サンデーサイレンス

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サンデーサイレンスは日本の血統の歴史を塗り替えた傑出した名種牡馬である。

現在、サンデーサイレンスの血が入っていないサラブレッドを探すことが難しい状況になり、近親交配のリスクが高まりやがては日本の競走馬生産が行き詰まりを見せるようになるのではないかという懸念さえいだかせるほどに爆発的な浸透が進んだ。

サンデーサイレンス Halo Hail to Reason Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Cosmah Cosmic Bomb Pharamond
Banish Fear
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Wishing Well Understanding Promised Land Palestinian
Mahmoudess
Pretty Ways Stymie
Pretty Jo
Mountain Flower Montparnasse Gulf Stream
Mignon
Edelweiss Hillary
Dowager

サンデーサイレンスは1986年米国で生まれた。

仔馬の頃は、気性も悪く、貧相な体格の上、後脚の飛節が両後脚がくっつきそうなくらいに内側に湾曲しており、競走馬としての将来性を悲観されていた。

「あんなひどい当歳(0歳)馬は見たことがない」「目にするのも不愉快」等とも言われ、数々のセールに出すも満足行く価格を提示する馬主がおらず、結局生産者であるストーンファームの経営者アーサーハンコック三世が友人と共同で所有することになった。

しかし、1988年10月に競走馬としてデビューすると、翌1989年にアメリカ三冠のうち二冠(ケンタッキーダービー、プリークネスステークス)、さらにブリーダーズカップ・クラシックを勝つなどG1を5勝する活躍を見せ、エクリプス賞年度代表馬に選ばれる等、通算成績14戦9勝と輝かしい功績を残し競走馬を引退する。

 

引退後、ハンコックは総額1000万ドル(1株25万ドル×40株)のシンジケートを組み、サンデーサイレンスにアメリカで種牡馬生活を送らせる予定だった。

しかし、当時評判の悪化していたヘイロー系で有ることやファミリーラインへの不信により3名しか募集が集まらない状況となった。

そんなおり、サンデーサイレンスに惚れ込む社台グループの創業者、吉田善哉が日本での活躍を期待しアーサーハンコック三世に対し1100万ドル(当時の為替レートで約16億5000万円)にて売却を打診した。

牧場経営の不信などを背景としてハンコックはサンデーサイレンスを手放す事にした。

 

吉田善哉生前の言葉としてサンデーサイレンスを評して以下のような言葉を残している。

 

ノーザンテーストと同じくらい走ると信じてるサンデーサイレンスの子を走らせればね、

そのうち、何十年したって、日本のあちこちでサンデーの血が走るわけだね。

わたしは生まれ変われないが、わたしのね、馬屋の意地は生まれ変われるんだ

 

結局、吉田善哉は1993年8月にこの世を去りサンデーサイレンスの子孫の繁栄に触れることが出来なかった。

しかし、吉田善哉の夢みたその言葉通りサンデーサイレンス産駒はデビュー翌年(1995年)より13年連続で日本のリーディングサイアーを獲得し、血統を語る上で外せない傑出した種牡馬となった。

まさに、日本のあちこちでサンデーの血が走っている状況となり、その優秀な血はディープインパクトに受け継がれている。

 

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