文明人之纂略008

ページ名:文明人之纂略008

文明人之纂略 作者:黒須輝

008 新しい朝


 アレックス少年の朝は早い。
 俺はまだ暗いうちから起床し、暖炉に火を点ける。およそ一年前からその当番を担っている。
 消し炭を灰の中から掘り起こし、火打ち石を叩いて火口に着火する。燃焼が安定してきたら汲み置きの水を温めるのだが、使う鍋は土師器に似た質の低い器なので沸騰まで時間がかかる。
 その間に身支度を整えるのがルーティンだ。
 まず、伸ばしっぱなしの髪の毛に櫛を通して後ろで束ねる。以前は短く切っていたが、整髪料など手に入らず好みの髪型も無かったため、これで定着した。それが大体2年前。
 家のドアを開ける。村自体が大きな家族みたいなものなので、鍵など要らない。
 外の空気を吸う。季節は[秋(:Doif)]の中頃。[冬(:Lolna)]を控える、朝特有の沈殿した冷たい風が肺を満たす。
 裏手に回ると庇の下には甕がある。半年前5歳になった俺だが、台を使わないと覗き込めないほど大きい。ここから桶で水を掬い、顔を洗う。
 「冷てえ」
 水温が低いため、皮膚も突っ張る。
 布で水滴を拭ったら、甕の陰に置かれた壺を手に取る。この中には数種の水漬けハーブが入っていて、自家製の口内洗浄液となっている。
 本当は家の中に置きたいのだが……とある葉の独特の匂いから、許可が下りなかった。
 そいつのポジションとして近いのはドクダミ。葉の形状はやや異なるが用法はほぼ同じ。抗菌性に優れた薬草で、擦過傷ならこれを塗れと婆ちゃんから教わった。
 そんな薬液を10mLほど杓で口に流し込み、クチュクチュと5分程度濯ぐ。吐き出す。
 そして取り出すのがこれ、歯ブラシ。これも自家製……というか、まずオーラルケアの概念が存在しないここでは作るしかないのだ。
 無数の小孔を開けた木の枝に膠を接着剤として馬の毛を植えただけの簡素なものだが、使い心地はなかなか良い。歯磨き粉は要らず、洗口液で磨く。
 「……おはよ、アル」
 「おはよう、姉さん」
 歯磨きをしているとエレ姉が起きてきた。長い赤髪が寝癖で乱れに乱れている。
 「髪整えるんで歯磨きでもしててください」
 俺が口内の液体を吐き出して言うと、エレ姉はあくびを噛み殺してコクリと頷き、そのまま薬液を口に含むと薪割り用の台座に腰掛けた。
 その後ろへ回り込んだ俺は自分も使っている櫛で念入りに梳いていく。厄介なハネには台所でくすねた油を数滴、手に馴染ませて髪に延ばす。
 すると間も無くキューティクルが輝いて天使の輪が暗がりに浮かんだ。
 これで終わっても良いが、もみあげを三つ編みにするのがマイブームだ。髪留めは草色に染めた平織りの布。補色なのでよく映える。
 「はい、完了」
 「ありがと」
 シャコシャコと歯ブラシを前後させながら言う。
 「あと顔洗ったら中入ってください。お茶淹れておきますから」
 エレ姉に伝えて暖炉に戻ると、火にかけた水はポコポコと沸騰していた。
 ティーポット(というか注ぎ口と取手の生えた丸壺)に熱湯を注ぎ、乾燥させたチャンバの葉をいくつか摘んで投入する。対流でジャンピングしているのが見える。
 「おはよう、アル。良い匂いね」
 「あ、おはよう母さん」
 ポットを机に運ぶと、既に起きていた母が台所からやってきた。朝ごはんの準備中らしい。
 「姉さんは起きてきたけど、他の皆んなは?」
 「まだ寝てるのよ。そのうち起きると思うけど」
 収穫作業が続くこの時期なので、疲れも溜まっているのだろう。そういう休息の管理は彼ら自身に委ねるのが一番だ。そっとしておこう。
 「戻ったよー。あ、母さんおはよ」
 「おはよう、エレーナ。今日もオシャレね」
 エレ姉が帰ってきた。身嗜みを褒められている。
 「アルがやってくれたの。良いでしょ?」
 気取って髪をふわりと靡かせる。案外様になっているのが面白い。母も笑う。
 「んふふ、そうね。いつか自分でもできるようにならなくちゃね」
 「うん。頑張る」
 このところ、俺やエレ姉に触発されたのか身形を小綺麗にするのが村の子供の間で流行っている。
 清潔が保たれるのは精神衛生の面でも非常に喜ばしいことなのだが、それに伴って俺に対する需要が増えるのは悩みどころ。エレ姉には是非とも頑張って負担を減らしてもらいたい。
 「そろそろですか。お茶、注ぎますね」
 湯が萌葱色に染まり、葉も落ち着いてきたのでカップを並べる。雑味を気にする人間などここにはいないが、ポット内を刺激しないよう丁寧に注ぐ。
 蒸気が立ち、漢方系の匂いがする。
 席に着く。
 “Wex elvo jag fai.”
 いただきます、の意を込め「あなたを食べられて光栄だ」と述べる。
 そして冷ましつつ一口。苦味と僅かな甘み、そして鼻から抜ける香り。紅茶やルイボスと比べてしまえばそれまでだが、朝の一杯としては上等だ。
 「熱い、けど美味しい」
 エレ姉もちびちびと啜っている。
 味にクセがあるため姉が好むとは当初意外だったが、思えば特に野菜嫌いもないようなので抵抗を感じずに受け入れられたのかもしれない。
 「おはよう」
 茶を飲んでいると父や兄も起きてきた。
 「おはよう、父さん、兄さん。お茶飲みますか?」
 「ああ、頼むよ。俺は外出てくる」
 各々一日の活動を始め、家の中の空気が回る。
 10分もせず婆ちゃんも顔を見せ、朝食の手伝いをしている間に全員が揃った。
 「じゃあ、今日も無事過ごせますように」
 父が仕切って食事になる。
 料理は黒パンとポトフ。
 パンは、当然だが柔らかモチモチの日本人がイメージしているような工場生産品ではなく、もっと歯応えがあって水気の少ないものだ。その為、野菜類を煮込んだポトフが添えられる。浸して食べるのだ。
 これらは簡素だが腹持ちが良く、味付けも最低限なので素材の味が直に感じられる。また、案外栄養価のバランスも取れていて、食に関する不満は今のところ無い。
 「エレーナ、アル。今日は野菜のお世話お願いしていいかな?」
 母が尋ねる。麦畑の方は大規模な収穫期だが、野菜畑は年間を通して何かしらの食物が採れる。特に秋から冬はイモなどのデンプン質が多く実るため人的リソースが必要になってくるようだ。
 「分かりました。任せてください」
 俺は承諾する。姉もいいよ、と同意した。
 「ありがと、頼もしいわ。じゃ、お願いね」
 こちらとしても少人数で裁量的に動けるからありがたい。村人全員参加の麦収穫では、子供は皆一ヶ所に集められて監視される。
 そんな無為な時間を過ごすよりも、働く方が心の充足を保てるのだ。
 「ごちそうさま」
 ポトフを飲み干し席を立つ。
 「あら、もう行くの?」
 「ええ。エレ姉はどうします?」
 「一緒に行く」
 「いってらっしゃい。気をつけてね」


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