本田圭佑

ページ名:本田圭佑

登録日:2011/01/01(土) 00:00:58
更新日:2023/08/18 Fri 10:32:27NEW!
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本田圭佑(ほんだ けいすけ)は日本のサッカー選手。1986年生まれ。
強烈なキャラクターを持ち、色々な意味で2010年代の日本の代表格と言える選手である。本田△。



●来歴
大阪府摂津市出身。
両親は彼が小学2年の春、離婚。
小学校2年時から地元の摂津FCに入団し、サッカーを始めた。
中学時代のあだ名はゴリ。
ガンバ大阪ジュニアユースに所属し家長昭博、安田理大らと共にプレーしたが、ユースチームへの昇格の内定が出なかったため石川県の星稜高校へと進学した。
1年時に全日本ユース選手権で準優勝し、3年時には第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場して石川県勢として初のベスト4に貢献した。


2004年には特別指定選手として名古屋のグランパスエイトの練習に参加し、ヤマザキナビスコカップなどの公式戦にも起用されるなど、数試合出場を果たした。
同時期に横浜F・マリノスの練習にも参加したが、獲得は見送られた。
高校卒業に際して複数のJリーグクラブから勧誘を受け、2005年シーズンから名古屋とプロ契約を結んだ。
名古屋入団時の契約では、本人の希望により「オファーがあれば海外クラブへの移籍を認める」という条項が盛り込まれていた。
開幕戦から先発出場してアシストを決め、翌年にはレギュラーに定着した。
2008年1月、さらに高いレベルでのプレーを求めてオランダリーグ、エールディビジ(1部)のVVVフェンロへ移籍した。



入団会見ではオランダ語で挨拶を行い、その日のうちにPSVアイントホーフェン戦に出場している。
残りのシーズンはレギュラーとしてプレーしたものの、5月にクラブはエールステ・ディヴィジ(2部)への降格が決定した。
2008年-2009年シーズンは2部に降格したVVVに残留したが、この2部という場が本田の飛躍的な成長の舞台となる。
本田は攻撃の軸として大暴れ、開幕から首位を独走するチームの原動力となった。
更にシーズン途中からはフリーキッカーとキャプテンを任された。
2部優勝と1部復帰に多大な貢献をした。
リーグ戦計36試合出場、16ゴール13アシストを挙げた活躍が評価され、
2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞しサッカーの本場ヨーロッパに本田圭佑の名を知らしめた。



シーズン終了後にはPSV、アヤックスなどオランダ強豪チームに加え、
チェルシーFC、リバプールFC、リヨンといった世界的ビッグクラブへの移籍が検討されたが、
クラブが1000万ユーロ(約13億円)と高額の移籍金を設定したために交渉がまとまらず、残留が決定した。


2009年-2010年シーズンもVVVで開幕を迎えることとなったが、
冬の移籍市場において移籍金900万ユーロ4年契約でロシアリーグの強豪PFC CSKAモスクワへの移籍が決まった。
2010年2月24日、UEFACL決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦がCSKAでの初出場となり、同時にCLにも初出場となった。
3月12日のリーグ開幕戦であるアムカル戦では、試合終了間際の後半ロスタイムに決勝点となるゴールを決め、チームのシーズン初勝利に貢献。
ここでモスクワのファンを虜にする。
セビージャとのアウェーでの2ndレグでは、前半39分にCL初のアシストを、
後半10分にはゴール約30mの位置から決勝点となる直接FKを叩き込み、CL初得点をマーク。
2戦合計3-2となってCSKAが勝利し、クラブ史上初、ロシアリーグ所属チーム史上初となるCLベスト8へ導いた。
この試合ではMOMに選ばれ、さらに1stレグ2ndレグに欧州の複数のスポーツ紙にてCL週間ベストイレブンに選ばれている。


2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会終了後の同年7月には、セリエAのACミラン、スペインのバルセロナなどからの興味が各国メディアで報道された。
また一方では、非公式な打診のみとする情報やCSKAモスクワ幹部の移籍否定(ミランが本田に関心を寄せていることを認めた上)「正式オファーはない」と明言。
など、様々な移籍に関する噂が飛び交っていたが、残留する事となった。


その後もCSKAの主力として活躍し続けたが、2013年末、ついにACミランへの移籍が実現。
しかも、本人の希望により背番号10を背負うこととなった。
ただ、「ミランの10番」を選んだことで課されたハードルや、決してトップレベルの選手というわけでもない本田に対して妙にクラブ側が歓迎ムードだったことから「アジア向けのマーケティングのために獲得された選手」というレッテルを貼られてしまった節があり、このことは彼の評価として終始付きまとうこととなる。


しかし、この時代のACミランはぶっちゃけ低迷期であり、振り返れば本田は見事そのド真ん中に放り込まれた形であった。
それでも15-16シーズンまで大半はレギュラーとして出場。ただし、大活躍と言える期間は少なく、総じてあまり良い印象を残したとは言えなかった。
16-17シーズンでは、厳しいクラブ事情の中にありながらも冷遇され、出場はわずか8試合。しかもその大半は終了間際の出場であった。
そしてこのシーズンを最後に退団することが決定。
しかし、そのわずかな出場機会の一つ、4シーズンぶりのEL出場権確保に関わる大一番であるボローニャ戦において、途中出場した本田は直接FKで得点。EL出場権を確定させる印象的な1点となり、有終の美を飾った。
その直後の、もはや順位に影響のない最終戦で初めての先発出場を貰ったところで下位のカリアリに負けていて、本当は有終の美を飾れていないが……


17-18シーズンはメキシコ1部、パチューカでプレー。1年契約。
怪我で多少出遅れたが、セリエAとは比べるべくもないとはいえ比較的レベルの高いメキシコリーグにおいて主力として高い評価を受けた。


18-19シーズンはオーストラリア1部、メルボルン・ビクトリーでプレー。こちらも1年。
ここでも良い結果を残し、ACLに出場したためJリーグクラブとの対戦も実現している。


が、メルボルン退団後はフリーの状態が続き、19年10月にCSKA時代の恩師であるスルツキー監督が率いるオランダ1部のフィテッセに移籍。
しかしクラブの低迷からスルツキーが12月に解任されてしまい、それを受けて本田も中途退団を決意。
フリーに逆戻りするが、20年1月末に滑り込みでブラジル1部のボタフォゴへと移籍。
大いに歓迎を受けたが、ご存知の通りこの直後からブラジルはCOVID-19で甚大な被害を受けてしまい、初出場直後にリーグが完全中断するなど災難に見舞われる。
再開後、本田のパフォーマンスも決して好調とは言えず、さらにはクラブも混乱して成績も低迷する中、12月に退団を発表。


21年2月に滑り込みでポルトガル1部のポルティモネンセへの移籍が発表され、久方ぶりの欧州復帰とな……るはずだったが、実際には滑り込みの選手登録が間に合っておらず、さらにはポルトガル特有の規定*1のために無所属選手としても扱われない(移籍期間外での登録が認められない)ためご破算となってしまった。


●日本代表
2005年のFIFAワールドユース オランダ大会に日本代表として招集され、
初戦のオランダ戦に守備的な中盤として先発したが試合は前半にオランダが圧倒、
後半は日本もペースをつかむ時間帯を得たが本田は途中交代となり結果は1-2で敗戦。
この後チームは16強に進出するものの、守備的な中盤、梶山陽平の復調もあって出場機会はなかった。


2006年にはオシムによりA代表にも飛び級で初招集されたがここでも出番はなかった。


2007年北京五輪アジア予選では、主力として五輪出場権獲得に貢献した。


2008年6月に開催されたWC・アジア地区3次予選のバーレーン戦で、A代表初出場を果たした。


8月に行われた北京オリンピック本大会では、中盤の主力として一次リーグ3試合すべてに出場して谷口博之や梶山陽平らと共に攻撃を牽引し、
ナイジェリア、オランダといった強豪国と戦ったが、3連敗で決勝トーナメント進出を逃し、
自身もオランダ戦で決勝点となるPKを与えてしまうなど不本意な大会となった。


2009年5月27日のキリンカップの対チリ戦で、A代表初ゴールを記録した。



●2010 FIFAワールドカップ


この大会で日本代表はアウェー開催で初のベスト16(順位的には9位)という好成績を残すが、この好成績の立て役者となったのが全ての得点に絡んだ本田である。
5月に本大会メンバーに選出され6月の本大会では攻撃の中心としてグループリーグ3戦、決勝トーナメント1戦にスタメンとして出場した。
この大会では、大会直前になってそれまで経験のないCFのポジションに、急遽配されている。
グループリーグ初戦のカメルーン戦では松井大輔のクロスを合わせて決勝ゴールをあげ、FIFA選定のMOMに選出された。
第3戦のデンマーク戦ではゴールまでの距離約30mという直接FK(独特の無回転で左右に揺れ急激に落下するシュート)で先制点を挙げ、
岡崎慎司の得点もアシストし日本の決勝トーナメント進出に貢献。
この試合でもMOMに選出された。
決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦ではミドルシュートを放つなど強い印象を残し、
PK戦では4人目のキッカーを任され、失敗すればその時点で日本の敗退が決まるという場面で落ち着いて決めた。
結果的に日本は敗れ(記録上は引き分け)たものの、敗戦チームからは異例の今大会3度目となるMOMに選出された。
後に公表されたFIFAの技術研究グループが作成したWC南アフリカ大会の報告書では、松井大輔と共にドリブル技術が高いと評価された。



●プレースタイル
日本人としては屈強なフィジカルを持ち、欧米のプレーヤーに対しても当たり負けしない。
キック力に優れ、スルーパス、ロングパス、シュートの能力、なによりFKの精度が高く、無回転とカーブする球を蹴り分けることができる。
また全ての中盤のポジションと、SB、CFも務めユーティリティ性に優れている。
一方でスピード・機敏さは劣り、日本代表では守備時の運動量の少なさを指摘されるものの、攻撃時にはゴール前へ飛び出すことが多い。
これはプレーの効率性を上げるためメリハリを重要視しているためだという。
しかし、CSKAモスクワではボランチ起用が多く、走行距離もチーム内で1位2位を争うほどであり、献身的なプレースタイルと変化している。



●エピソード

  • 実兄で現在は俳優の本田弘幸も元サッカー選手で、2005年には大分トリニータ入団が決まっていたが怪我の為に現役生活を終えた。
  • 1964年の東京オリンピックでカヌー競技のカナディアンペアに出場した本田大三郎は大叔父であり、
    その息子でレスリングのフリースタイルで3大会連続のオリンピック出場経験を持つプロレスラーの本田多聞は従兄弟違いになる。
  • 勝気な性格であり、その発言は時にビッグマウスともとられてしまう。
    北京五輪のGSで敗退が決まった後の消化試合では数名の選手と共に反町監督の指示に造反していた事を明かし、メディアで物議をかもした。
    しかし、そのような背景にはサッカーに対する非常に高い向上心があり、
    これまでのインタビューでも、ガンバ大阪ユース昇格出来なかった時の悔しさや、
    学生時代から常に世界で活躍するプロサッカー選手を見据えていたことなどを度々語っている。
    また後にこの造反劇に関しては本人が雑誌で事実ではないことを語っている。
  • この意識の高さから、チームメイトや先輩に対しても全く臆せず率直に意見する。代表戦でFKを蹴ろうとした中村俊輔に「俊さん、最近決めてないでしょ?」とFKの交代を直訴したり、自分の意図と違うスローインを放った長友佑都に「なんで足やないねん!」と声を荒らげたところを中継中のマイクに拾われる、代表記者会見で「凄い選手達と一緒にプレイ出来て楽しい」とコメントをした今野泰幸に「今野選手のように憧れみたいな気持ちでいられては困る」と会見中に名指しで苦言を呈するなど、枚挙にいとまがない。GKの川島永嗣に至っては言い争いになった際に川島が胸ぐらを掴み、あわや暴力沙汰に発展しかけたこともあるほど。
  • プライベートでは、いつも両腕に腕時計をつけている。理由は「Classicを追い求めているため」。
  • サッカーだけでなく語学を学び、チームメイトと直接会話することを重視しており、オランダ時代は英語、CSKAモスクワではロシア語を学んでいる。たまに文法的にはおかしい部分もあるが、それでも通訳要らずのレベルである。そして通訳要らずになってもなお語学力は磨かれ、時間を掛けて更に上手に話せるようになって行くようだ。
  • ミズノのスパイク「IGNITUS MD」を使用している。なお、WC後に本田の活躍によりこのスパイクが急激に売れているとのこと。
  • オランダ2部リーグでMVPを獲得した後、ヨハン・クライフ財団によって、出身校の星陵高校がある金沢市に子供が安全かつ気軽にサッカーを楽しむためのクライフコートが寄贈された。
  • 利き足と生年月日が一緒である家長昭博とはジュニアユースの同期生であり、親友として互いに尊重しあう間柄である。
  • 本田さんかっけー→本田さんかくけい→本田△
  • 2015年には埼玉西武ライオンズにドラフト6位指名を受けた。…が同性同名の別人のようだ。
  • 2019年4月、ペプシがTwitterとLINEで「本田とじゃんけん」というキャンペーンを開催。ツイートや発言の送信で本田がじゃんけんをする動画が送られ、運が良ければこちらが勝利した動画と共にペプシの無料券がもらえるというもので、性質上ほとんどの人が見ることとなる清々しい後出しじゃんけんをしながら上から目線の本田、こちらが勝った時は称賛してくれる本田といった、本田のキャラクターが存分に生かされた独特の味わいからネット上で大いに話題となり、好評を受けてその後も続編が色々登場した。
    俺の勝ち! なんで負けたか、明日まで考えといてください
  • 2022年カタールW杯ではAbemaTVにおいてプロデューサーという形で参加。日本戦では初となる解説も勤めたが、一緒にプレーしたことのある選手はニックネーム、面識のない選手には後輩でも「さん」をつけて呼び分ける丁寧さを見せつつ、要所では「うざいなぁ」など松木安太郎ばりに感情優先で強烈なコメントをする、かと思えば森保監督の采配の意図を汲み取ってピタリと言い当てるシーンを何度も披露するなど、サッカーを知らない人にも分かりやすい面白さと元日本代表というキャリアに裏打ちされた的確な解説で好評を博した。当初はドイツ戦のみの予定だったようだが、これを受けて日本戦は全て氏が担当することとなった他、決勝のアルゼンチンvsフランス戦では明らかにアルゼンチンに肩入れするという「公平中立など知らん」と言わんばかりの傍若無人な解説で視聴者の爆笑を誘った。

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  • とうとうACミランへの移籍が決定!しかも背番号10 -- 名無しさん (2013-12-13 10:43:57)
  • ミランでの活躍に期待しています。つか嫁さん一般人なんだな。 -- 名無しさん (2014-01-09 11:33:19)
  • なんでファンタジスタステラについて触れられていないんだ。 -- 名無しさん (2014-05-03 21:37:57)
  • 少し前から体が貧弱になった気がする。 -- 名無しさん (2014-07-02 04:19:08)
  • 7試合で6G2Aとかケチャップでまくりだな -- 名無しさん (2014-10-20 01:07:36)
  • 本田は凄いよ。努力でここまで上り詰めたのは本当に素晴らしい。 -- 名無しさん (2015-01-16 23:37:22)
  • なんだろう、全盛期のヒデとか俊輔を知ってると総じて微妙って評価しかできない。 -- 名無しさん (2015-03-16 17:00:13)
  • ↑わかる -- 名無しさん (2016-12-29 12:30:58)
  • 多分なんかの病気にかかってるんだろうけど、それを押し退けるようにW杯で活躍するのは素直に凄いと思う。監督の采配がいいのも理由だが -- 名無しさん (2018-06-25 10:54:15)
  • 色々言われてるけど、このメンタルの強さは凄いなと素直に感じる。 -- 名無しさん (2018-06-25 12:23:11)
  • 漫画の主人公みたいな人よね  この鋼のメンタルはホント見習いたい -- 名無しさん (2018-07-03 13:56:42)
  • 悔しいときはハッキリ悔しいっていうし、それに折れずにちゃんとリベンジに向けての努力もする高い向上心もあるしね -- 名無しさん (2018-07-03 13:58:20)
  • AbemaでのWC解説が松木安太郎ばりに感情出して素人にも分かりやすく楽しいのと、森保監督の采配の意図や戦術をピタリと言い当てる的確さが合わさって聞いてて凄く面白い。今後の解説者のスタンダードになってくれないかな -- 名無しさん (2022-12-04 17:48:09)

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*1 「前年夏の移籍市場終了時点で無所属である」選手のみを無所属扱いとする、というもの。

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