文明人之纂略046
文明人之纂略 作者:黒須輝046 自室 「ふむ、なかなか悪くない」 俺は自室のマットに腰を下ろす。厚みがあって断熱や緩衝などの機能を十分に果たしている。柄は曼荼羅、或いはトルコ絨毯のような色彩。おそら...
文明人之纂略 作者:黒須輝
「ほら、乗って」
「はい」
今日は朝からグラッツ兄の背中だ。母は近所の奥様方と洗濯で、婆ちゃんとエレ姉は家畜の世話。父の仕事の邪魔はできないので消去法からこうなった。
母の言い付けでは畑の草むしりをしなさいとのこと。俺はその兄の見張り番(仮)を任されている。
「んじゃ行くぞ」
兄は俺を帯で固定し、荷物を持って立ち上がった。
“Hey-hoora!”
「……お前、馬の掛け声はやめろよ」
「……はい」
兄はトントンと俺のポジションを整えて家の扉を出る。
向かう先は家の野菜を育てている畑。この村はパン食文化なので租税兼主食用の大規模な麦畑もあるのだが、それとは別の比較的小さな土地だ。と言っても、アールで表せば二桁は切らないのだが。
畑はここから少し遠い。
「……アル」
「なぁに、兄さん?」
「生きてるなら良い」
「……うん」
どうもこの家の男性陣は寡黙なようで、父も兄もあまり自分から喋ろうとしない。俺も基本は黙って観察する性分なので、エレ姉を相手する時以外は口数も伸びない。
結局、往く路の会話はその2往復だけだった。
畑に着いた兄はまず畑の外周を歩き、害獣除けの柵を点検する。
“En-ish-sev-hyo-kuan……”
「数なんて数えてどうした?」
「もちろん数える練習ですよ」
未だ慣れていない所為か、物を数える時に「いち、にぃ、さん」或いは “one, two, three” と咄嗟に出てしまうことがある。なので機会を見つけてはこうやって数字の練習をしているのだ。
「商人にでもなるつもりか?」
「いや、特に予定はないですよ。けれど、数えられる方が数えられないより良いでしょう?」
今のところ命数の関係で999までしか数えられないのが残念だ。『千』を意味する単語が見つけられない。まあ、十進数なだけ良しとする。
「不思議なヤツだな、お前」
お互い顔を向けることなく会話をする。
「そうですか?」
「それもだよ。そんな丁寧な言葉、どうやって使うんだ?」
「いや、言葉の最後に『です/でした(:sof/seft)』を付けるだけじゃないですか」
敬語に関する文法体系は日本語に似ている。ですます調にするだけなら簡単。ややこしいのは助動詞の兼ね合いによる時制の一致と語順くらいだが、日常会話で変化することはそう頻繁にないので簡単だ。
「面倒だろ。無くても通じるし」
「どこまで伝えたいか、ですよ。私がここぞの場面で丁寧さを取っ払って話せば、普段と違う分だけ記憶に残るでしょう?」
「……やっぱお前、不思議なヤツだよ」
「そんな私の兄さんも同じです」
「同じじゃない。絶対」
それで兄は話を切り上げた。
とは言っても、6歳児が1歳児(中身は大人)とまともな意思疎通をしている時点で、十分だと俺は思う。
やがて柵沿いに一周し異常が無い事を確認した兄は、一度俺を木陰に下ろす。
「荷物番頼む。絶対にそこ動くなよ」
“Aye-Aye, Gla-Bel(:はいはい、グラ兄)”
俺は左手敬礼で承諾を示す。
兄が俺を下ろしたのは、これから桶を使って水遣りをするためだ。この作業により、土が柔らかくなって草が抜けやすくなるのだが、重労働故に俺を背負ったままだと不安定さも相俟って余計に疲れるのだ。
このように『草むしり』と一言で表しても、内容は字面ほど単純なものではない。それを一人でこなす兄を見て、実直だなぁなど思うと共に、児童福祉の立場から気の毒に感じてしまう。
6歳といえば、大抵の日本人は学校に通い義務教育を受け、無邪気に遊ぶ権利が保障されている。だが兄は我が家の重要な労働力だ。
この状況を無自覚による社会的役割の自縛と捉えるか、価値観・常識と捉えるか。一概に決められないこともまた事実。
実際、兄に「もっと友だちと遊びたくないのか」と聞いたところ、
“Pind fer Houla(:飢えか労働か)”
なる、短いながらも重みのある言葉が返ってきた。
思い返せば、子供の人権が人々の意識に浸透し始めたのは二十世紀以後だ。それも専ら先進国の話。今、然様な近現代的・欧米的理想論を強引に押し付けても、無茶にしかならない。
餓死するくらいなら働く。誰だってそうだろう。
「……何難しい顔してんだ」
「え?」
見上げると兄が立っていた。
「顎に手を当てながら難しい顔して、商人の次は学者さんにでもなるのか?」
「あ、あぁ……癖が。いや、この前兄さんが言っていた『飢えか労働か』という言葉について考えていました」
「はあ?バカだなぁ、そんなもん特に意味はねぇよ。母さんに叱られて晩飯抜きになるのと、最初から言う事聞くの、どっちがマシかなんて考えるまでもないだろ」
「……それだけですか?」
俺にとってはかなり価値のある言葉だったのだけれど、当の本人はそうでもないらしい。
「逆にそれ以外に何があるってんだ。さ、背中に戻ってくれ。お前に何かあったら俺がドヤされる」
「あ、はい」
兄は家を出た時と同じように俺を固定し、桶を抱えた。この中に抜いた雑草や食べ頃の作物を放り込むよう指示されている。
兄は黙々と細かい葉を根から毟っていく。
「葉虫が着いてますよ」
俺も後ろからサポート。農作物に付着している芋虫を指差す。
「見つけた。コイツは鶏のエサだな」
害虫は藁編みの籠に入れて持って帰る。流石に昆虫食の文化は無いらしく、捕獲したそれらは鶏や魚釣りのエサになる。
「そういえば、ミルクを葉に塗ると虫が寄らないって婆ちゃんが」
最近になって婆ちゃんの言葉が解ってきた。昔話や知恵袋を聞かせてくれるので、今や貴重な語彙の倉庫だ。情報はその婆ちゃんが教えてくれた。
「へぇ……ところでそれは畑全ての葉っぱに、という意味か?」
「えーと、多分」
「それは途方も無いな」
「そうっすね」
スプリンクラー搭載のラジコンヘリでもあれば楽になるだろうけど、実用を考えたら家庭菜園規模でしかこの知識は使えない。
「……あ、取り残しがありますよ」
「細かいヤツだな」
「雑草は少し残ればまた増えますからね」
俺がそう言うと、兄は怠そうに溜息を吐いた。
「なんとか草抜きが無くならないもんかな」
「それは、良い疑問ですね。方法としてはいくつかありますよ。出来るかどうかは別として」
「ふーん。例えば?」
「まずは薬ですね。虫除けでミルクの話をしましたが、それは植物に対して有効な方法でもあって、作物には無害でそれ以外には毒という薬品を撒けば、厄介な雑草を一網打尽に枯らせることができます」
まずはオーソドックスな農薬を用いた方法。最もシンプルで効果の期待される。
「毒って、怖い事言うなよ」
「そうでもないですよ。例えば、熱に強い作物ならお湯を、塩に強い作物なら塩を、酸なら酸を撒けばいいのです。それだけでかなり変わると思います」
実際、そんな強硬手段は滅多に取らないが、農薬のコンセプトとしてはこんな感じだ。
各属・科の持つ耐性をそれぞれ研究して、その特性の毒をぶつける。開発した農薬に強くなるよう品種改良を重ねるのも、農学の重要な一分野である。
「次は、他の植物の生長を阻害する能力を持った植物を植える方法です」
アレロパシー、といったか。天然の農薬みたいなものだ。他の植物が生育しにくくなる物質を放出し、自身の繁殖に有利な環境を作る種がある。
代表的なものは救荒作物でもあるヒガンバナで、田畑の畦道によく植えられている。これはヒガンバナが持つアルカロイド系の毒に、雑草への生育阻害効果を求めたものだ。
だが当然問題もある。
「そんな都合の良いものがあるのか?」
「さあ?この世のどこかにはあるかもしれません」
簡単に見つけられるようなら既に先人が活用していることだろう。この村が幾ら辺境にあると雖も、タネの一つ二つあるはずだ。それがないということは……
「現実味に欠ける話だな。で、次は?」
「水の上で植物を育てるんです。土に植えず水に浮かべて栽培する方法と、沼で水没に強い作物を栽培する方法の二種類あります」
日本語で言えば前者は水耕栽培や養液栽培、人参や大根のヘタを水入りのペットボトルで育てた人も多いのではないだろうか。その時、雑草に悩まされたか思い出して欲しい。
また、後者は水田や浮き稲を代表とする水稲耕作だ。容易に想像がつく、田に水を張れば草抜きの手間が減ることは。
「もう、わかんねぇよ。話が広がりすぎて。もっとこう、手近なものはねぇのか?」
「ああ、鶏とか馬とか家畜に喰わせれば良いんですよ。必要な作物も食べちゃうかも知れませんけど」
アイガモ農法なら日本では豊臣秀吉の時代からやっているし、二十一世紀においても研究は続いている。
そしてそれだけポテンシャルの高い農法であるということは、当然……
「それ麦畑でやってるよな?」
「やってますね」
まあ、簡単で便利で楽な方法というのはそう易々と出てこない。何かしら、技術や環境や金銭に欠陥があるから今の状態なのだ。脱却にはそれなりのエネルギーが要る。
「はあ、アルと喋ってたらいつの間にか今日の分終わってた。ちょっと休憩しようか」
兄はよいしょ、と立ち上がる。
今日収穫されたのはハツカダイコンのような根菜と蔓に生っていたウリっぽい実、加えて雑草の中でも食べられる野草の類。
「食うか?」
と、小ぶりなナス程の大きさをした、白い瓜の実が差し出された。
「食べます。でも先に手を洗いましょう」
ありがたいが、泥の付着した手では頂けない。
「細かいヤツだな」
そう愚痴を零しながらも、兄は俺を連れて水場へ行く。用水なので不安は残るが、洗わないよりマシだろう。ついでにウリも洗う。
「兄さん、どうぞ」
兄は持っていないようだったのでハンカチを手渡す。
「はあ?お前、手拭い持ち歩いてんの?」
「当然です。タシナミですよ」
と言っても使い古した襤褸なので雑巾とも呼べるが。一応、毎回洗濯して日光乾燥させている清潔な品だ。大きさからすると確かに兄の言う手拭いに近い。
そんな事情を、兄は気にする風も無しに粗く滴を取り去ると畳んで返してくれた。
因みにこのハンカチ、入手経路は祖母である。
「綺麗好きかよ」
と呆れられる。
勘違いしないで欲しいのだが、理性の俺、つまり黒須輝の人格は、元来そこまでの潔癖症ではない。ただ、衛生状態の惨烈な環境を目の当たりにすれば、日本を知る人間は誰だって不潔に対して過敏になるというもの。
俺は兄が言うような商人にも、学者にもなるつもりはないが、大人になったら絶対に公衆衛生の意識改革だけは実行する所存である。
特にトイレ。上下水道の概念もない有り様なので、いつコレラやチフスに罹るかわかったもんじゃない。
「どうした、食い方が分かんないってことはないだろ?」
不意な声。
「ああ、別の考え事です。食べます」
いただきます、と呟いて胴に齧り付く。やはり歯があるのは良い。シャリシャリとした食感を堪能できる。
味は普通。スイカの白い部分と形容すれば通じるか。これは水分補給に丁度良い。皮や種子はまだ硬くなっておらず、スイカのように難儀することもない。食う。
“Vo gēlen ben anomy.”
食べ終わったので、『感謝の気持ちを生命に』と手を合わせ、手指の汁気をハンカチで拭う。
「面白い言い回しだな」
「え?」
「今の言葉。今度から俺も使おうかな」
成る程。この言語式の『ごちそうさま』を気に入ってもらえたらしい。有り合わせの語彙で意訳した形になるが、その分だけ心が伝わったのかもしれない。
「ええ、是非」
と俺は答えた。
「よし。十分休んだし行くか!」
「はい」
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