文明人之纂略046
文明人之纂略 作者:黒須輝046 自室 「ふむ、なかなか悪くない」 俺は自室のマットに腰を下ろす。厚みがあって断熱や緩衝などの機能を十分に果たしている。柄は曼荼羅、或いはトルコ絨毯のような色彩。おそら...
文明人之纂略 作者:黒須輝
さて、俺に物心がついて4週間と2日が経った。1ヶ月である。
これだけ過ごせば色々と分かってくる訳で、その最たる例が環境だ。どうやらと言うか、やはり、生まれた地域は日本でないらしい。月の模様が明らかに兎じゃなかった。
ここは [Cadena(カデナ)]村といって、人口数百人規模の小さな農耕集落。沖縄県の嘉手納とも違うようだ。
この家庭は一般的な農家で、年齢不詳の婆ちゃんと30手前の父、6歳の兄が農作業を担っているらしい。2歳の姉からの伝聞なので信憑性はあまりないが。
母は『若く見える』。年齢は『若いらしい』。
また、時代も違う。電球一つ見当たらないのだ。黒須輝の記憶によれば、後発発展途上国の少数民族でさえ、ラジオやLEDランタンの一つ二つ持っているのが不思議でないとのことだが、白人で、しかもこれだけのコミュニティにあって尚、それらが見当たらないのは時代が違う以外に今のところ論理的説明がつかない。
ブリューゲルやミレーの遺した絵画の世界を、直に肌で感じているところである。
尚、鉄器はそれなりにあるようで、鍋や包丁、農具は鉄などの金属が使われている。ただしスプーンは何れも木製だった。
今の季節は “Shmet” というらしい。気候的に春か秋だろう。次の季節 “Elca” で判断するつもりだ。
と、これだけの情報が集まったのは、早い段階で『何』を意味する “pris” を得られたところが大きい。これを引き出すための代償は決して小さいと言えないのだが……
「アルぅ、あーそーぼ!」
代償である。
前述の単語を得るため、俺はエレーナの興味を引く行動を数多く取った。「何それ?」と思わせる必要があった訳で、その結果懐かれてしまったという有様だ。
呼び名もアレックス、アレクの変遷を辿りアルに至った。尤も、アレックスも何らかの略称らしいが。
さて、ではこれが何故代償なのかと説明すれば、彼女が俺を、都合のいいオモチャとして扱っているからである。
俺は歩行練習もしなきゃいけないし、周りの人間を観察して語彙量・文法力を出来るだけ得たい。
そのため俺は、
“Ne kuize vo ose yatten sof, yema.”
と返す。直訳すれば「今、私は沢山の物事を持っています」、つまり『忙しい』のだ。
それに対してエレーナ——本人の『要望』により[エレ姉(:Ele-bel)]と呼ばされる——は空かさず、
“Pris vu yatnac?”
と聞く。俺が求めた「何してるの?」である。
「まあ、エレ姉には分からないことです」
俺はそう答えた。案の定不機嫌になる。
「まぁた、そーやってゴマカす。正直に言いなさいよ……はむっ」
「うわっ!」
子供特有の遠慮無さが俺を襲う。この姉、粗暴極まりないのだ。思い通りにならないと馬乗りで相手の耳を噛む習性を持っていた。
俺は推定1歳、エレ姉は今年で3歳。子供における一年には絶対的な力の差が存在する。
「ほら!コーサンしなさい!」
「くっ……そ。 “rifgine” なヤツめ。やめっ……ぁあ!参った!参りました!」
俺の、まだ未熟なアレックスの部分が、降りかかるストレスに対し本能の悲鳴を上げ、遂には黒須輝の理性ですら抑えきれなくなってしまった。
「最初からそう言えば良いのに、どうして毎回反抗するのか謎だわ」
ぽん、と突きとばすように解放され、俺は埃を払う。
「諦めたら人としての “songen” を棄てるような気がして……はぁ」
「ふぅん、まぁ別にどーでもいいけど。で、何してたの?何か描いてたみたいだけど」
「ああ、 “moji” ですね」
今のところ家の外に出た経験はないのだが、驚いたことに俺の生活圏内には文字らしきものが見つからない。本一冊すらないのだ。
こんな状況で学習が捗るかよ、と言葉の文章化をかなり早い段階で発起した。この言語の文字を全く見たことがないため、便宜上アルファベットで代用している。
姉は不思議そうに見つめる。
「この線の集まりが?」
「ええ」
「必要なの?」
「まあ、エレ姉にはこの価値は理解できないでしょう……」
「何か?」
「何でも」
「で、これは何なの?」
「簡単に説明すると、普段私達が喋っている言葉を記録するものです」
例えば……とペンを執る
「ちょ、ちょっと待って。まずそれ何?」
「ん?ああ、 “pen” ですね」
素材は葦のような植物の茎。
誰かの服にくっ付いてきたそれを乾燥させ、台所の包丁を拝借して先を削り、毛細管現象を利用するため万年筆のように先端を割った。
インクは炉で拾った炭のカケラを水で溶き、炉端の薪の断面をノートにしている。当然だが使い捨てだ。
「この先に液を着けて……ABC、と」
「ボヤけてるね」
「まあ、仕方無いです」
インクの粘度が低く揮発(蒸発)も遅いため、顔料が木の繊維に流れ込んでしまうのだ。
「で?これが『えーびーしー』って読むのね、どーゆー意味?」
「これは言葉の素でしかありません。これ一つに読み方があって、それを組み合わせるんですよ」
例えば……とまたペンを執る。
「これは何でしょう?」
とある絵を描く。この村で栽培されている果実、主食以外の代表的な糖分。名前は偶然にもドイツ語で『林檎』を意味する……
「アプフェル、ね」
「お見事。これを文字にすると ‘A-P-F-E-L’になります。発音は【’ʌpfel】」
下に英単語帳で見たような発音記号を書き込む。アポストロフィはアクセント。
「ん?何で『文字』と発音を分けるの?」
「文字には幾つかの読み方があって、単語には強い部分と弱い部分があるからです。例えば『空から落ちてくる水』って何ですか?」
俺はイメージしやすく、雲と雫を描く。
「[雨(:walyu)]よね?」
「ええ、発音は【w’æljʊː】ですね。文字の並びは ‘W-A-L-Y-U’ です」
「どうして二つ目がアプフェルのこれと同じなの?」
お、鋭い。
「そこなんですよ。【w’ʌljʊː】って言って、意味が通じなくなりますか?」
俺は敢えて間違った発音を示す。
「んー、特にそんなことはないわね」
「だったらもうガッチャンコしても問題ないですよね?種類を増やしても分かりにくくなるだけですし」
日本語だと『ず/づ』や『じ/ぢ』を同じにするような暴挙だが、ロマンス語・ゲルマン語では割と許される。
「まあ、そもそも文字を覚えること自体が難しそうだけど?」
「そこが凡人と私の違いなんですよねぇ」
「何よ、自分だけ楽しそうなことやって。私だって覚えられるんだから!教えなさいよ!」
ああ、エレ姉の取り扱いが分かってきた。煽ると噛みついてくる。あと、マウントを取られる前にローリングで回避すれば捕まらない。
十分に間合いを測りつつ答える。
「良いですよ。使うのは ‘AĀBCDEĒFGHIJKLMNOÖPQRSTUVWXYZ’ これだけです。簡単ですよね?」
練習で書いていたアルファベットを指でなぞって見せる。
「ちょ、速すぎるわ。もっとゆっくり教えなさい」
おっしゃ、食いついた。
「良いこと教えてあげましょう。歌にすれば覚えられます」
凡そアルプス一万尺か、もし亀(うさぎとかめ)のリズムに乗せれば暗記系は攻略できるというものだ。
「じゃあ “A” からいきますよ?まず流れを覚えてください」
「ええ、良いわよ」
今日こうして一人、文字の読める人間が増えた。
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