文明人之纂略006

ページ名:文明人之纂略006

文明人之纂略 作者:黒須輝

006 姉と河原


 体を洗い、さっぱりした。絞ったハンカチで全身を拭く。体が小さいため、この布面積で十分だ。
 体が冷えないうちに着て来た服をまた羽織り、使ったハンカチを洗う。今日は兄の汚れも加わっている。念入りに洗濯しなければならない。
 水を含ませ絞る、の工程を繰り返し行い、隅を持って水面に叩きつけること数回。最後に全体を揉んで絞る。あとは干すだけだ。天気が良いので夕方までには乾くだろう。
 「終わったか?」
 暇そうに石を投げていた兄が尋ねる。
 「ええ」
 頷く。
 「じゃあ母さんとこ戻ろうか」
 「そうですね……あと、こうするともっと遠くに飛びますよ」
 参考までにと手頃な小石を掴み、川へ向かってオーバースロー。蹴り出され、大きく開いた足からのパワーは腰に伝わり、捻りの回転力が肩、肘を靭らせる。
 手首のスナップでバックスピンがかかったそれは、10メートルほど水平に飛翔した後、重力に従ってトポンと着水した。兄の2倍程飛んだことになる。
 「お前、見てて飽きないな」
 「エレ姉にも言われます、それ」
 娯楽が少なく、刺激もない平穏な生活なので、ここの人々は思った以上に好奇心が強い。
 それはアレックスにとって初めて知る驚きであり、黒須輝にとっては既に忘れた感覚を掘り起こすものだった。何れにせよ、自分に触れた人間の反応を見ることは、自身にとって『新鮮』だった。
 「……あら、二人ともお帰り。グラッツ、あなた随分とキレイになったじゃない?」
 母の元へ戻ると、流石というべきか、すぐさま兄の変化に気がついた。
 「うん。アルと体を洗い合ったからね、これからは清潔にするよ。母さんの洗濯を楽させるようにね」
 褒めて貰いたいのか、早速決意を述べる兄。それを受けて面白そうに笑う母。敏い母のことだから、こうなった経緯や兄の心中まで既にお見通しなのだろうと思われる。
 自慢げな我が子に「あらまあ」と呟き、次いで「ありがとう」と返した。
 効果はそれだけに留まらない。兄の言葉を聞いた他の母親達が兄を褒めそやし始めたのだ。「偉いねぇ」と声をかけるだけでなく、寄って頭を撫でたり。
 「はぁ。『有頂天』ってこっちでは何て言うんだろ」
 俺は呆れるばかりだ。
 「……っ!!」
 「アル!!」
 突如、背後の不穏な気配を察知した。名前を呼ばれる。赤い暴君の突進が見えた。回避は不能。
 体を丸め、頭と背骨を守る体勢を取って衝撃に備える。
 「ただいまっ」
 「うわっ」
 接触と同時にエレ姉の腰をがっちりホールドし、飛ばされないようにする。
 「うわっ、じゃないでしょ?ただいまって言われたら何て応えるの?」
 「……お帰りなさい」
 「よし、良い子」
 俺はそれどころじゃないんだが。一歩間違えたら死ぬぞ?これ。まぁ良い、結果的に無事だったのだから。そんなことよりも、だ。
 「エレ姉臭い」
 そう、強烈な獣臭。掃除されていない動物園のヤギ小屋みたいな臭いがする。問題はそれが俺の体にも伝染ったこと。
 「失礼な人。そんな臭くないでしょ?」
 「嗅覚が麻痺してるだけですよ。ずっと畜舎にいたからです。私の鼻がひん曲がる前に洗い流しましょう。着替え、持ってますよね?」
 「うん」
 口呼吸のまま姉を水辺へ連れて行く。
 「さ、服脱いじゃってください」
 「分かった」
 危ない発言に聞こえるが、大丈夫。傍から見れば幼い姉弟間の会話である。当然だが、俺も彼女に対して性的興奮を覚える筈は無い。
 というか、ベビー服一枚の俺と違ってエレ姉はインナーを着用している。シャツの下には晒のような帯を巻いており、スカートの下にはショートパンツ風の下着を穿いているので、最低限の大事な部分は隠れている。
 まあ、インナーもあまり人に見せるものではないが。
 「脱いだよ」
 「じゃあそのまま水に入っちゃってください。私が洗いますから」
 あの兄の妹だ、どうせ大雑把に違いない。なら俺が洗おう。工程は兄よりも丁寧に。
 濡らした髪を手櫛で梳かし、根元から毛先まで泥汚れを落とす。そしてチャンバで本格的に洗髪する。
 「すんすん……」
 嗅ぐ。
 「どう?臭い落ちた?」
 「ギリギリですが、許容範囲でしょう」
 その後、兄と同じく体の汚れを擦り落とす。汗の溜まりやすい首や腋、膝裏。足裏や指の間は念入りに。
 「前は自分で洗ってくださいね」
 「え、何で?」
 ……は?
 そういうことはまだ教わってないのだろうか。というか、男性に肌を触られることがないのか。
 「あとで母さんにでも聞いてください」
 「何よ、勿体ぶっちゃって」
 ぶつくさ言いながらも従う点、案外素直なのかもしれない。
 その間、俺も臭いの付いた顔や腕を水洗いする。
 「終わったよ」
 「じゃあ体拭いて服着てください」
 なんとか臭いも耐えられる程度に落ち着いたが、やはり石鹸が無いと完全には取り除けないらしい。
 石を投げながら、エレ姉の着替えを待つ。
 思えば、先程の気配察知からの反応といい、投球といい、このアレックスの身体能力はかなり高い。
 勿論、体の動かし方を知っているというのは大きいだろう。だが、指示した動作を体が再現できるというのは、実はそう容易いことではない。
 「……」
 徐に立つ。岸から離れてイネ科の多い草地に移動する。
 助走。
 「アルっ?!」
 唯一気づいたエレ姉が素っ頓狂な声を上げる。
 気にせず勢いのまま両手を地に着け、体を跳ね上げる。前方倒立回転跳び、又の名をハンドスプリング。
 成功である。
 「イケるモンだな」
 自分でも驚いた。訓練次第ではバク宙・バク転くらいまでできそうだ。
 「あなた、何やってんの?」
 エレ姉が駆け寄る。
 「いやぁ〜できるかなぁと思いまして」
 「無茶するわね。私でもやらないことを」
 「母さんには内緒ですよ」
 「いや、内緒も何も。どうやって今のを説明するのよ。アルが縦に回った……通じないでしょ?」
 それもそうだ。
 仮に、[Antefa-Wang-Anft-Röt-Tēvalnak(逆に立って前に回って跳ねるやつ)]と直訳しても伝わらないだろう。
 「では、怒られる心配もなくなったところで、戻りましょうか」
 「そうね、貸し1にしておくわ」
 「早急に返したいのですが」
 「やぁよ、できるだけ残しとくつもりなんだから」
 くそ、こうなりゃ時効まで待つか、心的外傷を加えて忘れさせるかしないと。


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