文明人之纂略034

ページ名:文明人之纂略034

文明人之纂略 作者:黒須輝

034-閑 リゼの手記


 嘗て、東方では魔王との大規模な戦争があったと記されている。村々は蹂躙され、前線となった地域では多くの血が流れたという。
 直近の戦争は特に酷かったらしい。埋葬が追いつかず放置された屍体には蛆が湧き、疫病が蔓延、汚染された土壌では作物が育たず飢饉が各地を襲った。土地の放棄による荒廃も進んだ。
 そんな戦後混乱期、恒常的な献納を条件に、使われなくなった土地の自治運用権と不可侵協定を買った者たちがいる。彼らを我々は『入植民』と呼称した。
 土地が安く手に入り、成功した場合の利益が莫大なこの事業は、一攫千金を夢見る者が挙って真似をした。
 だが当然、成功するはずもなく。素人の運営と劣悪な環境が相俟って大半は失敗し、廃墟は自然へと還った。
 カデナ村は運良く生き残った一つである。権力者の欲しがらない辺境にありながら、外部との適度な交流を持ち、生産と消費の均衡が保たれた人口、温厚な民衆と比較的善良な首長による統治。持続の要件を満たした稀有な郷だ。
 それが、一つの神託と一人の存在で変わりつつある。
 彼の名はアレックス。齢は先日6を迎えた。恐らく聖教会が指した『悪魔の子』である。地理的条件が幸いし、その彼を私は聖教会よりも先に発見できた。『穏やかな』協議の後に協力も得られた。
 アレックス(私はアルと呼んでいる)の特徴は何と言ってもその艶やかな黒髪。亡霊が生者の髪を血に染める、と伝承の残るカデナの村で、唯一亡霊の影を纏ったような深い黒。
 並外れた知能も忘れてはならない。
 自慢になるが、私は神童と渾名されている。幼い頃から物覚えが良く、恵まれた学習環境もあって、身分による贔屓を差し引いてもその称号に相応しいと自負していた。
 彼と接して、今まで出会った大人たちが私にどんな感情を持っていたのか理解させられた。形容し難いが、強いて謂えは敗北感か。
 只者ではないことくらい、『回答』を通じて知っていた。不思議な文字の羅列であったが、彼の解説を聞くに integral 計算とは積分法の概念を当て嵌めたものらしい。
 これをあの年齢で思い付くのだとしたら、確かに恐ろしさは否めない。
 しかし興味深いのは、彼が我々の悪魔像とは掛け離れた性格であることだ。
 行動は極めて思慮深く計画的、生活は規則正しく質素、物腰柔らかで驕らず、家族に対する愛を持ち、正当な理由の下に怒る分別がある。まるでお伽話の聖職者だ。
 その為、当初心配していた我々との関係は今のところ良好である。私だけでなく護衛たちともよく話や野営作業をしている。その時の方が自然体に見えてしまうのは気の所為だろうか。
 否。協議に至る過程で私は彼の信用を損ねた。寧ろ、今こうして良好な関係を築けている事、彼のその寛容さに感謝せねばならない立場であろう。
 彼の生態はまだ不明点が多いものの、どうやら身の周りに独特のこだわりを持っているらしい。
 まず、病的なまでの潔癖症。毎日身を清め、口を清め、手を清めている。振り返れば、彼の村は隅々まで清掃が行き届いていたように思う。
 石鹸を見せると大いに喜んだ。また、口にするものは水にすら火を通し、新しい水場では近くに鉱山や厠が無いかと頻りに尋ねてきた。そんな心配は要らないのに。
 症状は特に、補給のため街へ立ち寄った時が酷かった。「家畜小屋の臭いだ」と、明ら様に不快感を示し、それからはずっと草臥れた布で鼻と口を覆っている。
 身形のこだわりもかなり強い。入植民出身ということもあるのか、実用性に重きを置いているようだ。
 靴がその代表である。
 靴底や爪先は木製で硬く保護機能があり、甲側は肌に密着する革靴の要素もあって運動に適している。足裏全面に幾何学模様の溝が彫られているのも印象的だった。成る程、滑止めらしい。
 見るからに人間味溢れる生態をしている彼だが、世間では悪魔と看做される。顔を知られては危ないし、衣服の質の低さはそれだけで損をする。
 そこで私は街(彼が家畜小屋と評した)にポールを遣わせ、適当な衣類数着と顔を隠す仮面を買い与えることにした。
 品々を見て彼は “Dassé!” と叫んだ。意味を尋ねると「感覚的なものだが」と難しい顔をしながら前置きし、『芋っぽくて洗練さに欠ける』と説明した。要するに気に入らないようだった。
 あの時のポールの落ち込み様は今思い出しても笑いが込み上げてくる。
 気に入らないなら捨てれば良いのだが、彼は「勿体無い事をするな」と私を諌め、持参の針と糸で器用に服を繕った。帽巾付きのこぢんまりした外套で “Parkā” という。確かに、よっぽど似合う。
 仮面は自作するらしく、木の板を数日前から黙々と彫っている。着けたまま食事ができるように口を開けた設計で、三角の目とのっぺりした笑顔が強烈な印象を与える。
  “Jack-ō-Lantern” という名の精霊とのこと。
 このように信仰も独特なもので、それらは我々に新しい価値観を提示してくれる。もしかしたら、火を通してから物を食べるというのも、彼の信仰に関わっているのかもしれない。
 この十数日、接していて感じたのは、彼が現象や事物を世界の外から見る能力に秀でているということ。これは期待以上の人材だ。
 さて、こうして私は退屈のない日々を順調に過ごしていたのだが……
 都に繋がる街の手前で事件は起こる。その際の、彼の驚愕し、動揺する様は私にも衝撃を与えた。


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