エンパイアスタイル(1800-1840)

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フランス革命後の帝政時代、庶民の時代になったことでドレスが急激に簡素化。「下着みたいで下品」と言われた「シュミーズドレス」の発展形のドレスがまさかの主流になります。ハイウエスト・コルセットなしでゆったり着られるラフなドレスです。

でも世間からは「最近の若い女性の下着ファッションには困ったものです」とか言われていました。当時の「ちゃんとした服装」というのはロココ時代のようなコルセットでウエストをギュウギュウに締めた人工的ドレスのことでした。

当時は「古代ギリシャ・ローマへの憧れ」が強まっていた時期でした。ヘアスタイルやポージングなどからもそれが見てとれます。ある意味コスプレブームだったのかも知れません。

初期は質素な白いドレスですが、だんだんデザインが貴族っぽくゴージャスになっていきます。

ちなみに薄手のモスリンのドレスは寒冷なヨーロッパで着るには薄すぎたらしく、何人もの女性が肺炎で亡くなっています。おしゃれは我慢。

 

フランソワ・ジェラール「レカミエ夫人」1805年

ペラペラ。袖なし。ほぼ半裸。こんなドレスが寒冷なヨーロッパで流行ったのはやはりちょっと異常かも。

あまりに寒いのでエンパイアドレス&ショールの組み合わせが流行りましたが、ないよりマシ程度の防寒ですね。

 

フランソワ・ジェラール「フランス皇后ジョゼフィーヌ」1801年

ナポレオンの妻ジョゼフィーヌはエンパイアドレスが大好きでした。皇后が着てるので貴族の娘もこぞって真似しました。

 

ルブラン「ユスーポフ公爵夫人」1797年

コスプレ感がすごい。

 

ヴィジェ・ル・ブラン「エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスカヤ伯爵夫人の肖像」1796年

 

アントワーヌ=ジャン・グロ 「クリスティーヌ・ボワイエの肖像」1800年

ポージングがギリシャ神話っぽい。

 

ピエール=ポール・プリュードン 「皇后ジョゼフィーヌの肖像」1805年

ギリシャ神話っぽい。

 

ジャック=ルイ・ダヴィット 「レカミエ夫人の肖像」1800年

この気だるげに長椅子に座るポーズも、巻き毛にヘアバンドというヘアスタイルも古代ギリシャ意識。

 

イエンス・ユール「王妃マリー・フォン・ヘッセン=カッセル」1800年頃?

 

「アミーリア王女」1797年

 

「デジレ・クラリー」1807年

ちょこっと金の装飾つき。

 

ドミニク・アングル「リヴィエール嬢の肖像」1805年

寒いのでショールや毛皮と一緒に着たり。いいから上着を着ろ。

 

「ナポレオンとジョゼフィーヌの離婚式」1809年

下着ファッションを愛し過ぎたせいでしょうか、ジョゼフィーヌが離縁されてしまいました。

周囲の男性の服装が「気候に合った正しい服装」だとしたら、やはり相当薄着なのでは…?

 

ゴヤ「マリア・テレサ・デ・ボル」1800年頃?

 

「ジョゼフィーヌ皇后」1825頃?

装飾多めの皇后らしいドレス。エンパイアスタイルは元がシンプルゆえにアレンジが効きます。

ジョゼフィーヌはモスリン(木綿)が大好きだったのですが、国内でモスリンを禁止され、渋々絹を着たそうです。それから、エンパイアドレスは徐々に初期の質素さを失くし華やかな装飾が増えていきます。

 

ゴヤ「カルロス4世の家族」1800年頃

白一色だったエンパイアドレスも、後期になると王族のドレスなどはそれなりにキンキラキンになっていき、素材もモスリン(木綿)でなく絹などになります。

もう半袖&ハイウエストだけ守ってればエンパイアスタイル、くらいの感覚。

 

フランソワ・ジュラール「マリー・ルイーズとナポレオン2世 」1812頃?

王族などはドレスのうしろにトレーン(床に引きずるほど長いマント的な飾り布・裳裾)をつけて礼服として採用したりしてました。

「下着みたい」なエンパイアドレスを一生懸命「ちゃんとしたドレス」に近づけようと努力する様は見ていて面白いです。

 

「パルマ公女マリア・ルイザ」1817年頃?

装飾が多いエンパイアドレス。もう半袖とハイウエストで見分けるしかない。

本来シンプルな作りのエンパイアドレスを飾り立てようとした結果、ルネサンス期に流行った「立ってる衿」が復活したりもしました。

 

ジョージ・ドー「シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズ」1817年

 

「オーガスタ・ソフィア」

ドレスに色がつきました。

 

「キャロライン王妃」1820年

 

「スウェーデン宮廷のドレスを着たデジレ・クラリー」1807頃

 

「シャルロッテ・アウグスタ・マティルダ」1820年頃?

立ち衿でゴージャスさをUP。そしてとうとう長袖に…!

この後、エンパイアドレスの弱点である「寒さに弱い」は素材や長袖などで補われ始め、利点である「ハイウエストで楽」が残り、コルセットなしの体に優しいドレスを女性たちが着ていた一時期がありました。

ですが、ナポレオン帝国の崩壊と共に「か弱い女性ブーム」が訪れ、再び「細いウエスト」が必要になったためコルセットが復活するのでした。

 

ゴヤ「着衣のマハ」1798-1803年頃

「マハ」は「小粋なマドリード娘」くらいの意味で、「スペイン、特にアンダルシア地方の民族衣装を着た女性」のことを指すらしいです。

なのでエンパイアドレスではないのかも知れませんが、かなり似てるので番外編として入れておきます。もしかして下はズボン…?

 

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