文明人之纂略007

ページ名:文明人之纂略007

文明人之纂略 作者:黒須輝

007 黒髪の謎


 「……私は、働く、畑で、朝から……です。私は朝から畑で働きます。もし、雨が……降る、私は、私は、ㇲ……ste?アル、これ何て読むの?」
 “Dwey walyu chēb, Ne stesh vo inö tod nei hecs sof.”
 「ああ、そうだった。『もし雨が降ったら、私は家で糸を紡ぎます。』ね」
 「……あんたらは何をやっとるんじゃい?」
 「勉強です」
 「その葉っぱがか?」
 婆ちゃんは文字が書かれた蔓植物の広葉を訝しげに見つめる。糸車で羊毛を紡ぐその姿はまるで魔女のようだ。月明かりに青白く浮かぶ鷲鼻と節くれだった指が不気味さを増している。
 俺は姉の胡座の中で首肯した。
 「そうです。正確には、葉に書かれた文字の勉強です」
 「はぁ、特異な事考えるもんじゃな。でももう遅いから二人とも寝んさい」
 婆ちゃんはしっしっ、と俺達を払う。
 「エレ姉、先ベッド行っててもらっていいですか?」
 俺はまだ用事があるのでお願いする。
 「ん、いいけど?」
 「ダメじゃアレックス、あんたも一緒に寝んさい」
 婆ちゃんは厳しい顔をして命じる。まあ、そうだろう。だが今日の問題は今日中に片付けておきたい。
 「すみません。実は相談があるのです。少しだけ時間をくれませんか?」
 「儂に?」
 「はい。母さんや父さんではダメです。心配させてしまうので……秘密にしておきたい事が」
 「……子供が気ぃ使わんでえぇ。と言いたいが、何やら些末事ではないようじゃの。エレーナ、先寝とき」
 「うん。婆ちゃん、おやすみ」
 俺から出るピリピリとした緊張感を察してくれたのか、承諾してくれた。エレ姉も素直に従って寝室へ向かう。
 勉強に使っていた例文集をまとめながら静寂を待つ。
 5分ほど経っただろうか。
 「……それで、わざわざ儂に相談というのは?」
 「はい。実は今日の昼、川で水に映る自分の顔を見ました」
 先程よりも距離を詰め、声のトーンを落として切り出す。
 「私は母さん似だと分かりました」
 「そうじゃな、あんたはルイーザに似とるよ。大分、産子(おぼこ)いがな」
 やはり家族の見解は母親似で間違いないらしい。
 「ええ。ところで。母さんの髪は綺麗な赤ですよね。エレ姉も。父さんの髪は燻んだ茶色です。兄さんも赤茶色です」
 俺がそう言うと、白い右眉がピクリと跳ねた。
 「赤と茶色。そして私の髪の色は……黒」
 婆ちゃんは黙っている。
 「知りたいのは、婆ちゃんや爺ちゃんの中に黒い髪の人がいたのか、もしいないのなら……」
 私は誰の子なのか、と言いかけて飲み込む。その言葉は父母に対してあまりにも失礼だ。
 「まず……亡(の)ぅなった他の爺ちゃん婆ちゃんは皆んな赤か茶色じゃな」
 一つ事実。
 とすると、と口を開く寸前。婆ちゃんはそれを遮るように「そもそも」と続けた。
 「そもそもだな、ここいらにはあんたみたいな髪色のヤツはおらんし、儂が知る限り過去にも聞かん」
 ん?それは突然変異ということだろうか。
 例えば色素の欠乏で白くなった個体、アルビノや白変種は広く知られている。が、その逆。色素、取り分け黒褐色を司るユーメラニンの変異的増加で体が真っ黒なメラニズムというのもある。
 相違点はそれらが肌の色まで影響するのに対して、俺の肌は真っ白であることなのだが……
 「ここら辺はなぁ、あんまし考えん方がええんじゃ」
 諦念混じりに溜め息が漏れる。
 「というと?」
 「確かに親の特徴というのは子に受け継がれる。じゃがなあ、その法則が通じんものも中にはある。黒髪とか、目の色が左右で違うとか、生まれつき筋肉が人の何倍もあるとかな。嘘か真かの伝承じゃ」
 ふむ。黒髪はさておき、残り二つは虹彩異色症(オッドアイ)と……ミオスタチンの分泌不全による筋肉肥大か。後者は筋肉美とも言えるマッチョな少年を、ギネスブックで見た記憶がある。
 「因みに他の特徴については……」
 「安心せぇ、あんたは普通じゃから」
 ああ、そう。じゃあ特別な病気に罹っている訳ではないのか。
 とすると、その異質さが際立つのはやはり黒髪だ。こいつだけは手持ちの知識で解決できない。隔世遺伝の線が消え、メラニズムも無さげ。
 純粋なランダムとも思えてくる。通常なら。
 「仮の話。仮にですが。それらは当人の内面に関係する、とかの話はありませんか?」
 そう。普通の人間なら確率の加減で偶然そうなるかもしれない。だが俺は?偶然とは断定できない十分な理由がある。
 それは、黒髪だった黒須輝の記憶がアレックスの外見に反映されるというもの。勿論、神秘の域を出ない非科学的な説であることは分かっている。しかし、それを言うならこの記憶もそうだ。
 科学的に実証されている前提ではまず魂というものを認めない。だが、それを存在しないと断定するのもまた、非科学的だ。
 前世の記憶と外見に、相関を『否定できない』とするのが科学・実証の正しい立場だと思う。
 その為、俺は婆ちゃんに尋ねた。前例はないのか、と。
 「その話は無きにしも非ず、じゃな。言い伝えによれば、確かに黒髪の人間は賢いとか偉くなるとかは言われとる。但しまあ、目立つからそう思われるだけかもしれん」
 うーん。左利きに天才が多いとか、ツムジが何個もあると出世するとか、そんな感じか?
 であるなら、考えない方がいいというのはその通りだ。自分は特別だと思い込んで選民思想に取り憑かれたり、英雄症候群に陥って失敗した人間は歴史上に山ほど居る。
 「……あまり、気にしないことにします」
 飽くまでこれは自分のキャラクタの一部、アイデンティティの一部に留めておこう。俺に必要なのはその謙虚さと、これからの自己形成だ。
 「結論が出たならえぇ。早よベッド行って寝んさい」
 「はい、おやすみなさい。あと、この事は母さんたちには……」
 「分かっとる。絶対に言わん」
 婆ちゃんは皆まで言うなと手を払う。
 「ありがとうございます。では」


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