ジャガー横田
横田 理美(よこた りみ、1961年7月25日 - )は、日本のプロレスラー、後にプロレストレーナーであり、ジャガー横田(Jaguar Yokota)の名でプロレスを行った。1980年代前半の全盛期には、性別に関係なく世界で一番優れたレスラーの一人とみなされていた。
経歴
1961年7月25日、東京都生まれ。全日本女子プロレス(AJW)のヘッドライナーとして活躍。WWWA世界シングル王者として2度の王座を獲得した。
全日本女子プロレス(1977?1986年)
1970年代のスター、ビューティ・ペア(ジャッキー佐藤と上田麻希)に触発されてAJWに参加した横田は、1977年6月28日、15歳のときに東京で高橋真弓を相手にデビューした。1980年1月4日にAJWジュニア王者となり、初のベルトを獲得した。同年12月17日には堀あゆみとのコンビでWWWA世界タッグ選手権を獲得、その2日前にはナンシー久美に勝利して初代AJW王者にもなった。1981年2月25日、原点であるジャッキー佐藤を破り、WWWA世界シングル選手権を獲得し、それまでで最大の成功を収めた。初の王座奪取時、彼女は19歳であった。
1983年5月7日、ラ・ギャラクティカにマスク対ヘアマッチで初代世界王座を奪われ、1ヵ月後に奪還した。2度目の世界選手権では、デビル・マサミやライオネス・アスカ(クラッシュ・ギャルズ)と抗争を繰り広げたが、1985年に肩の負傷により王座を返上した。
引退(1986?1995年)
1986年(24歳)に早期引退した後、AJWのトレーナーとなる。豊田真奈美、山田稔世、工藤めぐみ、井上京子、井上貴子などが教え子として有名である。
1994年11月20日、横田は引退からビッグ・エッグ・レスリング・ユニバースでプロレス復帰。バイソン木村と組み、ライオネス飛鳥、小倉由美と対戦し、10分の時間制限で引き分けた。横田によると、これが本格的にプロレスに復帰するきっかけになったという。
Jd」(1995年~1998年)
1995年、引退後、自身のプロモーションであるJd'を立ち上げ、1998年に2度目の引退をするまで、トップスターとして活躍した。
引退(1998年~2004年)
1998年から2004年まで、家庭を持つために引退生活を送った。
フリーランス(2004年~現在)
2004年8月、結婚。その後、フリーランスとしてプロレスに復帰し、ハッスルではジャガー・Yとしてモンスター派に所属していたこともある。
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