Episode Ⅳ(勝負レース)

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阪神10R 1600万下 芝1600m。11頭立ての牝馬限定戦だ。

快晴の阪神競馬場の芝コースはパンパンの良馬場。

 

今日の馬場傾向だと先行有利ではあるがペース次第では有るがキレ味の鋭い差し馬も着を確保していた。

 

狙いの馬は四位洋文騎乗の4歳牝馬だった。

古馬とは未だ世代間での勝負付けは済んではいないがこれまでのレースを相対評価として4歳馬が実力的には高いと個人的には考えていた。

 

同馬は、1勝した後に条件戦で5着と惜敗。その後、3歳牝馬クラシック路線へと挑戦していった。

2戦目に迎えた桜花賞トライアルでは好レースを展開し2着を確保し桜花賞への出走権を確保するとともに穴馬として囁かな注目を集めた。

そして3歳牝馬を代表する18頭の中の1頭として桜花賞へ出走。

勝ち馬から0.8秒差の6着と敗れるも出遅れを挽回しての結果故にその実力を立証したように思う。

 

その後、調整が順調に行かず陣営はオークスへの出走を断念した。

賞金足りなかった事も原因。復調後は1勝馬ということもあり賞金を加算しておく必要が有った。

短距離適正が高いと見た陣営は500万下のスプリント戦への出走を決めて完勝。

その後、距離適性に疑問を持ちつつも馬主のクラシックの未練か秋華賞のトライアルレースに出走するも12着に惨敗。

彼女のクラシック戦線は終了した。

その後、古馬路線への進み1400mのレースに快勝し今後のレース選択を占う意味も含めて今回のマイル戦に出走してきていた。

 

桜花賞以来のマイル戦。

秋華賞トライアルは1800mという距離が敗因のように語られていたが当日は少し重めの馬場でのレース。

距離適性と言うよりはオレは馬場適性が合わなかったように敗戦を推察していた。

ボコボコとした馬場に気を取られてスムーズに競馬ができていなかった。

出遅れによる焦りからか中途半端な位置取りから少し早めに脚を使い上がっていったことも敗因となったように思う。

戦績から先行脚質のように見えるが出遅れて多少後ろからゆったり乗ると33秒台の脚も使えていた。

思い切って下げて直線勝負をすればもう少し結果も違ったかもしれない。

様々な仮説が頭をめぐる。

阪神マイルでのディープインパクト産駒の勝率は高く、短距離馬のように扱われていたがこの馬の距離適性の本質は1600m〜1800mであるように思っていた。

鞍上の四位洋文は正直裏切られることも多いが狡猾な騎乗を得意とする当然に優秀なベテラン騎手でもある。

力のない馬でもそつなく騎乗し着だけ拾うレースも得意だ。

不安定な成績を嫌われ現在6番人気。

今日の馬場状態、レース傾向を見れば当然にディープ産駒を信じるべきなのだ。

頭では買いにくいがこの馬のまだ見ぬ末脚で勝負を掛けてみたいと考えていた。

 

対抗は同じく4歳上がり馬。鞍上は幸英明だ。

こちらもディープインパクト産駒。強い勝ち方で連勝した後に本レースへ参加していた。

同馬は元々体が弱く厩舎もきちんと仕上げてからレースを使うとのポリシーもあり大幅にデビューが遅れて3歳4月の未勝利戦が初戦となった。

しかし、初戦では5着と大敗。その後2戦を要して初勝利を勝ち取ると昇級戦を2着した以降、500万、1000万と強い勝ち方で連勝。

クラシック戦線には乗り遅れたものの最近は馬が本格化してきており1番人気もうなずける実力をみせていた。

印象的には既にオープンクラスの実力を持っており前走も3歳クラシック戦線を戦った有力馬を下していた。

実力評価で言えば確実に本命ではあるが穴を軸にして予想し購入する事が癖になってしまっていた。

いずれにせよこの2頭がオレの中では堅軸と予想をしていた。

出走する他馬の多くはなかなか勝ちきれぬ古馬勢が中心、実力は拮抗しており紛れも多く何が来るかわからなかった。

 

面白そうな穴馬も多く色気を出すなら二頭軸の三連単か・・・

この形であれば三連単マルチという選択も視野に入るが予想として不純な気がして普段からあまり選択しない買い方だ。

オッズ比較も煩雑。それならば三連複を選択していた。

 

順当に行けば3番人気の5歳馬が順当。

オッズ的には三連単で1万円前後。

馬連で購入した場合の配当は現時点で10倍ちょっと。馬単なら20倍程度か。

 

「やはりシンプルに馬連で行くか。」

 

アプローチを決めて居酒屋のモニタで始まった阪神10Rのパドック中継に集中した。

 

6番人気の四位の馬は430キロ前後の小さな馬で前走1か月前より8キロ馬体増。

ディープ産駒は大型馬のほうが買いやすいが小型の牝馬でも実績さえあれば十分買える。

馬体を見る限りこの馬体増はポジティブだ。

中間の調教もきちんと乗り込まれており併せ馬でも実力馬に先着。調教時計も過去最高と言って良い内容。

人気がここまで無いのもこれまでの不安定な実績と前走の勝ち方からか。

確かにあまり目立った勝ち方では無かったのは確かではあるが不利を挽回してのもの。

十分強い内容だった。

この低評価は周囲の中途半端な実績馬達の影に隠れているだけのように感じていた。

 

一番人気の幸の馬は前走より4ヶ月間の休み明け。

馬体重は460キロ前後。マイナス2キロだ。

前走もマイナス2キロ、前々走はプラス8キロ。

この場体重減はあまり歓迎できないように感じていた。

しかしパドック、調教を見る限りでは活気は十分でギリギリ迄絞ってのもの。勝負気配を感じた。

 

筋肉は隆起し光沢を讃えた美しくしなやかな筋肉の陰影には不安な点は感じない。

気性の悪い馬らしく二人引きでパドックを周回している。

まるで牝馬に見えない。

リズムの良い活気ある歩様。頭を低くしこれから始まるレースに向き合い静かに闘志を溜め込んでいるようだった。

他に良さそうな馬を物色して行った食指が動くだけの魅力的な馬も見つからなかった。

両馬の良好な気配を感じやはりこの2頭で勝負をすることを決める。

 

N-3Bのポケットからスマートフォンを取り出しアプリを起動する。

各々の買い目を入力しオッズを試算してゆく。

狙っている馬を設定し気になる馬を三列目に並べると買い目は18通り。

馬連なら1点だ。

買い目の中には二桁番人気の馬も候補として選択しており配分すると高配当を得る可能性もあるが基本は固く収まると考えていた。

下手に点数を増やしてハズレ目を沢山買い込むくらいなら退路を断ち勝負を勝負として純化する為にも潔く馬連で行くことを判断した。
 

銀行の口座よりネット購入の口座に5万円をデポジットする。

改めてメニューから阪神10Rを選択し馬連を買い目として指定。

表示された選択肢から買い目を確定し購入金額のテキストボックスに2万円と入力しセットした。

 

やはり2頭を軸にするとしてもどちらかが3着する可能性は少なからずある。

アクシデントは必然ではあるがアクシデントばかりに気を回すと馬券など買えなくなる。

最悪を想定した上で考えるべき最低限の保険としてワイドのオッズを確認する。

5.2倍〜5.9倍

3万円購入して配当は約15万円か。改めて考えても十分すぎる配当のように感じた。

他の選択肢として改めて三連複のオッズを確認。

改めて悩んでみたが買い目は保険を含めても決断の通り2点のみにすることにした。

 

外れるはずがない。

熟考に熟考を重ねて時間を掛けて丁寧に検討し自信を持って決めた予想だ。

予想に時間を掛けても意味はない。そんな事はわかっている。

 

しかし時間すら掛けずに自分の未来を不確実性に投げるほどいい加減な気持ちで競馬に取り組んではいない。

真摯に予想に取り組み確実だと信じられる予想を抽出した。

その確実な買い目に対しこれだけ多額な配当がつくのだ。

こんなにイージーな勝負は無い。

 

何杯目かのホッピーは既に底をつき追加で注文していた「中」をほぼストレートの状態で飲み干す。

 

「勝負だ」

 

暗証番号を入力し確定ボタンを押し5万円の投資が完了した。

 

これでオレの残りの全ては10万円のみだ。

この勝負に負ける訳にはいかない。いや負けるはずがない。

 

最後のタバコに火を付けて深く吸い込みモニターに目を向けると返し馬を映し出していた。

今日は2場開催。いつもより丁寧に長い時間を掛けて返し馬を中継していた。

 

両馬ともにリズムよくウォーミングアップをしている。

騎手は馬の首筋を撫でながらリラックスするように祈るように丁寧にケアをしていた。

馬は澄んだ目をしておりとても落ち着いているように見えた。

 

怖いのはデムーロと浜中か。

福永の馬も人気はあったが大きく体重を落としておりパドックで調整の失敗を確認していた。

テレビの映像が切り替わり一つ前のレースの開始を告げる中山のファンファーレが鳴り響くと何故か緊張で体が震えはじめる。

 

モニタから目を外し落ち着こうとして残りのタバコを吸った。

最後の灯火だ。それでも小さな震えが止まらなかった。

 

勝負前の体を清め震えを止める為にコップ酒を注文した。

速やかに提供された辛口でさっぱりしたのみ口の安酒をお神酒として口に含み目をとじる。

更なる緊張が襲ってきた。このレースを外したら追い込まれる。追い込まれたら最後、もう後はないのだ。

不安が体の奥から湧き上がり日本酒を飲み込もうとしてもなかなかうまく飲み込めなかった。

 

中山9Rは2200mの芝長距離、勝負どころとなる4コーナーを人気馬を置き去りにして人気薄の先行馬スムーズに回り直線に入ると脚を伸ばしていた。

しかし、程なくすると後続の実力馬たちが先行馬を一気に捕らえ飲み込み多くの人達の期待通りに人気サイドでレースは確定した。

 

次のレースも何れにせよ収まるべき結果に収まるのだ。

購入した勝負の買い目がゴール前の接戦を制し確定し約束された配当をもたらす。

オレはそれを悠々とみていれば良いだけだ。

投資はもう既に完了しており出来ることはもう無い。

唯一あるとすれば祈ることだけだ。残った酒を飲み干し自分にそう言い聞かせた。

 

中山9Rが確定しキャスターが配当をアナウンスを始める。

気持ちが高ぶってゆく。

次レースのパドック情報が終われば勝負のときだ。

 

いよいよだ。

落ち着かない気持ちを押さえてモニターに目を向ける。

 

画面が阪神に切り替わり台上に上るスターターを映し出す。

ゴンドラが昇ってゆき定位置に到達するとスターターは準備完了を告げる黄色い旗を振る。

勝負のファンファーレが鳴り響いた。

 

アナウンサーが各馬を紹介しながら勝負に臨む馬たちは次々とゲートに吸い込まれていった。

程無くして全馬のゲートイン完了、スタートの赤いランプに火が灯る。

一瞬の空白の後にゲートが勢い良く開き各馬が一斉に飛び出していった。

 

人気薄の逃げ馬がスタートを決め騎手に出ムチを入れられ強めに先行して行く。

幸も好スタートを決め先行外めの好位置にポジションを確保するべく追走していった。

 

「最高の位置取り」心のなかでつぶやく。

隊列が固まる頃には実力馬にふさわしい自在に動ける最良の位置を確保していた。

 

四位の馬はスタートがあまり良くなかった。

いつもより後方に位置取り後ろからの競馬を余儀なくされた。

想定内ではありつつも一瞬強い不安を感じる。

しかし、じっくり溜めれば必ず弾けるこの馬の差し脚に全てを掛けたのだ。

差し脚を活かすにはこういった極端な競馬を選択したほうが良いはずだ。

 

逃げ馬が単騎先頭で淀み無くレースを牽引してゆく。

過度にペースは早いわけではないが多少縦長に隊列は分散してゆく。

 

仕掛けが遅れると届かない展開が頭をよぎる。

これまでの数多くの敗戦のトラウマにより想起されるアンチパターンがイメージされ再度強い不安がよぎる。

 

幸は逃げ馬を前に置き可愛がりながら好位置で終始スムーズな競馬を進めている。

不安は無さそうだ、この位置と実力があれば前の馬を確実に捉えて突き放せる。

 

その頃、四位の馬はほぼ最後方迄その位置を下げており静かに最後の直線での勝負を覚悟していた。

 

「もっと早く。」

もっと早いペースが欲しかった。

阪神マイル、直線はそれなりに長くペースさえ多少早くなれば差しは確実に届く。

絶望を感じる状況ではない、イメージ通りだ。まだ確実に希望は残っている。

 

3コーナーに突入する各馬の動きに釘付けになり集中力が研ぎ澄まされてゆく。

デムーロと幸は馬体をあわせて上がってゆく。

澱みの無い競り合いの中でデムーロの欲しい位置を幸がガッチリ取りきりデムーロは一か八かを覚悟しインから直線へ切り込んでゆく。

 

「勝った」

今日の芝は極端に内が伸びず外差しばかり決まっていた。

幸の馬は4コーナーの手前から外目ギリギリ位置をタイトにそしてスムーズに回ってゆく。

後は後続を突き放すだけ、勝利の準備は完了していた。

そして、四位の馬も少しづつ位置を上げ4コーナー手前には後方からその差を埋め大外を勢いをつけて上がっくる。

 

直線勝負。祈りながらレースを見続ける。

流石名手デムーロ。伸びないはずのインを最もスムーズにそして最短距離で鋭く切り込み先頭で直線を上がって行く。

幸の馬は半馬身後方に位置取り、ワンテンポ追い出しを我慢した後、ムチを合図に直ぐに馬体をあわせると並ぶ間もなくデムーロを速やかに後方に置き去りにし先頭に立つと更にその差を広げて行く。

そして、四位の馬は直線に入ると他馬とは全く異なる脚色で直線大外を上がってゆき前を捉えようとしていた。

 

ラスト1ハロン。

四位の馬が内で粘るデムーロを捉える。

並ぶと同時に二段目のロケットに点火。一瞬の瞬発力を魅せて更に半馬身突き放していった。

 

後続からは誰も来ない。勝負が決したことを確信し声を上げる。

 

「そのまま。」

幸の馬が1.5馬身程度後続を突き放しゴール板を駆け抜ける

四位の馬がその後に続き入線し勝利は確定した。

 

安堵の深いため息とともにこの窮状の中で勝たなければならないレースをに勝利した事を呆然と確信する。

最悪に震えた1日が終わり浄化された瞬間を迎えた、それも考えられる中で最も完璧な形で。

 

体中が歓喜に溢れ喜びに震える。

 

やった・・・

やったんだ、やったんだ、やったんだ。

 

何度も頭のなかで繰り返す。

オレはやった、オレはやった、オレはやった、オレはやった。

オレはやったんだ、オレはやった、オレは勝った。

 

「ざまあみやがれ。クソッタレ。」

 

最悪をねじ伏せた。オレは勝ったんだ。

頭の中を恐ろしい程の快楽が駆け巡り体中が歓喜と全能感で満たされていった。

 

程無くして気がつくと涙が滲んでいる。

改めて目を強く閉じてポジティブな勝利の深い余韻に浸った。

 

ふと我に返り目を開けて周囲を見回す。

小さくではあるが声を上げ歓喜していたオレに対し当たり前に誰も興味など持っていない。

多少大きな声を出した所でここではそれが日常で好奇の目すらも向けられない。

各々が各々の結果に向き合いそして次の現実に向かっていた。

自分自身にすら無頓着な人達が他者に対して興味を抱く余裕等ないのだ。

 

確定のランプに火が灯りオレの勝利は確定した。

確定払い戻し、馬連:1,400円、ワイド530円。オレが手にした配当は約44万円。

アプリを起動し確定し払い戻された金額を確認し改めて勝利を噛みしめる。

 

次に狙っているのは中山12レース。

勢いに任せ勝負しようかそれともこの店で一先ずの祝杯をあげてから考えようか悩んでいた。

しかし、それ以上に体がタバコを欲している事に気づきとりあえずは別の店に移動する事を決めて冷え切った焼き鳥を頬張り席を立った。

 

勝負に最も重要なツキを二度も提供してくれたこの店と同じ泥舟に乗船する名前も知らない沢山の同志達に感謝しつつ勘定を済ませ外に出た。

 

温かい春の空気。少しづつ日が長くなりこの時間でも夕暮れの気配はまだ感じられない。

先程とは全く違った景色。

穏やかな昼下がりに光り輝く古びた飲み屋街をタバコ屋を探し凱旋してゆく。

 

しばらく歩くと角を曲がったところに昔からそこに存在していた雰囲気を持つ古いタバコ屋を見つけた。

ガラス越しに見える店先には人影はない。

姿の見えない奥にほうに何度か声を掛けると耳の遠い店主が引き戸を開けて姿を見せる。

 

「セブンスターを2つ」

ポケットに有った500円玉を2枚を手渡しお釣りとタバコを受け取る。

直ぐにパッケージを開封し新しいタバコに火を付けた。

 

春を告げる強風が遊ぶ街をタバコを吸いながら歩いた。

アルコールとアドレナリンで程よく高揚した体にニコチンが心地よく浸透してゆく。

 

競馬というギャンブルはいつでも次の1レースに自分の全てをつぎ込む事が可能だ。

そうしない理由は自分がそうしないだけでそれ以外の意味は無いのだ。

 

そして今はこれ以上焦る理由はない。

深い満足感に包まれながら今日の勝負を手仕舞いすることを決めた。

 

贅沢をするつもりも無いが勝利したご褒美に囁かな祝杯を上げるべく町外れにあるアイリッシュパブを思い出し歩いた。

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