円谷英二

ページ名:円谷英二

登録日:2011/06/28 Tue 07:43:04
更新日:2023/08/18 Fri 10:20:44NEW!
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円谷つぶらや英二えいじ(本名:円谷英一)は日本の特撮監督である。「ゴジラシリーズ」を始め、様々な特撮映画に関わり、「ウルトラマン」の生みの親であり、
映画界に多大な功績を残した「特撮の神様」である。
なお、本名の読みは「つむらやえいいち」である。*1



【生涯】

1901年7月10日、福島県の現在は須賀川市に生まれた。
母を生まれてすぐ亡くし、父親は婿養子のため離縁され、祖母に育てられる。


幼い頃から手先が器用で絵が上手く、手作りで簡易的なアニメも作っていた。
飛行機が好きで、自分で飛行機模型を作り、パイロットが夢だった。


何とか飛行学校に入るが、学校唯一の飛行機が事故に遭い教員も亡くなったため学校は閉校、玩具会社に勤めながら電機学校に通う。
この頃は様々な発明の特許で収入を得ており、その中の一つ「自動スピード写真ボックス」は今日も証明写真として街中で活躍している。
その後縁が出来、映画界へ入ることになった。


その後兵役についたり、戻ったら関東大震災で撮影所が京都に移る等忙しい日々を過ごす。
この頃から特殊な撮影をするようになり、周りに理解されなかったがカメラマンとしての成果も出すようになる。
これが後の特撮技術に繋がる。


1930年には結婚し、1932年に日活に移籍した。
1933年に「キングコング」が公開されると、フィルムを購入し、1コマずつ研究していった。


その後日活を退社、東宝の前身である会社に入社した。
会社が東宝になると特殊技術課を設立してもらい、課長になる(部下は無し)。


その後は様々な作品に関わりながらスタッフを補充し、1943年には「ハワイ・マレー沖海戦」の特撮を担当。
この作品は高い評価を得、戦後は記録フィルムと勘違いされGHQに押収されそうになったというエピソードもある。
*2


戦後は争議や公職追放のため東宝を退職、各社の特撮を担当した。
また、この頃円谷プロの前身となる研究所を立ち上げている。


その後東宝へ復帰、戦争映画を手がけながら、1954年には「ゴジラ」を手がけ、大ヒットとなった。
「ゴジラ」の大ヒットにより、以後東宝特撮を担当していく。


1963年には円谷プロを立ち上げ、以後東宝作品を担当しつつ、円谷プロ社長として「ウルトラQ」や「ウルトラマン」等の作品を世に送り出す。
その後体調を崩し1970年1月に狭心症により永眠した。享年68。
亡くなった直後の1971年4月に『帰ってきたウルトラマン』が放送開始。
この作品は生前の円谷英二が企画に参加しており、初代ウルトラマンが30年後に地球に帰還することから命名したものであった。
実際に登場したのは初代とは別のウルトラマン*3であったが、円谷の意思を尊重し、タイトルは変更されずに放映された。




【仕事について】

一般的には「ゴジラ」の特撮と「ウルトラマン」で有名だが、
実際には戦中の時点で様々な特殊技術で脚光を浴びていた監督だった。


スクリーン・プロセスやブルーバック合成、ミニチュアの積極的使用等は円谷氏が日本に初めて導入し、
スクリーン・プロセスや合成に使うオプチカルプリンターは自分で作るほどだった。


また、常に最新の技術や素材を導入し、
アメリカの最新の機材を独断で購入したり、スタッフが探した新素材を喜んで採用していた。


また、仕事は厳しくも普段は優しい人物であり、寝たふりをしながらスタッフを観察をする等お茶目な面もあった。


監督として東宝特撮を手がけた頃は、特にミニチュアと編集に凝っていて、ミニチュアは自作もしていた。
また、暇があれば編集室にこもり、果てはスタジオに編集用の小屋を作りスタッフを監督しながら編集もしていた。
多少のミスは編集でなんとかしてしまう(それどころか演出に組み込んでしまう)、特撮の神様であると同時に編集の神様でもあった。*4


また、戦中も含めれば、東宝、東映、大映、松竹、日活、新東宝と大手の映画会社全ての作品に参加していた。そのためか交友関係も非常に広い。


弟子や部下の面倒見も良く、常に宴会はおごりだった他、
半ば決別して松竹へ移った弟子の川上景司氏を20年後にまた雇ったりしている。


その他、「ウルトラマン」を製作してた頃はウルトラマンより、
弟子のうしおそうじが製作してたライバル番組の「マグマ大使」の心配ばかりしていたというエピソードもある。
その面倒見の良さから弟子達からは「オヤジ」と呼ばれており父親のように慕われていた。


作品には妥協せず、「ウルトラマン」は円谷氏がOKしないと納品出来ず、スケジュールを圧迫し打ち切りになったのは有名である。
予算面でも妥協を許さず、良いものを作るためには金を掛け、グッズの売り上げなどで後から回収して行こうとする傾向があった。
このため、円谷プロの万年赤字体質を引き起こした一方で、「ウルトラマン」は子供向け番組ながら、技術が未成熟な当時としてはかなりクオリティの高い特撮となっている。
近年の新世代ヒーローズが2クール放送になったのも赤字体質が関係している。


また、子供を大事にしマンネリを嫌ったためゴジラにシェーをさせてみたりと色々なことをしていた。


グロテスクな表現も嫌ったため、流血は少なく、ガイラが人を食べるシーンも上手く隠されていた。
演出上、怪獣の流血を表現する必要がある場合、大抵は血の色を緑色にすることでショッキングな印象を和らげる工夫がなされている。
このことが子供も楽しく見られる、明るく楽しい東宝映画のイメージとも繋がっている。



【交友関係】

本多猪四郎
最も多く組んだ黄金コンビである。円谷氏は色を合わせるためによく本多氏の撮影現場を見に行ったらしい。


◆伊福部昭
かの有名なゴジラのテーマを作曲した音楽家。
フリー時代にお互い名も知らずによく飲み合い、「ゴジラ」のスタッフの顔合わせで初めて名前を知ったらしい。
おかげで気を使わず仕事が出来たとか。


◆黒澤明
世界のクロサワ。東宝全盛期における二大巨頭であった。
一緒に仕事をすることは無かったが、お互いに認め合うライバル関係で、試写は必ず観ていたとのこと。
ちなみに本多監督ともとても仲が良かった。


主な弟子達
◆うしおそうじ
後の「マグマ大使」、「スペクトルマン」の製作者。
戦中は部署は違えど一番弟子に近い存在だった。一緒の仕事は少ないが晩年まで仲が良かった。
うしお氏は手塚治虫や三船敏郎とも友人というある意味凄い人物である。


◆有川貞昌
後の2代目特技監督。フリーの時期に弟子入りした。
円谷組ではチーフカメラマンとして活躍、円谷氏と同じく飛行機が操縦出来たため、一緒にセスナ機を飛ばしていたらしい。


中野昭慶
後の3代目特技監督。助監督として活躍し、円谷氏亡き後の東宝特撮を支えた。


川北紘一
4代目特技監督。1962年に円谷組に入り、作画合成を中心に担当した。
平成シリーズではその時の経験が活かされてるとのことである。


◆高野宏一
ウルトラシリーズの特技監督で活躍した。
東宝よりは研究所からの流れの人で、ゴジラへの参加は「ゴジラの逆襲」のみ。


その他スタッフ、交友のあった人々


◆川上景司
戦中のスタッフで松竹に引き抜かれたが、後に円谷組に復帰した。
「ギララ」で特撮の監修を勤めた。


◆渡辺明
「ゴジラ」等で美術スタッフとして参加し、独立後は「ガッパ」の特技監督になった。


◆村瀬継蔵
バラン」や「ドゴラ」に参加、その後「ガメラ」の造形に参加し、
後に東映作品や円谷作品の怪人や怪獣の造形を担当するツエニーを設立した。


◆矢島信男
松竹時代に円谷氏と公私共に付き合いがあった。東映特撮に欠かせない人物となる。


このように、有名な昭和の特撮関係者の多くが円谷氏の関係者である。



【余談】

「ゴジラ」が製作される前に、クジラが港を襲う映画と、タコが船を襲う映画の企画を作っていた。


子供にサインを求められると自分の名前を基にしたスキーボーヤというイラストを、大人には「子供に夢を」と書いていた。


爆発時の「キノコ雲」は、夕飯の味噌汁からヒントを得た。


氏が最後に監督した作品は「日本海大海戦」で、怪獣映画は「キングコングの逆襲」である。
晩年の「オール怪獣大進撃」、「南海の大怪獣」で監修とクレジットされたが、これは長年の功績を労ってのものである。


妻の勧めでキリスト教に入信しており、円谷一族は全員カトリックである。


誕生日は、現在まで様々な文献に言われ、1901年(明治34年)7月5日説や7月7日説があったが、
円谷家の子孫である円谷誠が家系図を調べているうちに、円谷英二(家系図では円谷英一) の項目が誕生日7月10日であることを確認し、
念のため市役所の戸籍も調べたが、7月10日に間違いがなかったという。
ただし、英二の三人の子息(一、皐、粲)は「親父は、『誕生日は7月7日だ』と言っていた」と各種インタビューで証言している。
これは実際に生まれたのが7日で、戸籍の上では月10日生まれとなっている可能性もあり、
当時は現在と違って、実際の誕生日と戸籍上の誕生日が違う人が、少なからずいたためである。



【生涯】の欄でも解説したが、氏が若き日に発明したのが今で言う「スピード写真」の撮影ボックス。お世話になった人も多いのではないだろうか。
映画を撮れない時はこの特許料と販売で食いつないでいた、と日記に記されている。
後にウルトラマンオーブの第1話ではそのオマージュ(半分はスーパーマンオマージュ)として登場している。


2015年7月7日のGoogle Doodle(なんらかの記念日にGoogleにアクセスするとロゴに仕込んであるアレ)は円谷英二の誕生日を記念したものだった。
当初は円谷怪獣(っぽいもの)が町を破壊するムービーの予定だったが、ウルトラマンXの撮影を見学したことでスタッフが感銘を受け、実装されたDoodleは特撮現場を体験するミニゲームで遊べるようになっている。



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  • 当時にCGがあったらやっぱり率先して使ってただろうね。 -- 名無しさん (2014-01-16 10:40:23)
  • 公職追放になってたのは驚いた -- 名無し (2014-01-16 14:11:18)
  • ↑本文にもあるけど、ハワイ・マレー沖海戦の特撮がリアル過ぎて記録映像と勘違いしたGHQに戦争協力者とみなされたのが原因。 -- 名無しさん (2014-01-16 14:20:07)
  • ↑3 新しいもの好きらしいし、もし使ってたらCGの技術力(出来ではなく使い方)がかなり上がってたかもね。言い過ぎってほどでもないと思う -- 名無しさん (2014-01-16 15:58:40)
  • 実際は鬼と呼ばれる程厳しい人で、嫌になって円谷プロを辞めていくスタッフが続出した。書籍に載っている柔和な表情は営業用に過ぎない。by実の孫の証言。 -- 名無しさん (2014-04-14 22:38:16)
  • ↑ 暴露本の記述か?お家騒動があった上での本だからあれはあれで一方の立場に寄って書かれてるらしいからイマイチ読む気にならないんだよなぁ。厳しい部分が無いとは思わないが。 -- 名無しさん (2014-04-26 23:46:28)
  • ↑2 そりゃそうだろう。かなり職人気質そうだし。 -- 名無しさん (2014-04-27 07:40:42)
  • 職人気質じゃなきゃウルトラマン打ち切りになんてなりませんて。 -- 名無しさん (2014-04-27 08:33:37)
  • 厳しいが特撮に対する妥協しない姿勢は素晴らしいと思う -- 名無しさん (2014-04-27 08:41:11)
  • エッセイに「未来の特技は電子計算機が重要になる」とかCGを予想してるんだよね -- 名無しさん (2014-05-28 15:31:57)
  • というか、完全にアナログしか使いたくないって言ってるような人が300万も払ってまでオプチカルプリンター買う筈ないしな。 -- 名無しさん (2014-05-28 15:34:27)
  • 職人気質の厳しさもあったろうが親しかった人が慕ってたのも事実なわけで人間なんてそんなもん -- 名無しさん (2014-05-28 15:48:54)
  • ↑ショービジネスの世界でここまで有名になろうと思ったらむしろ厳しくないとダメだしな。 -- 名無しさん (2014-05-28 15:53:17)
  • 円谷監督がCGを使っていたらどんな映像撮ってたんだろうな -- 名無しさん (2014-05-28 16:01:09)
  • ↑実相寺監督が手掛けた胡蝶の夢なんか観たら確かに御大ならどんな感じになるか気になるな。 -- 名無しさん (2014-05-28 16:24:16)
  • ウルトラの父と母の本名が近年後付けされたけど、初代の本名は「エイジ」だとか言い出すんじゃないかという気が最近する。 -- 名無しさん (2014-05-28 16:36:18)
  • ↑なんか手足を換装しそうな名前だな。 -- 名無しさん (2014-05-28 16:40:28)
  • 円谷さん、今はだいぶ沈静化したけど一時期特オタの後輩(ファン、スタッフ問わず)イジメのための御輿に使われまくってたのよね。発言の尽くが都合よく曲解されてて見る度にドン引きでした。 -- 名無しさん (2014-06-16 23:36:30)
  • ↑? 何があった…… -- 名無しさん (2014-06-16 23:49:48)
  • ↑3 その日のパンツと1枚のメダルしか持ってなさそう -- 名無しさん (2014-06-17 00:23:03)
  • ティガの「ウルトラの星」で御大を演じてたのって誰だっけ? -- 名無しさん (2014-07-17 11:53:11)
  • ↑滝田裕介さんっていう俳優さんだよ -- 名無しさん (2014-07-17 11:59:38)
  • ↑サンキュ。円谷一族の誰かが演じてたって話聞いたけどやっぱデマだったか。 -- 名無しさん (2014-07-17 12:45:28)
  • ↑それはお孫さんの円谷浩さんが「ウルトラの星」で父親の一さん役を演じたって話と混ざってないかな -- 名無しさん (2014-07-17 12:59:33)
  • 特撮がリアル過ぎて軍から摘発されたとか苦労してたんだなぁ -- 名無しさん (2014-07-30 15:07:47)
  • 怪獣の火炎で一瞬で解ける戦車はチョコレート製、壊れるビルはウエハース製。この後スタッフは美味しく頂きませんでした。 -- 名無しさん (2014-07-30 15:18:25)
  • フィルム没収の逸話は当時のご本人にとっちゃ散々な話だけど、いまは円谷監督の凄さを示す伝説だよなぁ -- 名無しさん (2014-07-30 15:44:29)
  • ↑「いくらリアルでも普通間違えねえだろwwGHQバカスwww」とか思ってたけど、実際に観て分かった。というか知らなかったら間違えない方がおかしいレベル。 -- 名無しさん (2014-12-16 09:54:35)
  • 残酷描写に厳しく反対していたってらしいけど、エレキングの首チョンパとか完全アウトだろ -- 名無しさん (2016-04-05 02:17:05)
  • ↑2ミニチュア撮影だと知ってて見れば確かにミニチュアだけど、知らずに見たら本物だもんな。特に空の表現がリアリティすごい -- 名無しさん (2016-05-10 11:58:17)
  • 英霊としてキャスタークラスに召喚してみたい -- 名無しさん (2016-08-19 13:07:24)
  • ↑キャスタークラスの得手は陣地作成…つまり「工房宝具:円谷プロダクション」か…勝ったな -- 名無しさん (2016-09-06 23:14:49)
  • 円谷英二監督。御生誕116周年おめでとうございます(上記のようにあくまで「戸籍上の出生日」であり、実の誕生日は7月7日だそうですが) -- 名無しさん (2017-07-10 10:39:28)
  • 中野昭慶曰く、黒澤組と撮影時間が被ったせいで電力が足りなくなったとき、直談判しに行った中野氏が黒澤組の助監督に「こっちは(黒沢)天皇だぞ!」と言われたので「そっちが天皇ならこっちは神様だ!」と言い返してやりこめたそうな。。 -- 名無しさん (2018-05-27 18:57:25)
  • ↑3 現実そっくりな空間に閉じ込められて、光の巨人やら怪獣と戦う姿を撮影されちゃう能力? -- 名無しさん (2019-03-04 00:52:53)
  • 自選の4大名作は「日本誕生」「世界大戦争」「太平洋の嵐」「太平洋の翼」で、怪獣映画に対しては「まだまだこんなものじゃない」感を抱いていたらしい。 -- 昼太郎 (2019-03-30 16:21:16)
  • 円谷プロの怪獣造形は、ほとんど生理的嫌悪感がないのがスゴイ(ガンQ?知らんな) -- 名無しさん (2020-01-29 10:27:46)
  • 「その後縁が出来、映画界へ入ることになった。」ってもしかして大仏廻国の監督の枝正義郎がおもちゃ工場で働いてた英二さんを映画界に引き入れた事かな? -- 名無しさん (2020-06-29 21:02:42)
  • えんたにえいじ -- 名無しさん (2020-06-29 22:02:30)
  • 「太平洋の嵐」などの艦隊俯瞰シーンは「海は寒天、白い航跡は -- 名無しさん (2020-10-18 20:00:07)
  • ↑(すいません、なぜか誤作動で投稿されました。続きです)綿で出来ている」というのはよく言われるが、映画を見てみるとその航跡すら微妙に変化し波打っているようにしか見えない!当時はCGエフェクトなんて無かったはずなのにどんな技術が使われたんだろう? -- 名無しさん (2020-10-18 20:02:35)
  • グロは避けた…と言われるが怪奇大作戦の「人食い蛾」はよりリアルグロになるようリテイクさせたという。作品カラーごとに基準は異なるということかな -- 名無しさん (2021-04-08 15:55:00)
  • 戦前は「狂つた一項」とかホラー映画も手がけてるしね -- 名無しさん (2021-07-27 18:49:18)
  • (シン・ウルトラマンを観て)貴方の作品は今も愛され受け継がれてますよ… -- 名無しさん (2022-05-17 18:28:22)
  • シン・ウルトラマンを観てそう思ってくれるのはありがたい事だが、シン・ウルトラマンに限らず現在のニュージェネ作品もしっかり受け継いでいる事を忘れないでいただきたい。 -- 名無しさん (2022-05-17 19:18:02)
  • 現代の特撮は真っ向勝負じゃ予算とマンパワーで勝るハリウッドに負けるのが目に見えてるからアイデアとインパクトで勝負するのが主流になってるけど、そう思うと国内では「特撮」の概念すら希薄だった時代に歴史に残るようなインパクトのある作品を次々と作り出すアイデアを持ってたこの人は本当にバケモンだったんだろうとしみじみ思う -- 名無しさん (2022-05-17 19:34:39)

#comment

*1 兄弟のように育った叔父の円谷一郎への敬意からペンネームを「二」にしたという。
*2 誤解は解けたはずなのだが、パールハーバー(映画)にて、作戦会議の構図が「ハワイ・マレー沖海戦」の撮影風景の写真と酷似していたため、「まだ微妙に誤解が解けていないのではないか」という声があるとか無いとか……
*3 後にウルトラマンジャックの名が与えられた
*4 やりくりが上手すぎて回を重ねるごとに予算を減らされ続けるという弊害もあったそうだが

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