ロココスタイル6(1780-1790)

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享楽的なロココ時代の反省、王政への反発、自然回帰ブーム、田舎ブーム、散歩ブーム、古代ギリシャ・ローマへの憧れなどにより、白い薄手のモスリンの「シュミーズドレス」と「麦わら帽子」の組み合わせが流行り始めました。

ナポレオン時代の「エンパイアドレス」の元になったドレスですが、麦わら帽子やサッシュの有無、袖のデザインなど、よく見るとけっこう違います。

コルセットなしでゆったりと着られるラフなドレスで、この時はまだ「下着のようで下品だ!」「胸の形が丸わかりだ!」とか言われてますが、フランス革命後はこのタイプのラフなドレスが一気に主流となります。

 

ルブラン「麦藁帽子にモスリンの田舎風の装いの王妃(ガリア服を着た王妃)」1783年

「下着のような姿の王妃」として当時スキャンダルになった絵です。

シュミーズドレスは「フランス王政への反発ファッション」と言われることも多いですが、誰よりもこのラフなドレスを愛していたのは恐らくマリー・アントワネットですし、流行らせたのもアントワネットでした。

調子に乗って小林幸子のような格好をしていた頃もあったアントワネットですが、プチトリアノンで田舎ごっこしたり農婦のような格好をしたりと、王妃ではない生き方にも憧れていました。

 

ルイ・エドワール・リウ「ランバル公妃マリー・テレーズ・ルイーズ」1780年頃?

帽子がなければネグリジェかなと思うドレス。

 

ルブラン「ポリニャック公爵夫人」1783年

たまに、帽子が麦わらじゃないことがある。

 

ルブラン「ポリニャック公爵夫人」1782年

ショールを巻き始めました。絶対寒いです。

 

ルブラン「自画像」1782年

珍しいピンクのシュミーズドレス。

 

ルブラン「自画像」1781年

帽子とショールを紺色でまとめているからか、あまりシュミーズドレスに見えないです。

 

フランシスコ・デ・ゴヤ 「白衣のアルバ侯爵夫人」1795年

サッシュやリボンや縁取りなどの装飾を増やして「下着っぽさ」をカバーしているのでしょうか?

 

ジャック=ルイ・ダヴィッド「セリジア夫人とその男児の肖像」1795年

現代的な白いワンピースに見えます。

 

「ルイーセ・アウグスタ・ア・ダンマーク」1790頃?

ヘッドドレスのせいでウェディングドレスに見えます。

 

トマス・ゲインズバラ 「デヴォンシャー公爵夫人の肖像」1783年

このギリシャ・ローマのコスプレっぽい感じ、この時代にしてはかなりエンパイアスタイル寄りな気が。

 

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