文明人之纂略005

ページ名:文明人之纂略005

文明人之纂略 作者:黒須輝

005 兄と河原


 畑を出て、草木の繁る林を10分ほど突き進むと、遠くからガヤガヤと人の声が届いてきた。水の流れる音も聞こえる。
 「母さん!」
 兄は目的の人物を見つけ、呼ぶ。エレ姉と同じ赤い髪の女性が振り向く。
 「あら。グラッツ、早いのね。アルもお疲れ様」
 川端で洗濯物を両手に持った母が応えた。
 「ちゃんとやったよ、ほら」
 と、成果を見せつけるように兄は桶を差し出した。心做しか少し自慢げである。
 「グラッツ君は偉いねぇ。それなのに、うちの子なんか仕事放ったらかして遊んでるのよ?」
 他の奥様方も手を止めて寄ってきた。
 「……兄さん顔がニヤついてますよ」
 「……うるさい」
 背中から耳打ちする。
 余所のママさんに褒められて照れているのだろう。実際には顔など見えていないが図星だったらしい。煩われた。
 「アレックス君もこんにちは」
 今度は俺に視線が移る。
 「こんにちは、 Lyra さん。母さん、ただいま」
 「おかえり。汗掻いたでしょうから、水浴びしてきなさい」
 「はい」
 他の奥様方は俺達を見て、お利口だねぇと口々に言葉を投げかける。
 「私たち人気者ですね」
 「だな」
 この歳の男子は見境いがないものだ。
 ごつん。
 「痛てっ」
 「すまん。なんか今バカにされた気がして」
 一瞬、兄の後頭部で視界が埋まった。頭突きを喰らったらしい。大事な頭脳なんだから丁寧に扱ってくれよ。
 「さ、降りて」
 「はい」
 母らの邪魔をしない程度に距離を取った川上で荷を下ろし、水浴びを始める。誠に残念な話であるが、これは風呂と同じ扱いをされる。
 湯に浸かる、笑止。ここにそんな贅沢な文化は存在しないのである。
 石の転がる川原で甚兵衛のような麻の服を脱ぎ、ハンカチを携えて流れの緩やかな淀みに向かう。
 「兄さん、早く」
 「分かってる。ちょっと待て」
 保護責任者不在のまま水に入ることは禁止されている。俺は川縁で待機する。
 「……そういや、俺の顔ってこんなだったのか」
 思えば自分の顔を見るのは生まれて初めてだ。水面が揺らいで詳しくは見えないが、父や兄の角張った顔立ちではなく、母や姉に近いシャープな輪郭が映っている。
 「魚でも見えたか?」
 音も無く肩から兄が覗き込む。
 「いや、私の顔って母さん似なんだなぁと思って」
 「なんだ、魚じゃねぇのか。そうだな、確かに母さん似だ。眉毛と鼻の感じが特に」
 やっぱり兄も同感らしい。だが気になることがある。
 「……毛の色、何色に見えます?」
 「ん、黒だろ?」
 「ですよね」
 そう。黒髪なのだ。一族、というかこの村は全体的に赤っぽい茶髪の人間が多いのだが、そんな中で俺は紛う事無き黒。兄がコゲ茶と言わないことから、光の加減ではない正真の黒色なのだろう。
 だが一体何故?
 隔世遺伝、と一瞬脳裏にチラついたが、黒髪は優性。赤色に優先して発現する色であり、確率的に不自然。黒から赤が生まれても、逆は起こり得ない。
 じゃあ俺は誰の子だ?
 「……あんまり悩まなくてもいいんじゃないかな。昔から黒髪は賢い人が多いって言うらしいし」
 気を使ってくれている。
 「そうですね。今夜にでも婆ちゃんに聞いてみましょう。何か分かるかも知れません」
 父方の親に黒髪がいれば、同じ優性である茶髪の遺伝子に隠れていたと考えられる。そうなれば現状との整合性もつく。
 ざばぁと水が降ってくる。
 「うわっぷ、何ですか急に!?」
 「お前は考え過ぎなんだ。少し頭を冷やした方が良い」
 兄が桶を持って立っていた。
 呆然としていると、空桶に再び水が汲まれた。口が傾く。
 「わわっ!待って下さい!わ、分かりました。十分冷えましたからっ」
 両手を突き出し制止する。
 全く。姉といい兄といい、俺の扱いが粗雑じゃないか?
 「はぁ……では水浴びしましょうか」
 「そうだな」
 頭が丁度濡れているので、今日は洗髪からにしよう。俺は "chanfba" と呼ばれる植物の葉を手に取る。
 このチャンバという植物はどこにでも生えている野草の一つで、葉に独特の匂いがある。
 この葉を一枚手の中で揉み潰すとシャンプーのように泡立つ……はずもなく。要は臭い消しである。料理や一部では茶にも使われるような、所謂ハーブだ。日本でそれに近い特徴を持つのはヨモギだろうか。形も似ているし。
 その潰した葉と川の水を混ぜ、頭の上で汁を搾り出す。
 水を加えて液を薄め、髪に馴染ませる。そしてそのまま潜り、流水で洗い落とす。
 「あぁ~気持ち良いぃ」
 この時こそ至福。清潔を保つことが生活の中でこれほど貴重だったとは。
 耳の裏を擦り、頭皮をマッサージする。心地良い。
 「ホント、綺麗好きだな」
 兄が呆れたように息を吐く。
 「他の人が汚れに無頓着過ぎるだけです。せっかくですし、背中流しますよ」
 「ああ、じゃあ頼むよ」
 提案すると、先程まで俺がお世話になっていた白い背中が向けられる。
 持ってきたハンカチを濡らし、チャンバの葉を包んで擦る。
 「うわ、垢がスゴいですよ。ちゃんと洗ってるんですか?」
 改めて言う事ではないが、俺はまだ赤ん坊であり、力もそれ相応だ。にも関わらずボロボロと消しカスのように出るわ出るわ。正直ここまでとは思わなかった。
 体は洗っているのだろうか?
 「洗ってるよ……月一くらいで」
 「全然じゃないですか。いいですか、あそこで母さん達が洗濯してますね?」
 ここはひとつお説教だ。
 「……してるな」
 川下を見遣ると、母達がせっせと布を揉んでいる。
 「何を洗っていますか?」
 「服だ」
 「そうですね。汚れが酷いので時間がかかっています。では何故汚れが酷いのでしょう?」
 「……俺たちの汚れが、酷いからだな」
 「その通り。であるならば、私たちが母さんの為に出来ることは?私が言いたいことは分かりますね?」
 「わーった、分かったよ。頑固なヤツだな」
 「じゃ、交代です。お願いします」
 「はいはい」


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