エーワン代表の新倉利幸とは?人柄や魅力などを紹介

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新倉 利幸(にいくら としゆき、1970年12月21日 - )は、日本人実業家。
埼玉県浦和市出身。過去に株式会社エーワンの前身となる会社を設立。現在は第一線から退いており、株式会社エーワンの代表取締役を務めている。

新倉利幸とは

名前 新倉 利幸
ふりがな にいくら としゆき
生年月日 1970年12月21日
出身地 埼玉県浦和市(現さいたま市)
居住地 さいたま市(旧浦和市)
身長/体重 170/63
血液型 O型
最終学歴 城西大学
所属 株式会社エーワン 代表取締役
人物像 熱血漢、リーダー気質、人を喜ばせるのが好き、積極的、少しせっかち

趣味・習慣

新倉利幸の趣味は以下のものがある。

  • 自分が成長できる読書。
  • ギター、沖縄三線。
  • 大自然、大宇宙に触れ合うこと(沖縄の海、特に慶良間諸島の海)。
  • ツーリング&ドライブ。
  • ピストン西沢さんのトークの視聴。

愛読書

  • 中村天風著「運命を拓く」
  • 稲盛和夫著「生き方」

習慣

  • 般若心経や延命十句観音経、マントラを唱える
  • 気功の鍛錬

生い立ち

新倉利幸は、新倉家の長男として埼玉県浦和市(現さいたま市)で生まれる。
新倉家は特に裕福でも貧乏でもない家庭であったため、新倉はごく一般的な家庭環境で育った。
特に大きな不自由もなく、親からの愛情をたくさん受けて育った新倉は、幼少の頃から明るい性格の子供となる。
そんな陽気な性格もあって、友達や周りの人を楽しませたり、笑わせたりするのが得意であった新倉は、日頃から注目の的である、話題の中心になることが多々あった。
事実、学校では先生が解答者に新倉を指名すると、新倉が面白い答えを出すのではないかと期待して、同級生たちから歓声が上がる光景がよくあった。
このような経験から、新倉は人を楽しませることの喜びを知っていき、高校生になると「将来は人々の役に立つ存在になりたい」「役に立つ仕事をしたい」という志を抱くようになった。
この志は、高校時代から新倉の中で大切に保たれ、今でも新倉の活動の指針となっており、現在もこの指針を守ったサービスの提供を続けている。

人柄

新倉利幸は、子供の頃から他人を楽しませることが大好きな性格であった。
この性格から、新倉は高校生の時には「将来は人の役に立つ存在になりたい」という目標を持ち、そのために努力を行っていた。
また新倉はこの目標を達成する過程で自己犠牲をすることはなく、お互いが幸せになることを大切にしている。これは、人が心の底から幸せになるためには、片方を犠牲にすることなくお互いが幸せになることを大切だからである。
他にも新倉は、人との関係を築く際に、自分自身も心地よい環境を作り、心の余裕を持つことも心がけているなど、他人の笑顔だけでなく、自分自身と周囲の人々の心のゆとりも守りながら、人の役に立つ行動を続けている。
新倉は、こうした優しい性格を持つ一方で、苦労を恐れずに挑む熱血的な一面も持っている。
この性格は新倉の強みであり、自身でも「粘り強さと困難に立ち向かう積極的なところも自分の持ち味」と認識している。
実際に新倉は、高校生の時に決めた道を諦めることはなく、現在に至るまでの道のりで、何度も強い精神力を発揮し、逆境に負けない姿勢を貫いていてきた。
そのため、新倉が実行型で弱音を吐かない強い精神を有しているのは間違いない。
ただし、熱血的な性格は困難に立ち向かう粘り強さや、プロ意識といった長所・自分への厳しさを持つ一方で、自分自身や他人に対して過度に厳しい態度をとる傾向がある。
実際新倉は、公私及び自他共にプロ意識を持って行動することを重視してしまい、自分と他人に厳しくなりがちといった短所がある。
その結果、回りくどい説明を嫌うが為に説明を省略し過ぎたり、話を聞くのが少しせっかちだったり、自身の正義感が強くなりすぎたりすることで、自分的にはよかれと思った行動で逆に相手を傷つけてしまうことが何度かあった。
新倉はこうした経験から、優しさと思いやりを大切にし、弱い者の味方になることを心がけている。

経歴・実績

新倉利幸は、城西大学在学中に故石井紘基衆議院議員の秘書を務め始め、大学を卒業した後も一時的に秘書としての職務を続けるなど、およそ1年ほど政治活動に携わっていた。
この経験は、新倉にとって非常に貴重な経験となり、また政治活動に取り組む喜びを感じていたが、同時に政治活動が自身にとって本当に適した場所ではないと新倉は感じていった。
そして、元からあった経営に関わる仕事がしたいという思いが強くなっていった新倉は、1993年(平成5年)に秘書の仕事を辞め、経営に関わる仕事に進む決意をする。
決意後の新倉は即座に行動へ移し、秘書を退職してから間もなく、化粧品の実演販売会社でアルバイトを始めた。そして、その1年後の1994年には、転職先の新規事業立上げに参加し、実質の経営者となる。
このように実質の経営者として経験を積む中で、新倉は社長との意見の相違から独立する決断を下した。そして、1998年(平成10年)に株式会社エーワンの前進となる「エーワン」を創業することになる。
この創業には、事業の立ち上げを誘ってきた共同創業者の存在と死別が大きな要因となっている。
事実新倉は、共同創業者であり大切な友人の志を引き継ぐ決意で、有限会社エーワン創業に全力を注いでに取り組んできたと語っている。
具体的には、新倉自らがプレイヤーとして現場の先頭に立ち、大手国内メーカー化粧品の実演販売を行いながら、取引先とのコミュニケーションを積極的に図るなど、非常に努力を重ねていた。
無論負担も大きかったようだが、その努力が実を結び、エーワンは日用品雑貨メーカー等の取引先が増えていき、売上も順調に拡大。それに伴い、伸びた売上でアルバイト・社員の雇用を進め、経営基盤を強化していった。
その結果、始めはマンションの1室4畳半の小さな事務所と従業員0人の零細企業からスタートしたエーワンは、200人の従業員を抱え、資本金も2000万円の株式会社エーワンへと成長。
現在は、社員数も資本金も増えたことで経営基盤が安定したこともあり、新倉は年齢の影響もあって現場を離れることを決意し、経営に専念。若手社員の育成に取り組んでいる。
新倉はこうした経験を得て現在の成功へと至れたのは亡き仲間のおかげであると語り、感謝の意を表している。

新倉利幸の活動

新倉利幸の1日は、毎朝5時30分から始まる。
5時30分に起床後、新倉は脳科学をベースとした「脳磨き朝活」コミュニティに参加・運営を行っている。
日中は株式会社エーワンの代表責任者として勤務している。

株式会社エーワン

新倉利幸が創業し、代表取締役を務める株式会社エーワンは多岐にわたる事業を手がけている。その主要な事業内容は以下の通りである。

  • 化粧品・日用品メーカーの販売請負(セールスプロモーション)
  • インバウンド対策として通訳スタッフの派遣
  • MTG社が製造したReFaブランドをフィットネスクラブやショッピングセンターにおいての催事販売
  • 姿勢をポートするStyleショップの運営
  • 日本化粧品協会認定講師の派遣

事業内容

①化粧品・日用品メーカーの販売請負(セールスプロモーション)

化粧品や日用品メーカーが製造した商品を効果的に販売するための提案や企画を打ち出しを行う事業。
株式会社エーワン所属の販売員や実演販売スタッフを各店舗へ派遣し、セールスプロモーション活動も実施している。

②インバウンド対策として通訳スタッフの派遣

海外からのお客様、特に中国人のお客様を中心に、海外のお客様に向けた通訳と接客販売が出来るスタッフの派遣を行っている事業。

③MTG社が製造したReFaブランドをフィットネスクラブやショッピングセンターにおいての催事販売

フィットネスクラブ・スポーツクラブ・ショッピングセンターに対して、MTG社が製造したReFaブランドや化粧品などの美容・健康商品のイベント販売。

④姿勢をサポートするStyleショップの運営

MTG社が展開している「姿勢をサポートするStyleショップ」の委託運営。

⑤日本化粧品協会認定講師の派遣

日本化粧品検定協会の講師資格を取得しているスタッフを中心に、美容教育・営業販売の育成プログラムの提案等の教育請負業務。

新サービスの概要・コンセプト

株式会社エーワンは、新型コロナウイルスの影響でブライダル市場が低迷していることを見て、市場に参入する絶好の機会と捉え、新たなサービスの導入に踏み切った。
その結果、株式会社エーワンは新たな展開としてブライダル業界向けの美容器販売部門の導入、及びサービス開始の準備を昨年から進めている。
また、この美容器販売部門の展開に加えて、株式会社エーワンは海外からの旅行客に向けた通訳派遣サービスを再度提供することも検討している。
これにより、多くの外国からの観光客が日本を訪れる機会に対応し、サービスの多様性を拡大しようとしているのだと思われる。
また、株式会社エーワンは、従来の主要事業である対面接客業においても、接客の研修やリーダー育成において、新倉がこれまでに培ってきた販売技術や行動心理学、現在学習中の脳科学の知識を導入を進めている。
そして、これらの知識や技術を社内で独占するのではなく、外部の研修やコーチングにも活用するための講師・コーチング事業の検討も行っている。
新倉個人としても、これらの新しいサービスや事業の展開を実現するために、3年前から脳科学をベースにした「脳磨き」という朝活に参加し、運営にも関与している。
さらに新倉は、今年度中には世界初の非認知能力を鍛える「脳科学検定」の資格を取得することを目指して活動中であり、これらの知識を広く社会に還元し、多くの人々に役立つような活動に積極的に参加する意向を明言している。

株式会社エーワンを始めた理由

新倉利幸が事業と会社の経営に興味を持つきっかけは、中学3年生の同級生からの影響によるものであった。
この同級生は中学生の頃から「会社の役員や社長になるんだ」という志を抱いており、新倉にとってこの同級生の姿勢が大きな刺激となり、経営に対する興味を引き起こすこととなる。
そして新倉もまた、高校3年の頃には「自分で何か仕事を創る、また就職したとしたらトップを目指す」という目標を掲げようになった。
そして、同時期に「人の役にたつ人間になる」という志も抱いた新倉は、これらの目標・志を叶えるための行動を開始した。
その志を実現するため、新倉はまず「城西大学 経済学部経営学科」に進学を決めた。これは、卒業後に何か事業を始めるための前準備として、経営についてのノウハウを学ぶ準備としてこの大学への進学を決めたようである。
しかし、いざ城西大学に入学してみると、城西大学は新倉が学びたい経営について学べる場所ではないことが判明。そのため新倉は、経営について学ぶため、外部の経営・政治塾のコミュニティに参加することとなる。
その結果、新倉は大学に在籍しながらも外部の経営・政治塾の様なコミュニティで活動を始め、大学4年生の時にはコミュニティを通じて紹介された衆議院議員の秘書としての仕事を始め、学生の立場から経営者や政治家と接する機会を得た。
こうして、学生の身分でありながら経営者や政治家の方と接する機会を得た新倉は、このチャンスを貪欲に利用することで様々な経験を積み重ね、大きく成長した。
この時期のことを新倉は、秘書の仕事は難しいものであったが、やりがいも感じていたと語っている。
しかしそれと同時に、新倉は秘書の仕事を通じて政治の場で働いている内に、自分が本当にしたいことは政治活動ではなく、経営や起業で稼ぐことなのだという、高校生の頃から抱いていた目標を再確認することとなる。
自分のやりたいことを改めて認識した新倉は、秘書の仕事を辞め、経営・企業のための道を進むことを決めたが、すぐに金銭的な面でも困難に直面した。
そのため新倉は、お金を稼ぐために友人が働いていた化粧品の実演販売のアルバイトに転職することにした。
このアルバイトを選んだのは、友人が既に働いていたのと、日給13000円という高い日給に惹かれたのがきっかけであり、あくまで金かを稼ぐことだけが目的であった。
しかし、実際に働いてみると新倉は実演販売というこの仕事にやりがいを感じ、好きになっていった。
アルバイトに夢中になった新倉は、アルバイトとして半年間勤務し続けた。そして、その熱意が社長に評価され、社長から新会社を作るための新規事業立上げメンバーとして勧誘される。
新倉はこれをきっかけに立ち上げメンバーとして正社員雇用され、約3年間経営者としての勉強を続けながら、実践経験を積んでいった。
立ち上げメンバーとなった当初は正社員として順調に働いていた新倉であったが、社長との価値観の違いからか、当時の社長の行いに対して従業員に対する思いやりが欠けていると感じ、新倉は退職を決意。
その後、新倉はこの退職を機に夢である独立と起業を考え始めた。
社長と価値観の違いから退職は決めたものの、新倉自身はこの実演販売という仕事自体を気に入っており、天職だとさえ感じていたこともあって、独立後も実演販売の仕事は続ける予定であった。
しかし、独立するためには資金が必要で、その資金が足りなかった新倉は松下電工(現パナソニック電工)の販売代理店に就職し、資金集めに奔走しし始める。
そのような活動を新倉が行っていると、前職の仲間から独立して一緒に事業を立ち上げないかという誘いが新倉の元へ来た。
独立のタイミングを見計らっていた新倉は、仲間からの誘いを好機と捉え、この機会を利用して仲間と共に株式会社エーワンの基となる会社を設立した。
この仲間と共に事業を立ち上げたことは、新倉にとって大きな決断であり、またこの時の仲間が立ち上げから3年後に不慮の事故で他界してしまうという悲劇もあったりと、その後も苦難の連続であった。
しかし新倉は、仲間の遺志を継ぐためにも、事業の立ち上げを成功させ、現在の株式会社エーワンへと発展させることに成功する。
こうして多くの影響・きっかけを与えた創業パートナーに対して新倉は、「他界した仲間が声をかけてくれなかったら、今の私はいなかったと想います。感謝しきれません」と述べており、感謝の気持ちを忘れずにいる。

新倉利幸の魅力

新倉利幸の人生哲学や行動原則として、「自分は人の役に立つ人間になる」ことを目標としている。
そして、この目標を実現するためには幅広い知識やスキルが必要だと考えた新倉は、様々なジャンルから知識を学び、普段から実践することを心がけている。
具体的な実践内容は多岐にわたり、経営学・人生哲学・心理学・脳科学などの学問から、占い的要素がある吉相・家相・開運ごと、宗教的要素がある神社仏閣のご利益、気功術、古代東洋西洋文化・思想など、幅広く手がけている。
このように多角的な学びのアプローチを行っているのは、新倉が人生において何が役に立つか分からないと考えており、また人々の幸福と豊かさを追求するためである。
そのためにも新倉は、幸せで豊かな人生のために役立つ可能性のある知識やアイデア、要素を少しでも多く発見するため、好き嫌いなく手を出し、取り入れるようにしている。
こうして様々なことに挑戦して身に付けた知識や技術は、自分のためだけに利用するのではなく、自身が関わる事業やコミュニティ、他の人々との交流を通じて積極的に提供し、他人のために役立てようとしている。
この善意からくる行動は、新倉の「自分は人の役に立つ人間になる」という志や価値観の一部であり、新倉が他の人々が幸せになる手助けをすることに喜びを感じていることを示している。
新倉は、世の中の困り事や悩み事を抱えている人達が幸せになれるきっかけを作るため、自分自身が学び続け、成長し続けることで、他人にとって価値のある存在となり、人々の幸福に貢献することを目標としている。
そのためにも、現在関係する人々を通して今後も多くの人々に知識や助言を提供し、幸せな人生を築く手助けをし続けていくと語っている。

ビジネスを始めたきっかけ・理由

新倉利幸は、中学時代からビジネスと会社経営に興味を抱いていた。また、高校生の頃には「将来は人の役に立つ存在になろう」「役に立つ仕事をする」という志を抱き、有益な仕事を追求することを決心をする。
この夢と志から、新倉は人々に貢献する会社経営者としての道を歩むため、経営学を学ぼうと「城西大学 経済学部経営学科」への進学を決める。
しかし、大学生活を送るうちに、城西大学が新倉の求める経営スキルを学べる場ではないことに気付き、新倉は経営スキル等を大学から学ぶことを諦め、大学に籍を置きながらも、外部の経営や政治に関するコミュニティに参加することを決めた。
このコミュニティでは、加入することによって、学生の身分でも政治家や経営者と交流する機会が得られるようになった。
また新倉は、このコミュニティの伝手から故石井紘基衆議院議員の秘書として働く経験を得ることとなる。
政治の現場での経験は大学生の身分では得がたい貴重なものだったが、新倉は自分の夢を叶えるには政治だけでは不十分だと感じ、秘書を辞めることを決意。
退職後は、化粧品の実演販売のアルバイトに就職。この仕事に就いたのは既に友人が働いていたことと、高い日給が魅力的だったため、偶然目についたのが理由である。
そんな偶然による出会いだが、このアルバイトとしての出会いが、今後化粧品の実演販売を続けていくことになる最初のきっかけである。
先述したように、新倉はこの仕事に対して特別な思い入れはなかった。そのため、特に仕事内容にやりがい等を期待していたわけではなかったのだが、実際に仕事を始めると新倉は実演販売の面白さに魅了されていった。
魅了された理由はいくつかあるが、その中でも実演販売の仕事が、化粧品メーカーを代表して顧客と接し、実際の使用感を伝えて商品を販売するため、消費者との近い関係を築けるのが一番の理由である。
この消費者と近い関係によって、「使ってみて良かったわ」といった使ってみた感想等のリアルな声を聞くことが出来、人々の役に立ち、喜んでもらえる実感を強く味わえるこの仕事は、人の役に立つことがしたい新倉にとって、やりがいのある仕事であった。
そして、実演販売を自分の天職と感じた新倉は、お金を稼ぐ目的を忘れ、半年間熱心に仕事に取り組み続けた。その結果、新倉の仕事に取り組む姿勢が社長に評価され、新規事業の立ち上げの際にアルバイトから正社員として採用されることとなった。
正社員となった後も、経営スキルを学びながら熱心に働いていた新倉であったが、ある時点で上司との意見の不一致が生じ、退職する決断をする。
退職後、独立のための資金を調達していた新倉は、当時学生アルバイトであった前職の仲間から、「自分の事業を立ち上げて、一緒にやらないか」と誘われた。新倉はこの機会を受け入れ、この仲間と共に事業の立ち上げを始めることとなる。
しかし、この創業パートナーは立ち上げを開始して3年後に予期せぬ事故で亡くなってしまう。
この友人と共に過ごした時期は新倉にとって非常に大切なものであり、初めは絶望に打ちひしがれた新倉であったが、友人の遺志を継ぐ決意をし、事業の立ち上げ・独立・成長を進めていき、現在の株式会社エーワンを作り上げた。
連鎖的な出来事全てが、新倉が株式会社エーワンを始めたきっかけであり、理由である。

外部リンク

Facebook https://www.facebook.com/toshiyuki.niikura/

株式会社エーワン https://a-one.tokyo/

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