クリノリンスタイル(1850-1870)

ページ名:page19

簡単にスカートをふくらませられる骨組み「クリノリン」が発明され、女性たちは調子に乗ってどんどんスカートを巨大化させていきました(それまではペチコートを何枚も履いてふくらませていた)。

当時は「労働とは無縁の、深窓の令嬢」が理想の女性像だったので、動きにくいドレスでも構いませんでした。

大きすぎるスカートは馬車に乗れなかったり、椅子に座れなかったり、暖炉の火が引火したり、男性に「隣に立てない、腕が組めない」と文句を言われたりと問題も多かったようです。

この時代はドレスデザインの多様化が進み、下半身は「スカートの大きさ」が特徴ですが、上半身はこれと決まったデザインが特にありません。強いて言うなら、夜会服以外では胸元をきっちり隠すハイネックが主流というくらい。

 

ジョン・エヴァレット・ミレー「ブラック・ブランズウィッカー」1860年

折りジワが気になる。

 

ヴィンターハルター「ウェールズ王女アレクサンドラ」1860年頃

 

ヴィンターハルター「オーストリア皇妃エリザベート」1865年

 

アルフレッド・スティーブンス「鳥に餌をやる窓の女性」1859年

 

フレデリック・レイトン 「ジェイムズ・ガスリー婦人」1864年頃

 

アルフレッド・スティーブンス「アファールからの知らせ」1865年

 

J・C・ライエンデッカー 「庭園の散歩」1904年

 

アルフレッド・スティーブンス「ピンクの女」1866年

 

クロード・モネ「庭の女たち」1866年頃

女性のドレスがみんな白なのは、モネが「光の当たり方によって色が違って見える白」を描きたかったかららしいです。

 

ジェームズ・ティソ「ボートに乗った若い女性」1870年

 

アルフレッド・スティーブンス「庭で」

 

アルフレッド・スティーブンス「ためらい」

 

ヴィンターハルター「エリザベス・エスペロヴナ妃」

 

<<<ロマンティックスタイル(1825-1845)へ移動

バッスルスタイル(1870-1890)へ移動>>>

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧