❖ 個人的な投資ルール

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▶ そもそも何のためのルールなのか?


週末負け続けた日曜日の最終レース。

積み上げられた多額の負債を一気に挽回する事を夢見て無謀な過剰投資(ギャンブル)に溺れる。

 

年末の有馬記念。その年の総決算に敗退し、毎年恒例行事のように東京大賞典で勝負する。

そこでも負ければ年始より初詣を言い訳に川崎に出かける。

 

これらは典型的なギャンブラーの心理と行動である。

 

ギャンブルにより分泌されたアドレナリンは攻撃的なストレスをもたらす。

ギャンブルの負けは死への恐怖をもたらす。

 

レースが終わった後の空白を受け入れるという事は負けを認めるということ。

負けることとはやわらかな死を受け入れるという事でもある。

それまでの負けを一気に消し去ろうとする攻撃的なチャレンジはストレス回避行動である。

 

生命を維持する為に必要な機能でもあるアドレナリンと戦い理性を維持する事はとても難しい。

上限を設定する事の効果はこれら生体反応のもたらすアンチパターンを理解し回避する為に必要なベーシックストラテジーとなる。

 

負けた日には散歩にでも出てストレスから見を守ったほうが賢明だ。

散歩の持つ効能を理解することは身を守る為に有効な対策となる。

 

並行しストレスを感じない為に必要な前提を準備することも重要である。

設定された金額の範囲迄負けても良い。

その前提さえ設定しておけばそれらストレスからも身を守れる。

 

現状考えるベーシックストラテジーとは社会人としての地位を維持し廃人にならないために最も重要な戦略になる。

 

多くの人にとっては不必要な異常者の心理。異常者のみに必要なルールなのかも知れない。

しかし、制約の少ない人生を過ごす極端な人間が生き抜くためにはとても重要なルールになる事を理解したい。

これらルールは本物の死を避けるための基本戦略となる。

 

▶ 投資上限設定の重要性


ブラックジャックにはベーシックストラテジー(基本戦略)という合理的な基本戦略が存在している。

 

ブラックジャックは用いられるカードのデック数で大きくゲーム性が変化するが、基本的にはゲーム進行過程で複数の参加者に晒されるカードの出目を覚え、ゲーム中に変化し続ける確率を計算し続け期待値を最適化し判断を行うゲームである。

基本戦略を軸に場の流れ読み自分自身の選択と判断により期待値を最適化してゆく数学的なアプローチがゲームの本質となる。

 

確率により勝敗が左右されるブラックジャックというゲームは確率に支配されている。

プレイ数を重ねれば重ねるほど勝敗は確率に集約される為、基本戦略の理解無しには勝つことが難しくなる。

その勝敗は確率とハウスエッジに集約される為、本来は非常に負けにくく勝ちにくい傾向を持っており、確率を理解し確率に沿ってプレイする必要が最低限必要な戦略となる。

 

他にも重要な要件としてベッティングストラテジーが存在する。

マーチンゲール法、パーレー法、ピラミッド等、一定の合理性を持つ数多くのベッティングストラテジーが存在しており、これらは競馬でも有効な投資術となる。

 

ギャンブルの目的が勝つことである限り、勝つ為に必要な基本戦略はどのギャンブルにおいても常に探求されている。

当然、競馬固有の戦略も数多く検討されており様々な仮説が提供されている。

しかし、変数がある程度限定されたブラックジャック等の数学的アプローチが有効なゲームと異なり、競馬は比較にならないほど膨大な変数を持ったギャンブルである。

提示される戦略の数々は多くの変数の海に溺れる単なる傾向や仮説であり、ベーシックストラテジーのような確固たる指標は存在しないと個人的には考えている。

 

正解がありそうなカードゲームも当然に数多くの変数が存在しており、ベーシックストラテジーやその他数々の合理的な戦術は指標では有るが錬金術では無い。

しかし、抜群の記憶力と数学的な知識に裏付けられた高度なカードカウンティング技術が必勝法として成立していた瞬間はあった。

FX等の投資の世界でもビックデータを駆使した分析アプローチによる必勝法が成立したと言える状態も存在した。

 

しかし、一定の期間有効な戦術が確率しても数多くの不確実性やリスクに晒され錬金術の確立には至っていない。

ノーベル経済学賞を受賞した科学者が確立した理論を持ってしても不確実性の海に溺れLTCMは破綻した。

 

必勝法に永続性を求めても仕方ないかもしれないが、必勝法という錬金術に普遍性は存在せずゲームはゲームである為にその存在を否定し続け、必勝法が確立した段階でゲームはゲームで無くなると定義しても良いように思う。

数多くの先人が叡智を掛け見つけることの出来ない錬金術の探求がゲームの本質でありキャンブルの持つ深遠な魅力だと言える。

 

そのようなゲームの持つ深遠な魅力への期待と諦めを同時に感じつつ、単純な我々は自分自身の予想が的中した際にもたらされる瞬間的な全能感や高揚感等、勝利がもたらすカタルシスを単純に求めゲームをプレイし続けているのだと理解している。

 

我々が必勝法が存在しない分の悪いギャンブルに関わり、快楽と恐怖を体験しそれでもギャンブルに関わるのであれば自分自身の身を守るために最適なルールを設定する事が求められる。

 

我々は正解を持っていない。

又、スタンスを変えないかぎり今後も正解は見つからない。

繰り返しになるが、正解とはゲームから降りる事である。

我々はギャンブルに参加し続けた際、正解は見つからない。

 

悟りの境地には程遠い。

煩悩に振り回されている求道的な凡人の稚拙な考察として、ギャンブルに期待し続ける頭の悪い人間の思考整理として、それら悲観的な前提を踏まえ競馬の楽しみ方について考えて見たいと思う。

 

繰り返しになるが、競馬はカジノなどと比較しても多くの変数が存在しており基本戦略と呼べる強固なものは私が知る範囲では存在しないと考える。

 

競馬メディアは常に週末に開催されるレースを軸に常に最新のニュースのみを提供することを事業活動としている。

プロの予想家たちは今週も不正解を提供する事を生業としている。

我々が目にするプロと呼ばれる人々は明確な答えも確固たる合理性を持った基本戦略さえも提示してくれることは無い。

 

特定厩舎の馬を買い続ければ回収率100%を超える。

特定騎手の特定競馬場のダートマイルレースの複勝を買い続ければetc....

単純な計算を行い今後も通用する可能性のある過去の絶対的傾向を特定する事は可能である。

それらの有効性を否定するつもりは無いが、それはあくまでも合理的な仮説の範囲を出ず常に絶対は存在しない。

 

それら多くの変数が保有する様々な数値傾向を整理し機械的に購入してゆくビックデータ的なアプローチにも興味はある。

そういったアプローチに関してはいずれかのタイミングで取り組んで見たいが、現状は数多提供されるそれら情報も含め自分自身の感覚で馬券を購入する範囲で関わりたいと考えている。

 

故に乏しい根拠を元に我々はギャンブルに参加する必要がある為、投資額の制御が唯一の対応策となる。

制限を設定せずにギャンブルに対峙した際、ギャンブルはその人を飲み込んでゆく。

 

競馬は全財産を一瞬に投じることも可能なギャンブルである。

そうしないのは自分自身の理性のみで抑止されている。

 

常にギャンブルはポジティブである。

可能性を求め流動性に身を投じ人は破滅してゆく。

 

アドレナリンはfight-or-flightホルモンと呼ばれ、闘争・逃走反応をもたらすらしい。

アドレナリンが分泌されることにより体に対し特別な影響を与え人間を異なるモードに導く。

動物的な感覚に支配され過ぎない為にもルールを設定しそれを守ることが流動性に対峙する際には最も肝要なテーマとなる。

 

我々は確実に自分自身の高揚感に支配される。

それらアクシデントから逃れる為には常にそこから脱出可能な非常口を事前に準備する必要がある。

 

事前に実施可能なルールを設定しアクシデントを制御することが最も重要な事である。

まあ、単純に答えを出せば”ロスカット(損切り)”ということだろう。

これらを背景を改めて理解し以下を取り急ぎ最新の個人的な投資ルールとして施行したい。

 

▶ ルール


❖ 投資上限額の設定

❖ 予想の無い投資を行わない

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