文明人之纂略021

ページ名:文明人之纂略021

文明人之纂略 作者:黒須輝

021 至福


 「ん……んぁ。うーん……」
 鎧戸の隙間から差し込む光で目を覚ます。緩い倦怠感が全身を覆っている。
 「おはよう、アル」
 耳元で優しい囁き。本能的に落ち着く匂い。
 「おはよう、母さん」
 どうやら母の腕枕に頭を載せているようだった。心地良い。もう少しこのまま、このまま……ちょっと待て。これ、朝日じゃないか?
 えぇと。昼ご飯食べて、薪割りして、リゼと出会って、一悶着あって、それからは……ずっと眠ってたということか。日付変わってるし。何時だ?午前9時くらいだろうか。
 「あー、寝坊だ」
 久しぶりに寝坊した。今までは結構厳密な規則正しい生活だったんだが、気を抜くとこうだな。これは姉に怒られるだろう。「起こしたのに起きなかった!」とか言われそうだ。
 「今起きます。支度しないと」
 「まあ、いいじゃない」
 上半身を起こそうとするも、母に阻まれて胸に抱かれる。
 「母さんっ?!」
 もう乳飲み子ではないし、無垢とも言えない中身による道徳や自制の念が、逆に羞恥心を湧き起こすのだけど……頬に当たる柔らかい感触とか。
 「くふふ……恥ずかしがっちゃって、もうそんな『お年頃』なのねぇ」
 いや、あのね母さん。これは別に劣情とかじゃないんだよ?ただ、これを説明するには発達心理学の偉い先生を呼んでこなくちゃならなくて……
 釈明の台本を書いていると、母の雰囲気が変わった。違うな。初めからそうだったのを、俺が気付かなかっただけらしい。
 「いつのまにか背も伸びて、筋肉もこんなに。本当、子どもの成長って早いわぁ」
 母は俺の頭を一つ撫で、髪に手櫛を通す。掌から愛おしさ、慈しみが直に伝わる。「でもね」と母は続ける。
 「でもね、アルはまだ子どもなの。一人で頑張らなくても良いし、辛かったらもっと言って欲しい。何でも自分でやっちゃう子だったから、私も任せきりなところがあったけど……無理させてごめんね」
 母は小さな俺をぎゅっと抱き締めた。腕の中でこくりと頷く。でもこれだけは言っておきたい。
 「良いんですよ。母さんがいて、父さんがいて、婆ちゃんもいて、兄さんや姉さんもいる。その中で毎日を過ごせるのが、幸せですから。母さんを安心させたいとか、そんな考えは無しに」
 そう、こうやって生きていることが何よりの幸せなのだ。
 これは黒須輝の記憶が大きく関係している。死んでから分かる事というか、あれだけ身近な人すらもう会えないと知って、日常の有り難みや家族の大切さを魂の次元で実感しているのだ。
 「ふふ、アルは本当に面白い子ね。そこは生まれてからずっと、変わってないわ」
 と、可笑しそうに吐息を漏らすと、母は俺の腋に手を通して自分ごと立ち上がる。
 「この前まであんなに軽かったのにね」
 「一体何年前の話ですか……もう自分で歩けるんですよ」
 降ろしてほしいのだが、母の嬉しそうな表情を見てしまっては、面と向かって言うのも憚られる。地に届かない足をバタつかせて細やかに抵抗の意を示しておく。
 母はそれに気付きながらも、楽しそうに俺を抱えて居間を目指す。そういえば、物心ついたあの日もこんな感じだったな。5年も前になるのか。
 「よいしょっと」
 降ろされたのは椅子の上。机には朝ごはんが並べられている。ポトフにはまだ湯気が立っていることから、俺が目を覚ます直前に用意されたものだろう。
 「お腹減ってるでしょうから、さっさと食べちゃいなさい」
 母は正面の席に座ってそう言った。
 「はい。『いただきます』……母さんの分は?」
 「私はもう食べたから良いの」
 じゃあ気兼ねなく頂くとしよう。いつもと同じ献立だが、一人だと少し贅沢な感じだな。
 「美味しいです」
 「ふふ、ありがとう」
 「ああ、そうだ。今日寝坊したこと、姉さん怒ってませんでした?」
 水汲みとか畑の世話など、二人で力を合わせながら行うことが多い。それだけでなく、毎朝の運動とかもすっぽかしたことになる。さぞ『御冠』であらせられることだろう。
 しかし、意外にも母は首を横に振った。
 「そんなことないわ。寧ろ、ゆっくり寝かせてほしい、私一人でも大丈夫、なんて。アルの横で添い寝までして、あの子も成長してるのねぇ」
 ふーん。まあ、パワー自体はまだ姉の方が強いし、作業については心配無いだろう。その点における信頼は厚い。
 しかし、そんな弟想いな行動ができるのは俺も知らなかった。本来なら喜ぶべきだが、そして実際嬉しいのだが、同時に悔しい気持ちもある。要は十に満たない少女から情けを掛けられたということ。弱みを見せてしまったということだ。屈辱である。
 「どうしたの?ちょっと不貞腐れて」
 「いや、葛藤で心の中に小競り合いが生まれただけです」
 「そんな言葉、どこで覚えてきたのかしらねぇ」
 呑気なものだな。取るに足らない問題なことは確かだけど。
 「あと、この後はどうしましょう?午後からは普通に働けますけど」
 このままだらけてしまっては昨日の労力が無駄になる。二日間の平均だと、あの薪割りの量は決して多くはないのだ。
 「休暇よ。偶にはそんな日もあっていいんじゃないかしら」
 「休暇、ですか……」
 うーん、若干の罪悪感。ま、それも贅沢のエッセンスとして味わうとするか。取り敢えず食べ終わったら歯を磨いたり日課を済ませて、それから考えよう。


 

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