夢オチ

ページ名:夢オチ

登録日:2018/05/10 Thu 05:20:27
更新日:2024/02/20 Tue 10:48:43NEW!
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夢オチ 結末 どんでん返し 賛否両論 ネタバレ項目 なんでもあり 創作 胡蝶の夢 不思議の国のアリス くるみ割り人形 オチ デウス・エクス・マキナ 夢だったのか…… 一炊の夢 せやけどそれはただの夢や



ハッ!ゆ、夢か……


夢オチとは、物語の結末の一つである。


概要


実は展開された物語全てが登場人物のでした!
…という、どんでん返し系のオチ。
どんなに破天荒な展開であったとしても、これ一発で全ての伏線をなかったことにできてしまうため、非常に使い勝手のいいオチだが、同時に使用には細心の注意が必要なオチでもある。


かの手塚治虫御大が創作上の禁じ手とした……というのは有名な話だが、実際の所『マンガの描き方』という本で特に理由も述べずに「悪い例」として挙げているだけである。
というか、手塚治虫自身夢オチである作品をそこそこ書いているので、「一般論としては多用してはいけないよ」レベルのものと受け取った方がいいだろう。


解説


単にメチャクチャやって物語が畳み切れなくなったから、伏線もなしに「実は夢だったんだよ!」でケリをつけたのではやっぱり非難されても仕方ない。
物語での冒険、恋愛、友情……様々なものが全部吹き飛び、無かったことになるのはやはり、今まで何だったんだと言いたくなる。
おまけにフィクションという夢世界をさらに夢でしたというオチで冷ますのは、非常に悪い二重落ちであり、読後感は最悪である。



最近は「夢だけど夢じゃなかった」というどこか思わせぶりな結末を迎える作品が多い。ただし、アダルトコミックや同人誌など短編が多い特殊なジャンルでは今なお夢オチが多用されている。



決して絶対のタブーではないが、「夢」というテーマで扱わない限りには、「それで物語が面白くなるかどうか」ということは難しいものがある。




例:

  • 物語中の「誰」が見ていた夢なのか、ハッキリさせず類推の余地を残したまま終わる
  • ほとんどは「夢」として消え去ってしまう中、その夢があたかも現実だったかのような証拠が少しだけ残される
  • 主人公は夢であると思うが、実在の人物にその夢の内容を知っているものがいる

実際の所最近の作品だと「夢でした」で全部片づけてしまうケースだけでなく、「夢から覚めた後」が重要になってくることも多い。
これを「夢オチ」というかは微妙なところだが(一応夢から覚めたところで一区切りは付くのだが)。


また、打ち切りの解決策として夢オチを持ってくることは意外と少なかったりする(皆無ではないが)。


似たような結末として「実は実際に起こったことではなく作中作だった」というエピソードも存在する。


ループ(ジャンル)とも関連が深く、「未来の夢」だったのか「過去の起床の瞬間に戻された」のかあいまいにされることも多い。


有名な夢オチの作品



以下、重要なネタバレが含まれます!

















  • 胡蝶の夢、一炊の夢

有名な中国古典にあるエピソード。
「荘子」の話の一つである胡蝶の夢は「蝶になって遊ぶ夢を見た後、自分が『蝶になる夢を見た人間』なのか『人間になる夢を見ている蝶』なのかわからなくなる」という哲学的なお話。
一炊の夢は「栄枯盛衰を極める波乱万丈な人生の夢を見るが、目覚めるとまだ眠る前に炊き始めた黍も炊きあがっていない程度の時間しか経っていなかった」という人生の儚さを説くお話。
どちらも「夢だから」という終わり方ではなく、その後に深い問いかけを残す夢オチの元祖にして典型とも言えるストーリー。


  • 不思議の国のアリス

夢オチ作品としては最も有名な物語。
当時は「非常に革新的な手法」として評価されていたりする。
なお、「夢だからなんでもあり」というわけではなく、言葉遊びや風刺を絡めて世界観自体はかなり凝って作られている。
冒頭の川辺で退屈しているシーンも伏線で、物語の最後で目覚めるとやはり川辺におり、「退屈して寝てしまい、夢を見ていた」という形でしっかり話が繋がっている。


  • くるみ割り人形

チャイコフスキーのバレエ及びその原作となる童話で、同じく最も有名な夢オチの一つ。因みにこちらの方が不思議の国のアリスより古い。
主人公が年端も行かない女の子である事や、不思議な冒険が始まるのが夜中という点で夢オチで締める説得力は十分と言えよう。
ただしこちらは「しかし夢で見た世界は本当に……」的ラストである。


  • 天狗裁き

夢オチの落語。寝ていた男が皆から「見ていた夢」の内容を聞かれるが、そもそも夢なんて見ていない男は何も答えられず……
オチがループしていて怖い。


映画ドラえもんシリーズ最大の異色作として有名な一作。
物語の舞台全てが夢の世界であり、最後は現実世界に帰って来た……はずなのだが、クライマックスのシーンのさりげないが明らかな異常性により「本当に帰って来たのか?」と視聴者に不安を抱かせる手法。
ちなみにこの締め方は映画独自の展開で、藤子・F・不二雄の大長編では特にそのような描写はない。


「全ての冒険は夢だった」ように思わせて、「実は現実だったかも……?」という曖昧さも残された結末になっている。


物語の舞台「コホリント島」は、「風のさかな」の見ている夢であり、島から脱出するためには「夢を覚ます」必要がある、というストーリー。
主人公は実際に大冒険を繰り広げるのだが、島の住民たちは夢のごとく跡形もなく消え去ってしまう……というゼルダシリーズでも屈指の切ないエンディング。
主人公(=プレイヤー)ではなく、風のさかなという「他人」が見ている夢に迷い込むという舞台設定は秀逸。


手塚治虫が、己の代表作である「ブラック・ジャック」で打ち上げた夢オチストーリー。
しかしそれは間黒男の、ブラック・ジャックの人生そのものを、走馬燈のように、そして幻想的に描きあげた傑作である。
この回を以って「ブラック・ジャック」の連載に一区切りをつけたという逸話もあり、手塚治虫が夢オチを使わなかったというわけではまったくない。
ちなみに手塚の過去作品には手塚本人等3人の男女が、訪れた離島の情景から連想して夜見た夢を綴る(要するに最初から夢オチ確定)『化石島』なんてのもあったり。


『コナンvsキッドvsヤイバ 宝刀争奪大決戦!!』と『10年後の異邦人』が該当。どちらも応募者全員サービスのOVAシリーズである。


現実に見えて実は夢の中だが、「自分は夢の中にいる」ということに気づいてからが本番になる作品。


ラムが夢邪鬼に語った夢をもとに作り出された夢世界が舞台。


「これまでの物語は全て精神病院内の箱庭療法における想像だった」という、夢オチの亜種的な締め方。
ちなみに作者はこの結末を相当早い段階から想定していたとのことで、最序盤に既に伏線が用意されていたりする。


連載第47話「夢無し芳一の話」。「今回のお話は夢オチです」と最初に宣言してしまい、夢の中だからという理由で好き放題やらかすエピソード。え?普段から好き放題やっているって?
一話完結だからこそできる手法とも言えるだろう。
ちなみに「手塚治虫先生が夢オチを禁じた」という逸話を広めたのも恐らくこの作品と思われる。


第17話「1/8計画」が該当。特撮作品における夢オチの元祖とも言えるエピソード。


第43話「第四惑星の悪夢」が該当。詳細はロボット長官の項を参照。


第42話「うたたかの空夢」が該当。
こちらも一話丸々使って夢オチ、しかも前作『ウルトラマンティガ』のオリジナルキャストまで引っ張ってという壮大なネタ回


第22話「胡蝶の夢」が該当。ある意味、シリーズ内でも『マックス』の特異性故に作れたエピソードと言える。


第38話「ぐっどないと」のエピソードが該当。
逮捕したはずの囚人達がワンサカ再登場、未来からプロバイダスまでもが現代に出撃等々破天荒な展開が続くが
ラストで全てシオンの見ていた夢であることが判明する。
こちらも冒頭から「シオンが眠気に襲われている」状況であることは描写されている。


第44話「サラリーマンはアバレ仕掛けの夢を見るか?」のエピソードが該当。
ヒーロー達が怪人の作り出した夢の世界に囚われて……という展開かと思いきや、実は一話丸々その怪人の見ていた夢だったという典型的な夢オチ。


前述した「胡蝶の夢」にも通じるテーマを描き、当時の特撮ファンの間で物議を醸し出した最終回。
果たして最終回以前の世界は全ての夢だったのか、それとも……現在も視聴者の間では大きく解釈が分かれている。
メインライターの見解としては「夢は美しいから夢なんだよ」という事らしい。


ハイパーバトルビデオ『龍騎vs仮面ライダーアギト』が該当。詳細はミラクルワールド(仮面ライダー龍騎)参照。


仮面ライダー555 ハイパーバトルビデオ』が該当。詳細は当該項目参照。


詳しくは浅井長政(戦国無双)の項目を参照。
彼の無双演武は終盤に夢オチとされる演出がなされているが、こちらも終盤以前が夢なのかそれ以降が夢なのか…プレイヤーによって解釈が分かれる。
公式ではどちらに捉えてもよいとの事。


DLCシナリオ「悪の華」が該当。
あしゅら男爵の夢を舞台に、シナリオの時系列・機体の設定等といった接合性をあえて放棄し、参戦作の悪役オールスター登場を実現した豪華エピソード。


  • 田代まさしのプリンセスがいっぱい

ん?ん? ゆめか?
でも いいゆめだったな。
よし!もういちどねよう。


  • 東京大学物語

主人公がヒロインと幸福に生涯を終えた…という所で「それは彼の理想を投影した妄想だったんだよ!」と連載第一回の主人公に戻り、そこからさらに幼少期ヒロインも妄想を繰り広げ…という鏡合わせの夢オチ
一応主人公が「天才的頭脳で瞬時に妄想を繰り広げられる」という伏線(?)はあったが…。果たしてこの物語は誰の夢だったのか?
後に作者自ら手掛けた映画版では「最終的にヒロインの夢を見て再現したのは作者」という身も蓋もないオチがついたが。


最後に「登場人物の夢」ではなく「視聴者の夢」というナレーションの入る珍しい例。


物語開始当初から「マリオ達みんなが同じ夢を見ていた」「その夢の世界から呼ばれて冒険する」という流れだったが、エンディングにてマリオ自体が寝て見ている夢という描写がなされた。
ちなみに海外では超酷評されているとか。
原作である「夢工場ドキドキパニック」では冒険の舞台は絵本の中であり、「悪者が退治された」と書かれた最終ページを破ってしまったため魔物たちが暴れだした、という設定になっている。最終ステージが7-2までしか無いのはそのため。


竜王の誘いに乗った場合、FC版では経験値・アイテムを全て失う復活の呪文が出てバッドエンドとなっていたが、リメイク版ではセーブ機能が付いたことやロストペナルティが重すぎることもあって夢オチに変更され、ステータスはそのままに最寄りの町からゲームを再開できるようになった。



夢オチと言われるけど実は夢オチじゃない作品


「最後はヒロインの見ていた夢オチだった」と非難交じりに語られることの多い作品だが、実はそうじゃなかったりする。
「夢オチっぽく見せかけたループエンド」というのが正解。
とは言え描写的にやや分かり辛かったのも事実であり、後年の版ではそこら辺がより明瞭になるよう加筆されている。


「実は交通事故に遭い植物状態になったのび太が見ていた夢」という最終回が有名だが、
実際にそのような結末が描かれたことはなく、都市伝説である。
その一方で、「ドリームプレイヤー」や「うつつまくら」、先の「のび太と夢幻三剣士」など、エピソード単位で見れば夢オチないしその疑いがある話もいくつか存在する。


単行本最終100巻のおまけページで、読者から送られた最終回予想の「実は漫画本編の物語は全て病弱な少女の創作だった」というものを
実際に作者が漫画にしており、当然ながらネタ的なものであって本当の最終回はちゃんと別に存在するのだが
ネット上ではこれが実際の最終回であるかのような流説がされ、実際に単行本を買わずにこれを信じ込んでしまった人の声も散見される。


  • テルマエ・ロマエ

主人公にして古代ローマ時代の人間であるルシウスが現代日本にタイムスリップし、現代の浴場技術を学びローマに持ち帰るというストーリーだが、
ルシウスがタイムスリップしている間は、多くの場合ローマでは風呂などで溺れて気絶していた事になっている。
そのためルシウスも最初は「平たい顔族の国(現代日本)」での体験は夢の中の出来事だと思っていたが、
日本から牛乳瓶を物理的に持ち帰っていた事から、周囲の人間が「溺れた後でアイデアを閃いた」と思う中、
彼だけは夢ではなく実際に日本へ行っていると確信する事となった。


夢オチと言及されていないが、実は夢オチではないかと一部で囁かれている作品


シリーズ最終作で、たまとも大集結である『GO-GO たまごっち!』の最終回「笑って笑って またごっつん(前編・後編)」は、1000年に1度、大陸が衝突して一つになる「たまごっつん」が終わることにたまごっち星が涙を流し、たまとも達が元気づける作戦を実行するストーリーで、たまごっち星の涙が収まった後、まめっちがドリームタウンと行き来できる魚型の乗り物を発明し、まめっちは将来地球であるジ・アースや宇宙にも行き来することを夢見て、物語の幕が閉じることになったが、このエピソードは作中で「ホログラム」「波動」といったワードが登場しており、量子力学をテーマにしているものではないかとされており、魚型の乗り物は多世界解釈を具現化したものであり、上記のまめっちの最後の一言や、ラストでのこれまでのエピソードの一部の回想シーンが流れることから、「実は今までの物語はまめっち主観の量子力学に基づいた幻想であった」のではないかという説が一部で挙がっている。また、上記の量子力学に基づいた幻想説に加えて、魚型の乗り物はそもそも実際にはまめっちは発明をしておらず、空想か別次元のシーンであり、これまでのまめっちの発明は実際には量子力学で生み出していたのではないかといった説までも一部で囁かれている。


その理由として、まめっちは作中で「宇宙」という単語が出てくること、まめっちは宇宙を理を表す陰陽が融合した生命体で、物事を陰と陽のエネルギーで捉えて中立的に見ていることが挙げられる。まめっちの身体が黄色なのは五行の土に由来するもので、五行の土は色では黄色であり、陰陽論に当てはめると陰陽中和で、女・精神・下・内側・空間・過去などを表す陰と、男・肉体・上・外側・時間・未来などを表す陽が融合したもので、まめっちの性別が1期では設定されていないのであるのはこれに由来するものとされる。また、それに加えて頭部が黒いのは、身体が陰陽融合を表す五行の土の色である黄色に対して、陰陽どちらも当てはまらない「無」であることを表している。2期以降はオスとなっているが、これは2元論での意味合いであり、まめっちの実際のジェンダーアイデンティティーは一番有力説なのが、陰陽融合の中性で別の見方では陰陽どれにも当てはまらない無性別でもある、つまり「Xジェンダー」であるとされる。敬語で話すのも上下関係や性別の概念がないこと、フラットに接する性格に由来する。
コレクトたまハート編の終盤エピソードで、たまごっち達がタマゴ化するといったシリアスなストーリーでは、たまごっち星がタマゴ化になるが、次シリーズの舞台であるドリームタウンに住んでいるたまごっち達はタマゴ化事件について一言も言及していなかったのは、タマゴ化現象はまめっち主観の意識の中での出来事で、ドリームタウンの存在を知らない、意識していなかったからといった量子力学(対象の物体を認識していない時は、そこには物体は存在しないといった考え)を暗示しているとされている。
また、タイトルロゴにはまめっちの顔などが隠れており(「ご」の濁点部分にまめっちの目、「!」の下の点がまめっちの顔の形になっている)、まめっち主観の幻の出来事であることを暗示しているとされている。



追記・修正は夢だと気づいてからお願いします。


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