文明人之纂略046

ページ名:文明人之纂略046

文明人之纂略 作者:黒須輝

046 自室


 「ふむ、なかなか悪くない」
 俺は自室のマットに腰を下ろす。厚みがあって断熱や緩衝などの機能を十分に果たしている。柄は曼荼羅、或いはトルコ絨毯のような色彩。おそらく手織りだろう。
 一流は敷物にも贅を尽くすらしい。
 マットの中央には食卓。アンティーク調の、というかアンティークの世界に俺が居るだけなのだが、味のある円卓だ。こちらも一級品と一目で分かる。
 ショルダーバッグの中身を机に広げて確認する。流石に物盗りは無いようだ。尤も、庶民の持ち物など御貴族様には無価値ってだけかもしれない。
 「トイレに行こう」
 荷物を整理して、立ち上がる。念の為、小刀だけ懐に忍ばせてパーカーを羽織った。
 「戸締まり良し」
 渡された鍵で扉を施錠する。といっても、使われているのはスケルトンキー。軸に数本のツメが付いた鍵を、前方後円墳みたいな穴に挿して回すタイプだ。
 心許無さは否めないが、施錠を再度確認して目的地へ向かう。リゼは自室に専用の『憚り』を持っているらしいが、俺は少し歩かなければならない。
 道すがら出会った人には片っ端から挨拶していく。名前を聞き出す作業は後日に回し、まずは顔と声、そして【眼】を使って骨格を覚える。
 —————おや?
 「こんにちは」
 「はい。ああ、アキラ様……でしたか」
 「ええ、先程振りです。覚えてくださったとは」
 様で呼ばれるような身分じゃないが、お客様にはなるのか。
 声を掛けたのは勝色の髪をした少女。謁見の前、俺に茶を出してくれた人だ。彼女もこちらの人間だったらしい。
 「お出掛けでいらっしゃいますか?」
 「まあ、『ちょっとそこまで』。そちらはお仕事中でしたか」
 掃除用具を幾つか携えている。お茶出しもしていたということは、雑用係なのか?
 「清掃業務です。あの……」
 少女は戸惑った様子で口籠る。成る程、職務に忠実な性格らしい。
 「おっと、呼び止めてしまって申し訳ありません……あ、失礼序でにお願いがあるのですが」
 「何でしょうか?」
 「部屋の掃除をしたいので、雑巾を一枚頂戴できますか?今でなくとも構いませんから」
 汚くはなかったが、床や窓はもう少し綺麗にしたい。
 「畏まりました。後ほどお届けに上がります」
 「ありがとうございます。では、お疲れの出ませんように」
 お辞儀をして立ち去る。
 「あの……」
 と、背後から。
 「はい?」
 「掃除……お好きなんですか?」
 「それなりに、ですね」
 客人が自分の部屋を掃除する、というのは珍しいのか。
 俺がそう答えると、少女はあまり納得できていない様子で職務に戻って行った。
 「—————しまった、名前聞けば良かった」
 気付いたのは目的地に到着してからの事だった。
 トイレ棟は居住棟から渡される廊下の先、少し離れた位置にあって、暗渠が引かれている。水源は王都の近くを流れる Lebi という名の川で、最終的に下水はこのレビ川へと再合流するらしい。
 施設はレンガと石の平屋。周囲には花壇があり、季節の花と共にある植物が沢山栽培されている。広く柔らかい葉を持つ蕗みたいな草。用を足した後はこれで尻を拭くのだ。
 今回は小だけなので摘まない。
 男子用に足を踏み入れる。俺を除いて誰もいない。
 中には脱衣所なんかもあって、井戸から水を汲んで来れば水浴び・湯浴みもできるらしい。風呂は別にあると聞いたが。
 「うーむ、あまり衛生的じゃないなあ……」
 トイレの形状は水路の蓋が排泄物を落とす部分だけ空いていて、そこに蹲むタイプ。要は村の厠と同じなのだが、全体的に薄汚い。男だと、立って済ませる人もいるのだろう。
 これは先に掃除してからだな。
 幸い俺は魔法を覚えている。目立たない場所で少々威力を調節して……【物質生成】[H₂O:水]、高圧洗浄。壁から床に、束子で行なっていた作業を置き換えるだけ。
 床に溜まる黒く濁った液体を【物質操作】で水路に送り込む。流れた【水】は順次、魔素へ還元していく。よく落ちてクセになる。
 手洗い鉢も【お湯】で水垢を落とす。
 「ふぅ、こんなものかな」
 清々しい気分で用を足すことができた。
 —————コン。
 部屋に戻って暫くすると、ノックの音がした。はい、と応答して扉を開ける。例の少女だ。
 「雑巾をお持ち致しました」
 「お手数掛けます。ありがとうございます」
 端切れの入ったバケツを受け取る。この枚数なら乾拭きもできるな。
 「……掃除、お好きなんですね」
 「ん?」
 それは既に交わした会話だ。
 「綺麗になっていた、と……その、『お出掛け先』が」
 早っ!帰って来てまだ30分も経っていないのに?
 コミュニティが小さいからか、村より情報スピードが速い。恐ろしいな。
 俺は「ああ」と力無く相槌を打つしかない。
 「それと、お食事ですが」
 少女は続ける。
 「リーゼロッテ殿下より、御招待がございます。お時間になりましたら担当の者が迎えに参りますので、お含み置きください」
 特別な歓迎パーティーとかではないはず。悪魔の子を主役にする事が顰蹙を買う行為というのは、流石に俺でも分かる。
 おそらく、マナーとかの話だろう。ここへ来るまでにもレクチャーを受けていた。
 「分かりました。では今から仮眠を取りますので、返事が無ければ勝手に扉を開けて起こしてください」
 「承りました」
 少女は一礼して扉を閉め……っと!
 「あと、最後に!」
 「な、何でしょうか?」
 思いの外に大きな声が出て、彼女を驚かせてしまった。
 「いえ、お名前を伺えたらと思いまして」
 「私めでございますか?私は Torca と申します」
 「トーカさん、ですか。これから宜しくお願いします」
 ペコリ、とお辞儀。
 「こちらこそ、宜しくお願いします」
 トーカと名乗った少女は困惑しつつも、好意的に受け止めてくれたようだ。そして今度こそ扉が閉まる。
 「あー、やべぇ。眠い」
 ここでか。
 長距離移動、徹夜、緊張、引越し。全ての疲れがどっと押し寄せて来た。
 ボディアーマーを脱ぎ、パーカーを枕にしてマットへ横たわる。目を瞑ると……ああ、もう!瞼を落としても【眼】が見える所為で『眩しい』。
 治るまでじっとしておこう。せめて体力だけでも回復せねば。


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トイレ第二弾。次話からちゃんとファンタジーになりますので我慢してください。

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