オウム真理教

ページ名:オウム真理教

登録日:2011/07/09 Sat 22:56:38
更新日:2023/11/17 Fri 11:00:56NEW!
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オウム真理教は、かつて世間を騒がせた新興宗教団体にしてオカルト系テロ組織。


+ 目次-

概要

一応、仏教系新宗教を名乗ってはいるが、教義的には従来の宗教をオカルト的に都合よく解釈した終末思想も含む思想体系的にも滅茶苦茶なものであった。
地下鉄サリン事件や弁護士一家殺人事件、松本サリン事件等のテロ活動で、日本を恐怖のどん底に陥れた。


警察に摘発された後は内輪揉めによって改称と分裂を繰り返し、教団自体は「アレフ」と改名し存続。
分裂した組織として有名なものには上祐史浩*1率いる「ひかりの輪」、公安調査庁からは「山田らの集団」と呼称される元金沢支部(正式名称不明)も存在する。



歴史

前史

1984年、後に麻原彰晃と名乗ることになる松本智津夫がヨーガ道場を設立した。この時までの彼は宗教やセミナーの梯子をしたりしている一介の鍼灸師であった。
その道場の名前は「オウムの会」*2。これが全ての始まりである。


この時点での麻原はいささか度が過ぎるきらいはあったものの、心優しく穏やかな宗教家であったとされる。
子供たちに「死んだら生まれ変わって虫になるかもしれないのだから、無駄に生き物を殺してはいけない」
「世の中にはご飯を食べられない子供も多いから、食べ物を粗末にしてはいけない」と諭していたともいう。
しかし妻はそんな麻原の宗教思想を理解する気は一切なく、やがて不和が生まれ、精神的に不安定になっていったという。


それから彼は、あの空中浮遊で一躍有名人となる。
そう、座禅をしたまま空中に浮かぶというあの技である。
その様子は週刊誌等に多く取り上げられ、一時的にブームとなった。
実際、『光戦隊マスクマン』のOPにて、谷隼人演じる姿長官が披露していたアレの元ネタである事は、誰の目にも明らかであろう。


他にも彼は、超能力開発を可能にして霊的進化を強める為の石ヒヒイロカネを発見!
…したという記事を雑誌に投稿した事が有る。


1987年11月には、何と!アメリカのニューヨークに支部を設立したうえ、チベット亡命政府の日本代表者ペマ・ギャルポとも接触した。
そして教祖麻原はペマ・ギャルポの助力により、チベット仏教で最も偉い人物だったダライ・ラマ14世と会談。
教団の凄さを世界中にしらしめた。


しかし、程なくしてペマは見切りをつけて完全に教団とは縁切り。
というより「麻原とは対談したが、オウム真理教の教義を認めたわけでもないし、仏教は一人の指導者に依存するものではない」という事で当初より関係はなかった。
さらに言えば、然るべき手続きを踏めば、ダライ・ラマと面会することはさほど難しいことではない。
寄付金さえ用意できれば、その辺のNPO代表だって対談できるのである。


オウム真理教自体、「人は必ず死ぬ。生きることは苦しい。だから解脱する必要がある」という教義は仏教を母体としつつも、
様々な宗教の良いとこ取りをしたちゃんぽんの教義であり、きちんと伝統宗教について学んだ者からすれば「単なる新興宗教」でしかなかった。*3


しかしオウム真理教は神秘現象や著名人との関係性を匂わせ、東大京大卒のエリート達を信者として取り込みつつ、徐々に勢力を拡大させていく。
当時の信者たちと交流のあった人物によれば「彼らはエリートといっても一流大学に所属する中では落ちこぼれだった」「彼らは天才ではなく秀才だった」と言っており、
そうした人々が救済を求めて信者となっていったようだ。


また当時は社会全体が過剰なまでの物質的欲望の肯定や拝金思想に陥っていたバブル景気の真っ只中で、金と欲望に彩られた世相から落伍した者、あるいは世相に疑念や拒否感を抱いた者が、精神的な世界に救いを求めて神秘主義に傾倒していったことも、オウムやこの時期に誕生した他の新宗教の躍進の理由でもあった。


そうしてオウムや麻原は結果として大人気となった。
大学などで講演に来てほしい人の上位常連になり、東京大学や京都大学でも、学生からの依頼で麻原の講演が行われた。
『真実の仏陀の教えはこうだ―幸福の科学の会員よ聞きなさい!』と同じく注目の新興宗教であった幸福の科学に正面からケンカを売り、テレビでバトルしたこともあった。


ともあれ、後述されるように極めてカルト的な洗脳要素はあったものの、これらの段階ではまだオウム真理教は新興宗教の領域を出ていなかった。


教団の暴走

ここまでなら、オウムは人気新興宗教団体として今日まで存続していたとしてもおかしくなかっただろう。
教団が暴走を始めたのは1988年の在家信者事故死事件からである。


当時オウム真理教の宗教法人化申請を行っていた麻原は、この事故死が法人化に影響を及ぼすと判断し、事件を隠蔽するよう教団に指示を出した。
結果的に本事件は発覚せず*4、翌年にはオウム真理教は宗教法人として認可される。


しかしこの事件を目撃していたある男性出家信者が教団に疑問を抱き、通報すべきではないかということを主張した。
結果、彼は秘密を守るよう強要され、それを拒むと拷問めいた修行をさせられ、なおも反発したため、麻原は「ポアするしかないな」と指示。
1989年2月深夜、四名の幹部たちによって彼は殺害され、やはりその死は隠匿された。


さすがに明確な殺人行為に幹部たちは動揺を隠せなかったため、麻原は「ヴァジラヤーナの教え」と言って「教団のためになる殺人は罪ではない」といって落ち着かせた。
以後、「悔い改める」的意味であったポアは殺人によって人の穢れた魂を浄化するとして、正当化すらされていた。
これがオウム真理教暴走の、直接のきっかけとなったと言えるだろう。
この案件に関与した幹部5人中4人が、次の事件にも実行犯として関わったのだから。


1989年11月4日、弁護士である坂本堤氏の一家が行方不明になるという事件が起こった。
未成年の出家など教団の危険性に気づいていた坂本弁護士は、信者を脱退させて家に帰すという活動を行っていた。
そこでオウム幹部らは邪魔者を排除するため、六名の幹部が坂本弁護士一家を皆殺しにしたのである。


この事件はオウム真理教のバッチであるプルシャが現場に残されており、犯人の遺留物であることが後に判明している。
しかし、坂本弁護士がオウム問題を扱っていたため、坂本弁護士が資料などとして持っていたプルシャという可能性が否定できず*5、更に坂本弁護士が労働運動にも関わっていたことで折り合いの良くなかった神奈川県警は「事件性無し」と判断。*6
遺体が発見される迄の6年間、失踪事件として扱われる事になる。


さらに坂本弁護士一家殺害となったきっかけは、TBSがオウム真理教幹部に抗議された際、資料として無断で提供した坂本弁護士に対するインタビュー映像であった。
両者の対応には未だに批判が強いとはいえ、当時既にオウム真理教は社会現象化してはいたものの、まだ危険視されていなかった事の証拠だとも言える。
坂本弁護士一家の遺体は各地に隠され、1995年、サリン事件から教団に捜査の手が伸びてようやく発見された。


以後、オウム真理教はカルト教団のテロリスト集団としての性質を強めていく。


オウム真理教のテロリスト化

麻原は「自分たちが正しい」という事を正当化するため、麻原を日本の王とする政教一致の理想国家の建立を目標としており、首都移転や天皇制廃止などのヤバすぎるエッセンスを盛り込んだ、
あの悪名高い『日本シャンバラ化計画』*7を画策する。


その手始めに1990年には「真理党」を立ち上げ、信者とともに衆議院選挙へ立候補。麻原の張りぼて仮面を被った選挙活動と妙に中毒性の高い音楽はテレビでも取り上げられた。
しかし、最も票を取った麻原でも僅かに1783票しか取れない大惨敗。(参考:最下位当選者は66337票)
麻原は「これは国家権力による陰謀だ!」と考え、政権を奪取するには武力しかない、との結論に至った。
ここからオウム真理教は、テロ組織への道を歩み出すことになるのである。


オウム真理教は在家信者の経営する鉄工場を乗っ取り、また海外のテロリストと連携してロシアから武器の設計図を確保、自動小銃の密造を開始する。
さらにサリンプラントを始めとする毒ガス製造施設を次々と建設し、サリンガス・VXガスを用いた襲撃・暗殺・粛清を幾度となく繰り返し、幾人もの死亡者を出していくことになる。


著名人ではオウムに対して批判的だった漫画家の小林よしのり、創価学会のトップ池田大作、また坂本弁護士と共に反オウム活動をしていた滝本太郎弁護士なども標的となった。


また同時期から「世界は滅びるが、オウムを信じていれば助かる」と終末論を訴えるドゥームズデー・カルトとしての側面を急速に強めていく。


サリン事件とオウムの崩壊

1994年6月27日、長野県松本市の住宅街で大量のサリンが撒き散らされ、多くの住民の命が奪われた。
これが「松本サリン事件」である。


教団は松本市で土地購入をめぐって住民トラブルが発生して長野地裁松本支部で裁判になっていたのだが、その裁判官の暮らす官舎にサリンをまいて裁判をかく乱しようと図ったのだった。
噴霧されたサリンは風向きの関係か裁判官官舎はかすりもせず、近隣を襲い多くの死者を出す惨事となった。


長野県警は当初、あろうことか第一通報者を容疑者として取り調べるなどというずさんな捜査をおこない、マスコミがそれに便乗するという馴れ合いが発生。
裁判官官舎の被害がなかったこともあってか、犯人の動機を察するのが遅れてしまった。


この冤罪事件は最終的に『松本サリン事件に関する一考察』という怪文書が各所に届けられるまで、半年間解決しなかった。
この怪文書は未だに著者が不明だが、オウムが資産家一家を拉致して資金を確保し、各所で発生した異臭事件と関連付けてサリン製造を行っていることを暴露、
噴霧方法に対する推測を交えつつ「第一通報者は無実である」とするものであった。
結果、ようやく警察の捜査の目がオウム真理教へと向けられる事になる。


そして翌年の1995年3月20日、オウムは警察の目を教団から反らす為に、今度は霞ヶ関の地下鉄にて大量のサリンを撒き散らし、多くの乗客や駅員の命を奪った。
そして、これが世に言う「地下鉄サリン事件」である。


オウムは地下鉄を通じて首都圏の主要な政府関連人物を攻撃できると判断しており、
結果的にオウムの想定ほどの規模には至らなかったものの、極めて広範囲かつ大勢の人命を損なう結果をもたらした。
これは史上初の化学兵器テロ事件として、文字通り世界の歴史に残る大惨事であった。


余談だが、サリンには殺人以外用途は全くない
ドイツで開発されたサリンは有機リン系の物質で、有機リン系の物質の中には農薬として使われるものも存在するのだが、
サリンは毒性があまりにも強くとても農薬などには使えないようなシロモノなのである。
はやい話、サリンは有益な事には使えない悪魔の道具なのだ。
ちなみに、VXガス製造に関わっていた元教団幹部のひとりは、2017年にマレーシアの空港で金正男氏が暗殺された際に身体に現れた症状から「VXガスの症状と共通するものが見られる」と証言し、マレーシア政府が捜査のためにコンタクトをとってきた。


しかしオウムの目論見ははずれ、事件発覚の二日後、遂に教団へ警察の強制捜査が実施される。
これによってオウムが計画的にサリンを製造していたことが明らかになり、また教団に不審を抱いていた幹部の一人が「麻原彰晃の指示で行った」と自白。


一連の事件を起こしたことにより、オウム真理教はアメリカ政府によりテロ団体に指定されることに。
アルカイダと同列に扱われていた。


1995年3月30日には國松孝次警察庁長官狙撃事件が発生。
当然それで捜査の手がとまることはなかった。
陰謀論としては捜査かく乱を狙ったオウムの犯行が疑われたが、現在に至るまで真犯人が不明であり、オウムの犯行という証拠はない。(こいつらみたいな便乗犯という可能性もないわけではない)
警察は2010年の時効成立にあたって犯人をオウムと名指しする会見を行ったが、無罪推定原則を踏みにじって名誉を毀損したとして逆にオウムに賠償金を払う羽目となっている


そして1995年5月16日、山梨県上九一色村にあったオウム教団施設へと警察は突入。
同日にはオウムから東京都庁へ小包爆弾が送られ重傷者を出したものの、強制捜査は予定通りに実施された。
事前情報によって一階屋根裏の隠し部屋が暴かれ、隠れていた教祖麻原こと松本は逮捕された。
また一連の事件がオウム真理教の仕業であることも白日のもとに晒された。


教団解体と破防法の見送り

こうしてオウム真理教事件はひとまずの幕を下ろすこととなる。
その後は、マスコミ各紙、メディア各局による報道特集が組まれ一時は幼稚な集団として侮られ、そんな大それたことが出来る筈がないとの意見すらまかり通り、メディアにすら出演していたオウムの邪悪な実態が明らかにされていく。
この中で、坂本弁護士一家の埋められた場所まで明らかにされ、改めてオウムに関する疑惑の全てが真実であったことが知らしめられたのである。


この、宗教の名を騙り、そしらぬ顔で弾圧をも訴えていた未曾有の犯罪集団に対して95年10月30日に東京地裁より解散命令が下される。
同年12月19日の東京高裁において、即時抗告が、翌96年1月30日の最高裁において特別抗告が共に棄却され、宗教法人法上の解散が確定した*8


96年7月11日には公安調査庁より『破壊活動防止法』の適用も検討されたが、翌97年1月31日に公安調査委員会により棄却され適用が見送られた。
これは、首謀者クラスが軒並み刑事裁判にかけられている状況下において、今後も破壊活動を行うとみなすだけの危険性が認められなかったためであった。
また、破壊活動防止法を適用しても逆に信者たちが地下にもぐり、もっと危険になることを恐れる指摘もあった。


ただ、破壊活動防止法に代わって団体規制法が制定され、オウムやその後継団体は今でも公安調査庁による監視下に置かれている。


教団解体後~麻原の死刑執行まで

2004年、麻原彰晃こと松本智津夫には死刑判決が下された。
また、多くの幹部にも死刑等の重い判決が下された。


一部の幹部、特に最後の三人の幹部はしぶとく逃亡を続け、長らく全国各地の交番や警察署の指名手配写真でおなじみの存在となっていたが、とうとう2012年の元旦にその内の1人が出頭して逮捕され、これを皮切りに残りの2人も逮捕された。
長い年月が経過していたこともあってか三人の容姿は当時の指名手配写真と大きく変わっており、特に、最初に出頭した幹部の平田は警察に正体を打ち明けてもなかなか信じてもらえなかったという。


現在は、服役中の上級幹部や、一般人として生活している松本死刑囚の実娘もメディアに協力的な態度を示すようになり、少しずつ当時のことを話すようになっていった。


その中でも特に積極的に実名顔出しでメディアで発言をしている松本死刑囚の三女・松本麗華*9氏は、「当時の教団の危険性や異常性は認めるが、実の父親である松本智津夫への肉親としての情は捨てきれない」というスタンスを取っており、獄中の松本への想いをたびたびツイッター等で吐露している。


一方で麻原の6人の子供達のうち、四女は「松本聡香」のPNで姉の麗華とは真っ向対立する主張を行なっており父の所業を強く批判、次女・麗華・下の弟2人VS聡香という骨肉の争い構造となっている。また双方に社会運動家や評論家の支援者*10がつき彼らを巻き込んだ争いとなっている。なお、麻原長女は一度窃盗で逮捕されて以来これらの動きから距離を置いて静かに暮らしている模様。


松本は獄中で奇行を繰り返していた*11とされ、事件に関して意識的に口を閉ざしているというよりは、もはや自分が何をやったのかすら覚えていない心神喪失状態だったのではないかという説もある。
そのような状況から、松本麗華氏は「こんな状態の父に死刑を執行するというのは、真相が明らかにならないばかりか人権侵害ですらあり、しかるべき治療措置や家族への面会、情報の公開を認めてほしい」と度々主張していたが、警察側や四女の聡香とは話の食い違いや意見の相違がみられ、事態は進展していなかった*12


そんな中、2018年(平成30年)1月死刑執行の最大の障害であったオウム関連の裁判がすべて終結。
死刑を執行すると証言が取れず、一部の犯人が証拠不十分になる可能性が危惧されたが、裁判の終結によりそのリスクが消滅した。
そして同年、3月東京拘置所からオウム真理教の幹部であった死刑囚たちが全国の拘置所に移送される。死刑施行の負担を分散させるための措置ではないかとみられ、同年内での死刑執行の憶測が流れた。


そして、同年7月6日に教祖麻原以下幹部七名、同月26日に残る六名の幹部の死刑が執行された。
麻原は何を思ったか、遺骨の引き取り先に自身を批判していた四女を指名。しかし上記の事情から骨肉の争いや、信者に利用される可能性を勘案して当の四女も引き取りに行けない状況になっている。
ちなみに、2018年下半期は西日本豪雨や北海道地震などの災害が多く、「麻原の呪いじゃね?」的なネタも飛び交ったとか…


一方、こうしたカルト的行為に関わらず、ただ宗教としてオウム真理教を信じていた人々もいる。
彼らはその後、いくつかの宗教団体を結成し、世間の目に晒されながら細々と活動を続けている。
教祖の死刑の後、遺体の引き取り手を巡って対立が発生。
下手なところへ引き渡せば、遺体や遺骨がそのまま崇拝対象になってしまう危険性が高いため、公安関係者は頭を悩ませている。
麻原は何故か自分を批判していた聡香を引き取り手に指名したというが、この状況下で彼女も引き取りに行けず宙ぶらりんになっている。


事件と教団の影響

宗教の素晴らしさとは、麻薬無しに人に心の安らぎを与える事であるが…


オウムは狂信者を生産する。


信者を劣悪な環境の蛸部屋に押し込み、心身共に衰弱させ、財産は寄進という形で没収し、「強制的に狂信者にする」
当然、世間への逃げ道も無い。
「松本智津夫奉仕団体」は、こうして形成されていった。
「カルト」の恐ろしさを如実に表した事件ではなかろうか。


警察はなぜ防げなかったのか?という話はよく聞くが、当時はそんな宗教団体を追うよりロシア人を追う方が優先されていたとか。
真面目な話、日本では「表現と宗教と思想の自由」が認められている。
つまり「なんか怪しい宗教」とか「何か危ないことを考えている」だけでは、決して逮捕できないし、してもいけないのだ。


しかしそれまで「カルト宗教が首都でテロを起こす」などという話は、フィクションの中だけの荒唐無稽なものであったが、オウムはそれをあっさり実行してのけた。
これら一連の事件を教訓とし、日本を含む世界各国では警察組織の大幅な見直しが成された。
また、東京では駅のホームに置かれていたゴミ箱が撤去されるなど、大小様々にその後の社会に影響を与えている。


当時は東側諸国がことごとく破綻し、東西冷戦が終結。中核派や連合赤軍といった過激派の活動もすっかり下火になり、
共産主義者によるテロリズムの脅威が忘れられつつある時代であった。
そんな中で起きたこの事件は、「カルト宗教」という新たな脅威の存在を社会に知らしめたのである。
影響の大きさでいえば、同年の阪神大震災をもしのぐ大事件だったと言える。
今なお続く「テロとの戦い」は、2001年の9.11アメリカ同時多発テロを嚆矢とするが、
その萌芽は6年前のオウム事件の時に既に存在していたとは言えないだろうか。


事件から20年以上が経過し、世間からはすでにあの人は今状態になっていたオウム真理教だが、教祖らの死刑執行から再び注目を集め、後継団体が未だに麻原を崇拝していることが報道された。



余談

空中浮遊トリックの解明

松本が座禅をしたまま空中に飛ぶ姿を初めて見た者達は、誰もが最初は超能力だと思った。
しかし、実はアレは座禅をしたままジャンプしていただけであり、練習すれば誰でも実現可能(江頭2:50も練習の末に会得したことがある)。
速い話、多くの人がこういう事をしない為、騙された。
そもそも空中浮遊が代名詞のはずなのに絞首刑で死んでるし


…と、まぁ話はここで終わりだが、はっきり言ってオウム真理教がやったことは犯罪集団(テロ組織)となんら変わらないのである。
創価なんて目じゃねぇ*13
オウムをテロリスト、サリンを爆弾と置き換えれば納得が出来るだろう。
オウムは製造が楽且つ都市部に有効なサリンを使い、テロリストは入手が楽且つピンポイント撃破できる爆弾を使ったというだけである。


シガチョフ事件

実は逮捕された麻原を奪還、逃亡させようとする計画もあった。
当時のオウム真理教海外支部の中でも特に麻原信仰が強いとされていたロシア・モスクワ支部、その中でも筆頭格と目されていたドミトリー・シガチョフという人物は嘗て麻原が個人的に出家信者ヘ昇格させる等、その熱心さにより気に入られており、シガチョフもまたオウム真理教と麻原の為なら全てを投げ打つと常日頃から周りに言っていた程であった。


そんな矢先に地下鉄サリン事件が起き、海外にも危険なカルト宗教としてオウム真理教の悪名は一気に広まる。
本部の主要メンバーが次々と逮捕され、支部を展開していた国々では忽ち閉鎖に追い込まれるなど活動を規制されていくが、それでもオウムの教義を、麻原を頑なに信じ続ける者達は密かに信仰を続け、様々な手段で情報を交換し合った。


当然シガチョフのロシア支部も当局による苛烈な規制対象となり、加えて日本のロシア支部担当であった幹部が事件後に脱麻原路線へ転じた事へ反発。
同じ思想を持つ同志らと独立グループを結成し先鋭化していき、遂に麻原逮捕の情報がもたらされると「尊師が居なければオウムの思想、そして世界は破滅する」という妄想を爆発させ、麻原を日本から脱出させる為の計画を実行に移し始める。


だが途中で計画の為に使う爆弾の製造に必要な部品を注文したら専門家にそれを見抜かれて通報されたり、組立て作業中にうっかり起爆させアパートの一室を吹き飛ばしてしまい、グループメンバーが負傷する等といったドジを踏み続ける内に当局に睨まれ、更に上祐史浩の元へロシア支部の穏健派信者からシガチョフのグループが、麻原の身柄を奪取すべく日本でテロを企んでいるようだと密告されてしまう。


上祐はすぐに公安ヘこの事を報告し、自らも当時代表だったアレフの信者らと共に24時間体制で監視や情報収集に当たったり東京入国管理局に入国を認めないよう交渉するが、結局管理局はシガチョフらの入国を許してしまう。
このままでは爆弾テロが決行されてしまうと危惧した上祐はシガチョフらの目的地、九州・沖縄サミットの開催地であった沖縄への到達を断固阻止すべく独自に捜索した結果、福岡に滞在している事を突き止め警視庁、及び福岡県警に通報。


そして捜査員に発見され説得を受けたシガチョフらは既に自分達に自由な行動は取れないと悟り計画を断念、新潟を経由してロシアヘ帰国後に逮捕された。


この一連の出来事はシガチョフ事件、またはシガチョフ・チェイスとも称され、危険さを何度も上祐から訴えられていたにも関わらず入国を許可してしまった東京入国管理局の対応が問題となった。


関係企業

オウムはフロント企業として、いくつもの店舗を経営しており、利益を教団の活動資金に充てていた。
従業員は当然信者であり、修業の一環として「ワーク」という名前の無料奉仕をさせていたため、人件費はかからなかった。*14
そんな超ブラック経営にもかかわらず、経営状態は芳しくなかったようである。


スポークスマンの上祐は当時「教団の総資産は数千億」と豪語していたが、実際には数十億程度であり、そこそこ成功した中小企業レベルであったようだ。
なお、解散命令が出た際、それらの資産は教徒に分配して預けたが、そのほとんどがトンズラブッこいてポッケナイナイした
狂信者もお金の魔力には勝てぬのか、はたまたどこかに隠したのか…


イタリアンうまかっちゃん

喫茶店。
ラーメン屋みたいな名前してるな


うまかろう安かろう亭

とんこつラーメンの店。事件後にオウムが注目を浴びていた時期は、店舗の外まで聞こえる大音量で教団の歌を流していた。
メニューには「ハルマゲ丼*15」や「九菜ラーメン*16」などのオウムネタに掛けた駄洒落があったり「アストラルドリンク」なる謎のオリジナルドリンクを提供していたらしい。またオウム真理教が開発した自称空気清浄機の「コスモクリーナー」が稼働していた。


オウムのお弁当屋さん

持ち帰り弁当、宅配弁当の店。
味については普通だったらしい。のちに高級路線の仕出し弁当も展開した。
麻原の顔をデフォルメしたイラストがチラシに使われていた。にこやかながらもクッソ汚い麻原の特徴をよく捉えたイラストである。
麻原本人が厨房に立っていたわけではないとはいえ、飲食店で長髪ヒゲ伸ばしって問題ありすぎじゃないですかね…。


あの岸部四郎も常連客だったらしい。また、バブル絶頂期にしてはのり弁が290円と名前とは裏腹にかなりの人気を獲得し、大企業や官公庁、大手ゼネコンの工事現場と言った宅配大口顧客も多数抱えていた。


オウムのスナック屋さん

スナックバー。


カフェテリア運命の時

カレー屋。


マハーポーシャ

DOS/Vパソコンのメーカー。人件費がかからないという利点を活かして、価格を抑えていたため、性能の割に非常に安かった。
一方でアフターサポートについては、あまり評判はよくない。
オウム関連企業の中では唯一好調で、1日で1億円を売り上げたこともあったという。


店舗としてのマハーポーシャは事件後の95年末までには閉店するも、教団運営のPCメーカー事業は複数の別の名称の店舗を展開してその後も活動を続けた。
「マハーポーシャ」は、店舗名、メーカー名であると同時に、上記の飲食店等を統括する親会社としての名前でもあった。


株式会社ヴァジラ アヌッタラ ヒタ アビヴッディ精密機器工業

長ったらしい名前の工場。
元はオカムラ鉄工所という普通の工場だったのだが、信者でもあった社長が経営が芳しくないと麻原に相談したところ麻原が2ヶ月で無借金にすると豪語し新社長に就任。


その結果わずか2ヶ月で倒産、工場もオウムによって乗っ取られてしまった。
オウムはこの会社の機械を流用して自動小銃を密造していたとされる。


パロディ

1999年に公開された映画『地獄』でオウム真理教をモデルにした「宇宙真理教」という宗教団体が登場しており、その教祖である瘡原(かさはら)*17はまんま麻原そのものであった。
というか、オウム真理教やそれに関わる事件も劇中で再現されている上に教祖達が普通に「ポア」を口にしていた。
もっとも、モチーフと大きく違う点は教祖や幹部達が死後の世界で閻魔大王に裁かれている様子が描写されている事であろう。


1998年公開の日本・香港合作「ホーク/B計画」では逮捕された教祖を釈放させるため、化学兵器によるテロを起こすとの脅迫を行っている。
教祖の姿は長髪で髭もじゃ、座禅を組んだ姿で描写されている。


またWiiウェアで配信されたゲーム『ディシプリン*帝国の誕生』でも麻原や元幹部の上祐史浩をモデルにしたと思われるキャラクターが登場する。


ヤクザ漫画、「白竜LEGEND」では、ラーメン屋の地上げ計画に介入した際、黒須組が隣の既に地上げされた店舗に、明らかにオウムを元ネタにした新興宗教「アース教」の分派「日ノ本教」を名乗り入居。
値段を吊り上げようとしぶとく居座っていた店主だが瞬く間に地価が下がり、自治体も本当はアース教と無関係の様で、問題を起こすまで手出しができないと返答され、やむを得ずこれ以上地価が下がる前に手放す。


頭文字D」でも当初赤城レッドサンズ、後プロジェクトDの交渉担当として「史浩」という人物が一貫して登場しておりその肩書から苗字が見えていたのだが、実質的続編の「MFゴースト」にてまさかのそのまんまの名前で登場している(ただの暴走族走り屋チームのメンバー*18であり特に危険思想などを持っているキャラではないが)。







追記・修正は空中浮遊をしながらお願い致します。
くれぐれもサリンにはご注意を…。


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*1 事件直後当時は教団スポークスマンとして有名で、殺人やサリンの製造散布には直接関わらず土地取得に関する偽証や文書偽造で実刑判決を受けた元幹部。
*2 後に「オウム神仙の会」と改名。
*3 伝統宗教の側は、オウムに限らずカルト化した新興宗教団体を本来の教義でもって論破すべきだった、という意見もある。
*4 後に発覚した際も結局立件は見送られた。
*5 実際坂本弁護士は一つ保有していた。ただし、事務所で保管されており、家には置いていなかった。
*6 捜査関係者からは、「オウムも捜査していたが、手の内を明かして逃げられるリスクがあった」と言う声も上がっている。
*7 シャンバラとは理想の仏教国の意。
*8 宗教法人としての免税などの措置が受けられなくなるだけで、個々人が信仰をすることは禁止されない。
*9 事件直後は未成年ということもあり教団内部での呼称であるアーチャリーの名前でも知られた。
*10 麗華派に森達也や雨宮処凛、聡香に江川紹子や滝本弁護士。
*11 医師と面会しても相槌のような言葉しか言わなくなり、果ては弁護士や面会に来た娘たちの前でオナニーを始めたという。
*12 刑事訴訟法上、心神喪失になると死刑は執行することができない。
*13 オウムと違い社会的な権力はあるが。
*14 全く支払わないのは法律違反になるので、形式的には支払ったうえで信者の全額寄付という形で回収していたのだという。
*15 春巻き丼。名前から内容をイメージしにくかったのか後に「春巻き丼」というダイレクトなものに名前が変わった。
*16 亀戸店のみのメニュー。「救済」に引っかけた洒落。
*17 瘡原は史実同様本名ではなく、本名は松本静男
*18 当人が走る場面は最後までなかった

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