文明人之纂略046
文明人之纂略 作者:黒須輝046 自室 「ふむ、なかなか悪くない」 俺は自室のマットに腰を下ろす。厚みがあって断熱や緩衝などの機能を十分に果たしている。柄は曼荼羅、或いはトルコ絨毯のような色彩。おそら...
文明人之纂略 作者:黒須輝
く……苦しい。息が、できない!ここはどこだ?何も見えない……
———アキラ!
遠くで誰かが俺の名を呼んでいる!
(俺はここだ!助けてくれ!)
何故だ?声が出ない……
———アキラ!
(どこにいる?こっちに来てくれ!)
体が沈んでいく!踠く。踠く。
苦しい……意識が、薄れる……
———アキㇻ……
(待ってくれ!俺はここだ!行かないでくれ!)
「ぅわああああぁぁっ!…………はぁはぁ……」
ゆ、夢か。何だ今のは?息は……できるな。目も見える。目の前には『母』。黒須輝の、ではなくアレックスの母親。
そう、母親だ。この人物を『認識』するのは初めてだが、本能的にわかる。俺を抱きあやしている、エレーナによく似たこの赤毛の女性は間違いなく俺の母親。
母の顔を見た途端、アレックスはこの上なく安心した。
俺はそれをひどく客観的に知覚する。
というのも、今気付いたのだが、黒須輝の記憶の中に母親の顔が無い。母親だけでなく、父親も友人も、まるで墨塗りのように顔の位置だけ黒い靄に包まれているのだ。一方で歴史上の人物など、本人とは関連性の遠い人間ははっきりと脳裏に浮かぶ。
その記憶の残酷さと現状による心中の乖離が、俺の意識を冷たく保っている。
“edilhēatvotenas.”
ん、今、何と言った?エディルヘーアットヴォテナス?明らかに文法の存在する言語だ。だが文節が分からない。
もう一度、と首を傾げて促す。
“E dil hēat vo tenas.”
「え/どる/へーあと/うぉ/て?」
成る程、分からん。やはりと言うべきか。少なくとも俺の知っている日英独語ではないらしい。
そんなことは露知らず、母は少し驚いた様子を見せ、やがて俺に微笑みを与えながら歩き出した。
いや、そんな慈愛の目で見られてもねぇ……この後何が起こるか、皆目見当もつかないから不安しかない。
ん?足音が近づいて来た。
どん。
“mamo!”
うぉっ!バカ、危ねぇな。エレーナか?どうやら母の腰に跳びついたらしい。落ち着きがないのか、頻りにアレックス、アレックスと俺を呼んでいる。
“Dan-m’t, Elena.”
怒られてやんの。
「駄目って、エレーナ」
母を真似て、それっぽいアクセントで日本語を混ぜてみる。何となくだが、リスニング能力が向上している気がする。赤ん坊の適応力かもしれない。
“Ura! Alex gegantwenfvonötz!”
だからってそんな早口で喋られても困る……ところで俺はどこへ持っていかれるのだろうか?
「まも?」
“E quiro hēat vo tenas.”
また出た。ヘーアットヴォテナス。その前の “E” は変わらずだから主語、 “dil” “quiro” は助動詞だろうか。 “vo” という短い語はエレーナの早口でも出て来ていたが、前置詞の類か?そうなると “hēat” と “tenas” はどちらかが述語でどちらかがその他修飾語・目的語……
どん。
「うわっ」
不意の軽い衝撃と共に、俺は椅子に据えられた。
机がある。公園の古い木製ベンチのような、ニスが塗られていないささくれた机。並べられた食器と料理。
ふむ、つまり母は食事について何か言っていたのか。
“Tenas?”
俺は配膳された料理を指差して尋ねる。先に悩んでいた二単語は「食べる」と「料理」を意味する蓋然性が高い。
となれば、日本語のように「料理/を/食べる」の語順なのか、英語のように「を食べる/料理」なのかが重要となる。
母は答えた。
“Ya, vus tenas.”
ありがとう、だが依然として。
さて……どっちだ? “ya” は肯定、 “vus” は二人称。ここはまず間違い無いだろう。問題は二人称の『格』だ。主格か、所有格か。つまり「あなた『が』食べる」のか、「あなた『の』料理」なのか。
その時、ガタンと音がして正面の扉が開いた。日の光と人影。
“Ne chilptoc geleit, Louiza, Elena, Alex!”
そんな大声でなくても聴こえてるよ、と思いつ。逆光から現れたのは茶毛髭面の大男。肩に鍬らしき道具を担いでいる。農夫だろうか。
“Yema zisoltoc, mamo!”
そしてその後ろに5、6歳の少年。マモ、と言っていることからこの母の息子、俺の兄に該当する人物だろう。となれば、この大男は父か。
その父が最重要単語を口に出した。
——“Louiza”
ルイーザ。エレーナやアレックスと並列して呼ばれたこの女性名らしき単語。母の名前と考えるのが自然だろう。
“Gēlenchilp geleit, Rankl, Glatz. E gantoc vo hēatnak.”
来た、父ランクルと兄グラッツ。また、二文目ではヘーアットが変形し、ヘーアットナックになっている。ということは膠着語か。前置詞と思しき『ヴォ』の後ろに付いているから名詞化されたのだろう。
訳すなら「食べること」か。残る “tenas” は「食事・料理」。
そう考えているうちに、見当たる人物は皆席に着いた。左右隣に母姉、正面に父兄。誰かを待っている様子である。
程なくして、再度正面の扉が開き鷲鼻の老婆が入ってきた。
“—————“
歯が無いのかフガフガと呂律の回らない鼻声、抑揚や句切りも無い。駄目だ聞き取れねぇ。おそらく続柄は祖母だろうが。
その老婆の着席を合図として、食事が始まる。「いただきます」の挨拶は無いようだ。俺としては食前食後の感謝を欠かしたくないので、手を合わせて小さく呟く。
では、いただきます。
意気揚々と木彫りのスプーンを持っ……エレーナに盗られた。彼女はそのまま俺の “tenas” を掬い。
“Effen vo röth Alex, wahhhhh......”
あーん、じゃねぇよ。お姉ちゃん気取りか。自分で食えるっての。
「駄目って、エレーナ」
反抗の意を込めてスプーンを取り返そうとするが、短い腕と非力の所為で負ける。
仕方無く諦めて口を開けることにした。エッフェンヴォルースである。
「あー……んぐ」
“Kff……Nok hoy, Alex”
多分英語で言うグッボーイなんだろうな。なんか悔しい。
料理の味は……まあ、不味くはない。これは一応、離乳食にカテゴライズされるのか?
乳白色に緑が入ったペーストなのだが、味は豆。日本のずんだに近い。豆の風味そのままで粘度が高く、口内の水分が奪われる。
嚥下に疲れ、飲み物が欲しくなったのでエレーナに配膳されている椀の野菜入りスープを所望する。ただ対象を指し「ヘーアット(:食べる)」と発声した。
これまでの推測が正しかったのか、意味が通じたようで、『心優しいお姉ちゃん』はスープをくれた。皮肉を込めて「ノクホーイ、エレーナ」と返す。
“Boo……”
少し不機嫌になった。そんな時、後ろから声がかかる。母の声だ。
“Alex, ‘Gē-Len-Stal’. Zakt ri Elena fon ‘Gēlenstal’.”
エレーナ、と出てきたがどうも俺に話しかけられている。「ゲーレンスタル」を反復して言い聞かせているということは、言いなさいという意味だろう。
語意は「ありがとう」か「ごめんなさい」のどちらか。
「ゲーレンスタル、エレーナ」
素直に従うと、エレーナもにっこり笑って、
“Trelend yatten!”
と返してくれた。「ありがとう/どういたしまして」の線が濃厚だ。覚えておこう。
考えを整理し終わる頃、祖母と男性陣は既に出掛けてしまっていた。話をできなかったのは惜しい。
残った母と姉は食事の片付けをするようだ。「ごちそうさま」の後、俺は母の背に帯で負ぶされ、生理的に襲い来る睡魔に勝てず暫くして眠りに落ちた。
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