Eosode Ⅷ(逃亡)

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膨らんだ風船が弾けるように限界は突然にやってきた。

完成したシステムにより仕事を奪われたオレは長年勤めた仕事を辞める決心をした。

 

しかし、長年ある程度の要職を努めた会社を丁寧に辞めようとすると様々な禊を果たす必要がある。

それを想うと暗澹たる気持ちになり辞めることさえためらいを感じるほどだった。

 

とにかくセレモニーが苦手だった。

乾杯の音頭、結婚式のスピーチ、衆人を前にしての様々な挨拶。

ましてや自分が主役の結婚式や誕生日パーティ、自分が既に存在していないが葬式ですら想像するだけでも悍ましく感じた。

結婚した際も必要な手続きのみで済ませたしその他に関しては空気を読まずに固辞し続けていると次第にお声も掛からなくなった。

ここまで長く勤め上げたのも自分の送別会が開催されるのを避けてきたことも原因であるような気さえする。

 

会社には心から感謝をしていたし後を濁すことも本意では無かった。

だからといって自分がセレモニーの主役となるのはまっぴらだったし、そんな自分の気持を周囲が正しく汲んでくれるとも思えなかった。

 

もう既にシステムは完成していた。

既にオレがいなくても円滑にそのシステムは稼働していたしそれがオレの退職理由でもある。

しかし、仕事がなくなったことに対する不満も無く新しいことを始めたいわけでも無い。

システムを監視することのみが仕事となった以降、オレの中の塩基配列はすっかり変化してしまっていた。

同じことを別の環境で繰り返すことに一切の魅力を感じていなかった。

狂いまくっているシークエンスを調整し新しいリズムを再構築する必要があった。

 

ある日から完成しているシステムの最終調整を開始した。

まず長期有給休暇を取得するよう会社に申請を出した。

10数年間2週間を超える休みを取ったこともなく有給も溜まっていたので会社も協力的に1ヶ月の有給取得を認めてくれた。

海外にまとまった旅行にゆくと伝えた。

月末を挟んだ1か月休暇を取るということは自分のあらゆる仕事を他者に移譲しなければ業務を維持する事は不可能だ。

この有給休暇を機に数少ない自分の仕事の手順書を作成し後任担当者を決めて移譲していった。

それら準備は2週間程度で完了した。

 

有給休暇初日、成田空港からお世話になった取締役宛てに退職願と以下のような手紙を添えて投函しラスベガスに旅立った。

 

取締役 吉田肇様

 

今般このような形でご連絡をさせて頂くことをお許し下さい。

 

是迄周囲には気付かれないようにしてきましたが、心身に深刻な不調を来しこれ以上働くことが難しい状況になりました。

本来であればきちんと直接口頭で相談し進退を決めるべきだと理解しております。

しかし、それすら許さない状況に陥り不躾なご連絡となり大変恐縮ですが御容赦下さい。

 

有給と言う名目ではありましたが私が是迄担当した業務に関しては私の考えられる範囲とはなりますが引き継ぎを行い、私の不在に関わらず滞りのないよう可能な限りの引き継ぎを行いました。

ご迷惑をおかけする事もあるかと存じますが御容赦頂ければ幸いです。

 

入社以降、これまで何物でも無かった私に仕事の場と将来を与えて頂き誠に有難う御座いました。

お世話になった方々に対しご挨拶も出来ずこのような形で退職することは心苦しく不本意では御座いますがくれぐれも皆様によろしくお伝え頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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