湯島の地:武蔵野台地の突端

ページ名:湯島の地:武蔵野台地の突端
Bg header

湯島の地:武蔵野台地の突端

湯島は現在の文京区南東端で、東隣は台東区上野に、南は千代田区外神田、西は本郷(文京区)という位置にありますが、江戸幕府が開かれる前後の江戸の地形は今とかなり違います。

江戸前の海が入り込む海浜(湿地帯)が上野不忍池辺りまで来ていて、湯島天神から切通坂上、東京大学、谷中、上野公園がある本郷台地と上野台地が武蔵野台地の先端として江戸湾に張り出していた部分でした。

文京区に坂が多いのは幾つもの中小河川が武蔵野台地から海に向かって流れ下っていたためです。

上野の山は「忍の岡」(しのぶのおか)と呼ばれていました。その下は谷底にあたります。現在東メト千代田線が地下を走っている不忍通りは、不忍池に流れ込んでいた愛染川(上流は谷田川、いずれも古石神井川)の跡にあたります。

その河口が、やがて砂州で塞がれ、残ったところが池になり、忍の岡(忍ぶの岡)の下なので「不忍池」と呼ばれるようになったとされています。不忍池を河口としていた古石神井川の溺れ谷の上流側は、その堆積土を利用して水田耕作が盛んになっていたことが寛永~明暦年間(1624~1657)の地図で分かります。

「湯島」という地名誕生の由来を確定できる資料は現在のところありません。江戸前の海から見ると海岸にそびえる武蔵野台地の高台にある天神様辺りはちょうど島のように見えたと思われることから、湯島天神あたりの地名に「嶋」(現代字の「島」)を入れてもおかしくありません。

でも、「湯」は問題です。なぜ「湯」が地名に入ったのかについては、現在までこの付近で温泉が湧いたとか、湯に係る記録が見つかっていませんので、不明です。はっきり根拠が見える「御茶ノ水」とは大きい違いです。

平安時代中期、承平年間(931~8)に編纂され、日本最古の百科事典とも言われている「倭名類聚鈔(或は~抄)」(わみょう・るいじゅ・しょう)(注4))には、当時知られていた全国の国と郡(ごおり)、更に小単位の郷(ごう)の名称が記されていて、その中の「武蔵国」には、多磨、荏原、足立など二十一の郡が記されています。

その一つ、豊嶋郡に日頭(ひのと)、占方(うらかた)、荒墓(あらはか)、広岡、餘戸、駅家と並んで「湯島」が記されていて、音訓注に“由之萬”(ゆしま)と記されています。この時点ですでに“湯”が当てられてはいますが、日本には文字がなく、先ず漢字がもたらされ、日本語特有の発音を表す平仮名とカタカナが平安時代に創出された歴史を考えますと、“湯”はもともと、“ゆ”という発音の語に便宜的に当てはめられただけかも知れないと云うことが考えられます。

時代が下って文明十九年(1478)に成立したとされている堯恵法師の「北国紀行」に“忍の岡(上野の山)のおならひに油井嶋といふ所あり…寒村の道すから野梅盛んに薫す…これは北野の御神と聞かしは…”という一節があり、ここでは“湯”が使われず、“油井嶋”と書かれています。ちなみに“北野の御神”と、“盛んに梅の薫りがした”との記述も道真公と梅のご縁をひいて湯島天神を指すものと思われます。「湯」でなく「油」だとは云えませんね、「湯」が平安時代、つまり「油」が残る約500年も前に「湯」が使われていたわけですから。

これらの参考文は、文京ふるさと歴史館発行の「ぶんきょうの地名由来」(平成二十四年改定第八刷版)からの引用ですが、ここでは「新撰東京名所図会」(明治三十九~四十年=1906~7)に記されている“島の義については疑う余地がないが、湯と称することは未だ詳(つまび)らかでない”との結論を紹介しています。

一時ホテルが林立していた湯島の崖上と天神下交差点北西角裏ですが、なるほど、“温泉ホテル”というネーミングは聞いたことがありませんね。




特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

鈴本演芸場

DSC02665伊豆栄さんを出て中央通りを左に行くと鈴本演芸場定席の寄席。ビルの中にできた寄席として、始めは以前のスタイルを気にする人もいたけれど、ステージと椅子席、それに新幹線座席のようなテーブルが...

酒悦(しゅえつ)

DSC02668福神漬けを世に送った酒悦さん本店舗。鈴本演芸場さんのすぐ並び日本の味「福神漬け」の発明者で現在もその第一人者、と申し上げれば十分でしょう。ラーメンと並ぶ日本人好み食ナンバー1、カレーラ...

赤門

DSC04103お待たせしました。赤門。本郷三丁目交差点寄りに徳川第十一代将軍家斉の息女が百万石の大名、前田斉泰に嫁入りしたときに建設された御守殿門(ごしゅでんもん)と呼ばれる特別な門。朱塗りのため通...

蘭亭ぽんた

DSC03664「湯島・蘭亭ぽん多」さんのお出迎え初夏の装い(暖簾は年数種をかけかえ。麻の白地は初夏から真夏)これがとんかつ?と噛みしめてしまう豊かな逸品で知られているとんかつ屋さん。長時間低温揚げの...

花月

DSC03648花月さん正面「蘭亭ぽん多」さんの角を曲がって春日通りに通ずる小路の右手にあるお店。店内はお客が二人も入るともういっぱい。お馴染みさんは黙ってガラス戸の外で待ちます。とにかく花月さんのか...

竹仙

DSC03267本富士署前のT字路に面した春日通り沿いに江戸あられの「竹仙」さん。見事なあられとおせんべいはサポーターがしっかり。「江戸あられ」と店頭にある小さいお店。お客さんから寄せられた色紙や手紙...

焼き鳥「八巻」

DSC03451八巻さんの店内。奧で焼に入っているご主人ちょっとコースから足をのばして美味しい焼き鳥を召し上がりませんか?5時半開店、水曜定休ですが、「八巻」さんの焼き鳥は鮮度最高、美味しさ抜群。今回...

無縁坂

DSC02961最初の辻から無縁坂を見る。緩い左カーブで坂を上る森鴎外(文久2年(1862)‐大正11年(1922))の代表作の一つ、「雁」(明治44年(1911)作)に描かれていることであまりにも有...

湯島百景

あなたの好きなスポット、風景をぜひ投稿してください。上野公園上野公園横山大観記念館横山大観記念館伊豆栄伊豆栄鈴本演芸場鈴本演芸場酒悦(しゅえつ)酒悦(しゅえつ)池之端藪池之端藪旧岩崎邸庭園旧岩崎邸庭園...

湯島天神(天満宮)

DSC03300「湯島天神入口」交差点に立つ「湯島天満宮」の傍示杭。右に鳥居がある“天神通り”(仮称)が始まる湯島天神は、社名は湯島天満宮と云い、勅命により、雄略天皇2年(458)に創建されそうですか...

湯島の立寄り処とお店の電話番号

※おことわり:ここにご紹介したお店は、ほとんどがご家族や小人数の方々で営んでいらっしゃるお店ばかりです。大きいお店であっても限られた人員で営業されています。予約や営業関係のお問い合わせでお電話される場...

湯島の地:武蔵野台地の突端

Bg header湯島の地:武蔵野台地の突端湯島は現在の文京区南東端で、東隣は台東区上野に、南は千代田区外神田、西は本郷(文京区)という位置にありますが、江戸幕府が開かれる前後の江戸の地形は今とかなり...

洋食・本郷にしむら

DSC03235本郷三丁目駅から本郷通りに出る商店街途中左側にある街のグリル「洋食にしむら」さん。お店が4階のため、通りに案内板がある典型的な日本の洋食グリルで、昭和45年(1970)年から営業する地...

注釈

注釈[]注1)「婦系図」(おんなけいず)泉鏡花が明治40年(1907)1~4月、「やまと新聞」に連載し、おそらく、自身の作品中、一番読まれることになった作品。翌年舞台上演されて新派の代表作になり、公演...

池之端藪

DSC03642仲町通り中ほどにある(あった)池之端藪のあんどん明るい雰囲気はそのメニューとお店のレイアウトにも。入って右手に座卓席の小上がり、左半分に椅子テーブル席。丁度良い広さです。引き戸を開ける...

江知勝

DSC03293屈指の牛鍋店「江知勝」さん。湯島切通坂を上り切ったあたりに、落ち着いただ住まいのお店が人も知る牛鍋屋さん。個室でいただき、仲居さんが鍋の熱し具合、肉と野菜の食べごろを見て、いちばん美味...

横山大観記念館

DSC04169池之端一丁目交差点から不忍通りを行くと すぐに見えてくる横山大観記念館の外塀戦災で焼失後、昭和29年(1954)に土台を生かして再建された画伯の自宅建物がそのまま保存され、画伯自身の視...

東大構内三四郎池

DSC04117三四郎池(池の形状が心と云う字の形に似ているため、心字池と云う名前が正式)こちらは夏目漱石の「三四郎」に描かれていることでよく知られていますが「三四郎池」はあくまで通称。その形が「心」...

旧岩崎邸庭園

DSC02958旧岩崎邸庭園入口その名の通り、三菱の創始者岩崎弥太郎氏の三男で三代社長を務めた久彌氏のもと邸宅。明治29年(1896)に造られ、1万5千坪の敷地に20棟の建物がありましたが、現在は約5...