棋士/女流棋士(将棋)

ページ名:棋士_女流棋士_将棋_

登録日:2023/07/02 Sun 22:12:00
更新日:2024/07/09 Tue 13:53:09NEW!
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将棋における棋士とは、基本的に「日本将棋連盟」に所属するプロを指す。
女流棋士とは、将棋の女性への普及を目的に設立された女性専用の制度。


他のいくつかの競技でも棋士という言葉が用いられることがあるが、その中では特に囲碁がほぼ同じ意味合いで棋士の語を用いている。


●目次


【概要】

棋士は「日本将棋連盟」に所属しているが、女流棋士は連盟以外に「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」に所属もしくはフリーで活動する者もいる。
女流棋士のみ団体は分かれているが大会に関しては同じ物に参加する。
連盟所属のプロは居住地によって区分が関東・関西に分かれており、棋戦によっては予選は地区内の棋士のみで対局する場合がある。
棋士を「将棋を指す人」と捉えてプロ棋士と呼ばれることがしばしばあるが、プロを表す言葉が棋士なので本来は棋士だけで呼ぶのが正しい。
一応、辞書的に言えば「将棋を職業としている人」が棋士であるため、その意味では女流棋士や(違法なので実体は不明だが)賭け将棋のプロも「棋士」と言えるが、単に「棋士」と言えばこのプロ棋士のことを指すことが大半。


棋士制度は連盟設立当初からあるが、女流棋士並び女流プロリーグは将棋の女性への普及を目的に1974年に設立された物。
その名称から勘違いされやすいが、将棋における棋士と女流棋士は全く別の制度である。
棋士には性別制限が存在するわけではなく、男女問わず全く同じ手順で棋士になれるのだが、2023年現在まで該当者は出ていない。
その代わり、一部のタイトル戦には女流棋士(とアマチュアの強豪)にも参加枠が与えられている。


将棋のプロである以上、将棋第一なのは事実だが、他の対戦ゲームを嗜む人も昔から多い。
囲碁麻雀チェス、象棋、バックギャモン(盤双六)、パズル、最近だとTCGモノポリーやビデオゲーム等。
将棋で鍛え上げられた思考力・集中力からそれらのプロに匹敵するほど強い人も珍しくなく、本業の合間に大会に出てちゃっかり優勝している人や、棋士をしながらプロ雀士にもなる人までいる。


将棋を題材にした創作作品も、賭け将棋の世界を描く『ハチワンダイバー』や、青春ラブコメが本分である『それでも歩は寄せてくる』のような例外的な理由がない限り、棋士の世界や棋士を目指す人々を中心とするものが圧倒的に多い。



【プロになる方法】

◆棋士の場合

棋士の場合、プロになる方法は二通り存在する。


一つは「新進棋士奨励会(以下、奨励会)」に入会し、級・段を上げていく方法で最も一般的なやり方。
三段に至ると「三段リーグ」に組み込まれ、半年ごとに上位2名のみがプロの最下位である四段となり順位戦C級2組に参加できる。
また次点(3位)を二度獲得した場合、本人が希望すればフリークラス扱いで四段に昇段できる。ただしフリークラスは不利な条件が多いため、権利を放棄して上位2名入りを目指すメリットも大きく、過去に1例だけだがフリークラス入りを拒否した事例がある*1。詳しくは名人/順位戦(将棋)を参照。
奨励会に入会するだけでもアマチュアの都道府県代表クラスの実力と既存プロの推薦が必要な上、
初段昇格までは満21歳&プロへの最終関門となる三段リーグには満26歳以下という非常に厳しい年齢制限がある。三段リーグで勝ち越している限り三段リーグに在籍することはできるが、それも満29歳までである。
ここを乗り越えられなかった時点でプロへの道は事実上閉ざされると言ってよい。
言い換えれば、上手くいかなかった人が若い内に次の目標を向かえるようにする為の優しさでもある。
単純に年間4人+αしかプロが輩出されず、奨励会のルートを完走できる者は入会者のたった15%という極めて厳しい世界である*2
只、三段となれば「お金が貰えないだけでほぼプロ級」と見なされるため、一部の棋戦だとプロと一緒に戦うことも認められる。2021年02月からは奨励会三段が棋戦で優秀な成績*3を収めた場合、三段リーグの次点が付与されることとなった*4


もう一つは棋士編入試験と言う制度。
「公式棋戦で最も良いところから見てプロ相手に10勝以上+65%以上の成績を収めた」もしくは「プロ棋戦で優秀な成績を収めた」アマチュアか女流棋士でプロ入りを希望する者が
改めて試験として五人のプロ(棋士番号が若い新人棋士から選ばれる)と戦い、その内3勝するとプロ入りが認められる。
試験資格を得るのも難しい上に既存のプロに勝てる実力を備える必要があるのでこちらもかなり狭き門。


◆女流棋士の場合

女流棋士の場合は以下の三通りの方法がある。

  • 研修会(奨励会の下部組織)でB2クラス以上で且つ対局数が48局以上を達成する
  • 奨励会を経験する
  • アマチュアの場合は公式棋戦で一定の成績を収める(棋士のそれとは違い編入試験は不要)

基本的にはプロ入りと共に女流2級となるが奨励会経験者はその時の段級位で最初の段級位が決まる。

  • 奨励会2級以下 - 女流2級
  • それ以上 - 同じ段級位となる(例えば奨励会三段で退会したら女流三段となる)

◆師弟制度

奨励会入会するには既存のプロの推薦が必要であると先述したが、多くの場合この時に推薦をくれたプロを師匠とし弟子入りする。
師匠と言っても実際は後見人兼相談役と言う意味合いが強く形式的な関係で済ませたり、既に実力が高い場合はほとんど将棋の技術を教えない場合もある。形式的なあまり、師匠を逆破門してしまったプロ棋士もいる。
逆に手取り足取り教え、自分の持つ技術・経験を教え込む者も当然いる。
師弟関係はプロ入りして終わり…と言うことは無く終生に渡って維持される。
女流棋士とアマチュアからの編入希望者も勿論プロの推薦が必要なので弟子入りは必須。
弟子入りする経緯としては通っていた将棋道場主経由が多いが、親の知り合い、本人に直談判、親がプロなのでそのまま弟子入りと言った事例もある。



【引退】

将棋は年老いても続けられるマインドスポーツだが、プロになり、プロで在り続けられるかは別問題である。


棋士になるまでも過酷だが、なった後もシビアであり、1年を通してのリーグ戦である順位戦において一番下となるC級2組の下位1/5になると蓄積される降級点が3つになるとフリークラスに降級される。
フリークラスがC級2組に昇級するには「30局で勝率6割5分以上」などの条件を別個で満たさねばならず、そして10年連続でフリークラスを脱せなかった場合は強制引退となる。また、60歳以上の場合はフリークラスに落ちた時点で即引退*5となる。
それでも最低13年はプロとして活躍できるようにはなっているので他のアスリートと比べて競技人生は長めではある。


順位戦B級1組以下ならフリークラス宣言をして自らフリークラスに行くこともできる。
この場合、二度と順位戦に復帰は出来ず、その分の対局料も貰えないが、順位戦で降級と降級点を取り続けた仮定したときの年数まで現役を続けることができ、さらに追加で15年経つか65歳になるまで現役を続けられる。


女流棋士の引退規定は棋士とは異なり独自の降級点制度で決まる。年度成績で順位が決まり成績下位者に降級点が1点与えられる。
降級点が3つになると強制引退となる。65歳以上の場合は降級点が1つ付いた時点で即引退となる。


当たり前だが、任意で引退することもできる。


ただし「引退」しても公式戦に出場する権利が無くなるだけで棋士としての身分は維持され対局以外での公務も必要であれば引き続き行う。
よって引退していても段位もしくは永世称号を付けるのがマナーである。
一方、連盟/LPSAを退会するなどして将棋界と縁を切った者については段位等を名乗ることができない。これについては永世称号すら例外ではない。


【収入】


引退制度がある代わりに現役中の収入はある程度保障されている。
新四段も含め公的な仕事だけで衣食住には困らない収入は得られるようになっている模様。


前提として個人事業主扱いである棋士は将棋連盟の会員であって職員ではない。そのため基本給・賞与・退職金は存在せず厚生年金にも加入していない*6


棋士の第一の業務は対局を行うことである。対局に参加すれば勝っても負けても対局料が与えられる。
順位戦の対局料のみ「参加報奨金」と言う名義で基本給扱いになっており、毎月支払われている(名人は「名人手当」として与えられる)。


トーナメント棋戦で好成績を収めたり、タイトル戦に登場・獲得した場合は対局料とは別に賞金が与えられる。金額的には竜王戦が高く、1組優勝やタイトル戦登場だけでも1千万円台に届く可能性がある。


当たり前だが強ければ強いほど貰える金額は上がっていく。タイトル保持者(一冠)で2千万円以上、A級在籍者・女流首位で平均1千円台が相場。
複数冠とかになってくると5千万から1億円、最も理想的な成績(全冠独占+全一般棋戦優勝)を収めた場合は大体2億円程度の金額になる。


連盟を経由をした正式な解説会やイベントの出演時には、その都度出演料が支払われる。これは引退棋士も同様。


【対局以外の仕事】

棋士及び女流棋士の兼業は禁止されていないので、将棋以外の仕事を行う者も多数いる。
が、本筋とは逸れるので、将棋に関する仕事以外はここでは割愛。


  • 解説者・聞き手

現地、インターネット/テレビ中継など場所は様々。
解説者はある程度経験を積んだ棋士、聞き手は女流棋士が多い。
思考時間が長引いた場合は雑談で場を持たせる必要があるので大変。
囲碁将棋チャンネルやNHKでは対局以外の将棋の番組がある都合上、そちらでも解説者として出演する。


  • 指導者

弟子や奨励会員、学校・職域団体の将棋部、アマチュアに対する指導・教育。自前で将棋教室を運営している者もいる。
師匠が将棋道場を運営している場合はその手伝いを行うのも仕事。この事例だと奨励会員が多く、プロ入りすると卒業となる。
「将棋が強い=指導者としても優れている」と言う訳では必ずしも無いので、対局ではそこそこの実績でも教育方面で活躍し評価されている棋士もいる。


  • 立会人

対局の責任者・監督を務める。タイトル戦の場合は複数人おり、全体の責任者である正立会人とその補佐の副立会人がいる。
正立会人は高段で且つある程度年齢のあるベテラン(引退棋士も含む)が行うことが多く、副立会人は中堅が担当するのが慣習となっている。
なお、タイトル戦の立会人等は「対局者と師弟・兄弟弟子関係にある棋士は除外する」のが暗黙の了解となっている。


  • 記録係

棋譜を記録する係。手書きもしくはタブレットPCで入力する。早指しの場合は残り時間のお知らせ等も担当する。
丸一日座っていないといけない地味に過酷な仕事。途中で寝落ちしている人も多く、対局中の羽生善治と森内俊之はそれを見て思わず笑ってしまった逸話がある。
なので寝てしまう事を責める棋士もあまりいないらしい(いびきをかいていたら別だが)。
主に奨励会員が(自身の勉強も兼ねて)担当することが多い。中卒者以降は日当も貰えるので彼らにとっては貴重な収入源である。
昔は学生でも授業に欠席してやらせていたが、学校を欠席させてまでやらせることは良くないと言う認識の変化から、近年は人手不足気味で現役棋士・女流棋士が担当することも増えている。
地味に頭の痛い問題らしく2024年現在では一部棋戦で自動棋譜記録システムが導入されている。


  • 免状の記入

アマチュアや支援者向けに将棋連盟が発行する棋力証明や貢献を讃える免状。
連盟維持の為のクラウドファンディング的な役割も兼ねている大事な収入源の一つ。
本文は書道が上手い担当者が記入するが、文末は執筆時点の連盟会長と竜王、名人が署名する。
署名については対局や外部出演が無い日に自宅でコツコツと書いているようである。
追加で別の棋士が署名する限定版もある。
アマチュア向けとは別に棋士や女流棋士、指導棋士にも昇段記念に渡される物もある。


  • 運営(将棋連盟理事・棋士会・奨励会/研修会幹事など)

将棋連盟の運営にかかわる、ある意味では将棋界の命運を左右する需要な仕事。
現役の棋士がが行うことが多いため*7、対局に運営にと非常に多忙*8になるほか、第1回達人戦立川立飛杯では羽生善治会長が優勝者の羽生善治九段をセルフ表彰する珍事が起きた。


その他は解説書の出版、将棋まつり等の連盟が主催するイベントへの出演などが挙げられる。



【休日の過ごし方】

対局と上記の仕事が無い日は当然休日となる。
が、強くなるために日頃から研究をしなければならないので、休みの日であっても

  • 自宅で詰将棋・棋譜並べ・コンピュータ将棋
  • 同じ休日の棋士や奨励会員と一緒に研究会。
  • 対局を現地で観察し、他の棋士や奨励会員などと検討会(指し手の良し悪しを討論する)

することが多く、本当の意味の休日は自己判断で決めることになる。



【棋士】

(※は引退した者、※※は亡くなった者)


  • 天野宗歩※※

江戸時代に活躍した棋士。
当時の名人は家元制だったために天野は名人にはなれなかったが、実力は当代随一であり「実力十三段」「棋聖」と称された*9
角の使い手で現代将棋に通じる高速な指し回しから、「近代将棋の父」として今でも評価され続けている。
多くの弟子を取っており、その系譜は現在まで継続している。
只、酒乱で素行があまり良くなかったらしく、そのせいか享年は44歳と短命だった。


  • 小林東伯斎※※

師匠ははっきりしていないが家元の大橋分家から教えを受けた説が有力とされている。その後は天野の下で修行し関西で活躍。さらに関西名人を名乗るようになった。
関東でもその名は知られており関根金次郎も小林から指導対局を受けている。


  • 小菅剣之介※※

家元出身の最後の名人である八代目伊藤宗印の弟子だが師匠が亡くなったことを機に引退。
その後は地元・四日市の名士として四日市鉄道(現在の近鉄湯の山線)の建設や議員として活躍した後に隠遁生活を送っていたが、
将棋界分裂騒動では弟弟子の關根金次郎の依頼を受け表舞台に復帰し問題解決に貢献。その功績から「名誉名人」の称号が与えられた*10


  • 小野五平※※

家元以外では初めて名人になった棋士。新聞で将棋を掲載し新聞社から対局料を貰って活躍した初めての棋士。またチェスを初めて行った棋士とも言われている。
小野が長寿だった(享年89)ことで全盛期に名人を継げなかった関根金次郎は一世名人制を廃止することを決心したのではないかと推測されている。


  • 關根金次郞※※

十三世名人。日本将棋連盟の設立者の一人。
300年以上続いていた家元制度を廃止し、実力制名人制度へと移行させた。
關根門下の系譜は現在でも最大派閥である。


  • 坂田三𠮷(阪田三𠮷)※※

戦前の関西を代表する棋士。ヒット曲「王将」で知っている人も多いはず。地元の後援者の支持を受けて独自に「名人」を名乗っていた。*11
没後しばらくして戯曲『王将』が制作され、それを基にした映画版も人気を博した。只、脚色された部分も多く史実の坂田とは違う所が多い。
こうした坂田人気の高まりを受け、公式な称号として贈名人・贈王将が連盟から与えられた。
その系譜は一番弟子の藤内金吾を通して関西の有力一門として現在に続いている。
苗字は「坂田」と「阪田」の二表記存在する。これは誕生時点の戸籍では坂田表記だったが途中で阪田表記に変更したため*12。生前は坂田表記を好んで使っていた。


  • 井上義雄※※

小林東伯斎門下。名人候補にも上がったこともある実力者だったが小野が亡くなる前に没したため、それが叶うことが無かった。
連珠(五目並べ)のプロでもあり、そちらでも八段まで昇っている。


  • 土居市太郎※※

關根金次郞門下。大正時代の関東将棋界の頂点。一代名人制の影響で名人にはなれなかったが実績を考慮して後に「名誉名人」の称号が与えられた。
矢倉を得意とした居飛車党でその指し筋は土居矢倉として定跡となった。
名人戦自体には登場経験があり史上初の挑戦者として木村義雄名人と戦っている。また弟子も多く取っており6人は九段・A級経験者に成長している。


  • 金易二郎※※

井上義雄→關根金次郞門下で棋士番号1番の棋士。坂田とも親しく将棋界で孤立していた彼の復帰も手助けしている。
弟弟子の木村義雄とも親しく木村からも目標とする棋士に土居と共にその名が挙げられていた。
孫弟子の中原は金から相掛かりを学び、新定跡の中原囲いを考案した。


  • 木見金治郎※※

下記の大山、升田、大野の師匠。複数人の実力制名人の弟子を持つのは彼と佐瀬勇次のみである。商人から棋士に転向した経歴を持つ関西の棋士。
中将棋の使い手であり大山ともよく指していた。
この結果、その頃の大山は成績が低迷したが、その時の中将棋の感覚が駒と駒のつながりを重視する棋風を身につける事に繋がった、と後に述懐している。
坂田とは違って関東勢協調派だったこともあり、連盟の大阪支部(現・関西本部)の立ち上げにも尽力した関西の棋士達のまとめ役。
将棋にとどまらずチェスにも興味を持っており下記の木村義雄と雑誌の企画で対局した事がある。


  • 藤内金吾※※

元々は坂田の後援をしていた経営者だったが、将棋にハマり坂田に弟子入りし33歳で棋士になってしまったお方。
藤内一門は「神戸組」と称され、門下からは内藤國雄を始めA級棋士を四人輩出した。谷川も藤内の孫弟子に当たるので神戸組に含まれることもある。


  • 花田長太郎※※

木村義雄と初の実力制名人の座を争った棋士。
本人は雪辱を果たせなかったが弟子の塚田正夫がそれを成し遂げた時は相当嬉しかったようである。
「寄せの花田」の異名を持つ居飛車党。また当時としては珍しい序盤に強みを持つ棋士として恐れられたが病気で早生。
定跡開拓に掛けた情熱は升田幸三らに引き継がれた。


  • 木村義雄※※

關根金次郞門下。十四世名人にして初代実力制名人。中盤強者で「中盤の木村」「常勝将軍」の異名を持つ。
定跡研究を始め、旧弊打破のため奨励会*13・順位戦設立などに尽力されたお方でもある*14。大山康晴に名人を奪われたことを機に引退した。
その後は隠遁生活をしていたが、晩年でも関西将棋会館の建設の際には自身の署名入りの記念免状を発行し資金集めを支援している。


  • 大野源一※※

大山、升田の兄弟子。
江戸時代以降廃れていた振り飛車で活躍したことで現世に振り飛車を蘇らせた振り飛車の救世主。その捌きの上手い指し回しは現役棋士でトップクラスの捌きの技術を誇る久保が「絶品」と絶賛する程のもの。
居飛車党だった大山に振り飛車を薦めたことで大山が振り飛車党に転向したのだが、自身があまり考えなくてもよいことを理由に振り飛車党に転向したことから同じ理由で薦めたという。


  • 坂口允彦※※

「くろがね」「不沈艦」の異名を持った強豪。奨励会を経験しプロになった初めての棋士で、連盟の会長を連続ではない2期で務めた唯一の人物でもある。
またチェスの強豪としても知られ一時期、順位戦を欠場してそっちに専念していた時期がある程。
選手としての活躍以外にも入門書の執筆、日本チェス連盟(現行の競技団体とは無関係)を設立する等、日本でのチェス普及に貢献した。


  • 塚田正夫※※

木村義雄から名人を奪った初めての棋士。60歳まで順位戦A級に所属し*15B級1組在籍のまま63歳で逝去した。
他には(タイトルとしての)九段(後の十段、竜王)の保持経験を持ち永世九段も手にしている。
長年の功績と永世九段を持っていたことを受け、没後に名誉十段と言う特別な称号が送られた。この称号は現在でも塚田のみが保持している。
詰将棋の問題集を作り販売したのも塚田が草分けと言われている。


  • 加藤治郎※※

明治生まれの棋士としては珍しい大卒棋士(史上初)。大学で日本初の将棋部を設立した大学将棋の生みの親。
39歳で現役引退したが、その後は連盟の運営や解説者として晩年まで活躍していた。


  • 升田幸三※※

実力制第四代名人。大山康晴の兄弟子にして終生のライバル。(当時の)全タイトル独占を果たした経験を持つ。
少年時代に「名人に香を引いて勝つまでは帰らない」という置き手紙を残して家を飛び出し、大山との名人戦でそれを実現させたのは有名。
戦争時に戦場で体を壊したことが原因で引退するまでA級在籍のままだった。また新手を編み出すことをモットーとしており、死後に「升田幸三賞」が設けられた。
実は戦後にGHQが将棋を「チェスとは違い取った駒を使えるのは捕虜虐待じゃないか」と言って禁止しようとした時に(この解釈が間違いなのは前述の通り)、
「それは相手の戦力も有効に活用することが出来るのであってチェスだと取られたら終わりだから虐待どころか虐殺じゃないか」と反論して将棋を救ったお方。
ひふみんの才能を見出した人物である。


  • 大山康晴※※

十五世名人にして永世五冠(永世名人・永世王位・永世王将・永世棋聖・永世十段)。これら5つのタイトルの同時期独占経験もある。
1992年に69歳で亡くなるまで連続43期A級に在籍し、晩年までタイトル戦に登場していたというバケモノ*16、まさに巨人。
将棋連盟の会長も勤め、テレビ棋戦等での解説の解りやすさも評価が高かった。
次に自分と指す相手の本来の実力を発揮出来なくするべく、よく盤外戦術を用いることでも知られた*17
女流棋士制度導入の切っ掛けを作ったのもこの人。


  • 板谷四郎※※
  • 板谷進※※

親子棋士。共に順位戦A級に在籍した経験がある。


父親の四郎は木村義雄の弟子。1940から1950年代に活躍し、引退後は将棋連盟の東海本部長を務め名古屋に将棋教室を設立。
東海地区出身の棋士を増やすために後進の教育を行った。この教室は現在でも健在である。


息子にして弟子の進はタイトル獲得に励んだが、あと一歩の所で届かず、くも膜下出血で父より先に倒れた。
連盟理事を長く務め、弟子には振り飛車党の強豪で知られる小林健二と杉本昌隆がいる*18
進的には(若い内は)居飛車党で行ってほしかったらしいが。


親子共に東海地区の棋士がタイトルを獲得することを願っていたが存命中にそれを見るのは叶わず、進の跡を継いだ杉本の弟子の藤井聡太がその夢を叶えることになる。


  • 間宮純一※※

会社創業家出身の御曹司*19棋士。
玉が敵陣にいるのが最善手と言う考えで常に入玉を目指す「久夢流」と言う棋風で知られた。
が、強豪相手には通用せず原田からはスキが大きい戦法、升田からは独特だが勝率はそれ程ではないと言われてしまっていた。
私生活も強烈で放浪癖があり住所不定。さらに金銭問題(無賃乗車、無銭飲食・宿泊、関係者に金をたかる)が多く、問題視した連盟が引退勧告を行ったため引退に追い込まれた。
激怒した升田*20から日本刀を向けられたこともある。なお大山は予め家中に鍵を掛け対策していた。
当然棋界でも孤立しており仲の良い棋士も原田位であったと言われている*21。連盟からの引退勧告を伝えたのも原田である。


  • 高柳敏夫※※

金易二郎門下。第1期順位戦から活躍しA級まで昇りつめた実力者。定跡に囚われない力戦を得意とし「異常感覚」として恐れられた。
B級1組からの降級を機に引退。その後は弟子の育成に力を注ぎ15名をプロ入りさせ、5名のタイトル保持者を輩出した名門として知られる。


  • 原田泰夫※※

加藤治郎門下。攻撃的な気風で「玉損の攻め」と恐れられた昭和中期の強豪棋士。
一度B級2組まで降級するがA級に復帰した凄い人(史上唯一)。この時40代後半。
連盟会長も史上最年少の38歳から務めた。中原の自然流や谷川の光速流と言った異名の名付け親として知られる。


  • 南口繁一※※

関西(特に京都)地区での将棋の普及に尽力した棋士。
森信雄やひふみん*22の師匠。


  • 花村元司※※

真剣師(賭け将棋指し)としての強さを買われ、当時としては異例のプロ編入試験を受けて合格しプロ入りを果たした棋士(ある意味では瀬川の先輩である)。また女流棋士を含めても「将棋と関連した機関に所属した経験を持たずにプロ入りした棋士」でもある(その意味では小山怜央の先輩である)。木村義雄門下。
定跡を外した小技やひっかけを得意とした棋風でA級にも上り詰めたが、それは大山には全く通じず、挙げ句の果てには(後述するが)名人戦敗退の際にあまりにも痛烈過ぎる一言を言われたが、
それをきっかけに定跡将棋の大切さを知り、それを弟子に直に教えるようになった(特に森下卓九段には手取り足取り教え込んだらしい)*23*24
「王座」戦の名称を考えたお方でもある。


  • 佐瀬勇次※※

棋士としての実力は平凡だったが、17名をプロ入りに導いた同年代の高柳と並ぶ名師匠。
こちらも5名のタイトル保持者を輩出。2名は名人保持者になった。


  • 丸田祐三※※

奨励会在籍中に第二次世界大戦が勃発し自身も戦場に行かなければならなくなった為、
プロ入りは27歳と遅咲きだったが、2期でA級入り(当時はB級とC級は2組に分かれていなかった)を果たす。
「小太刀の名手」と言うあだ名を持つ歩の使い手として知られ、丸田流ひねり飛車と言った定跡も考案した。
30年以上B級1組以上に所属し、引退年齢も77歳(歴代二位)と長く現役生活を送った。*25
戦時中に経理の仕事をしていた経験から事務方面にも強く、長く連盟理事を務め会長も経験。どんな職種でも幹部になれた人と評されている。
2015年に95歳で亡くなったが、これは記録が残る将棋棋士で最も長寿である。


  • 二上達也※※

「北海の美剣士」とも呼ばれた元棋聖・王将。
大山一強時代の中でも山田や中原と共に大山に何度も挑んだ。
羽生の師匠としても知られる。


  • 山田道美※※

打倒大山に心血を注いだ熱血棋士。棋聖の保持経験を持つ。
研究熱心で序盤での新たな定跡を生み出した他にも、データベースを作り戦型別の勝率を分析したり、奨励会員も巻き込んで研究会を行う等、昭和中期の当時としてはかなり先進的な試みをしていた。
日頃も自身を律して生活しており酒や賭け事には手を出さなかった。
「血小板減少性紫斑病」という難病により若くして世を去るも、その遺志や熱意は研究会にも参加していた中原・青野と言った他の若手に引き継がれた。


藤井聡太の登場を見届けるように引退した「神武以来の天才」。
今でもそのお茶目なキャラを活かして芸能界で精力的に活動中。


  • 有吉道夫※※

大山康晴門下。自身も棋聖獲得・A級在籍経験もある実力者。
「火の玉」と呼ばれる程の猛烈な攻めを得意としていた。
当時としては珍しい研究気質な棋士であり、それが55年間に及ぶ長い現役生活を送れた要因とも言われている。
年齢的にフリークラス降格が出来ずに引退、が決まった時点でも竜王戦には5組に在籍していた。
さらにNHK杯戦の予選を突破したため、これを機に「引退が決まった棋士がテレビ棋戦に出場する場合は放映日まで現役とする」と規定が変更された。


  • 芹沢博文※※

高柳敏夫門下。普及の為に将棋まつりを提唱し、タレントとしても活躍していた棋士。
発想力は(そりがあわなかったという)大山にも評価されていたが、ずけずけと物申す性格から揉め事も絶えずに起こしたトラブルメーカーでもあった*26。晩年は咎める人も減り、孤立していた様である。
大の酒好きでも知られるが、あまりにも飲み過ぎて肝臓を壊し早死にしてしまった(その時に「時間をかけたゆるやかな自殺」とも揶揄された程飲んでいたようだ)。
谷川浩司の大ファンである一方、羽生の事はよく思っていなかった*27


  • 北村文男※※

板谷四郎門下。元は教員を務めていたアマチュアだったが、アマ名人戦で準優勝した後に奨励会を経て37歳でプロ入りした棋士。
しかしプロ入りして一年でC級2組から予備クラス*28に降級してしまう。幸いにも3期後に復帰を決め66歳まで現役生活を続けた。
囲碁も強く関西棋院所属のプロの囲碁棋士としても活躍していた史上唯一の囲碁・将棋二刀流棋士としても知られる。


  • 内藤國雄※

歌手としても活動していた、有吉と並ぶ関西のドン。伸びやかで型にはまらない棋風から「自在流」と称された。
有吉とは性格面でも自分とそりが合わないことから、それがより闘志を湧き立てる要因にもなったらしい。
谷川浩司と言った有望な人物を見つけても弟子に取…らないで*29、弟弟子に紹介してプロへの道を切り拓いてもいる。
順位戦で陥落して引退に追い込まれた有吉とは違い、内藤は棋風の変化や体力面で厳しいと判断した結果、自分の意志で引退した。
正座姿がとてつもなく美しかった方で、引退の理由にも正座をするのがしんどくなった事を挙げていた。


  • 米長邦雄※※

佐瀬勇次門下。永世棋聖であり史上最年長の49歳で名人を奪取した事でも知られる(相手は中原誠)。
「泥沼流」と称される終盤強者。それを実現させるために「米長玉」と呼ばれる玉が絶対に詰まない形で攻めることを将棋界に普及させた人。
他には風貌から名が付いた「さわやか流」と言う異名もあり本人はこっちの方が好きだった模様。
将棋連盟会長就任後は棋士編入試験や電王戦(叡王戦の前身)創設、インターネット中継の普及などに尽力した…
が、棋界随一のプレイボーイとしても有名で他にも様々な濃い逸話で知られる。
ひふみんとの掛け合いは名物であったが、2012年に惜しまれつつ前立腺がん*30のために69歳で死去。


  • 大内延介※※

土居市太郎門下。振り飛車穴熊を得意とし、「振り穴党総裁*31」とも呼ばれた方。初代棋王でもある。
鈴木大介の師匠(鈴木の父親が大内のファンで、「大介」の名も大内のフルネームから取って名付けている)。


  • 中原誠※

高柳敏夫門下。十六世名人にして永世五冠(永世名人・永世王位・名誉王座・永世棋聖・永世十段)。
大山の次の将棋界の覇者で「将棋界の太陽」と称された。上の米長は自身最大の好敵手で中原・米長時代を作った間柄である*32
「自然流」と称される桂馬の使い手として知られ、谷川ら若手が台頭した後も奮闘していた。
病気が原因で2009年に引退を余儀なくされた。この時、順位戦は既にフリークラス宣言して退いていたが、竜王戦には依然1組に所属し、
引退直前の対局でも羽生善治や佐藤康光、木村一基と言った強豪にも勝利しており、60代に入ってもなおその実力を最後まで発揮し続けていた。
羽生とタイトル戦で戦えなかったのが心残り*33とのこと。
幸いにも命には別状がなく、引退後はたまに将棋会館で囲碁を打ったり、タイトルの就位式に顔を出しているみたいである。
林葉直子との不倫は黒歴史。


  • 桐山清澄※

豊島将之の師匠でもある「いぶし銀」「烏天狗」の異名を持つ元棋聖・棋王。
名前は「きよすみ」ではなく「きよずみ」が正しい。間違えられることも多かったが本人はニックネームの一つとして捉えており、特に気にしていない模様。
元は升田幸三門下で奨励会に入会していたが、ホームシックから奨励会及び升田の下を去り、その後は増田敬二という棋士の弟子になり再び奨励会入りしてプロ入りを果たした。
最後まで残った棋士番号2桁台の棋士でもあり、負ければ引退というところでしぶとく勝ち、同世代の棋士の中で最も遅くまで現役で指し続けた実力者*34


  • 勝浦修※

二上の弟弟子にして森内俊之や広瀬章人の師匠。
「カミソリ」と呼ばれる程の切れ味鋭い寄せを持ち味としていた。
北海道出身で弟子も北海道出身者が大半を占める。例外は神奈川生まれの森内のみだが、これはプロ入り前に森内の祖父の家で下宿していた縁で弟子にしたためである。


  • 石田和雄※

板谷四郎門下。勝浦修とプロ入りが同期で「岡崎*35の天才児」と呼ばれた居飛車党。
負けた際は感想戦でよくぼやき、解説が漫談になってしまう棋士で知られた。
将棋教室で師範を務めており弟子も多い。引退後にはYouTuberとしても活躍している。


  • 森安正幸※
  • 森安秀光※※

藤内金吾門下の兄弟棋士。


兄の正幸は現役時代からアゲアゲさんも含む後進の育成に力を入れている事でも知られており「隣の人間国宝」に認定されてもいる。


弟の秀光は「ミスター四間飛車」と名で大山の戦法を引き継ぐ若手として注目され、また粘り強い気風から「だるま流」の異名も付けられた。
棋聖のタイトルを獲得した経験もある実力者だったが、中学生の息子に刺殺されるという非業の死を遂げてしまった…*36


  • 森けい二※

本名は「森雞二」。
将棋を覚えたのが16歳の頃とかなり遅かったが、それでも21歳にプロ入りを果たした。
「イナズマ流」と呼ばれる寄せを得意とした振り飛車党で棋聖・王位を獲得した経験を持つ。
名人戦にも挑戦した経験があり順位戦には71歳まで踏みとどまっていた。
終盤が得意な事から「終盤の魔術師」の異名も持ち、本人もこの二つ名を気に入っているらしい。


  • 淡路仁茂※

藤内金吾門下。久保利明の師匠。
矢倉の開拓や一手損角換わりを体系化し一つの戦法に昇華させたのに貢献した。
長手数の対局が多く「三枚目の男*37」「長手数の美学」と称された。
その一方で反則負けが多く、米長に永世反則王と呼ばれたことも。


  • 青野照市※

淡路とはプロ入りが同期。定跡もいくつか考案し升田幸三賞を二度受賞している同世代屈指の研究家。
羽生世代が活躍する中でもA級に復帰し壮年期でも活躍した「中年の星」。64歳までB級に踏みとどまっていた。
引退が決まった後に勝利(600勝目)を収めたが、これにより現役最終盤で将棋栄誉敢闘賞を受賞することに成功した。


  • 伊藤果※

高柳敏夫門下。詰将棋作家として有名な棋士。引退してから「晴れて真の詰将棋作家となった」と言うのだから筋金入りである。
彼の問題は実戦的な手筋というよりいかにもパズル的なギミックが多いのが特徴。
ちなみに「新必殺仕置人」に出演したことがある*38


  • 桐谷広人※

升田幸三門下。「株主優待券の桐谷さん」でおなじみの投資家棋士。


  • 小林健二※

通称コバケン。元は矢倉を得意とする居飛車党だったが居飛車穴熊対抗の「スーパー四間飛車*39」を考案し振り飛車も指すようになる。
自身もこのスーパー四間飛車でA級に復帰する実績を出した。
他にも四間飛車の急戦戦法の開拓やアマで流行していた角交換振り飛車戦法「立石流」をプロ棋戦でも通用する水準に育てる等、
弟弟子の杉本と共に藤井システム登場以前の振り飛車の開拓に貢献した。


  • 森信雄※

村山聖や糸谷哲郎をはじめ、プロにも奨励会にも多くの弟子を持つ棋士。
その多さは同じく多くの門下生を抱える所司和晴七段(渡辺明の師匠)と「東の所司、西の森」と並び称される程のもの。
村山との関係は「どっちが師匠なん?」と言われる程のものだったのは有名。


  • 田中寅彦※

序盤戦術の重要性を将棋界に定着化させた人で「序盤のエジソン」の異名を持つ棋聖経験者。
居飛車穴熊をプロ棋戦でも通用する戦法に育て上げ藤井システムが出るまで振り飛車に冬の時代をもたらした。
研修会(奨励会の下部組織)制度も考案している。


十七世名人。現役最古参棋士(2024年現在)。
史上二人目の中学生棋士でプロ入りから史上最短で名人を獲得している。
羽生世代と中原・米長の間の世代となるレジェンドでタイトル獲得数歴代5位。
詰将棋作家でもあり、そこで培った寄せの技術で瞬く間に相手玉を詰ませることから「光速流」と称される。
昭和期には上の世代の中原や米長両巨頭と激闘を繰り広げた後、最大四冠に輝く等の強さを誇った。
羽生世代の台頭時には同世代より上が呑まれていく中、谷川は彼らとも数々の名勝負を繰り広げ、最後の壁となって孤軍奮闘しつづけた。


  • 福崎文吾

振り飛車穴熊を得意とし「妖刀」の異名を持つ棋士。十段・王座の獲得経験を持つ。
その異名に反してコテコテの関西人であり解説漫才を任されることも多い。
この世代の棋士では屈指のゲーマーとしても知られ、Dark Soulsの実況プレイを披露したことも。
順位戦はデビューから3年でB級1組に上がったが、残念ながらそこでずっと足踏みしてしまい、還暦を過ぎてとうとうフリークラス宣言。A級に上がることのないまま2024年度をもって引退予定。*40


  • 高橋道雄

佐瀬勇次門下。高橋と同じく昭和55年度(1980年度)にプロ入りした棋士は強豪が多く、通称・55年組と称されている。
矢倉と横歩取りの名手でタイトルも幾度となく獲得し名人まであと一歩にせまった事もあった。
横歩取りが再フィーチャーされたのを原動力に、とはいえ48歳でA級に返り咲く事を果たした事もあるなど普通に凄い人。
英語に堪能、テニス愛好家、そしてサブカル好きでアニヲタでもある多趣味な人。つまりは俺ら


  • 中村修

55年組。受ける青春の異名を持つ居飛車・振り飛車どちらも指しこなすオールラウンダー。
1985年度に王将を史上最年少の23歳で獲得したが、35年以上経ち藤井聡太が更新するまで誰にも成しえなかった大記録である。
47歳でB級1組に復帰し60歳を越えても順位戦B級2組・竜王戦3組に踏みとどまったベテランの実力者*41
だが、A級には縁がないまま還暦を迎えてしまっている。


  • 島朗

高柳敏夫門下の初代竜王。上述の55年組。
若手との研究会やコンピュータによる棋譜管理を先行して実践し、それらを将棋界に定着させた人物でも知られる。
島の研究会には下記の羽生善治、佐藤康光、森内俊之が所属し、後に三人共、順位戦A級・タイトル複数獲得経験者になったことから現在では「伝説」と称されている。
着物の着付けが苦手だったこともあってか、代わりにブランド物のスーツでタイトル戦に登場していた。
スーツ対局自体はひふみんが先に行っているが、若手がそれをやりのけた事は当時大きな衝撃与えた。
最初の奥さんとは死別しており、現在の奥さんは女流棋士・鈴木環那の母親である。*42


  • 南芳一

55年組では最多の7期のタイトルを獲得した実力者。A級到達・九段昇段も同世代では最速だった。
対局中ほとんど姿勢が変わらない・寡黙・堅実な棋風なことから「地蔵流」の異名が付いている。
当時最年少の屋敷伸之から棋聖を奪う一方、棋王戦では大山の挑戦を受けており40歳差のタイトル戦(歴代首位)も経験している。


  • 井上慶太

谷川の弟弟子。自身も順位戦A級・竜王戦1組に在籍したことがある実力者。
七冠独占時代の羽生に初めて勝利したり、六段時代の藤井聡太に唯一黒星を付けたことでも知られる。
将棋教室を運営している関係で弟子が多く、8人の弟子(内、2人は順位戦A級在籍経験者の稲葉陽と菅井竜也)をプロ入りに導いている。


  • 神吉宏充※

将棋の上手い芸人。卓越した話術やキャラクターにより、棋士でありながらテレビ番組の司会や映画・ドラマへの出演などタレントのような活躍をしていた。
また双玉詰将棋*43の代表的な作家としても知られている。


  • 森下卓

矢倉戦法の一つである「森下システム」を考案し活躍した強豪棋士。
タイトルに何度も挑戦したが獲得することは叶わず、将棋界の無冠の帝王と呼ばれた。


  • 伊藤博文※

初代内閣総理大臣は関係ない。
C級2組からフリークラスに降格するも、その後にC級2組に復帰した最初の棋士である(が、結局その2年後に後にフリークラス宣言している)。
史上最大の将棋「大局将棋」を指した事がある。


日本将棋連盟会長(2023年現在)。
永世竜王・十九世名人有資格者にして永世七冠(永世竜王・永世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖)。
(当時の全タイトルである)七冠独占を達成した生ける伝説。彼の同年代も強者揃いのため、羽生世代とも呼ばれる。


  • 村山聖※※

「終盤は村山に聞け」と言われる程に終盤戦に強く、それがもたらした強さで羽生とは互角に近い成績を残した「羽生世代」の一角。
それだけの才能がありながらも、腎臓の病気や膀胱癌に冒されて29歳の若さで夭折。
映画「聖の青春」は彼を描いたもの。


  • 森内俊之

十八世名人有資格者。上述の羽生世代。小学生時代からの好敵手である羽生との名人戦の数々は語り草でもある。
その名人は2002から2015年度まで森内か羽生しか保持しておらず、二人で14期も独占していた。
2020年よりYouTuberとしても活動中。


  • 佐藤康光

羽生世代の棋士で日本将棋連盟会長も務めた永世棋聖有資格者。読みの深さと力戦(定跡から外れた戦い)に定評がある。


  • 先崎学

米長邦雄門下。羽生世代
執筆活動を盛んに行っており、将棋をあまり詳しくない人でも読めるエッセイを多く出している。


  • 屋敷伸之

「忍者屋敷」「お化け屋敷」との異名を持つ元棋聖。
奨励会入会からプロ入りまで2年10か月と高速で駆け抜け、プロ入りから1年10か月後の18歳6か月の時に初タイトル棋聖を獲得し防衛に成功(当時の史上最速・最年少)。
これは藤井聡太が更新するまで誰も果たせなかった大記録である。


  • 畠山成幸
  • 畠山鎮

森安正幸門下の兄弟棋士…にして、兄弟棋士がたくさんいる囲碁棋界にもいない双子の棋士。
なんと産まれた日だけではなく、プロ入りまでもが同じタイミングである。段位も同じ。
「双子でも別々の人間に育つから」と言う母親の信条で名前はあえてバラバラにされている。実際、好みも性格も対照的に育った。


兄の成幸は目立つ事を嫌う性格であまり表舞台には立たない。初めて登場したのも米長会長(当時)の企画からであった。
英語とフランス語の両方を解し、その技術を生かして英会話教室を営んでいた時期もあった。


弟の鎮はやんちゃな性格。将棋の方も名前とは真逆の攻め将棋を得意とする。関西奨励会幹事を長年務めた事でも有名。
1990年代は羽生世代*44を筆頭に関東勢の勢いが強く関西勢は低迷期に入ってしまっていた*45が、これを問題視した鎮と井上が中心となって関西奨励会員の意識改革を行い復調に貢献した。下記の糸谷にはかなり手を焼いた模様。


  • 郷田真隆

森けい二の弟弟子。羽生世代の棋士の一人。
四段、順位戦C級2組、竜王戦6組在籍時代にタイトル(王位)を獲得する史上初の偉業を達成した(相手はしかも谷川)。
現在は規定が変更されたので*46四段のタイトル獲得は郷田が唯一無二の記録となっている。
その後も棋聖、棋王、王将を獲得している。


  • 丸山忠久

佐瀬勇次門下。郷田とプロ入り同期の羽生世代の棋士。名人・棋王のタイトル保持経験を持つ。
史上初めてB級1組12戦で全勝した棋士で、ひふみんと並ぶ健啖家としても知られる。


  • 杉本昌隆

今や室谷伊緒や藤井聡太の師匠として知られる方になってしまったが、かつては名だたる四間飛車の使い手(あの村山聖が絶賛した程である)として知られていた。
力将棋になる事が多かった相振り飛車の定跡を整備し、師匠の後を継ぎ東海地区での普及活動を行ったという小さくはない功績もある。


  • 藤井猛

振り飛車党の代表格で、藤井システムや藤井矢倉の生みの親。羽生世代
大山康晴の将棋を知り尽くし、棋風ももちろん大山の影響を受けている*47
その終盤のボロボロっぷりから「終盤のファンタジスタ」の異名もある。
解説に定評があり、ファンからは「てんてー」の愛称で呼ばれることも。
息子の影響で始めたポケカでも、(その息子と同じく)トップレベルの実力を持つ。
藤井聡太の台頭以降は「将棋棋士の藤井」と言うと、大抵は藤井聡太の方を指してしまうため、にわかファンには影が薄くなりがち。


花村元司門下。地球代表。


  • 豊川孝弘

オヤジギャグの名人。深浦とはプロ入りが同期。
テレビ棋戦で二歩を指してお茶の間に流されてしまった苦い過去の持ち主。それを「トリビアの泉」「怒り新党」で何度も公開処刑を食らっている。


  • 三浦弘行

武蔵・みうみう(本人公認)。てんてーの弟弟子で同時にA級に昇級し長く在籍した実力者。
暇さえあればどこでも将棋の練習をしている努力家で知られ、その姿勢は他の棋士にもよく引き合いに出される。
棋聖のタイトルを一期だけ獲得した事もあるが、それによって羽生の七冠独占を初めて崩した事でその名は一気に将棋界に轟いた。
深浦に順位戦で何度も頭ハネ*48を食わせている。
2016年に発生したスマホアプリ不正冤罪事件の被害者でもある。


  • 伊藤能※※

米長邦雄門下。みうみうと同期デビュー。
奨励会で苦労した結果、四段昇段は30歳8ヶ月の時だった。
「え?奨励会の年齢制限って26歳、三段リーグの勝ち越し延長*49を含めても30歳まで在籍は無理*50じゃね?」と思うだろうが、これは伊藤の奨励会入会時の規定は「31歳までに四段昇段出来なければ退会」という規定であり、そのような奨励会員にはその古い規定が適用されていた事から。
最後の三段リーグは師匠に「最近のお前はだらけている!死んだ目をしている!おま○こを見るような目で将棋盤を見ろ!」と叱責された事で闘志に火が付き、最終日は自身が連勝しただけではなく、ライバルが全員敗れて昇段を勝ち取る、という、運にも恵まれた結果だった。
…とまあ、奨励会在籍期間が長かった*51事から、奨励会員や若手棋士には優しい事で知られていた。またその若手棋士に強い事でも知られており、2013年には当時七段だった佐藤天彦に勝利している一方で、持ち時間が長い順位戦は苦手にしており、13年間C級2組在籍のままでフリークラス宣言している。
そして2016年末、訃報が報じられた。その死因については一切公表されておらず、故によからぬ噂がちらほらと散見された…


  • 久保利明

てんてーと並ぶ振り飛車党代表格。
駒の捌き方に定評があり「捌きのアーティスト」と呼ばれる他、粘り強さも持ち味としている。


  • 鈴木大介

久保、てんてーと並んで「振り飛車御三家」と呼ばれる振り飛車党代表格。
豪快かつ繊細な差し回しを得意とする。
ヒット漫画「ハチワンダイバー」を監修、及び作中で大暴れ。
麻雀も非常に強く、2019年にプロ雀士を圧倒して麻雀最強位を獲得し、2022年の麻雀最強戦では強すぎて予選でプロ枠に回されたにもかかわらず圧勝してファイナルに進出するなど大暴れ…
と思っていたら、2023年5月ついに日本プロ麻雀連盟に入会。将棋棋士とプロ雀士の二刀流となった。
その勢いのまま麻雀プロ最高峰のチームリーグ戦Mリーグにもドラフト指名を受け、参戦。
その超攻撃的スタイルから他の選手の意識が守備寄りだったMリーグが一気に攻撃的に変わった通称黒船。
ちなみにABEMA将棋チャンネル誕生のきっかけは鈴木とABEMAの社長が麻雀友達だったからである。


  • 近藤正和

原田泰夫門下。「ゴキゲン中飛車」の創始者。
その名の由来になる程に明るい性格をしている。


  • 木村一基

佐瀬勇次門下。受けて受けて受けまくる「千駄ヶ谷の受け師」。
棋士としては遅咲きの23歳でプロ入り。プロ入り後は羽生に匹敵する勝率の高さで注目を集め「勝率君」と呼ばれた。
順位戦はA級まで登り、タイトル戦にも何度か出ているものの、深浦との王位戦で3連勝→4連敗を喫したのをはじめ長らく獲得出来ずにいた…。
しかし2019年に若手の強豪である豊島将之から王位を奪い悲願の初タイトル獲得。同時に初タイトル獲得最年長・タイトルを獲得したプロ入りが最も遅い棋士の記録を更新した*52


  • 増田裕司

森信雄門下生の中で村山聖の次にプロ入りし、その村山亡き後は門下生の筆頭格として扱われる方。
大事な局面になると上着を脱いだり駒音が高くなったりするなど気合い重視型の棋士でもある。


  • 山崎隆之

森信雄門下。若い頃はその容姿から「西の王子」との異名で親しまれた。
定跡に囚われない独特な指し筋は「山崎流」と称される。
森の家で内弟子をしていたが、将棋に夢中過ぎて他の事を全然考えられない事に森が怒り、実家に帰らせられたことがある。
森曰く反省して、それを機に面倒見が良くなったとのことで後に関西奨励会幹事も務めた。NHKで放送されている『将棋フォーカス』では棋士として中村大地とともに初めて司会をした経験もある。
兄弟子の村山聖とも親しかった。


  • 伊奈祐介※

初の三段リーグから次点2回獲得によるフリークラス編入の権利を行使してプロ入りした棋士。
山崎とはプロ入りが同期。下記の渡辺明とは義兄弟*53でもある。


  • 阿久津主税

「ちから」と読む難読名の棋士。若い頃はその容姿から山崎と相対する様に「東の王子」との異名で親しまれた。
山崎と同じく居飛車党で角換わりを得意とする。


  • 渡辺明

魔王。(初代)永世竜王・(タイトルで唯一、連続在位でしか永世称号を獲得できない)永世棋王、実力制名人有資格者。
羽生世代全盛の中見事抗ってみせた若手棋士の一人で、同世代が中々羽生世代の壁を破れずにいる中で唯一食らいついていた。
正統派と称される棋界屈指の居飛車使い。受けの名手で泥沼に持ち込んでからの逆転劇に定評がある。
年齢相応ではない頭髪のショボさやぬいぐるみへの変質的な愛等、見た目とのギャップが非常に激しいお方。
その殆どはめぐみ夫人による漫画「将棋の渡辺くん」で暴露された物。渡辺と仲がいい棋士もこの漫画で奇行がすっぱ抜かれた被害者多数(例えば天彦のぬい愛好もこの漫画で取り上げられた物)。
羽生に永世七冠を許したり、藤井聡太に最年少タイトルを許したりと、今後破られないと言われる棋戦に何故か縁がある。


  • 飯島栄治

小物界の大物。渡辺明とプロ入りが同期。飯島流引き角戦法で升田幸三賞を受賞している。
アニヲタwikiの棋士の記事にはぼくの記述があるんですよ。これ、凄くないですか?
凄くないですか?が口癖の八段、ということでいつの間にやら「凄八」なるあだ名がついていたが、これが幸いしたのか2023年に宝仙堂の凄十のCMに出演することに。


  • 橋本崇載※

ハッシー。NHK杯準決勝で二歩による反則負けを喫したことはニュースでも大々的に取り上げられた。
それを扇子に揮毫するなどのユーモアあふれる人柄とA級経験もある実力を兼ね備えている人。
なのだが、年を重ねていくにつれて、かつての芹澤同様に物申す部分が目立つようになり、棋士の品位を下げると連盟から注意されたこともあった。
2021年4月2日付で電撃引退し翌年には連盟からも退会した。


  • 熊坂学※

中原誠門下。2002年にプロデビュー後、順位戦で3年連続降級点を取り2004年に理論上最速でフリークラス落ちしてしまった棋士として知られる。
その事が5chの将棋・チェス板で注目を集め、長年に渡って専用スレが立っている。
そして結局C級2組に復帰できないまま*54フリークラス在籍期限(10年)の2015年4月1日で引退、マイナス方向で数々の記録を打ち立てていった。師匠の中原や応援してくれた人へ申し訳なかったと新聞の取材で語っている。
現在は将棋教室や研修会で講師として活躍中。


  • 西尾明

青野照市門下。
ITに詳しい棋士。Ustreamで史上初のタイトル戦のインターネット生中継の実施に協力、電王戦でも連盟側のアドバイザーを務めた。
趣味はギターで曲もいくつか企画で披露している。
現在は連盟理事としてメディア部門を統括している。


  • 村山慈明

村山聖にあやかり「序盤は村山に聞け」とも言われる程に序盤戦術が優れている棋士。
名前は訓読みの「やすあき」と読むが、音読みの「じめい」の名で親しまれる。


  • 佐藤和俊

「序盤の村山」と同期デビューの振り飛車党。2016年度のNHK杯戦で「三間飛車版藤井システム」を駆使し、羽生や村山(前回優勝者)を破る等して準優勝を果たすなど「台風の目」となった。その後も勢いを維持し、竜王戦ではランキング戦1組まで昇級している。
これで藤井システムを三間飛車に応用した指し方は、一つの戦法へと昇華するに至った。
C級2組からC級1組に昇級するのに時間がかかった苦労人ではあるが、それまで一度も降級点を取らなかったという隠れた実力者。


  • 広瀬章人

森内の弟弟子。「穴熊王子」「振り穴王子」の異名を持つ。
ネット上では「羽生に闇のゲームで魂を抜かれた棋士」としてネタにされた事があるが、これは当時の王位戦がまだ生中継を行っておらず、代わりに置かれていた自動撮影カメラによる写真撮影の結果起きた事故である。
獲得したタイトルの話が濃く、王位戦では予選から勝ち上がり勝利、竜王戦ではその羽生から奪取に成功し羽生を無冠に追い込んでいる。


  • 瀬川晶司

プロになれなかった奨励会員のはずがアマチュアとしてプロに勝ちまくったため、その実績を受けて特例として行われた試験(その後に制度化している)に合格してプロになった下剋上棋士。年齢的には羽生世代と同世代に当たる。
プロ入り前はNECグループの会社でエンジニアとして働いていた。また在社中はNECの将棋部にも所属していた。
流石にプロになった後は平凡な成績だが、異色の経歴はなんと映画化もされた。
レースクイーンに将棋を教える珍企画に登場したことがある。


  • 糸谷哲郎

森信雄門下。その強さからハッシーに「怪物」と名付けられた元竜王。中村太地とはプロ入りが同期。
あだ名は前述の「怪物(くん)」以外に「ダニー」とも呼ばれる。
早指しなことでも知られる。自身も早指しを得意としたひふみん曰く歴代でも随一とのこと。
一手損角換わりや坂田流向かい飛車などの癖の強い戦法の使い手。
奨励会時代に「取った駒を相手の駒台に乗せる」という、あまりにも珍し過ぎる反則負けをしてしまった事でも知られている(その時の対局相手は天彦である)。
普及にも熱心で様々な催し物にも登場している。同年代の関西棋士を誘い、緩やかな関西若手棋士のイベント団体である「西遊棋」も発足させている*55
哲学の修士号を持っている他、趣味でカードゲームを嗜み、将棋と並行してプレイしていたマジック・ザ・ギャザリングでは、2010年の日本選手権にて16位入賞を果たしている。
他にもほぼ初見で参加したポケモンカードゲームの大会で優勝したこともある。
只、アクションゲームは苦手なのか企画でスーパーマリオブラザーズを遊んだ際には大苦戦していた。


  • 中村太地

米長邦雄門下。糸谷とはプロ入りが同期。サッカーと将棋をどっちを極めるか迷って将棋を選んだ王座経験者*56
そして、将棋界屈指の美青年。
YouTubeを通して普及活動に熱心に取り組んでいる。


  • 佐藤天彦

高級ブランドスーツで身を包む、クラシック音楽を好むといったことから「貴族」の異名を持つ元名人。
佐藤姓の棋士は他にもいるので、区別するため名前の「天彦」と呼ばれる事が多い。
見た目に反してぬいぐるみ愛好家。


実は三段リーグで次点を2回取ってフリークラス編入の資格を得ながらも、それを行使せずに三段リーグに残る道を選んだ(2004年の話である)唯一の棋士。
これについては「当時は一般棋戦の数が今ほど多くはなく、今よりもC級2組に編入するまでに時間がかかるのなら三段リーグに残った方が最速半年でC級2組に参加出来る(実際は2年かかった。その間に奨励会三段ながら瀬川の編入試験の最初の対局相手となったが、これが理由で選ばれている。)と判断したから」と渡辺は見ている。
本人的にもどっちでも良かったみたいだが、師匠のコーヤンこと中田功が「16歳(当時)でまだ若いから、同年代も多い奨励会で対局し続ける方が今後活躍する上でも良いんじゃないか?」と提案したのが決め手らしい。


  • 戸辺誠

佐藤和俊の弟弟子。佐藤天彦とはプロ入りが同期。
振り飛車党で自身も「4→3戦法」と言った定跡も考案している。
弟妹が多い分*57面倒見がいいのか、指導・普及活動にも熱心でYouTubeチャンネルの開設や20代の頃から弟子を取り、30代の時点ですでに3人の弟子をプロ入りに導いている。
四段の頃、企画でハチワンダイバーの主人公の菅田健太郎を演じたことがある。
ちなみに実家は脱サラ組の農家である。


  • 豊島将之

平成生まれの初めてのプロ。オールラウンダーであり序盤中盤終盤隙がない棋風である。
長らく次世代を担う存在と期待されながらタイトルを取れず苦しんでいたホープ。
その童顔から若かりし頃の愛称は「キュン」であった。3月のライオンの主人公桐山零は氏がモデルではないか?と囁かれている*58
だが2018年に初タイトルとなる棋聖を獲得すると、続けざまに王位・名人・叡王・竜王を奪取するなど、花開いた感がある。竜王以外は全て一期(竜王も二期)で失冠したのは内緒。
藤井聡太相手に初手合いから6連勝するなど、トップ棋士としての風格を備えた存在。その後はタイトル戦でフルボッコにされて現在では逆に負け越しているが。


  • 稲葉陽

初参加年度では棋聖戦で挑戦者決定戦まで進み、竜王戦6組で優勝している。
その実績から若手時代は糸谷、豊島らと並び関西若手棋士のホープと呼ばれていた。
その後も銀河戦やNHK杯で実績を残しA級棋士に上り詰めている。


  • 佐々木勇気

石田和雄門下。中学生でプロ入りを決めた棋士以外では史上最年少の16歳でプロ入りした高校生棋士。
矢倉囲いと横歩取りを得意とする居飛車党。横歩取りは「横歩取り勇気流」と言う定跡を考案し升田幸三賞を受賞している。
藤井聡太の連勝記録を止めた男。対抗策を考えるために前々から敵情視察していた程である。これは取材陣が多い中で平常心を保てるよう慣れることも理由であった。
その後も藤井聡太に追従していく形で自身も昇級しA級まで昇りつめている。そして、2023年度のNHK杯では決勝で藤井を下して初優勝を果たしている。


  • 高見泰地

石田和雄門下。(タイトル戦としての)初代叡王。この時はまだC級2組所属で郷田以来の快挙となった。
しかしタイトル経験者でありながら順位戦昇級が中々果たせなかったこともあり、一時は負い目を感じるようになってしまったと語っている。
山﨑・中村から将棋フォーカスの司会を引き継き担当していた。


  • 菅井竜也

若手振り飛車党の代表格。平成生まれ初のタイトル獲得者である。
一般棋戦の将棋日本シリーズにはプロ上位のみが参加する「JTプロ公式戦」と主に小学生のアマチュアが参加する「こども大会」の二種類があるが、菅井はどちらも出場経験のある初めての棋士である。
同門の船江航平に順位戦昇級を阻まれたり、稲葉とは朝日杯の決勝や順位戦A級で争う事になる等、同門同士の話題が多い。


  • 斎藤慎太郎

畠山鎮門下。通称「さいたろう」。
その容姿から女性誌の取材を受けたこともあり、若い頃は上の阿久津・山崎から代替わりする形で東の中村太地、西の斎藤と並び称された。
A級順位戦初参加となった21年、及びその翌22年と2年連続名人戦挑戦者となり(初参加者が名人戦挑戦や2年連続の名人戦挑戦は過去にもあったが、初参加から2年連続は史上初)、また19年には中村太地から奪って王座を獲得した(翌年すぐに永瀬に奪われたが)事もある実力者。
鎮が彼を弟子に取る時に谷川に相談したというエピソードは、後に某ラノベでも見られる事になる。


  • 八代弥

青野照市門下。斎藤慎太郎とプロ入りが同期。
一次予選から出場して朝日杯で優勝(史上初)、竜王戦1組・タイトル戦本戦所属経験、高い勝率を持つ実力者。
…なのだが、肝心の順位戦との相性が悪く未だC級2組にいる不運な人その1。


  • 永瀬拓矢

終わらない将棋、軍曹。勝利のために千日手を厭わないことで有名。
毎日長時間練習するストイックな姿勢で知られる。着物よりスーツを好みタイトル戦でも着用することが多い。
若手の頃から羽生に初手合いから4連勝していたりするなど実力はあったが、2019年に叡王・王座を獲得し、2021年にはA級昇級と名実ともにトップ棋士の仲間入りを果たした。
藤井聡太の研究仲間であると同時に、自身の名誉王座と藤井の八冠独占を賭けた番勝負を行った棋士としても知られる。


  • 増田康宏

森下卓門下。師匠と同じく矢倉愛好家であり、故にその限界も悟ったりもしている。
感想戦否定派であり他の棋士とは異なる見解を見せる事が多いが、17歳でプロ入りし26歳でA級八段へと上り詰めた実力者。
だが、藤井聡太の29連勝新記録の時の相手であり、アマチュアの稲葉聡の加古川清流戦優勝時の相手でもある…と、前人未到の大記録をお膳立てする機会が何かと多い。


  • 今泉健司

桐谷広人門下*59
制度化されたプロ編入試験に合格し、3度目の挑戦*60でプロになる夢を叶えた、史上最も遅咲き(41歳でプロ入り)の棋士。
最初の奨励会時代では木村一基と第18回三段リーグで昇段一歩手前まで争っていた(この時は二人共昇段できなかった)。ちなみにこの時のリーグは瀬川が奨励会を退会した時期でもあった。*61
また、今泉がフリークラスを抜けてC級2組順位戦に参戦した2017年、時を同じくしてそれを果たすための成績を残せず「編入後10年(ないし満60歳になる年度)まで」というフリークラス規定で引退となった中尾敏之五段*62は、自身がプロ入りを決めた三段リーグでは逆に今泉に頭ハネを食わせてのプロ入りだった。
アマチュア時代に残した戦績も凄まじくレジェンドと呼ばれる程であった。プロ入り前は介護職等で働いていた。
現在は関西奨励会幹事を務める。


  • 青嶋未来

永瀬の弟弟子。振り飛車穴熊を得意とするが様々な戦法を指しこなすオールラウンダー。
羽生の影響でチェスも始め、現在はプロのチェスプレイヤーとしても活躍している。


  • 都成竜馬

谷川浩司のたった一人の弟子。
誕生日が1月17日(言わずもがな阪神淡路大震災が発生した日である。その日は都成が5歳になった日だった。)だった事で、神戸市出身の谷川は縁を感じて弟子に取った。
新人王戦で優勝した唯一の奨励会三段でもあるが、それでもプロ入りは年齢制限ギリギリのタイミングと苦労した。
プロ入り後は竜王戦で連続昇級する活躍をしつつ、高見と共に将棋フォーカスの司会も担当した。


  • 宮本広志

森安正幸門下。三段リーグを突破して28歳でプロ入り。
前述の通りで三段リーグには年齢が26歳以上でも勝ち越し以上の成績を残せば、次の三段リーグに参加出来る(29歳の誕生日を迎える三段リーグになると適用されない)という延命措置の制度がある。
退会の危機に晒されつつもこの延命措置の制度に救われ、四回延長した後にプロ入りを果たした。現行の26歳年齢制限制になってからは、史上最年長の三段リーグ突破である。


  • 佐々木大地

深浦康市門下。三段リーグ次点2回のフリークラス編入でデビューするも1年でC級2組に編入した実力者。
その後もタイトル戦本戦に出場する等活躍し、2023年度棋聖戦でフリークラス編入棋士初のタイトル戦登場を成し遂げた。そのすぐ後には羽生を下して王位戦の挑戦権も獲得している。
…なのだが、順位戦では師匠譲りの運のなさで頭ハネを食いまくり、まだC級2組にいる不運な人*63その2。


羽生に次ぐ将棋星人二号にして新たな伝説。21世紀生まれで初めてプロ入りした棋士である。
デビュー前の小6(当時、奨励会二段)の時に詰将棋解答選手権でプロを差し置いて優勝、プロ入り・タイトル獲得最年少を始めとした数々の記録の塗り替え、四大一般棋戦年間グランドスラム、2023年には八冠全タイトル独占を達成…と、今後も数々の記録を打ち立てていくことは確実であろうスタープレイヤー。
あまりにも現実離れした戦績故に全ての現役棋士と某ラノベの作者にとって最大の敵とされる。
フィクションが存在する意味があるのか?


  • 大橋貴洸

渡辺明の弟弟子。藤井聡太と同時にプロ入りしたことでどうにも彼の陰に隠れがちではあるが、その実確かな棋力を持つ新進気鋭。
関西奨励会幹事を務めていた山崎にも奨励会時代からその資質は評価されていた。
プロ入りは24歳と遅咲きながらも3年で六段に昇段し順位戦もB級1組まで昇級。星取りでは藤井聡太に勝ち越しているなど今後の活躍が期待される。
また、そのファッショナブルなスタイルについても注目されている。公式の宣材写真は必見。


  • 長谷部浩平

升田幸三をリスペクトするあまり、その升田の系譜を継ぐ大平武洋*64に入門でプロ入りした筋金入りの升田ファン。
80年以上振りの栃木県出身棋士でもある。


  • 山本博志

振り飛車党…というか、ほぼ三間飛車しか指さない三間飛車党。藤井猛のファンで初手合いではその想いをブログに綴っている。
奨励会員の時に著書を出版*65したという非常に稀な方。


  • 折田翔吾

こちらも棋士編入試験(2019年にプロ編入試験から名称変更)合格者。
年齢制限で奨励会を退会になったが、YouTubeチャンネルを開設して将棋ウォーズでの対局動画を投稿する実況動画投稿者兼将棋教室講師として活躍し、将棋との関わりを継続。
チャンネル名から「アゲアゲさん」とも呼ばれるが、自身もアゲアゲな勢いを出す事に成功、アマチュア・プロの棋戦で結果を残し復活を果たした。
2023年にはフリークラスからの昇級が決まり、翌2024年度から順位戦に参戦した。


  • 伊藤匠

藤井聡太と同世代の棋士で小学生の頃も大会で対局した経験がある(この時は伊藤が勝利)。
彼に勝るとも劣らないポテンシャルを秘めた関東若手超有望株。
デビューから1年未満で現役タイトルホルダーを破る(相手は永瀬)、竜王戦で下位の5組から出場しタイトル戦に登場する(史上初)*66
と言った藤井聡太でも出来なかった事をやってのけており、今後、好敵手になるか注目されている。
その後も棋王戦、叡王戦と立て続けに挑戦権を獲得、藤井聡太という高い壁に挑んでいたが…
2024年6月20日、叡王戦でフルセットの末についに藤井を破り初タイトル獲得、藤井の八冠独占に終止符を打つと同時に、タイトル戦で藤井聡太に初めて土をつけた棋士となった。


  • 古賀悠聖

佐藤天彦の弟弟子で伊藤匠とプロ入りが同期。矢倉を好む居飛車党。
彼も天彦同様に次点を2回獲得しプロ入りの権利を獲得したが当時よりも棋戦が増えた等の変化もあり、そのままフリークラスでプロ入りした。
1年後にフリークラスを抜けることに成功したが、順位戦との相性が良かったのか、なんと2年連続で昇級に成功。
結果的に初年度から順位戦に参加していた伊藤に追いつくこととなった。
フリークラス出身初のC級1組以上の昇級と、順位戦初年度参加からの2期連続昇級を41年ぶり達成する偉業を成し遂げた。


  • 服部慎一郎

こちらは関西の若手有望株。関西将棋会館に来て初めて練習相手になったのは大橋である。
独創的な棋風は名字にちなんで「忍者」と呼ばれている。
お笑い好きで棋士の冨田誠也とコンビ「もぐら兄弟*67」を結成しており、西遊棋の催し物では2人で漫才を披露している。


  • 谷合廣紀

服部と同期。目標をあえて一つに絞らないことを掲げた結果、研究者としても活躍している。
専門は電子工学で主に自動運転のプログラムを研究しており、初めて書いた著書の題材もPythonである。それ以外に将棋AIも自作している。
服部と同様、お笑いに興味を持っており吉本興業と事業提携(将棋部顧問)している他、山本とコンビ「銀沙飛燕*68」を結成している。


  • 徳田拳士

2022年にデビューした新鋭棋士。名前の由来はこの作品から。
24歳と将棋棋士としては遅いデビューながら、いきなり勝率1位争いに割って入る等勝ちまくっている大型新人。加古川青流戦でも優勝した。
さすがに年度末になると勢いを落としたが、それでも伊藤匠と同じく1年未満でタイトルホルダーを撃破(なんと伊藤と同じく永瀬を破った)する等、大型新人振りは発揮し続けていた。


  • 小山怜央

(制度化されてから初の)奨励会の経験がないアマチュアでの棋士編入試験合格者。
ちなみにその時の試験対局の相手は里見が失敗した時と同じ面子である。
学生時代から幾多のアマ棋戦で優勝を重ね、その後はリコーでシステムエンジニアとして働きながら同社の(強豪として知られる)将棋部に所属し活躍していた。


  • 上野裕寿

井上慶太門下。2023年10月1日にプロ入りした事で、なんと史上最速のプロ入り翌日にプロデビュー戦を指す事になった棋士。
これは奨励会三段として参加していた新人王戦で決勝三番勝負に進出を決めた後になってから、三段リーグ最終日を待たずのプロ入りが決まった(厳密には次点以上が確定したのだが、上野は過去に次点を取った事があるため2度目の次点獲得となり、それによるフリークラス編入でプロ入り、という選択肢も出てくるから。実際はちゃんと三段リーグの上位2名に入ってプロ入りしている)ためであり、そのまま新人王戦の三番勝負も制してプロ入りしてから1ヶ月未満で公式戦優勝を果たし、プロ入りしてから公式戦優勝するまでの史上最速記録を更新してしまった。
ちなみに新人王戦の決勝三番勝負を戦った藤本渚四段は井上門下の兄弟弟子であり、上野が三段リーグで次点を取った時にプロ入りした棋士である。



【女流棋士】

  • 蛸島彰子※

中原の妹弟子。史上初の女性奨励会員で女流棋士黎明期に活躍した元女流名人・女流王将。
NHK杯将棋トーナメントでは棋譜読み上げを長らく務めていたことで知られる。
LPSAの立ち上げにも尽力した。
2018年に71歳で引退。制度による強制引退ではなく自らの意思による引退で女流棋士としての通算成績も勝率5割超えを維持したままの引退であった。


  • 関根紀代子※

蛸島の好敵手。連盟所属の女流棋士では最古参。
元々はアマ棋戦で活躍していたが女流棋戦設立を機にプロ入り。そのままプロ入りした都合上、当初は師匠がいなかった(後に夫の関根茂*69門下となる)。


  • 山下カズ子※

元女流名人。
元は会社員で趣味で将棋を指す程度だったが、同年代で活躍する蛸島の存在を知り将棋教室に通った後にプロ入り。
蛸島と一緒にNHK杯将棋トーナメントで記録係を長らく務めていた。


  • 清水市代

中原・蛸島の妹弟子。里見の前の女流棋界の覇者たるレジェンド。クイーン(永世)四冠で年齢的には羽生世代と同世代。
レジェンドと言うだけあって、羽生と同じ時に当時の女流全タイトル独占も達成している。しかも二回。
現在は将棋連盟の理事も務める。


  • 中井広恵

クイーン名人。米長・丸山とは同門である。
タイトル合計獲得数は歴代三位。清水の最大の好敵手として対峙し続けた。
日本将棋連盟、LPSAを経てフリーで活躍する女流棋士である。


  • 林葉直子※

米長邦雄門下。同世代の清水や中井とともに、初期の女流棋界を引っ張ったお方。
元クイーン王将で女流棋士の知名度向上に大きな役割を果たしたことについては疑いの余地はないのだが、心労や中原誠との不倫等で将棋界を去り、
その後はタロット占い師やカレー屋経営などを経て、肝臓を壊して余命宣告を受ける等波乱の人生を送ったが、藤井聡太の活躍を見て生きる気力を取り戻せたと語っている。


  • 斎田晴子

中村修の妹弟子。
清水・中井・林葉よりも少し年上だが、彼女らに憧れて将棋界に入った女流棋士。女流名人・女流王将・倉敷藤花の保持経験を持つ。
「ミス四間飛車」「振り飛車クイーン」の名で知られる同世代きっての振り飛車党。銀河戦でもベスト8に入った実力者である。


  • 矢内理絵子

関根紀代子の妹弟子。奨励会所属経験もある女流棋士。
清水世代の覇権を崩すべく挑戦を続け女流名人・女流王位を獲得し、初代女王にもなった強豪。


  • 千葉涼子(旧名:碓井涼子)

飯島や村山慈明の姉弟子。矢内とは奨励会同期入会した間柄で女流王将の獲得経験を持つ。
夫は棋士の千葉幸生。夫婦でNHK杯に登場したこともある。


  • 甲斐智美※

中原誠門下。下記の香川愛生と同じく一時期里見香奈からタイトルを奪った事がある実力者。
将棋をやり尽くしたことを理由に2022年度をもって引退表明。2023年7月の第3期白玲戦終了をもって正式に引退した。


  • 上田初美

伊藤果門下。12歳でプロ入りし後に女王を獲得した女流棋士。
夫は同門の棋士である及川拓馬。師匠と同じく詰将棋の制作も行っている。


  • 鈴木環那

原田泰夫門下。女流順位戦A級所属経験を持つ強豪。
聞き手を多く務めることからアナウンススクールに通った経験があり、その甲斐あって司会を任される事が多い。
師匠の原田だけではなく島にも師匠と同じ位お世話になったらしい。島のところで述べたとおり、現在島とは義理の父娘の関係である。
森内のYouTubeチャンネルでは相方を務める。


  • 福間香奈(旧名:里見香奈)

森けい二門下。師匠譲りで「出雲のイナズマ」の異名を持つクイーン五冠。
毎年ほぼ全ての女流タイトル戦に顔を出すなど、女流の中では圧倒的強さを誇る。
かつて「初の女性棋士」を目指して奨励会に編入したものの年齢規定により三段で退会。
その後2022年、ついにプロ編入試験の受験資格を得て受験決定。史上初の女性棋士誕生に期待が出たが、三連敗して失敗に終わる。
妹の咲紀も女流プロ棋士。*70
2024年に結婚を発表し、姓を福間に改めた。


  • 室田伊緒

杉本昌隆門下。師匠と同じく四間飛車を得意とする。
藤井聡太の姉弟子でもあるが…囲碁史上初の七冠王である井山裕太(室田とは生年月日が全く同じ)の元妻*71としても知られている方。


  • 渡部愛

LPSA所属の女流棋士。(当時は)連盟とは制度が違っていたので正式な師匠はいないが中井の教えを受けてプロ入りした。
当初は思ったように活躍ができず苦悩したため同じ北海道出身の棋士である夫の野月浩貴の指導を受ける。
その後は里見からタイトルを奪取し女流順位戦A級に所属するなど修行の成果を発揮している。


  • 伊藤沙恵

屋敷伸之門下。2022年、里見から女流名人を奪い初タイトル獲得と同時に、その長きにわたる里見の女流名人連覇に終止符を打った方。
翌年に西山に奪われるも、それだけでも歴史に名を刻んだと言ってもいいだろう。


  • 西山朋佳

伊藤博文門下。「初の女性棋士」に近い存在とされた(奨励会三段、次点一回)。2021年4月に奨励会を退会し女流棋士に転向。
永世女王。他にも女流タイトルも複数保持している里見の好敵手。
姉の静佳は囲碁の女流二段の棋士。


  • 加藤桃子

永瀬の妹弟子。元は奨励会にいたがその後に退会し女流棋士に転向した。
奨励会時代に女流タイトルを獲得し、その後も西山や里見と幾度となくタイトルを争ってきた実力者。
2016年と2017年には女王を防衛し里見の全冠独占を二度も防いでいる。
早指し戦とはいえ、奨励会員でありながらNHK杯戦本戦で及川拓馬六段を破るという大金星を挙げた事もある。


  • 香川愛生

中村修門下。我らが番長。タイトル2期獲得経験あり。*72
YouTuberとしても活動しており、ゲーム実況、踊ってみた、コスプレなど活動は多岐に渡る。
自分で写真をあげていたが、学生時代→現在の劇的ビフォーアフターはちょっと同一人物とは思えない。


  • 竹俣紅※

森内俊之門下。JK棋士として話題になったが、その後は棋士を廃業して女子アナになる道を選んだ。


  • カロリーナ・フォルタン(旧名:カロリーナ・クリスティーナ・ステチェンスカ)※

ポーランド出身。NARUTOを見て「なぜチェスなのに取ったコマが使えるのか」から将棋に興味を持ち、
そのまま来日して外国籍初の研修会入会を達成した棋士。
その後家庭の事情でポーランドへ帰国、そのまま引退となってしまったが、引退後も将棋普及のための活動に励んでいる。




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  • いきなり概要からいかず、前置きを書いて欲しい -- 名無しさん (2023-07-03 05:24:24)
  • 同時期に佐々木勇気と佐々木大地と佐々木被りしてるんよ -- 名無しさん (2023-07-03 17:39:07)
  • 囲碁棋士の項目は難しいかな。 -- 名無しさん (2023-07-03 18:15:51)

#comment(striction)

*1 拒否した場合、次点が1つ消滅し、持っている次点は1つとなる
*2 救済措置としてプロ入りが出来なかった元奨励会員の一部は若手・アマチュアの教育の為に指導棋士として働ける場合がある。それ以外には将棋関連のメディアに勤めたり、動画サイト等で解説者になる人もいる。アマチュアと言う立場で継続する人もおり中には下記の棋士編入試験で再起を狙う人もいる。
*3 棋戦によって基準が定められている
*4 その期の三段リーグで降級点を取ってしまうと次点は貰えない他、フリークラス編入のためには三段リーグで1つは次点を取らなければならない
*5 ただし、棋戦の参加資格を持っていた場合、順位戦や一般棋戦には出られなくなるが、その棋戦には出場できる。また竜王ランキング戦は独自の引退規定がある。
*6 かつては存在したが公益社団法人に移管する際に法的事情で廃止された。
*7 少数だが外部理事もいるほか、引退棋士が理事になることもある。
*8 理事は毎週定例会議を行う。
*9 タイトルの棋聖戦もここに由来する
*10 關根からは十四世名人となって統率する方で活躍してほしいと言われたが高齢だったために断った。
*11 そのせいで関東の棋士達から不信を持たれてしまい、団体から追放され一時期は棋界においても孤立化してしまったが。
*12 理由は不明だが家族の発言からして本人が「坂」と「阪」の使い分けしていなかったのが要因と思われる。坂田は(将棋以外の)勉強は嫌いで学校にも行かなかったので読み書きが出来なかった。
*13 一門毎に派閥が生まれ統括団体が度々分裂することが続いたため、将棋界全体で若手を育て同胞意識を持たせるべく奨励会は誕生した。
*14 実現はしなかったが段級位制の廃止も希望していた。
*15 実際には一度降級しているが1期で復帰している。
*16 自身最後のタイトル戦に登場する際は挑戦者決定トーナメント決勝で羽生を破っている。
*17 その中で最も有名なエピソードは、名人戦で上の花村元司をストレートで下した時に、「花ちゃん、あんたは所詮素人だもんね」という、編入試験を受けて真剣師からプロになった経歴を持つ花村にとって、あまりにも強烈過ぎる一言を言い放ったことだろう。
*18 杉本はプロ入り前に師匠が亡くなってしまった為、その後は小林が代理を務めた。
*19 カメラ界隈では有名なマミヤ光機や日本NCR、東芝テックの創業家出身
*20 升田は不在だったため奥さんが対応。とりあえずお金を渡す対応をしたが金額への不満から汚れた下駄で表札を踏む行為をしたため。
*21 間宮の師匠である溝呂木光治に弟子入りしようとしたが、間宮の振る舞いに懲りていた溝呂木が弟子入りを拒否。これが縁になって間宮のことを気にかけていたそうである。
*22 後に剣持八段(ハッシーの師匠)門下に変更して「逆破門」している。
*23 将棋界隈で「師匠が弟子のために直接対局という形で将棋を指導する」のは実は非常に珍しいことで、弟子想いでもあった花村元司の有名なエピソードの一つとなっている。
*24 後述の大山康晴曰く「将棋界の慣例として、師匠と指すときは1回目が入門時、2回目が四段昇進時、3回目は破門する時となっている」とのこと。入門してもとうとう1度も師匠と指さず、他界されてしまったというプロも決して珍しくない。
*25 現役終盤でも73歳で出場したNHK杯本戦で勝利。引退時点でも竜王戦には5組に所属していた。
*26 妹弟子でもある当時の女流名人・蛸島彰子が「新必殺仕事人」に出演した時の役が、最期は斬り殺されるというものである事に「女とはいえ名人だぞ?それにこんな役を演じさせるな」とプロデューサーに猛抗議し、出演シーンをお蔵入りにさせた事など。その後は代役を立てて事なきを得たが
*27 指す手の筋が良いか悪いかで判断していたので、筋の良い手を指す谷川は「応援団長」を自称する程気に入っていたが、筋の良し悪しを気にしない羽生は「数年で潰れる」と酷評していた。まあその予想はものの見事に外れたのは説明不要であるが
*28 当時はフリークラスはなく実質奨励会員に戻されていた。
*29 本人いわく「自分の道場を持っていないから弟子を取る資格がない」というが、それでも一応4人の弟子を取り、2人をプロに送っている
*30 前述の通り自他共に認めるプレイボーイなため、前立腺と聞いて手術するのに躊躇していたら進行してしまったという大変悔やまれる話がある。
*31 ちなみに、副総裁と呼ばれていたのは藤井猛(てんてー)や三浦の師匠である西村一義九段。
*32 公式棋戦で最後に優勝したのは1994-1995年度のNHK杯だがこの時も米長と決勝戦で戦っている。この時は中原は佐藤康光、米長は羽生善治を退けて決勝に進出している。
*33 これは2003年に竜王戦の挑戦者決定戦にまで進出するも、森内に1勝2敗で敗退した事をさす。ちなみに羽生と一般棋戦の決勝戦で相まみえたのも、NHK杯戦で敗れた1度のみ(羽生が現役の名人経験者全員に勝って優勝した時のものである。特にこの時羽生が加藤一二三戦で指した▲5二銀は「伝説」と呼ばれる程の一手なのはよく知られている)である。
*34 桐山の引退で1960年代以前にプロ入りした棋士は全員引退となった。
*35 愛知県岡崎市
*36 秀光自身が教育パパだったこともあり息子にはかなり勉強することを強いていたが、その不満が爆発したのが原因と言われている。
*37 当時の棋譜の記録用紙は1枚につき80手まで記入できた。160手を超える長期戦が多かったので淡路の対局では3枚目を使用しないといけない場合が多かったからである。
*38 前述の蛸島とは違い、出演シーンはそのまま放送された
*39 名称の由来はスーパーマリオブラザーズ。居飛車穴熊ばかり流行るのはつまらないと思ったのがきっかけだったとのこと。
*40 タイトル獲得歴があり+順位戦A級在籍がないまま引退した棋士は福崎が初になる見込み。
*41 B級2組以上に所属する60代以上の棋士は2023年現在中村と谷川のみ。
*42 鈴木の実父もすでに故人で死別である
*43 攻め方にも玉がいる詰将棋
*44 この中だと村山のみが関西だったが途中で関東に移籍している(奨励会員時代を含めたら佐藤康光もいる)。
*45 成績が振るわない以前に1990年代の関西奨励会の雰囲気は「対局が終わるとすぐ感想戦をせずに雑談を始める」「控室でもテレビで野球や競馬は見る」「麻雀の待ち合わせのために将棋会館に来る」と言った状況だった様である。もっとも急に変わった訳ではなく、以前はこれが当たり前な状況であった。
*46 四段の棋士はタイトル挑戦が決まった段階で五段に昇段する。
*47 大山とは棋風的に相性が悪かった米長は、藤井の将棋を見て「嫌な奴が生き返ってきたな、と思いました」と語っている。
*48 成績が同じでも順位で上回る事
*49 年齢制限となる26歳以降でも、三段リーグで勝ち越しした場合は次の三段リーグ参加権が与えられる、という規定。
*50 29歳になると、この規定での延命は出来なくなる。
*51 奨励会史上最長となる17年間もの間在籍していた。伊藤の四段昇段時の奨励会幹事をしていた棋士は、奨励会同期入会の棋士だった。
*52 この時46歳であったが、これほど遅くプロ入りしてタイトル獲得に成功した棋士は極めて稀である。
*53 渡辺の奥様が伊奈の妹にあたる
*54 ただし最後の2014年度はかなり健闘しており、復帰が現実味を帯びていた。
*55 これに影響されて関東でも同様の役割を果たす「東竜門」が発足している。
*56 サッカー自体は連盟のフットサル部に所属して続けている。
*57 4人、うち1名は「母が産気付いてから車での移動中病院まで間に合わずに生まれてしまい、誠本人が取り上げた」とか。
*58 外見もさながら、豊島の師匠が「桐山」清澄九段というのもあるだろう。
*59 三段リーグ編入試験以降。奨励会時代は小林健二門下だったが小林は今泉をプロ入りをさせられなかった負い目から桐谷に託した。
*60 年齢制限で奨励会を退会した後にアマチュアで好成績を収めて三段リーグ編入試験で合格し(現在唯一の合格者)奨励会に復帰するも、2年以内に四段になるというルールによりまたもや退会していた。
*61 次点は2回獲得しておりもし現行の制度であれば1998年でプロ入りも可能だった。
*62 こちらも熊坂同様に最終年度は奮闘し、復帰が目前に迫っていた。
*63 竜王戦も苦戦していたが2021年度でついに昇格に成功した。
*64 桐谷広人門下、弟弟子の今泉と同じく升田の孫弟子。大のZONEファンとしても知られる。
*65 師匠で同じく三間飛車を得意とする小倉久史七段との共著。小倉が三間飛車の著書を10年以上振りに書く事になった時にそのブランクに不安を感じ、山本に助力を乞うた事で共著となった。
*66 これにより同い年の藤井聡太と対局が決まり「史上最も若いタイトル戦(二人の合計年齢が41歳)」が実現した。また双方が21世紀生まれの初めてのタイトル戦でもある。
*67 高校時代に同級生と組んでいたコンビ「もぐら部隊」に因む。
*68 将棋会館の対局室名に因んで西山朋佳が命名した。
*69 国家公務員試験に受かり農林技官になるが将棋への憧れが捨てられず棋士に転向した異色の経歴を持つ。妻以外には女流タイトル獲得経験者の矢内理恵子を弟子を持つ。
*70 なお咲紀も結婚して苗字を旧姓の里見から川又に改めている。
*71 お互いに忙しくなり会う事が減り、話し合って円満に離婚した。
*72 ちなみに師匠の中村修は王将2期で、香川は女流王将2期。見事なシンクロである。

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