文明人之纂略019

ページ名:文明人之纂略019

文明人之纂略 作者:黒須輝

019 労


 「よお、アル。遅かったな」
 「遅いよっ!」
 家に着くなり、二人にお出迎えされた。心配していた姉の機嫌は杞憂に済んだらしい。ボールを返しておく。
 「すみません、姉さん。兄さんは、休憩ですか?」
 「まぁな。あと連絡だ」
 「連絡?母さんか父さんが何か?」
 「いや、さっき行商が来たのを伝えにな。多分知らないのはお前だけだ」
 ああ、もうそんな季節か。冬の間は来なかったから、半年近く空いたことになる。
 「でもまあ、私は別に用はありませんけど。寧ろ近付きたくないというか」
 モーリス氏に悪い意味で憶えられたからなぁ。熱りが冷めるまでは距離を置こうと考えていた。
 「それが、今回は違うんだよ」
 「兄さんその台詞、前回も言ってませんでしたぁ?」
 経験則から、他人の言う『今回は』は話半分に留めることが推奨される。
 「いや、今回はまた違うんだな」
 「一体何が違うんです?」
 然して興味もない話題だが、うずうずと言いたそうにしているので問うてやる。
 「いつもの代理っていう人たちが来てる。男が3人。しかもいつもより長くここにいるんだってさ。アルの言葉を使えば 1-week くらい?それで、その中には商人の娘もいるらしくて……その子、誰?」
 一頻り兄は『今回』の概要を伝えた後、思い出したようにリゼを指す。その面持ちには若干の警戒が窺えた。
 「えーと、紹介します。先程知り合ったばかりのリゼさんです。リゼ、紹介します。兄のグラッツと、姉のエレーナです」
 漸く得られたその機会に、空かさず両者の仲介をする。とはいえ、リゼの情報については殆ど持っていないから説明に困る。
 「エレーナよ。宜しく」
 最初に口を開いたのはエレ姉だった。幾分姉の方が年下に見えるが、臆さぬ様子で握手を求める。初対面の相手はいつもこうして立場を見極めていく。
 「宜しく。私のことはリゼと呼んで欲しい」
 リゼは握手に応える。特段こちらも変わった様子は見受けられない。本人達がどう感じているかは別として。
 「俺はグラッツ。アルが世話になったようで、礼を言おう」
 こちらは大人の対応。やはり俺の保護者を長年務めただけあって慣れている。ごく自然な所作でリゼの手元から俺を奪還した。これは彼女も意識外の出来事だったらしく、驚きの目で兄を見る。
 「えぇと、グラッツ君。世話になったのは私の方なんだ。散歩に出たは良いんだけど、道に迷ってしまってね。案内してもらってたんだよ」
 「すると、商家のご令嬢というのは君のことか?」
 兄が確認するように尋ねると、平静を取り戻したリゼは屈託のない笑顔で首肯した。
 「話の流れだとそうなるね。これから暫くここで過ごすことになるから、仲良くしてくれると嬉しいよ」
 彼女は姉のしたように手を差し出して握手を求めた。しかしながら、兄はそれに応じることなく背を向ける。
 「それは君次第だろう。ただ助言をするなら、誠実であるべきだ。人は君が思っているより勘がいいからな……じゃ、俺は仕事に戻るよ。家畜の世話が残ってる」
 そう言ってスタスタと厩舎の方角に行ってしまった。どうやら兄は彼女を好かない、というより人格の面で引っ掛かる部分があるらしい。
 確かに、リゼは俺と似た異質さを醸し出している。『誠実であれ』は、そんな俺が他人と接する際の銘だ。威張らない、貶さない、侮らない。機微に敏感な兄は、彼女の振る舞いから何かを嗅ぎつけたのだろう。
 「誠実であるべきは君じゃないのかい……?」
 一方のリゼは兄の背中を眺めながら、遣りどころのない右手をそのままに呟いた。この確執は当分続くと予想される。
 「ここにいらっしゃいましたか……リゼ様。勝手に抜け出されては困りますよ」
 「!!」
 音も無く、見知らぬ精悍な男が突然家の陰から現れた。腰には剣を携えている。
 心境は『驚愕』意外の何物でもないが、俺はなんとか反射的にエレ姉を庇い、間合いを取ることができた。相手から見えないよう、ハンドサインで姉をゆっくり後退させる。
 視覚、嗅覚、聴覚。神経を研ぎ澄ませて他の人物の有無を確認……こいつだけみたいだ。薪割りで使った斧までは5m弱。姉一人なら逃がせるか。
 さて、どうする……?
 「おっと、坊や。そう殺気を立てないでくれ、敵じゃあない」
 男は俺を宥める。
 「悪い奴らは皆、そう言いますが」
 警戒を解かずに言葉を返す。
 「まあ、そうなんだが……こちらは君たちに用が無いのでね。リゼ様を連れ戻すことができれば構わないんだ」
 リゼ『様』?思えば先程もそう呼んでいた。小娘相手に随分と恭しい態度だ。商家の令嬢とはそこまで偉いのだろうか。
 「では速やかに用事を済ませてください。我々も平穏が一番ですので」
 オブラートに包まなければ「とっとと帰れや余所者供が」である。相手もそれを理解しているのか、争う意志はなさそうだった。
 「分かってる。さあ、リゼ様。彼らのためにも戻りましょう」
 「ああ、従うよ。アル、エレーナ、今日はありがとう。また機会があれば」
 と言ってリゼは酷く残念そうな表情で別れの挨拶を述べた。俺とエレ姉は「ええ」と返し、村の中心へ帰って行く姿を見送った。
 遠ざかるにつれて臨戦態勢を徐々に解除していく。
 「―――――うへぇっ。はぁ……なんですかこの無駄な心労はっ?!」
 開口一番、俺は思いの丈を吐き出す。まったく、迷惑な奴らだ。大体、人の敷地に断りもなく入ってくるなんて、プライバシーの侵害……は村の人も似たようなもんか。
 「あの男の人は騎士とか、そんな感じの人?」
 「さあ、どうでしょうね?武器を持ってましたから護衛なのは間違いないでしょうけど、騎士だとしたらリゼに敬語を使うことの辻褄が合わなくなってきますし……」
 もしかしたら傭兵とか、雇われた私的な人材かもしれない。尤も、これは彼女が真実を述べていると仮定した場合に限られる話だ。兄に『誠実であれ』とまで言わ使めた人間の言葉を、そう易々と鵜呑みにはできない。
 「……何とも言えないですね。ところで、怪我とかはありませんか?」
 「ええ、無事よ。でも、一時はどうなるかと思ったわ」
 姉の回答に、ホッと胸を撫で下ろす。
 また、あの状況に危機感を覚えてくれたのは有り難い。子供だけの集まりに、武器を持った見知らぬ男が突然現れた。字面にするとその危険性は瞭然だ。しかし現実で起こっていることが危険に該当するかの判断は難しく、時に生死を左右する。幸い、今回の姉は正しい判断をしてくれた。
 「流石に私も覚悟しましたよ。あちらは大人で、見るからに本職の人間でしたからね。強盗でなくて本当に運が良かったと思います」
 やれやれと溜め息を吐くと、エレ姉は労わるようにを抱擁する。
 「ありがと」
 「どうしたんですか?」
 「分かってるくせに」
 どういう風の吹き回しかと尋ねたつもりだったのだが、このままでも構わないか。
 身を委ねると、蓄積した身体的な疲労も相俟って眠気が押し寄せてきた。俺は少し目を瞑ることにした。


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