文明人之纂略012

ページ名:文明人之纂略012

文明人之纂略 作者:黒須輝

012 行商人①


 「さて、今日も張り切って生きましょうかね」
 朝の日課を終え、グーンと背伸びを一つ。秋晴れの良い天気だ。
 「何、ぼさっとしてんの?行商さん来ちゃってるのよ?ほら早く!」
 「あー、はいはい」
 急かす姉に言われるまま、俺はその後を追う。
 『行商さん』とはその名の通り行商人のことだ。数ヶ月に一度、この村にやってきて嗜好品や生活用品を売りに来る。こちらからは農作物と毛織物を買ってもらい、その支払いに充てる。
 貨幣経済など無いに等しく、基本は物物交換だ。
 それで。どこに向かっているかというと、村の中心にある共用の館。広場が併設されていて、今回のように市場として使われるほか、収穫祭の会場にもなる。
 昨晩遅くに行商が到着したらしく、村民は今朝から挙って買い物に向かうことが予想される。
 「だからって、何かが売り切れることもないでしょうに……」
 「そ・れ・で・も!もう皆んな集まってるのに、私たちだけ遅れるのは嫌なの」
 「それなら朝練お休みすれば良かったじゃないですか。稽古なら夜でもできるんですし」
 事実、俺もそのように提案したのだから選択肢にはあったろうに。
 「後回しにしたくないのよ、それは」
 「ふーん……」
 楽しんでるみたいだしセンスもあるから、他を優先するというのは難しいのかな。今年の収穫祭で演武をしたいと頑張ってるのもあるだろう。
 「ほら、集まってるじゃない。おーい!おーはーよーー!!」
 広場にはガヤガヤとした人の騒めきが既に溢れており、エレ姉はその中にある子どもの群へ駆け寄っていった。
 俺もぼちぼち参入する。
 「よお、アレックス。遅かったな」
 「ああ、兄さん。盛り上がってますね」
 「お前は相変わらず落ち着いてんな」
 「そりゃ、いつもと同じですから」
 俺がそう返すと、兄はしたり顔で指を振る。
 「それが違うんだなー」
 「違う?それはどういう……」
 「アルっ!今から行商さんトコ行くよ!!」
 尋ねようとした矢先、背後から飛んできた姉が俺の手を引っ掴んで攫ってしまった。一体何事だ。
 為すが儘に連行されていると、やがて広場の中央にやって来た。周りを見渡せば大人達が談笑したり、品物の取引をしている。少し場違いな気がして居心地は良くない。
 「どうしてここまで……?」
 普段子どもは立ち入らないエリアだ。状況が理解できない。
 「おう、来たかアレックス。エレーナちゃんもよう来た」
 謎は明かされないまま、予想外の人物がこちらの存在に反応した。
 体躯良い壮年の男性。纏う風格は正にリーダー。
 「村長、おはようございます。本日は一体?」
 「ありゃ?エレーナちゃん、アレックスに話してないのかい?」
 俺とエレ姉、二人合わせてコクリと頷く。
 「じゃあ丁度良いや、一緒に説明しよう。アレックス、この人が行商人の Morris さん」
 モーリスさんか。
 足腰の筋肉が発達したおじさんだ。銀の髭が浅黒く燻んだ肌とマッチして渋みが滲んでいる。
 「アレックスです。宜しくお願いします」
 左胸に右の掌を当てる、この文化で一般的な『お辞儀』をした。
 「モーリスさん、こいつがウチのアレックス」
 村長が俺を紹介する。
 「ほう、この子が。噂は聞いてるよ、宜しくアレックス君」
 モーリスさんは見定めるように目を細め、右手を差し出した。握手か。左手も添えて両手で応える。
 「……」
 話を切り出したいが、どうしたものか。モーリス氏が目線を合わせてくるので、俺も離せずに沈黙が続く。
 「……痛いです」
 モーリスさんの握力が次第に強くなり、骨が耐えきれなくなる。
 「おっと。すまない、無意識に。村長、説明を続けてくれるかな?」
 本当に無意識だったのか真偽は不明だが、なんとか前に進んだ。村長は説明を再開する。
 「実は子ども限定でな、とある問答があるんだが……あっちの子らは全く解けなくて、お前ならもしかしたらって思ってな」
 問答ねぇ……何というか、引き摺り出された感じだな。多分、呼ばれなかったら無視している話題だろうし。
 「残っているのは私だけですか?今来たばかりの姉もいますが」
 僅かながら抵抗してみる。
 「いや、私も分かんなかった」
 即答で身内から切られた。
 「だってよ」
 「はあ……左様で。して、当の問題は何でしょうか?」
 まぁいい、俺だって分からない事は沢山ある。つまり、解けない問題もあるってことだ。
 「これだ」
 モーリスさんがおよそ30cm角で薄い木の板を取り出す。何やら図形が描かれているようだ。
 ……タテ線、ヨコ線、上向きに膨らんだ曲線か。文字、のようなものは見当たらない。随分と不親切だなぁ、これは。意図が把み『難い』ぞ。
 「分かるか、アレックス君?」
 「質問を返すようですが因みに、モーリスさんは解けましたか?」
 「……正解のみ教えられている、と答えようか」
 ふむ、大人でも解けないのか。ぱっと見て黒須輝の記憶から直ぐに思い当たったが、これを子ども限定でとは何がしたいのか分からん。
 「アル、どうなのよ?」
 「では『分かりません』と回答しましょうか」
 「おいおい、嘘だろアレックス?お前が出来ないなんて言葉、口にして良いのかよ」
 村長が失望したように溜息を吐く。確かに真実は述べていないが、かと言って100%の嘘でもない。
 真の意味で文字の教育を受けていない俺には、『分からない』を選択することも可能なのだ。これはそういう問題。
 それに対し、モーリス氏がドスの効いた声で脅す。
 「あまり、大人を揶揄わない方が良い」
 おー、怖。
 「ですが。仮に私が答えたとして、得られるものは何一つありません……問題の備考欄に褒賞などの規定はありませんでしたか?」
 ここで解いても、こちらにはメリットが無いのだ。精々、よく頑張りました。で終わり。俺は何か情報を吸い上げられて不快な思いをするだけ。
 つまり、これは出題者との駆け引きだ。その仲介者であるモーリス氏がどこまでその情報を欲しがっているのか、次に提示される——本来存在しないはずの——リワーズで見極める。
 「ああ。すまない、見落としていた。書いてあるよ。褒賞は……金貨5枚だ」
 麦で換算すると、村が徴収される年貢のおよそ1年分はある。
 レートの出典が婆ちゃんの婆ちゃんが若い頃だから、インフレによってもっと下がってる可能性は大いにあるが、おそらく大金には変わりないだろう。
 「それは凄い!では回答にはこう書いてください。『まだ分かりません』と」
 しかし、本気ではないな。直感だが足元を見られている気がする。
 「なっ……!?」
 「心当たり、ありませんか?」
 先の発言で気になったことが一つ。
 彼は俺の質問にこう答えた。正解のみ教え『られて』いる。
 つまり出題者は彼の上に位置する人間で、且つ何らかの使命を彼に託していることまで推察できる。という事は、モーリス氏がその使命を果たした際、報酬が支払われるはずだ。
 彼のポケットマネーでは断じてなく、褒賞はその中の一部から割かれたものと考えるのが自然であり、手取りを確保するならその割合は高くて半分。
 本気なら全額出してもらわないと。
 「……12枚だ。私の名誉に賭けて嘘偽りなく12枚と書いてある」
 4割だったか。かなり良い待遇なんだな。
 「現物は当然、ありますよね?」
 確認しておく。
 「勿論だ。ほら、ここに」
 舌打ちと共にじゃらぁ、と懐から袋が出てきて開かれる。にぃしぃろぉ……ちゃんとあるな。他の小銭もあるからこの分は自費なのだろう。ギリギリ足りたのか、或いは先払いが偶然入れっぱなしだったか。
 「では取り掛かります。何か書くものは借りられますか?」
 「それなら私のを使うといい。ほら」
 モーリス氏は業務で使っていたであろう羽根のペンとインク壺を差し出した。
 「ありがとうございます。ではこちらで少々お待ちを」


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