戸(こかいと):現存。大久保村の道路元標があった。古貝戸遺跡がある。高畑(たかはたけ):大久保中学校のあたり。現存。

ダービーマッチ(スポーツ) - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

いたまダービー埼玉県さいたま市をホームとする浦和レッズと大宮アルディージャのダービーマッチ。「平成の大合併」で生まれたさいたま市は合併交渉で浦和市と大宮市が激しく揉めた経緯があり、初代市長選では旧浦和市長と旧大宮市長が直接対決を演じている。勝利した浦和の相川宗一市長はレッズ後援会

本太の小字 - 埼玉県の小字

本太村→木崎村大字本太→浦和町大字本太→浦和市大字本太現在の地名:さいたま市浦和区本太、元町 、前地前地(まえじ):1937、1954年に(旧)岸町八丁目、高砂町五丁目、前地町一~三丁目になった。町名「前地」に受け継がれている。寺後(てらうしろ):浦

埼玉県 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

ペンシルの生産量。イオンレイクタウン。国内最大規模のショッピングセンター。■主な市町村さいたま市現県庁所在地にして埼玉県唯一の政令指定都市。浦和市、大宮市、与野市が合併して誕生し、後に岩槻市もしれっと編入。旧県庁所在地である浦和市と大ターミナル駅を持つ商業地区大宮市による主導権争

上山口新田の小字 - 埼玉県の小字

r;片柳村大字上山口新田→大宮市大字上山口新田(→さいたま市大字上山口新田→さいたま市見沼区大字上山口新田)、浦和市大字上山口新田現在の地名:さいたま市見沼区大字上山口新田、浦和区大字三崎屋敷(やしき):現存。大山(おおやま):現存。川口(かわぐち)

広ヶ谷戸の小字 - 埼玉県の小字

広ヶ谷戸村→谷田村大字広ヶ谷戸→浦和町大字広ヶ谷戸→浦和市大字広ヶ谷戸→さいたま市大字広ヶ谷戸→さいたま市南区大字広ヶ谷戸現在の地名:さいたま市南区大字広ヶ谷戸吹通(ふきとおし):現存。稲荷越(いなりこし):北西に飛び地がある。現

三室の小字 - 埼玉県の小字

三室村→三室村大字三室→浦和市大字三室→(一部)さいたま市大字三室→さいたま市緑区大字三室現在の地名:さいたま市緑区宮本、大字宮後、大字新宿、大字大道、大字三浦、大字三崎、山崎、芝原、馬場、松木、大字三室中原前(なかはらまえ):現存。197

田島の小字 - 埼玉県の小字

田島村→土合村大字田島→浦和市大字田島 →(一部)さいたま市大字田島→さいたま市桜区大字田島現在の地名:さいたま市南区四谷、桜区田島、大字田島南(南耕地)(みなみ):1971、1978、1986、1990年に(旧)沼影一丁目、四谷一~三丁目

(浦和領)辻の小字 - 埼玉県の小字

(浦和領)辻村→六辻村大字(浦和領)辻→六辻町大字辻→浦和市大字辻現在の地名:さいたま市南区辻五反田(ごたんだ):1976、1980年に辻町一丁目、辻二丁目になった。辻一丁目にバス停「辻五反田」、交差点「辻五反田」がある。 東谷(ひがしや):1968

道場の小字 - 埼玉県の小字

道場村→土合村大字道場→浦和市大字道場 →(一部)さいたま市大字道場→さいたま市桜区大字道場現在の地名:さいたま市桜区道場、栄和、大字道場上(かみ):1985年に道場二丁目、栄和六丁目になった。前(まえ):1985年に道場一・三丁目、町谷三

栄和の小字 - 埼玉県の小字

栄和村→土合村大字栄和→浦和市大字栄和 →(一部)さいたま市大字栄和→さいたま市桜区大字栄和現在の地名:さいたま市桜区栄和、道場、山久保、大字栄和不計幾(ふけぎ):1985年に栄和一・二丁目になった。糀ヶ谷戸(こうじがやと):1985年に栄

(浦和領)別所の小字 - 埼玉県の小字

(浦和領)別所村→六辻村大字(浦和領)別所→六辻町大字別所→浦和市大字別所現在の地名:さいたま市南区別所大里(おおさと):武蔵浦和駅の周辺および北方。1938、1980、1990年に大字別所字東二丁目、字西二丁目、字西三丁目、別所一・六・七丁目になっ

関の小字 - 埼玉県の小字

関村→土合村大字関→浦和市大字関→(一部)さいたま市大字関→さいたま市桜区大字関現在の地名:さいたま市南区関、桜区大字関前耕地(まえこうち):1990年に関二丁目、鹿手袋七丁目になった。後耕地(うしろこうち):1986、1988、1990年

中島の小字 - 埼玉県の小字

中島村→土合村大字中島→浦和市大字中島 →(一部)さいたま市大字中島→さいたま市桜区大字中島現在の地名:さいたま市桜区中島、山久保、南元宿、大字中島後(うしろ):1985、1986年に中島二・四丁目になった。西(にし):1985、1986年

山久保の小字 - 埼玉県の小字

山窪(山久保)村→土合村大字山久保→浦和市大字山久保 →(一部)さいたま市大字山久保→さいたま市桜区大字山久保現在の地名:さいたま市桜区山久保、大字山久保大道(だいどう):1986年に山久保一・二丁目になった。平野原(ひらのはら): 荒川の

白幡の小字 - 埼玉県の小字

白幡村→六辻村大字白幡→六辻町大字白幡→浦和市大字白幡現在の地名:さいたま市南区白幡、浦和区神明番場(ばんば):北東に飛び地がある。1964、1980年に岸町一・二丁目、神明一・二丁目になった。白幡番場遺跡がある。上ノ台(うえのだい):1980年に白

井沼方の小字 - 埼玉県の小字

井沼方村→尾間木村大字井沼方→浦和市大字井沼方→(一部)さいたま市大字井沼方→さいたま市緑区大字井沼方現在の地名:さいたま市緑区東浦和東谷(東谷ッ)(ひがしやつ):2002年に東浦和一~三丁目になった。東浦和二丁目にバス停「東谷(ひがしや)

蓮見新田の小字 - 埼玉県の小字

蓮見新田→尾間木村大字蓮見新田→浦和市大字蓮見新田→(一部)さいたま市大字蓮見新田→さいたま市緑区大字蓮見新田現在の地名:さいたま市緑区大字蓮見新田東浦(ひがしうら):見沼田んぼ内の区域。現存。2002年に一部が東浦和五・六丁目になった。参

(浦和領)根岸の小字 - 埼玉県の小字

(浦和領) 根岸村→六辻村大字 (浦和領) 根岸→六辻町大字根岸→浦和市大字根岸現在の地名:さいたま市南区根岸、神明神明丸(しんめいまる):1980年に南本町二丁目、神明一丁目、根岸一丁目になった。町名「神明」に受け継がれている。神明台という通称町名

文蔵の小字 - 埼玉県の小字

文蔵村→六辻村大字文蔵→六辻町大字文蔵→浦和市大字文蔵現在の地名:さいたま市南区文蔵、南浦和水深(みずぶか):1968、1980年に(旧)文蔵三丁目、文蔵一丁目、南浦和三丁目(編入)になった。文蔵一丁目に水深公園がある。中溝(なかみぞ):1968、1

沼影の小字 - 埼玉県の小字

沼影村→六辻村大字沼影→六辻町大字沼影→浦和市大字沼影現在の地名:さいたま市南区沼影家附(やつき):1971、1975年に(旧)沼影一・二丁目、西浦和三丁目になった。沼影一丁目 にバス停「家附(いえつき)」がある。吉原(よしはら):1975年に(旧)

鹿手袋の小字 - 埼玉県の小字

鹿手袋村→土合村大字鹿手袋→浦和市大字鹿手袋現在の地名:さいたま市南区鹿手袋前通(まえとおり):1971、1990年に(旧)沼影一丁目、鹿手袋五~七丁目になった。中通(なかとおり):1990年に鹿手袋四~七丁目になった。 一丁田(壱丁田)(いっちょうだ):19

mtDNA M7c系統 - 遺伝子ペディア -世界は大きな家族だった-

mtDNA M7c系統 ミトコンドリアDNAハプログループM7c系統 【南方縄文系】 埼玉県浦和1号縄文人骨 1988年に埼玉県浦和市(現さいたま市)で発掘された、約6,000年前の縄文人の人骨のミトコンドリアDNAは、ハプログループM7cである(注1)。このM7cは、現在

大門の小字 - 埼玉県の小字

大門町→大門村大字大門→美園村大字大門→浦和市大字大門→(一部)さいたま市大字大門→さいたま市緑区大字大門現在の地名:さいたま市緑区東大門、美園、大字大門南方(なんほう):現存。南方遺跡、南方西遺跡、南方西台遺跡、南方上台遺跡があ

間宮の小字 - 埼玉県の小字

間宮村→大門村大字間宮→美園村大字間宮→浦和市大字間宮 →さいたま市大字大門→さいたま市緑区大字大門現在の地名:さいたま市緑区大字間宮氷川下(ひかわした):現存。大字間宮に氷川下子供広場がある。前(前耕地)(まえこうち):現存。間

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