文明人之纂略031

ページ名:文明人之纂略031

文明人之纂略 作者:黒須輝

031 告白


 挨拶回りは滞りなく終わった。俺が旅立つ事を告げると皆惜しみ、また快い言葉で送り出してくれた。嬉しい限りだ。木工職人のマットさんに至っては、餞別だと言って仕事道具の小刀をくれた。
 この村で鉄製品を手に入れるには行商から買う他無く、決して安い物でもないのに。可愛がられているなあ、と実感した次第である。
 旅立ちに必要な荷物はショルダーバッグに詰めた。普段使いのものだ。リゼは心配しなくて良いと言ったが、非常時の野営道具は一応持っておく。手に入らなさそうな歯ブラシやマスクなど、衛生用品その他小物が多い。勿論、小刀も。
 身の回りの整理や、俺が担っていた子供の監視・指導の引継ぎ作業を処理していたら、あっという間に日が落ちて月が昇っていた。天頂に銀の望月が輝いている。
 母さんは婆ちゃんに諭され、慰められ、叱咤も受けながら最終的に納得したようだ。目はまだ赤かったが応援すると言ってくれた。
 あとは……
 「姉さん」
 俺のけじめ。
 村と違って何が起こるか分からない世界。仲違いしたまま別れるのは絶対に嫌だ。
 しかし姉は壁に顔を向けて横になったまま、返事をしてくれない。夜遅くなってしまったものの、眠っている訳ではなさそうだが。
 「エレ姉」
 もう一度呼び掛けてみる。
 「……何よ」
 湿っぽい呼気が混じった小さな声。俺は母のみならず姉をも泣かせてしまったらしい。
 「すみません」
 傍らに正座し、頭を下げる。
 「朝も言ったでしょ、謝らないで。聞きたくない」
 分かってる。謝っても許してもらえない、というか、何について謝るのか、だ。淡白な事を申せば、俺に非は無い。謝意を述べたとて、解決する事は一つも無い。
 すべき事はとっくに分かっている。
 「お話があります。姉さんにしか話せない、大切なお話が」
 「うん」
 だが生憎ここは寝室。場所が悪い。
 「居間に移動しましょう」
 「うん」
 居間とは作業部屋のようなもの。家は4つの間取りで構成されていて、台所、食堂、寝室とあり、残りが居間である。
 この部屋は南に窓があるので明るい。
 「皆んな寝ているので静かに」
 というのは建前で、盗聴を防ぐ為だ。
 黒板とチョークを手渡す。黒く塗った板に、白い粘土と卵殻を捏ねて乾燥させた筆記具だ。月明かりでの筆談に適している。
 意図を汲んだかは定かでないが、コクリと姉は頷いた。
 深呼吸をする。さて、まずどこから始めようか……
 《エレ姉は “ANIMA” を信じますか?》
 自分の黒板に書いて見せる。
 《ANIMA?》
 との返答。
 シャッと布で消し、次を書く。
 《性格や心を司る…自分の中に居る精霊のようなものです。例えば、生まれる前の記憶はありませんか?》
 《生まれる前?う~ん…無い》
 《私にはあります。遠い国、遠い時間、全く違う世界、全く違う時代に生きていた記憶が。私はそこでエレ姉の年齢の2倍ほど長く勉強をしていました》
 こんなことが無ければ墓場まで持っていくつもりだった、自身の秘密を文字に起こす。緊張で拍動の間隔が狭まる。これを見せたらどうなるのだろう。
 嫌われはしないか、不気味がられはしないか、悪魔と呼ばれはしないか……ネガティブな思考が次々と溢れて止まらない。
 意を決して表向ける。
 《本当?》
 帰ってきた1単語。月明りに浮かぶ表情は普段と変わらない。
 《はい》
 肯定。読んだのを確認して次の文を書く。
 《こんな私は気持ち悪いですか?》
 姉は頭を振った。ほっと胸を撫で下ろす。
 《アルはアル。でしょ?》
 その言葉に励まされる。やはり俺は幸せ者だ。こうやって打ち明けられる人がいて、その人は俺を一人の人間として認めてくれている。これ以上他に何を望めようか。
 黒板を見つめていると、反応を示さない俺を不審に思ったのだろう、姉が心配そうに顔を覗き込む。
 《ありがとう》
 急いで返事を書く。
 《いいのよ。それよりも、もっと詳しく聞かせて》
 俺の前世について、か。
 《私はとある国で男に生まれました。 ‟AKIRA” という名前でした。その国の子どもは大人になるまで仕事の代わりに勉強することができて、アキラは一生懸命に色々な事を学びました》
 考えながら書くので、過去形が多くなり、昔話みたく単調な文となってしまう。しかし、姉は食い入るように集中して読んでくれる。
 《色々な事?》
 《例えば、文字や言語。世界には沢山の言語があって、それを記す為の文字も沢山あります。今書いている文字はその中の一つです。数や歴史、自然の法則についても学びました》
 《楽しそう》
 《楽しかったです。中でもアキラが好きだったのは、人の社会にある規則とそれを取り仕切る方法について研究することでした。それを、リラさんくらいの年齢まで続けました》
 リラさんというのは、エレ姉の友人であるリッテンの母親だ。20代前半の女性で、15が成人の基準であるこの村では十分立派な大人である。
 《随分と長い間。それで、その後は?》
 その……あと。
 姉は興味深そうに続きを待っている。聞きたいのはどんな仕事に就いたのか、結婚相手は誰、などの話だろう。
 《分かりません、記憶が無いのです。おそらく私の命はそこで…》
 敏い姉はそこで気付く。
 《逝ってしまった、いえ、こちらに来たというべきかしら》
 無言で頷く。俯く。
 カッ、カッ、とチョークを走らせる音だけが耳に入る。
 《きっとアキラ君はもっと生きたかったのね。だからこうやって記憶として想いが残ったのよ》
 成る程、与えられた2度目のチャンスか。そうやって良い方に捉えられるのは姉の長所だ。
 《私はリゼに悪魔の話を知らされた時、因縁を感じずにはいられませんでした。アキラの記憶が関係しているのではと》
 《それを確かめに行くのね?》
 《ええ。それで故郷も守れるなら、少しの別れなど忍ぶに容易いことだと。ですから、決して王女様を選んだなどということはありません》
 《気にしてないわ》
 《でも…》
 《でも?》
 《この先何があるか全く分かりません。もしかすると人として大きな間違いをするかもしれない、世界そのものが敵のようなこの状況で、心が変質してしまうかもしれない。それが怖いのです》
 俺が最も恐れている事は、姉を含めた家族に理解されなくなる事だ。自分の価値基準が内面の変化に伴って歪み、再会した家族から「アルはそんな人じゃない」などと言われるのが怖い。
 そうなれば俺は本格的に人格が崩壊するだろう。
 孤独が怖い。
 勇気付けるように、姉は微笑む。
 《アルはアル。どんなに姿や中身が変わっても、そこにいるのはあなた自身よ》
 自己を規定するものは常に自己である、ということか。意識がある限り、自分は自分。アレックスであり、黒須輝であり、俺だ。
 《ありがとう》
 《いいのよ。じゃあ、この際だし私の秘密も聞いてくれる?》
 姉の秘密……?
 《何でしょう》
 《アル、私はあなたのことが好き》
 ん?ああ、そうなの。ていうか、そんな嫌われてるような態度でもなかったろ。
 《私も姉さんのこと好きですよ》
 と返したら黒板の角で頭を狙われた。言ってることとやってることが正反対なんだが。
 《違うの、一人の男の子として好きなの。世間ではこれを初恋と呼ぶのでしょうけど…家族としての好きもあって、なんか複雑》
 ……え?それは初耳。
 《兄さんの言う通り、やっぱり気付いてない》
 どうして兄さんが関わってるの?やっぱりって何?そこまでむくれることか?
 「バカ」
 「バカは酷いですよ」
 「うるさい、バカ」
 「皆んな起きちゃいますよ……うわっ」
 やめろ、耳を噛むんじゃない。くそっ、なんてパワーだ。
 「暫く会えないんだし、好きにさせなさい」
 「何故ですかっ。今し方、良い雰囲気で送り出してくれたじゃないですか」
 「気が変わったの。姉を置いて行く罰よ」
 「そんな理不尽な……」
 取っ組み合いの攻防をしていると、誰かに首根っこを掴まれた。引き剥がされる。
 「お前らさっきから喧しい。さっさと寝ろ」
 兄だった。
 「あ、はい」
 二人揃って連行された。


 

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