文明人之纂略036

ページ名:文明人之纂略036

文明人之纂略 作者:黒須輝

036 座学


 我々が滞在しているのは王都に繋がる一つ前の街だ。人通りがかなり多く、俺もリゼも出歩けないレベルに栄えている。
 仮の宿は郊外の邸宅。彼女の隠れ家だそうだ。
 ここで2日ほど休息をとる予定と聞かされた。朝から家に閉じ籠もるのは些か窮屈を感じるものの、一番危険なのは王都周辺の街道という話だから従わざるを得ない。この家を発ったら王都までノンストップという警戒ぶり。
 大変な世の中だ。
 護衛達は忙しなく準備しているが、俺は特に任務など無い。なのでその間に『魔法』とやらを勉強することにした。座学から入るのだから面白い。ファンタジーには疎いが、グリモワールとでも呼ぶべきか。それをリゼから借りた。
 何故そんなものを持ち歩いているのかと尋ねたら、教養は彼女にとって武器なのだと。分からないことがあれば直ぐに調べられるよう、聖教会の教典や古典詩集、歴史書などを常に携行していると言っていた。
 ポール曰く、彼女の異名はなんと神童。わお。
 俺と同類かとも疑ったが、その確率は低そうだ。というのも、推察だが神童は元々‟”付きの嫌味だったのだろう。それを努力と才能で本物に昇華させた。この方が彼女の境遇を綺麗に説明できるからだ。
 底上げ型知能の俺に比して、リゼは積み上げ型と謂うべきか。
 何はともあれ今回は神童様の周到さに感謝せねばならないのだが、そうはいっても文字は読めないし単語は膨大だしと骨が折れる。
 俺は日常会話レベルしかまだできないのに、グリモワールは専門用語が連なっている。敬語なんかも厄介だ。『言う』を例にすると、村では『申し上げる』や『仰る』を使う人間がいなかったので知らなかった。
 幸い、こちらの文化も表音文字を使うらしく、音素も不足無いようだが、文字を覚えても筆記体を使われると読むのに一苦労する。教材があるからといって、簡単に学習できるような状態ではないのがもどかしい。
 服も足りないので、パーカーに合うような暗めの生地の衣が欲しい旨を伝えると、ポールは漆黒のこれまた大きなマントを買ってきてくれた。
 うん……縫製は自分でするから構わないと言ったけれども、どこか独特なんだよな。色とか。ダークとブラックの違いから教えた方が良いのかな。リゼも苦笑いだったから、俺だけがズレてるって訳じゃ無さそう。
 さて、現在は針仕事を手元で行いながらグリモワールを読解中。疑問点については、リゼに頼めば解説してくれる。そんな彼女は俺の傍らで日記らしきものを認めている。
 本に向かおう。俺の教科書となる馬鹿デカい動物紙の書、『世界魔導概論』の冒頭はこうだ。

▼▽▼▽

 はじめに

 本書は人類が持つ世界の力について紹介する。
 『世界の力』。それは万人に世界より与えられし『理に則し、理を外れる能力』。その能力は誰もが持ちつつ、しかし誰しもが使える訳ではない。その能力を行使するためには理を解す知能を持ち、理を外れる鍛錬をせねばならない。
 本書はその能力の奥深さ、楽しさを知ってもらうことを目指しこれを記した。
 世界と共にあらんことを。

▲△▲△

 凄いよな。こんな新興宗教の啓蒙書みたいなものを真面目に読むのだから、人生ってのは分からない。
 著者は Jök Coar 博士という、界隈では名の知れた研究者らしい。約二百年前のデール人で、どこか言い回しが婆ちゃんと似ている。うちは世間から隔離された村だったから、言葉の変遷が遅れているのだろう。お陰で解読は他の現代書物より楽だが。
 続きを読もう。

▼▽▼▽

 まず読者らが疑問に思ったのは『世界の力』とは何かだろう。冒頭で述べた説明は余りにも抽象的で実感が湧きにくいものだったかと思う。具体的には神と悪魔の力を指す。
 神の力である神力を行使して世界の理に干渉する法を『加護』と呼び、悪魔の力、即ち魔力を用いることで世界の理に干渉することを悪魔の法力『魔法』或いは悪魔の術式『魔術』と呼んでいる。
 敢えて悪魔の力について執筆した所以としては、筆者が受洗していないことも一つあるが、大衆的な信仰運動を受け、魔法忌避の風潮が顕著となる近年、いま一度その対象を見つめなおす契機に直面していると考えたことにある。
 本書の目的は古典から現在の研究に至る過程を再確認し、理論的体系を示すことで初学者から中級者に正しい知識を普及することである。
 それではまず、基礎理論から始めよう。

▲△▲△

 世界の理に干渉するとは、人類も遂にここまで来たか。要は物理を捻じ曲げる力を『世界の力』と呼ぶのだろう。それには2つの方法があり、神の力を使うか、悪魔の力を使うかによって名称が異なると。
 類型があって体系化されているのはありがたい。特にこの本は俺のような初学者向けに書かれているようだから期待できる。
 書では早速、基礎理論に入るらしい。俺がこの――地球とは考え難い――世界を理解する土台となる知識である。

▼▽▼▽

 魔法・魔術の基礎理論だが、自分の理解できない事象を起こそうとすると対価が膨大なものとなることを覚えておいてほしい。
 【灯火】を例に挙げよう。これは火を生み出すもので、日常よく目にする初歩的な魔法だ。便利なので修得したい者も多いのではなかろうか。
 市場に出回っている低俗な一般の魔導書では火属性魔法と呼ばれ『火の形象を持て』と書かれている。敢えて断じたい。それは間違いだ。本来魔法に属性などなく、書かれている内容は『形象』という不確かな言葉を使った思考停止である。
 事物の本質とは何か、事物の要素とは何かを知ることこそ魔法の真髄なのだ。
 【灯火】の例に沿って説明すると、火の要素を知ることが魔法を使うということの第一歩である。火とは何か知っているのといないのとでは、結果に明確な差が出る。
 能力が同じ程度の魔法使い二人を使った実験では、不確かな感覚だけで【灯火】を発動させた検体1と、火の本質――火とは空気と物質との反応の結果、熱と光が発生する現象である――を知っている検体2では、後者の方が高効率であると証明されている。
 これこそ、本書で冒頭に述べた『理に則し、理を外れる』という言葉の意味である。
 魔法は自由を象徴する能力だ。水の中に火を灯しても良いし、石を空に浮かべても良い。そこに理があるなら、理を外れることは何ら難しいことではないのである。

▲△▲△

 魔法の基礎理論とは何だったのか。これじゃあ科学とまるで違わない。ジェフが使ったであろう【灯火】の魔法にしても、根幹を成すのはどう読んでも化学だ。
 ならばまだ希望はあるぞ。地球を代表する知識、自然科学が通用するのなら、黒須輝の土俵と宣しても差し支え無い。
 これは面白いことになってきた。


<<前へ 次へ>> 目次

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

文明人之纂略046

文明人之纂略 作者:黒須輝046 自室 「ふむ、なかなか悪くない」 俺は自室のマットに腰を下ろす。厚みがあって断熱や緩衝などの機能を十分に果たしている。柄は曼荼羅、或いはトルコ絨毯のような色彩。おそら...

メニュー

メニュー移動トップページ管理人―黒須輝について管理人にメールを送る『文明人之纂略』の目次なろう作家支援プロジェクトあなたがコメントを開放しない6つの理由新着12文字以内、文字色は黒く noset in...

小説『文明人之纂略』目次

 はじめに こちらは黒須輝が前世で投稿していたファンタジー小説のリメイク版です。活動場所が&rdquo;小説家になろう&rdquo;のサイトでしたので、『なろう』感を多分に含みます。ご注意ください。 ...

文明人之纂略047

文明人之纂略 作者:黒須輝047 【身体強化】 「ふぅん、そこまで彩度が高い訳では無いのか&hellip;&hellip;」 新しい生活が始まって一夜が明けた。 リゼからは環境に順応する為にと十日ほど...

ネタ帳索引

作者:黒須輝索引 はじめに 前提として:19/03/03:- ご都合主義を排除できない事柄:19/03/09:- プロットの組み方:19/03/09:/14 管理人がよく使う文字:19/03/25:-...

20200831

★詠唱 [20200830]  本編主人公は魔法を無言=無詠唱で使っているが、他の作品では『詠唱』と呼ばれる独特の呪文を唱える工程によってそれを使う設定*1を持つものもある。本節ではこの詠唱の役割と...

文明人之纂略044

文明人之纂略 作者:黒須輝044 種明かし 「リーゼロッテ様、緊張しましたね」 仮面を被り直しながら廊下を歩く。これ髪の結び目に引っ掛けてるから面倒臭いんだよな。 「リゼに戻して良いよ。それより君、緊...

文明人之纂略045

文明人之纂略 作者:黒須輝045 別棟  「あのぉ&hellip;&hellip;この大所帯は何ですか?」 リゼの案内で連れられたこは城敷地内の一角、別棟となる建造物である。ちょっとした市役所庁舎並み...

20200824

★魔力と魔素② [20200824]  前節では世界設定とした魔素、魔力、魔力波の性質について論じた。ここで要約しておくと、①空間は魔素で満ちている、②魔力と魔素は同一の存在であり、形態とエネルギー...

文明人之纂略043

文明人之纂略 作者:黒須輝043 謁見 「お入りください」 守衛さんの案内に合わせて観音開きの大きな扉が開く。向こう側の景色が見えた。大きな広間だ。 高い天井に大理石の床、シャンデリアとステンドグラス...

文明人之纂略042

文明人之纂略 作者:黒須輝042 待合室 城に到着した俺は一旦リゼと別れ、待合室のような場所へ通された。セナが警護してくれている。 こういう部屋をキャビネットというのだろうか。それともサロンかな?ジャ...

文明人之纂略041

文明人之纂略 作者:黒須輝041 入洛(後編) それから約15分後。 馬車が行くのは城下町とでも呼ぶべき市街地の大通り。レンガやモルタル、石造りの家々がぎっしりと道の両脇に並び、人の営みを感じさせる。...

7e3d91

★補助魔法【バフ】 [7e3d91]  ファンタジー世界の戦闘用魔法には攻撃、守備の他に補助の効果を持ったものがある。対象の戦闘力を上げるものをバフ(buff)、戦闘力を下げたり状態異常に陥らせるも...

7e3de1

★転生のメカニズム [7e3de1]  転生モノの特徴は二つある。①前世の人格が受け継がれていること②その記憶に劣化がみられないことである。ここではそのメカニズムを考察する。 ①前世の人格が受け継が...

あなたがコメントを開放しない6つの理由

あなたがコメントを開放しない5つの理由 コメント機能の開放にはデメリットが伴う。 言論統制に無駄な労力を割かれる:管理人は「言いたい事があるなら自分のサイトで言え」という価値観の人間。「うるせえ黙れ」...

7e3db1

★「~主義」を軽く説明 [7e3db1]  各政治思想とその立場について論じる。  述べる事柄は有権者として一般的な程度の知識であり、大まかな概説である。それぞれの思想にについて善悪や優劣を評価する...

文明人之纂略040

文明人之纂略 作者:黒須輝040 入洛(前編)▼▽▼▽ さて、本書は魔法・魔術、魔法使い・魔術士・魔導師を意図的に使い分けている。これは本書のみに限った話ではなく、明確に定義されているものだ。 魔法使...

7e3d71

★甲種魔法取扱者 [7e3d71] 魔法を使う者を魔法使い、魔術を使う者を魔術士と呼び、魔法・魔術両方を用いる者と魔法使い・魔術士を合わせて魔導師と呼ぶ  本編では混同しがちな魔法関連の用語を整理し...

文明人之纂略039

文明人之纂略 作者:黒須輝039 邸宅の朝 「うおおおぉっ!かっっくぉいいいぃ!!」 思わず俺は叫んだ。 「アル、興奮し過ぎじゃないかい?」 「いやいやいや、目の前に騎士がいるんですよ?!お伽話にも出...