文明人之纂略046
文明人之纂略 作者:黒須輝046 自室 「ふむ、なかなか悪くない」 俺は自室のマットに腰を下ろす。厚みがあって断熱や緩衝などの機能を十分に果たしている。柄は曼荼羅、或いはトルコ絨毯のような色彩。おそら...
文明人之纂略 作者:黒須輝
「ふぅん、そこまで彩度が高い訳では無いのか……」
新しい生活が始まって一夜が明けた。
リゼからは環境に順応する為にと十日ほど休暇を与えられてはいるが、する事も無いので彼女の親衛隊の訓練風景を眺めている。レスリングだろうか、ゴツい男達が取っ組み合う様子はこちらにも熱気を伝えてくる。
「やあ、お待たせお待たせ」
「おはようございます、リゼ」
「思いの外、要望に合った品を吟味するのが捗ってしまってね。どうぞ」
「お手間掛けました、ありがとうございます」
俺は小包みを受け取る。
「お安い御用だよ。それにしても『寓話を集めた書物』とは、随分と妙な注文だね。どうしてまた?」
品を差し出しながらリゼは不思議がった。
「うーんと、一つは語彙の獲得ですね。やっぱりまだまだ読み書きの能力が物足りないので。もう一つは文化の吸収です」
「文化の吸収?」
「ええ。言葉の表現には地域差がありますから、それによって考え方も差異が生まれます。馴染むにはこちらの人々が幼少から触れている寓話や御伽噺から学ぶのが良いかなあと」
例えば日本の昔話だと月に住むのは兎が一般的だが、国によってはヒキガエルの話もある。このような違いの積み重ねが観念にも影響していると思うのだ。
「それは……どうなんだろう。意識した事無かったけれど」
「先程もありましたよ。リゼは私のお礼に対し、 “Mut heek” と返しましたが、私の故郷ならおそらく大半の人間が “Nick’em kolin” と言うでしょう」
ありがとうに呼応する言葉で、『お安い御用』と訳すのが適当か。教科書的な文法ではないちょっとしたスラングだ。
「『汗を掻かない』と『骨を折らない』ねぇ……どちらも通じるけれど、後者の方がちょっと堅苦しい言い回しかな。少なくとも今風ではないね」
要するに年寄り臭い、と。
「ですからそういった慣用句なども理解するため、背景となる文化に根差した物語を参考にしようかと」
「デール人の成長を謂わば追体験するってことか、成る程。ところで、私が来るまで何を見ていたんだい?」
納得したのか、リゼは話題を転換した。
「見ていたのは訓練の様子ですが、観察していたのは髪の色ですね。黒髪は珍しいのかなあと思ったら、それなりに暗めの人も多いみたいなので」
もっと虹みたいにカラフルなのを想像していたが、中には黒っぽい人もいて意外だった。
「あー、確かにね。君の育った環境ならそう考えるのも無理はないか。世の中には青や赤といった純色を持つ人もいるにはいるけれど、多くは褐色に少し血統の色が混ざった程度かな」
「へぇ、血統の色。やっぱり赤と青の子は紫、みたいな感じになるんですかね?」
「あのねぇ、絵の具じゃないんだよ?大抵どちらか一方の色になるはずさ。じゃないと最終的に皆んな黒になっちゃうからね」
率直な疑問に呆れられた。しかしこれは興味深い。メンデルの法則が成り立つのだろうかと好奇心を擽られる。優性劣性があるのか気になるな。
「ああ、でも」
どうやって調査しようか考えていると、彼女は付け加えた。
「黒が珍しいっていうのはあるよ。混じりっ気の無い黒は血統関係無く突如として産まれる。それも、産毛の時点で既に黒いんだ」
色素を司る組織が完成した状態で出生するということか?
「そういえば、母からそんな話を聞いたことがあります。洗っても落ちないから驚いたとか」
だから俺は三回くらい産湯に浸けられたらしい。
というエピソードを話すとリゼは可笑しそうにケラケラと笑った。
「お茶目だねー。愛されているのが分かるよ。私の場合は直ぐに洗礼だったから、ある意味余裕が無かったのかもね」
彼女の聖名は色に因んだものだったな。濡烏だったか。『悪魔の子』の神託も関係しているのだろう。
「……あれ?色が問題無く見えるということは、目の異常は治ったのかい」
思い出したようにリゼは俺の目を覗き込む。
「情報の抽出が上手いですね。はい、一晩寝たら治りましたよ」
「それは良かった。でも羨ましい能力ではあったね、少し勿体無い気もする。他人事だからだろうけれども」
体調を慮ってか、言葉選びが慎重だな。
「お気遣い感謝します。勿体無い事には私も同感なので、実は朝から切り替えができないか実験中です」
やはり『見える』というのは何事においても有利だ。見えることは隠すことにも繋がる。今の俺にとって隠れる技術の向上は唯一と言える自衛手段で、生存率の底上げに不可欠である。
「一応、集中すれば発動できるところまでは到達したのですが、非常に面白そうなものが【眼】に映ったんですよね」
「もう制御できるんだね。それで、何だい?」
「彼らの使っている魔法です。魔素が動いていることまでは分かりましたが、どんな効果があるかまでは流石に判別できなくて」
数十メートル先の兵士達を指差す。相変わらずレスリングに似た格闘訓練。しかし単純な白兵戦ではなく、魔法も交えた総合的な競技のようだ。
「んー、強化系の魔法だと思うけれど。一番手っ取り早いのは本人に尋ねてみることじゃない?」
そう言ってリゼはちょいちょい、と手を振った。
するとピタッと一斉に動きが止まり、全員が綺麗に整列する。
「セナ」
と日常会話程度の音量で声を発すると、それだけでセナはこちらへ駆けてきた。残りの兵士によって訓練が続行される。
……いやいやいや。
「はぁ?!え、何であの距離で見えるんですか?おまけに指示まで届くなんて」
誰か一人が察知して号令を掛けるってなら理解できるけど、あの統率のされ方はオカシイ。
にも関わらず、彼女はさも当然のように答えた。
「そりゃ、私がここに来た時から彼らの最優先事項は私になるからね。それが主従というものさ」
王族の力か……凄まじ。
「リゼ殿下、お待たせ致しました」
本人が到着する。
「ああ、邪魔してごめんよ、君が一番アルと信頼関係を築けてそうだからね。彼が皆んなの使ってる魔法を知りたいそうなんだ。教えてあげてくれないかい?」
簡潔に伝える。
「【身体強化】でございますか。畏まりました」
セナは快く了承してくれた。
「宜しくお願いします」
ペコリとお辞儀。
「うむ、と言っても然程複雑なものではない。体の動きを魔素によって補助するだけの魔法だからな」
またこの人は簡単そうに……少し天才肌な部分があるよな。一から説明するのではなく大枠から入るタイプなので、欲しい情報は自分で考えて質問しないといけない。
慣れると加速度的に上達するのだが。
「ええと。魔素を纏っているように見えたのは、あれが魔法の本体ということでしょうか?」
「ほう、目が良いな。恐らくその認識で合っているだろう。これがそうだ」
セナは左手に発動し、ゆっくりと披露する。
「……もしかしてパワードスーツですか?」
「ん? “powered exoskeleton” って何だい、それは」
おっと、つい。
「直訳すると動力の付いた甲羅、でしょうか。肉体を中からではなく外から補助する形態の機能または装置です」
「つまりその発想を君は既に持っていたのだな」
「発想というか空想ですね。実際には重量出力比の小さな動力を要することから困難だろうと結論付けていましたが……」
まさかバッテリーパックが不要になるとはな。
「それまた稀有な想像力だ。甲羅と呼ぶには少し柔らかいものの、概ね理念は同じと思われる。できそうか?」
「イメージトレーニングはできました。試してみたいです……けど」
「けど?」
「借りた本をどうしようかと」
リゼの寓話集。運動するには正直邪魔だ。
「地面に置いておけば良いじゃないか、汚れる訳でも無かろうに」
「いや、本を地べたに置くのは憚られまして。傷むからではなく、道徳のようなものです」
寧ろ宗教か。
文具とか刃物、食器なんかもそうだけど、足に近付けるのはちょっと嫌だな。跨いだり足を向けるとバチが当たりそうで。
「ふむ、じゃあその間私が預かっておくよ。それで構わないかい?」
「我儘言ってすみません。ありがとうございます」
リゼに小包みを一旦返す。
「『骨の折れる事』では無いからね。セナ、続けて」
「承知しました。アル、まずは君の好きなようにしてくれ。私の真似をしても良いし、自分の感覚に頼っても良い」
そう言って以前は結局荒技になった記憶が。
「……やってみます」
見たところ【物質操作】っぽいんだよな。それをリアルタイムでコントロールする感じ。今の技量でも不可能ではないはず。
体の外側に魔素を集中させてみる。
「どうでしょうか?無負荷なのでイマイチしっくりきませんけど」
「じゃあこれを持ってみろ」
セナはそう言って巨大な金属の塊を【生成】し、投げて寄越した。
「え、ちょっ」
重っ!50kgはあるだろ、これ。鉛じゃないか。
「どうした、フラついてるぞ」
「くっ……ぅ」
俺より質量が大きいから鉛の方に重心を持っていかれる。
「駄目だ限界です」
放り出す。10秒保たずとエネルギーが尽きた。
「初めてにしては上々だな。無駄な魔力消費が目立つので、その点を改善していけば実戦でも問題無いだろう」
体が小さいから、高出力に振り回されてしまうらしい。子供の内はカウンターウエイトかデッドウエイトかを装着する必要があるかもしれない。
それよりも、俺の耳はある単語に反応した。
「実戦?実戦ってやっぱり戦争で人とか殺したりするのでしょうか?」
「相手が人間とは限らないが、そんなところだ。それが?」
言われてみればそうだよな、兵士なんてそれが業務なんだから。
「いや、私は全く思いも寄らぬ話でしたので」
「だが君は武術を心得ているだろう」
「……分かりますか」
「筋肉を見ればな。狩りや畑仕事では発達しない部位が多い。徒手に剣、槍も得意そうだな」
ばっちり見抜かれてんな。柔術はリゼに技を掛けたから仕方ないが、持ってもいない得物まで特定されるとは。
「最低限、身を守る為ですよ。あとは単なる遊び。これを使って他人を害するなんて、考えた事もありませんでした」
「なら今はどうなんだい?君は自分の役割を理解しているだろう。これからそんな場面が山ほど出てくるよ、さあ考えてご覧」
戦場で俺が人を殺せるかと?
彼女の言う通り、俺は将来的に教会や魔王と対峙しなければならない。当然、その過程では暴力的な手段を避けられない状況にも遭遇するだろう。だが現時点では「殺せ」と命じられて、はい分かりましたと他者を手に掛けられるような精神など持ち合わせていない。
甘っちょろい人間である事は自覚している。
「リゼ、それは無茶です。想像もつきません。その時になってみないと……もう良いでしょう?私は部屋に戻って読書をします。本、ありがとうございました。セナさんも」
これ以上詮索されても不愉快だ。彼女の手元から荷物を摘み上げ、一礼して踵を返す。
「その時ねぇ……」
後ろでリゼが呟いた。俺は聞こえていない振りをした。
META
タイトルに悩んだ。今話では髪色の遺伝、主人公の文化観・宗教観、魔法要素の3つが入っているので、話の運び方としては下手だったかもしれない。
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