もう既に10万円に少し足りない程度の現金しか口座には残ってはいない。
手許には月末の返済の為に準備していた5万円が財布の中に、後はジーンズのポケットに少しの千円札が有るだけだった。
5千円札が混じっていたら最高なのだが記憶は定かではない。
15万円ちょっと。それが今のオレの全てだった。
タバコはまだ残っていたはずだ。
残り2本。
セブンスターのパッケージを触り感触を確かめる。
残り少ない命に火を灯すような気がして新しいタバコに手を付ける気にはならなかった。
灰皿から比較的まだ長い吸い殻を拾い火をつける。
嫌なシケモクの香りが内蔵の奥をくすぐり胃のあたりからぷくぷくとした焦燥感が泡立ってゆく。
12時40分。
確定ランプが灯り新しい敗退が確定した。
中山5レース
オレの穴馬は積極的な先行策が功を奏し後続に脚を使わせつつも大きく引き離し直線へ流れ込む。
全ての神経はその馬の粘りに集中し無意識に指に力が入る。
全身の血液が沸騰し、全身の産毛が逆立ち皮膚の外側が泡立つ。
「田辺!!頼む、残ってくれ。」
残り1ハロン、明らかに異なる脚色で追い込んでくる後続馬達。
オレの希望は後続の気配を感じると最後の余力を振り絞り馬群を少し引き離し力強くゴール板を駆け抜けていった。
このレースでオレは田辺騎乗の7番人気の馬を穴として指名していた。
実力が拮抗する混戦の中ではあったが狙っていた穴馬が1着での入線を果たす。
願いは届いた。とりあえずではあるが。。
購入馬券はワイド。
もう1頭は単勝1.8倍、
このレースの1番人気。戦績共に盤石な本命だ。
スローペースでのゴール前の接戦。正確な入線馬はわからない。
4コーナーの位置取りとしてはオレの本命は良い位置に居たはずだ。
いつもの儀式を開始する。
レース再生が始ると同時にゆっくり祈りを込めて目を閉じる。
画面から音が消えたタイミング。
その気配を頼りにゆっくり目を開けると結論はスローで再生されていた。
画面右より光沢を称える筋肉質な馬体を躍動させオレの希望が最後の力を振り絞り先頭で駆け抜けて行く。
後続馬の1頭、ルメール騎乗の2番人気の馬と馬体をあわすも最後はクビ差で凌ぎ切ってくれていた。
「1番、7番・・・」
その後をゆっくりと伝える画面。
「頼む!」改めて祈りを捧げる。
混戦に参加する後続馬は4頭。
ゴールに引かれた死線上には残酷な現実が眼前に再生されていた。
「写真判定」
おそらく結果は1着、4着。ハナ差だ。
「くそ・・・」
長年の経験から結果に対し淡い期待等を抱くことすらない。
期待を裏切った戦犯は福永。2着、3着はルメールと戸崎。
この勝負レースに2万円張っていた。入れば20万円程にはなっていたはずだった。
抱えられない怒りが止め処無く湧き上がり一瞬で全身を支配してゆく。
頭のなかで怒りが罵詈雑言となり駆け巡り腹の奥から呪詛が漏れる。
福永のくそったれ。
又、こんな鉄板の人気馬飛ばしやがって。
詰まるのがお前の仕事か?クソ野郎。
なんで福永を信じてしまったのか。。
戸崎、ルメールも年初から人気馬を飛ばしまくりやがって。
来なくて良い時に好騎乗か?
期待にも添えない下手くそどもが。
それでもプロか?リーディングか?
笑わせるな。信用されない騎手は全員辞めちまえ。
「くそったれ・・・」
しかしその怒りも一瞬で燃え尽きやがて深いため息となり全身の力を奪って行く。
シケモクは溜め息と共に直ぐに尽きた。
黒くなった親指と人差し指をこすりあわせ汚れを払おうとしても汚れは指に広がるばかりだった。
改めて新しいシケモクを物色し火を付けて大きく吸い込む。
日当たりの悪い乾燥し冷え切った部屋に少しづつ午後の長い光が差し込みどす黒い紫煙が揺らぐ。
頭の中に濁った煙が充満し脳が痺れ舌先にも嫌な痺れを感じる。
とにかくビールが飲みたい気分だった。
買い置ける余裕もない生活が続き当然冷蔵庫には空っぽだった。
悪い運気が漂う室内。怒りで濁った頭を冷やすためにも早々にこの部屋を出なければ。。
擦り切れたN-3Bを羽織りまだ空気のつめたい外に出た。
以前は洋服に対し多少は気を使う方だった。
流行を気にすることはない。しかしシーズン毎に良いものを吟味し必ず一点は購入するようにしていた。
靴についても1年に1度程度は新しいものを選び、古くなった靴も修理に出し丁寧に履いていた。
しかし、いつからか服を買うという欲求も靴を気にする習慣も無くなっていった。
こんな生活を始めてから冬場はAlphaのN-3Bばかり着ていた。
軍物は常に機能的で衣服に期待する全ての合理性を備えている。
丈夫でそれなりに温かい。
暖房費を節約する必要のあるツキの無い夜にはN-3Bを来て布団をかぶって凌いだ。
洋服の機能や意味について改めて考える過酷な日々を過ごしていた。
外は天気の良い3月の昼下がり。
暖かな日差しとそこはかとなく漂う沈丁花の匂い。
空気は冷たく乾燥している。
春の気配に包まれた街を歩きWINSの近隣にある戦前から博打打ちが憩う飲み屋街を目指した。
返済に追わる日々に贅沢が許される状況は無い。
しかし気持ちを立て直さなければ良い勝負も出来ない。
少し小腹も空いたしエブリタイムハッピーアワー。
一杯190円の生ビールもある。
何よりその店を目指す理由は単純で単なるゲン担ぎだ。
以前、馬券の調子を崩した際、その店で気持ちを立て直し大勝負に勝ったことのある縁起の良い店だ。
重要な勝負の前は様々なものに頼ってでも気持ちを立て直す必要があった。
基本アルコールは正確な判断能力を奪う為、予想をする際には一切口にしない。
しかし、レースで負け込み不安に包まれた気持ちでは勝負の土俵にも立てない。
結果に怯え萎縮した精神は確実な敗北をもたらす。
敗退を恐れ自分の哲学に従い勝負できなくなったら酒の力を借りることは有効だ。
金に余裕があれば当日一切のギャンブルをやらないという選択もある。
しかし、金に詰まった時には退路を絶ち蛮勇を奮い不確実性と心中する必要がある。
今はその時だった。
誰しもが納得するような信憑性の高い美しく合理的な予想は必ず過剰人気を呼ぶ。
その手の物語はオッズに織り込まれる。
合理性の高い美しい予想は平均的な的中をもたらす低配当の使者だ。
一般的な合理性を武器に戦ったとしてもギャンブルには勝てない。
穴狙いの予想家が関係者情報と銘打ち魅力的な穴馬を推奨する魅力的で禍々しい数多くのメディアが発信する予想。
そういった情報には一切の興味は無い。
予想はあくまでもパーソナルなもので博打の買い目を他人に決めてもらうのなら博打を辞めたほうが良いようにも思っていた。
結果は目的では無く自分の予想であることが最も優先される前提だ。
レースの中に存在する小さな歪(ひずみ)を丁寧に探し続ける。
そして見つかったその小さな穴の先に大きな成功が見えるかオッズと相談しながら買い目を決める。
後は約束された成功を掴み取るために少ない可能性を信じて身を投げる。簡単な話だ。
万人の期待がオッズに反映する中でで人気薄の高配当を狙ってゆく。
確率は当然に低い。
しかし、自分の信じる可能性に対する期待や覚悟が無ければ何も手に入らない。
ギャンブルの結果はいつも理不尽で不条理。オッズが何かを説明してくれたことはない。
堅い予想などというものは無く冷酷な結果があるだけだ。
競馬を始めてから程なくして酷いスランプに陥る時期があった。
深く暗い森の中、どこを目指して歩けば良いのかわからない不安の中で哲学を持つことの重要性を理解した。
確固たる哲学を持たずにギャンブルに望むには不確実性の森は深く暗い。
数多くのレース投資し敗退を重ねる日々の中で数多くの反省を重ねていった。
反省は次のレースの為に必要な示唆を与えてくれると同時に過度な反省は本来はぶらしてはならない価値観さえも壊すこともあった。
自分の基本を持たず数多くの変数を保有するギャンブルに対峙することは自殺することと同義であるように思う。
自分の型を見失い外れる恐怖に震え馬券を買えない時期もあった。
壮大で理不尽な不確実性の海に漕ぎ出す為には様々な道具が必要だった。
そんな当たり前の事に気づけず過ごした無自覚な時間は高額な授業料を欲した。
重要なことを一つ一つ理解し勝負を続け経験を重ねる中で必要な哲学を構築していった。
しかし原状を踏まえればその哲学はいまだ完成も肯定もされていない。
全てを金(きん)に変える魔法は未だ見つかっていないのだ。
まるで城を目指す測量士のように自分がどこにいるか何をしたいのかもわからずにぐるぐると城の周りを回り続けている。
この物語が死によって突然何の前触れもなく不条理に終わりを告げるのかもしれない。
そしておそらくオレはそれを望んでいるようにも感じる。
競馬を愛した作家アーネスト・ヘミングウェイの言葉にこんなものがある。
「競馬は人生の縮図でありこれほど内容の詰まった小説はほかにはない。」
確かにヘミングウェイが言うとおり競馬は興味深く底が見えない程の奥深さを感じさせてくれた。
最初はつまらない日々に多少の潤いと刺激を欲して改めて競馬を始めたことが切っ掛けではあった。
日常が充実していた時期もあった。
しかし情熱を掛けて対峙した多くの問題がなりを潜め本来目標であったトラブルの少ない安定したシステムを構築した後にはそのシステムを安定的に維持することのみが自分の仕事になっていった。
システムの番人として生きる退屈な日常。
システムに従う奴隷にとって思考は最も邪魔な存在で間違っても不確実性の高い新しい何かに全力で取り組むことは許されなかった。
愚鈍さを武器に生きなければならない日々の中で頭を使うことは極力避けなければならず、持て余している知性を疲れさせる必要があった。
もちろんギャンブルの以前には酒や女に溺れたこともあった。
過度な酒は脳を痺れさせ全てを忘れさせてくれた。
適量の酒はこわばった頭をほぐし優しく眠りに誘ってくれた。
しかしオレにとって酒は何かを解決してくれる存在ではなかった。
最近は過度に酔うことも吐くこともない。
おそらく最も長く付き合っている最も親しい友人だった。
女は面倒だった。
瞬間的な快楽の為に多くの試練を課してくる。
しかし金を払っても満足を得られることは無かった。
試練をクリアし1回だけ得られる充足感。2回目以降は惰性だ。
そして女を傷つけることに対する耐性を持つことができなかった。
傷つくことも傷つけられることにも慣れることはなかった。
競馬は様々な知識と変数を提供し頭の暴走を適度に疲れさせてくれた。
そして現代の競馬はインスタントでコンビニエンス。そしてポータブルだった。
そして当然に膨大な量の時間を欲する奥深さがあった。
18世紀から綿々と積み重ねられた歴史の中で時代毎に提供される豊富なエピソードの数々。
何代にも渡って継承される血脈の中に受け継がれてゆく愛すべき個性。
かつての名馬の面影が生まれたての子馬に宿り正確にその個性を伝えてゆく事への感動。
サラブレッドの存在は近親交配の歴史と同義だ。
強い馬を生産する事をコンセプトとして様々な配合を実践する数百年単位で試されている類を見ない壮大な生体実験。
人為淘汰と呼ばれる恣意的な配合は選別されるべき親の優秀な能力や個性を長い時間を掛けて磨いてゆく。
それはサラブレッドの歴史そのものであり強い馬を生産するという目的以外に一切の意味を持たない。
近年、研究は大きく進み、その血統背景により芝とダート等の競争種別に対する適正、ステイヤー、マイラー、スプリンター等に分類される距離適正以外にも様々な血統傾向を把握し高度化したアプローチが開発され様々な結果を出している。
主に予想に活用される血統的なバイアスにはなるが、特定の競馬場、特定のコースに特化した個性を評価する為に細分化した血統を軸とした統計解析も行われている。
これら数多くのファクターを踏まえ考慮された数多くのコンセプトが毎年美しい生命として我々の前に姿をあらわす。
予想とは数多くの競走馬毎に定義された血統に含まれるコンテキストを理解しその馬の最新の未来を占う継続的な行為でも有り、我々は多くの馬生と共に歩み続けている。
競走馬の究極的な目標は数多くのレースを勝ち抜き自分の存在理由を証明することだ。
サラブレッドの存在証明は自分の遺伝子を後世につなげる為に人為的に設定された条件をクリアすることを課せられる。
生き残るべき種の選別がコンセプトに従い行われているのだ。
わかりやすく絶対的な存在証明とはクラシックレースに勝利することだろう。
毎年まだ何物でも無い何千頭ものサラブレッドが頂点を目指し激戦を繰り広げるクラシック戦線は強いだけでは勝ちきれない。
クラシックを勝ち上がるにはその馬の固有の力以外にも様々な条件を欲する。
馬主は自分に名誉をもたらす未来の名馬を求めて期待の良血馬に大枚を叩き希望を持ち投資を継続している。
育成環境や設備、生産に関わる多くのスタッフの熱意。
調教師の経験と能力。調教指針や厩舎スタッフの馬への愛情。
最近では調教をも担当する外厩とのリレーションは特に重要なテーマでもある。
サラブレッドに怪我はつきものでありクラシック戦線を乗り切るだけの強靭な肉体、それを支える医療技術の発達。
その馬の未来を決めるレース選択。状態管理。気性にマッチした馬具選択。当日の馬場状態や輸送。
騎手のミスは直接これらの背景を破壊する直接的な影響にもなり得る。
経験と実績に裏付けのある名手が考えられないようなミスを犯し、重賞未経験の新人が好走を果たすことも珍しくなくある。
運と言えば全てが包括されるが勝つために必要な全ての要素が揃わなければクラシック戦線を勝ち抜くことは出来ない。
ここに上げた要素もごく一部であり数千頭のサラブレッドの頂点とは天命を受けた馬のみ与えられる奇跡でもある。
そんなドラマを楽しむにはしっかりと予備学習を行い馬券という名のチケットを購入をすることだ。
運が良ければたかだか1分〜2分程度のレースから一生忘れられない感動を提供してくれることもあるのだ。
そして、予想が的中した時にもたらされる祝福と歓喜に満たされた全能感。
高配当はそれまで大きく負け込み地層のように堆積した憂鬱な問題を一気に解決してくれた。
窮状を打破し死地から生還できた経験は自分の哲学に対する最大の報いとなり成功体験は哲学に対する信任を強化し日常に意味を与えてくれる。
反面、競馬は趣味と呼ぶには憚られるほど膨大な時間を欲し趣味は日常を浸食し時間以外にも人間としての感情や欲求を奪って行った。
悪魔が要請する様々な課題に取り組んでゆくうちにオレは多くのものを失っていった。
いつの頃からかレースに参加する事だけが自分の生きる目的となりそれ以外の日常は全ての意味を失っていった。
高揚感に支配されすべてのことに興味を失い多くの時間と情熱を純粋にレースのみに捧げた。
夫婦で競馬を楽しむことだけはヘミングウェイから学べなかった。
妻はギャンブルにはまり会話も満足に出来ない中年男に対する期待を早々に失い弁護士に全てを一任した。
優秀な弁護士は見事にオレから全てを取り上げ手際よく寒空に放り出した。
家も預金も車も愛すべき猫達も全て・・
失ったもの中で最も大きなものはこれまでに関わった全ての人達からの信頼かもしれない。
オレは転がり続けながらとにかくありとあらゆるものを失っていった。
しかしそんな状況の中で呆然としながらもオレはオレで次のレースのことばかりを考えていた。
絶望すら不純なものとして排除し次のレースの予想に取り組み続けた。
幸いなことに子供は居なかった。今思えばそれだけが救いだったようにも思う。
同時に子供がいればこのような生活を選択していなかったようにも思う。
しかしそんな可能性について考えることすらも今は無意味なことのように感じている。
敗北は死と同義なのかもしれない。
オレは死から遠ざかる為にいつまでも負けを認めずに勝負を継続している。
生活から不純な意味を排除し純粋にそして懸命に勝負に取り組む毎日を過ごし敗北を重ねそして踊りながら深淵に近づいている。
何処かで負けを認めることが出来るのだろうか。
これだけ多くのものを失いながら過ごす純粋で求道的な生活におそらくオレは納得している。
普通の人が過ごす不純で妥協に塗れた日常。
かつて自分が過ごしていた普通の生活に復帰することはおそらく今後も無いだろう。
おそらく自分にとってそれは最悪の選択で、そんな生活に戻るくらいであれば死を覚悟するべきであると曖昧に考えている。
ヘミングウェイから学んだ最も重要な事は自分を終わらせる手段かも知れない。
銃を咥えて引き金を引いたら全てから解放される。
そんな憧憬は生命の危機にさらされていない環境で語られる想像力の欠如した白痴の妄想なのかもしれない。
真剣に現実を直視出来ない未熟な中年の甘えなのだろう。
しかし、末路を意識せずに不確実性と心中を繰り返す日々に耐えられる人間はいない。
自殺とは独善性を守るために必要な宗教的な儀式のように思う。
中指を立てて死地へ逃避すれば終わり。簡単な話だ。
この世の中で唯一平等が保証されている死とは最後の救いなのかもしれない。
そんな風に考えていた。
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