文明人之纂略046
文明人之纂略 作者:黒須輝046 自室 「ふむ、なかなか悪くない」 俺は自室のマットに腰を下ろす。厚みがあって断熱や緩衝などの機能を十分に果たしている。柄は曼荼羅、或いはトルコ絨毯のような色彩。おそら...
文明人之纂略 作者:黒須輝
「……どうしたんですか?」
「緊張してるのよ」
夕方。収穫祭が始まり、いよいよ出し物の演武が迫ってきた。しかし先程からエレ姉の落ち着きがない。いや、もともと落ち着きのない人だが。
「心臓に毛の生えているエレ姉が、緊張なんかするはずないですよ」
「失っ礼ね!私だってこんな大舞台初めてなのよ?緊張くらいするわよ」
って言われてもなー。仮面被るまではめっちゃ元気だったからなぁ。
「う〜ん、面の締め付けが強すぎるんじゃないですか?あと、裸足と寒さが合わさって血流が滞ってるんですよ。多分」
止血点であるこめかみを過度に圧迫されると、血行が阻害されて気分を悪くすることがある。顎を動かす側頭筋が固定されているのも良くない。
機動性と接触時の安全性を考慮して裸足にしたのも、冷えを直に伝えている要因だろう。
交感神経が活発になると体温保持機能が発動して末端の血管は収縮されるため、それらを『緊張』として脳が過剰に認識している可能性がある。
「じゃあどうすればいいのよ?今更もう一度面を被り直すのは時間的に無理よ」
「脱力して、いつもの呼吸法をしてみてください」
「呼吸法って、限界まで吸った後吐くやつ?」
「そうです」
両手を挙げて体を伸ばしながら息を吸い、脱力と共に吐く。深呼吸よりも深い呼吸が副交感神経に作用する。
また、全身の骨格筋が伸縮され、特に肩甲骨周りの僧帽筋と大腿骨周りのハムストリングが収縮することで熱を持ち、血液が温められる。
脱力で手足を一気に下ろせば、遠心力と重力が作用して強引に末端まで血液を届けることができるという知恵だ。
「……はぁ、なんかお腹空いてきた」
「ああ、平常に戻って何よりです。終わったらいっぱい食べましょう」
「おーい、二人とも。そろそろ頼むわ」
村長からお呼びがかかった。成功を祈って抱擁をすると、二人は無言で別れた。ここからは女神と悪鬼に成り切って振る舞う。
「—————紳士淑女諸兄諸姉!これからお見せするのは……」
村長が前口上を垂れる時間で舞台となる広場の両端にスタンバイ。両者の右手には木刀。
「……それではご覧頂きましょう!エレーナ・アレックス姉弟で『精霊演武』です。どうぞっ!」
拍手歓声と口笛が鳴り響き、村人数百人が見守るなか、観客に向かって礼をする。御神体という概念が無いので正面への礼はいらない。
木刀を右手から左手に持ち替え、『下げ刀』のまま目測5mの間隔まで近付き互いに礼。『帯刀』し、3歩。抜刀せず舞台の中央で蹲踞。あらゆるスポーツの試合とは異なり、始めの合図は無い。ここら辺は相撲の立合いに近いか。
姿勢を保ち、開始の時分を探る。加速度的に感覚が研ぎ澄まされ、脳のモードが切り替わる。
—————今っ!
前足に体重が乗り、両者は抜刀態に踏み出した。悪鬼の抜き打ちを下から防ぐ女神。
カッと硬木の弾ける音が響く。
直ぐ様切り返す一撃。受けたところを体当たりで突き飛ばす。女神は後ろへの跳躍で間合いを取った。詰めて打つ。
前半の流れは悪鬼の荒々しさを表現すること。兎に角、攻める。カッ、カッ、と一振りごとに太刀が鳴る。おぉ、と観客の騒めく揺らぎが肌に伝わる。
ヒュンッと音がして一本の木刀が宙を舞った。奥義『巻き技』。剣先の弧を描くような操作で相手の手許を翻弄し、テコの原理で武器を巻き上げるテクニック。実際に剣道で使われる技で、上手く決まれば竹刀が跳ね飛ぶ。
隙あり、と脳天割りの正面打ちを繰り出す。だが、合気道の真価は徒手対武器にこそある。
女神は悪鬼の一撃を体捌きによって交わし、柄を持って振りかぶりつつ180度背転。『四方投げ』という技を決めた。
悪鬼は後方回転で受け身。武器はその一瞬の間に女神が捥ぎ取った。ここからは木刀を巡って技を掛け合う、主導権の奪い合いである。
受け身から立ち上がる間も無く、女神渾身の突きが喉に向けられる。左足を前に出す『入身』によって間一髪避け、同時に相手の側面へと回り込む。左手首を掴み、外側に捻ることで肘関節を支点に崩す関節技『小手返し』で反撃。
なんとか、今のところプログラム通りだ。といっても八百長をしているわけではない。そもそも、柔よく剛を制す特性上、手を抜けば技は全くかからないのが事実。関節を扱うので怪我のリスクだけが残る。
この本気の駆け引きが演武の魅力だ。
—————ズシャァ……
最後は女神が悪鬼の腕を掴み、螺旋を描いて組み伏せる『肩落とし』。刑事ドラマの犯人確保シーンでよく見る大技で締めた。
おおー、と声が上がって拍手の音。
荒々しい悪鬼は女神に退治された。よって来年も安寧である。というストーリー。
まあ、『精霊演武』というのはそういう神事を表す俺の造語だが、根本的には節分の豆まきとか一人角力のような厄祓い・豊穣祈願の一種だ。異なるのはこれが伝統ではなく、俺が今年から始めたという点。
中盤で女神が落とした木刀を拾い、揃って納刀、5歩退がって礼をして下げ刀、右手に持ち替えて観客に礼。本日三度目の拍手を浴びながら女神と悪鬼は舞台かれ捌ける。
無事成功と言って良いだろう。
MCを務める村長がまた何か喋っているが、聞き取れない。暑さと疲労がピークに達している。たった数分の出し物だが、ノンストップはキツかった。リハであそこまで集中したことはなかったし、この興奮も初めてだ。脳内麻薬でハイになっているのが自覚できる。
神懸かりの一歩手前だわ、これ。シャーマンの気持ちがよく解る。
「姉ちゃん大丈夫かな?」
俺の疲れ具合からすると、直前のコンディションが万全でなかった姉は生きているかも怪しい。
仮面を外す気力もなく、上に少しずらした状態で持参した水筒を呷り、よたよたとエレ姉を目指す。その間にもぼたぼたと玉汗が髪を伝って落ちてくる。
あ、いた。面を投げ出したまま、ぐでっと仰向けに寝転んでいる。
「エレ姉、元気ですか〜?」
発する熱量から、汗が湯気となって立ち昇っている。このままでは風邪を引くだろうに、不精な人だ。
使わずにおいたタオルで顔、首回りを中心に拭ってやる。
「アルぅ、お腹空いた……」
意識があるのかないのか。おそらく起きるのが面倒なだけだろうな。
「食事の前に水分補給です。ほら、これ飲んでください」
水に果汁と塩を適量混ぜた、簡易の経口補水液だ。膝枕で介抱してやると、エレ姉は「甘い……」と呟きながら飲み干した。
俺の分は無くなってしまったが、まあ良い。糖分は穀物から摂取できるし、今日に限ってはミネラルの摂取に困らない。十分に味付けされた料理がたくさんあるからな。
「アルぅ、お腹空いた……なんか取ってきて」
「横着しないで、さあ立ちましょう。家の皆んなも待ってるでしょうし、ね」
脇の下に腕を通して引っ張り上げる。姉は「ぐぇえ」と、この上なくみっともない声を一つ零すと、それからは素直に歩き始めた。
「お疲れ様です、姉さん」
「ご苦労様、弟」
この尊大さは相変わらずだなぁ。それが魅力でもあるのだけれど。
「……ねぇ」
「ん、何です?」
「来年もやりたいね」
「そうですね、是非」
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