文明人之纂略046
文明人之纂略 作者:黒須輝046 自室 「ふむ、なかなか悪くない」 俺は自室のマットに腰を下ろす。厚みがあって断熱や緩衝などの機能を十分に果たしている。柄は曼荼羅、或いはトルコ絨毯のような色彩。おそら...
文明人之纂略 作者:黒須輝
「アルぅ、どこ行くの~?」
納屋から必要な道具を持ち出し、畑とは逆方向に向かう。
「トイレです。先行きません?」
「それもそうね」
残念ながら、この村の家々には個別のトイレというものが無い。これまでの有様を見れば容易に察せるだろうが、排泄物処理に必要な上下水道や浄化設備などを持てる技術水準に至っていないのだ。
それ故に、共同トイレが川に設置されている。謂わば川屋、つまり厠である。
「お先にどうぞ」
「どうも」
姉に譲る。俺は外で待機。
「終わったよ。どうぞ……って何その格好?」
「ん?まあいいじゃないですか。両手、出してください」
「うん」
俺は荷袋から水筒を取り出して中の液体を掛ける。
「これ、お酒?……アル、どうしたの?」
「どうって、トイレ掃除ですよ」
マスクと頭巾にエプロン。何事かと思うのも無理はない。今のところこの時間にここで誰かと出会うこともなかったし、知らなくて当たり前だ。
だが、これはどうだろう。
「最近トイレが綺麗になったなぁって、思ったことありません?」
「うーん。無い」
い、言い切った……
「あ……そうですか。数年前からこうやって掃除に来ていたんですが」
衛生に大切なのは粘膜に接する場所を清潔に保つことだ。
俺は一人でトイレに行けるようになった頃からここの掃除を買って出て、その援助として器具や消耗品、例えば消毒用の酒なんかを村長(っぽい人)から譲り受けている。
その成果により、嘗ては便所虫の這うほどの惨状が、今や厚生労働省さんも怖くない。
「それで、何するの?」
「うん?まあ、見ててください」
俺は袖を捲って川上から水を汲みに行き、復路で手頃なイネ科と思しき雑草を数株刈る。それらを束にして縛ったものが則ち束子、タワシであり、棒に括り付ければデッキブラシとなる。
川縁に迫り出す建物に入った。半畳ほどの中は板張りに穴が一つ空いているだけで、覗くと川の緩やかな流れが見える。
「さ、始めますか」
常識だが、掃除は上から下へが鉄則である。天井はさすがに届かないので壁。木目に沿って磨く。
初期は尿ハネがそのままにされてシミになっていたが、続けるうちに落ち、何度も草で擦るので意図せず一種の『染め』になっている。尚、抗菌性は不明。
そして床。ここで取り出すのが草木灰と木材乾留液だ。草木灰は特性として強アルカリを示し、肥料にもなる。
木材乾留液は所謂『粗木酢液』で、木酢液の原料だ。炭を作る際の副産物であり、防腐・消臭・消毒などの効果が期待できる。
酢やアルコール、塩は高級品につき使用制限が課せられるための、もどかしい妥協点である。
床一面を終え、仕上げとして用足しの時、目に入る位置に季節の花を一輪生ける。
何故か。男なら分かると思うが、立ち小便する際、花があると避けるなり、多少意識してしまうだろう。これは綺麗に使ってもらえるよう心理的効果を期待した工夫だ。
「終わった?」
エレ姉が尋ねる。
「まさか」
見える部分だけで終わるのは十中八九、便所掃除を知らない人間だろう。便器で汚れが付着しやすいのは裏側。洋式で言うなら便座裏や縁裏、ここでは床裏となる。
川の方に降りて穴の縁を中心に一通り擦る。当然だが、水や濡れている石には絶対に触らないよう注意する必要がある。
これで以上だ。
タワシは手持ちのナイフで切り落とし、川に流す。使い捨てを徹底する。柄の棒は薪となって焼却処分される。
最後に手洗いうがい。川上の流水で灰を付け、爪の間まで洗った後、酒を振りかけ、持参の煮沸した水で手と口を濯ぎ、ハンカチで拭う。
爪の艶ごと落とされるのは致し方ないか。
「終わりました」
「遅いっ!」
姉上様はお怒りのご様子だ。
「すみません」
「……」
おや?いつもと反応が違う。
「……ちっとは反抗しないもんなの?皆んなの為にやってるのよね?」
「いや、自分の為ですよ?」
「嘘吐き」
「本当ですって」
なんだかんだ理由を付けてはいるが、俺の根本にあるのはリベラリズムだ。
皆んなの為、村の為。共同体を中心に物事を考えるのがコミュニズム。
俺はそれを巡り巡って自分の為になると考える。最終的な価値を自分の利益とするのが自由主義である。
動機付けが根本から異なるのだ。
「もういい。次からは私も誘ってよね」
「どうしました?エレ姉らしくないですよ」
いつもなら「変な子ねぇ」で済ませるのに。
「私は私よ……別に。ただ、人の役に立ってる人を見てるだけってのが気に食わないの。だって、アル一人でやってるのってオカシくない?」
どこか彼女の正義を呼び醒す何かがあったらしい。
「そこら辺は……これからの意識改革次第ですかね。エレ姉はこの活動に賛同してくれますか?」
「なんか言葉難しいけどやる!だからやらせなさいっ!」
「ふふっ……分かりましたよ。じゃあ衛生学のお勉強からですね。途中で音を上げることは許しませんよ?」
当たり前だが、綺麗にするための掃除で病原菌に感染したら本末転倒だ。基礎的な衛生に関する知識は頭に詰め込む必要がある。
「どんと来い、よ。文字を覚えた私に弱点など無いわ」
「そりゃあ、威勢の良いことで」
しかしなぁ……俺の専門はこの分野じゃないんだよなぁ。黒須輝の記憶は大学まで一応アクセスできるが、どうも理系分野については高校レベルに毛が生えた程度らしい。保健衛生なんて専門外だ。
“Jits’yow-say te tie-sets danner…”
「ん、何か言った?」
「いえ、何も」
俺の独り言は風に消された。本来の目的である畑に向かう頃、空は明るくなっていた。
それでも……多分8時は回ってないと思う。これが農家か、と何度実感したことか。
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