文明人之纂略001

ページ名:文明人之纂略001

文明人之纂略 作者:黒須輝

001 物心


 「あ、物心ついた」
 “俺”がこの世に生を受けて発した言葉はそれだった。
 何故『物心』と表現したのかは定かでないが、微睡みから覚醒したようなこの体感は、やはり物心としか形容できない。
 周りを見渡す。傍らには毛羽立った麻のクッション、腰を据えているのはささくれた茶色い木の床。差し込む光を見やると、ガラスの無い窓は青空を切り取っている。
 振り返るとこれまた簡素な扉。半開き。照明の類は設置されておらず、薄暗い。
 この場において俺を除けば人は居ない。
 と、ここまで把握して気がついた。
 —————他の人格の記憶がある。
 言うなれば前世。何故死んだのかは不明であるが、取り敢えず死んだのだろう。或いはその直前に脳が見せている幻覚か。
 言えるのは、現状を理解できている大部分の要素として、既に記憶された語彙や観察するためのフォーマットが役立っているらしいということ。
 しかし不思議なものだ。首を傾げ、顎を撫でる。おっと……前世の癖が出てしまった。だがそこには記憶にあるザラザラした髭の感触はなく、きめ細かなやわ肌が広がっている。心地よい。
 その心地よさの中、思考に耽る。
 この部屋が一体どこのお宅のものなのかだとか、親は誰だとか。不明な点は山ほどあるが、何よりもまずはじめに確認すべきは現実か否かだろう。夢幻なら早いとこ目を覚まさなくてはならない。
 指の位置を顎から頬にスライドさせ、抓ってみる。
 ぷにぷにした弾力のみで痛みは感じない。当然だ。幼児の握力で痛覚が刺激されるはずなかろう。
 指を噛む。生え始めた前歯が刺さって痛い。確定ではないが現実の可能性が出てきた。
 「あっ!Alex,—————!!」
 扉から現れた少女が何やら声を上げて駆け寄ってきた。一瞬の出来事で対応できず、為されるままに腕を取られる。
 どうやら指を噛んでいたことを咎められているようだ。
 事態は飲み込めないが、 “Alex” という単語に体が条件反射したことから、恐らく自分の名前ではないかと推察する。記憶にある姓名は黒須輝(クロス アキラ)なので違和感が少なくない。
 ところで、何語だろうか。目の前の少女もよく見れば日本人ぽくない。赤毛のコーカソイド、所謂白人だ。年齢は2歳から3歳。名前は不明。
 体に嫌悪感が現れないから、親類か、それに近しい人物。
 いきなり環境が変わり、どうしたものかと戸惑う。何かアクションがあるかも、と少女に目を合わせてみる。
 じー、と数秒。
 言葉を発していた彼女も驚きを僅かに見せ、次いでにっこり笑った。
 “E-LE-NA!”
 突然なんだ?elena?エレーナ?人名か?
 少女は自身の胸に手を添える仕草をしている。
 “E...LE...NA!”
 発音に合わせてポン、と胸を叩く。成る程、このエレーナという少女は俺に名前を教え込んでいるらしい。
 応えてやるか。
 “ErrE...Na?”
 舌足らずな部分はあるものの、聴き取れる程度には喋れたと思う。
 はは……きょとんとしてやがる。そりゃそうだ。俺だって急に自分の名前を呼ばれたら同じ反応をする。
 少女——エレーナ——は “Mamo~!” と言って逃げてしまった。語感からして母親を呼んでいるのだろう。
 やれやれ、また一人か。だが彼女は貴重な手掛かりを幾つか残してくれた。
 まず我が家が日本語を母語としていないこと。人種や居住地は昨今のグローバル化を鑑みれば特定すること能わない。しかしエレーナと名乗る少女が、一言も日本語と判別できる単語を用いなかったのは少なくとも我が家(エレーナが俺の親族であるなら)が日本語圏でないことの証左だ。
 引っかかるのは何語か、という点。聞き取れたElena、mamoの二つ。
 “Elena” は広く欧米で使われる女性名だ。由来はギリシャ人のヘレネーだったか。 “mamo” という単語は(もし母親を意味するなら)ウクライナなどのソ連西方で使われていたはず。ソースが昔聴いた民謡なので定かでないが。
 情報が足りないので一旦保留。
 次の手掛かりは俺の名前。
 “Alex” と言っていた。男性名だろう。股間に抱える微かなイチモツの感覚から間違いない。そうなると可能性が見込まれるのは俺の人種がエレーナと同じであること。
 ケンタロウやキヨシのような日本人名ならまだ望みはあったが、アレックス。清々しいほどの西洋名だ。まあ、リョウとかカノンみたく分布が広過ぎるよりかは判りやすくて良い。
 とはいえ、可能ならば早いうちに鏡を見ておきたいところ。
 あとは……そこまで気にすべき項目ではないと思うが、ボディランゲージ。エレーナは己を名乗る際、胸に手を当てていた。日本文化圏だと顔に人差し指を向ける。
 思わぬカルチャーギャップを避けるため、考慮しても損はなかろう。
 言語、名前、人種、文化圏。
 それぞれ『仮定するなら』という序詞がつくものの、ある程度整理できた。幸い俺は言葉を話すと驚かれるような年齢らしいし、この不思議な現象にもじっくり時間を掛けて適応していこう。
 記憶を持って生まれた意味とか、意義とか、二度目の死を迎えるまでには見つけたい。
 だがその前に睡眠だ。少し脳を使い過ぎたらしい。傍に転がる麻のクッションへ顔を埋める。中身は藁だろうか、イグサに似た草の匂いが落ち着く。
 深く呼吸を繰り返し、眠りに就いた。


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