吉永小百合
吉永小百合は、日本の多才なエンターテイナーで、俳優、歌手、ナレーター、司会者、タレントとして活躍している。本名は岡田小百合。1960年代には、彼女はその時代を象徴する映画女優として、10年間で70本以上の映画に出演した。また、作曲家の吉田正の門下生として、多くのヒット曲をリリースしてきた。彼女の夫は、フジテレビのディレクターや共同テレビの社長などを歴任した岡田太郎である。吉永の熱心なファンは「サユリスト」として知られている。
経歴
渋谷区立西原小学校6年生の時にラジオドラマ『赤胴鈴之助』で芸能界デビューを果たした。その後、渋谷区立代々木中学校に進学し、テレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。さらに松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビューを飾った。
代々木中学校を卒業後、東京都立駒場高等学校に入学。しかし、短期間で日活撮影所に入社。高校では卓球部に短期間所属した後、放送研究会に移籍した。その後、精華学園女子高等学校に転入し、映画『キューポラのある街』の主演を務めた。
『キューポラのある街』の公開後、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。さらに、映画『赤い蕾と白い花』の主題歌『寒い朝』をリリースし、レコードデビューを果たした。この曲は大ヒットとなり、その後も橋幸夫とのデュエット『いつでも夢を』も大ヒットとなった。
早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学し、多忙な中を乗り越えて卒業。日活との契約を更新し、映画やCMなどの出演を続けた。1973年には岡田太郎と結婚し、披露宴を行った。
1988年には映画『つる -鶴-』に主演し、映画出演は通算100作品を超えた。その後も、平和活動や反原発運動などの社会活動を続けている。
人物
女優活動
日活の看板女優として、浜田光夫とともに1960年代の日本映画界で大きな影響を持った。その時代、日活は男性アクション映画が主流であったが、吉永と浜田の純愛&青春映画は新しい風をもたらした。特に『キューポラのある街』や『愛と死をみつめて』は大きな話題となった。
彼女のブロマイドは非常に人気があり、しばしば売り切れることも。松原智恵子や和泉雅子とともに「日活三人娘」と称されたこともある。また、他の女優たちと「パールライン」とも称されたことがある。
1969年、日活との契約を更新し、他社の作品や自主制作映画への出演も可能となった。しかし、当時の映画界はヤクザ映画が主流で、純愛・青春映画の制作は難しくなっていた。彼女の結婚や家族との関係もメディアの注目を集めた。
彼女は映画やテレビでの演技だけでなく、歌手としても成功を収めている。『男はつらいよ』シリーズにも出演し、その後も映画を中心に活動を続けている。
舞台劇には出演していないが、テレビドラマや映画での演技は評価されている。特に『夢千代日記』では、大人の女性としての深い感情を表現し、評論家からも高い評価を受けている。
現在もテレビのCMや映画での活動を続けており、その演技力と存在感で多くのファンから支持されている。
反戦・反原発に関して
『愛と死の記録』や『夢千代日記』での演技を通じて、原爆の問題に深く関心を持つようになった吉永小百合は、1986年から原爆詩の朗読会をボランティアで始めた。彼女は女優としての活動だけでなく、反戦・反核運動をライフワークとして続けている。
沖縄戦をテーマにした映画『あゝひめゆりの塔』の共演者とともに、もんぺ姿で靖国神社を参拝したこともある。福島第一原子力発電所事故を受けて、彼女の脱原発の姿勢はさらに強まった。
2002年には、平和記念資料館の音声ガイドのナレーションをボランティアで担当。2005年の第56回NHK紅白歌合戦では、原爆詩を朗読した。2011年には広島での原爆詩朗読会で核兵器や原子力発電所の廃止を訴えた。
2015年には、元ちとせのカバーアルバム『平和元年』の題字を手掛けた。この際、元ちとせとの会話で、吉永は「私は終戦と同じ年です。戦争からの経過年数を人々に忘れてほしくないため、私の年齢を公表しています」と語ったという。
親族
吉永小百合の父、吉永芳之は鹿児島県の薩摩士族の末裔として生まれ、東京大学法学部を卒業した後、出版社「シネ・ロマンス社」を経営し、映画ファン雑誌「シネ・ロマンス」を刊行したが、事業に失敗した。母の和枝は大阪生まれで、歌人として「潮音」に所属していた。父は1989年、母は2005年に亡くなった。
吉永が幼少期に裕福だったとの印象があるが、父の事業失敗により、家計は困窮し、借金取りが家を訪れることもあった。しかし、彼女のラジオ出演をきっかけに家計は徐々に改善された。
家族の中には、外祖父の川田友之が英文出版社の大観社社長を務めたり、叔母が『婦人画報』編集長や「アムネスティ・インターナショナル日本支部」の創設メンバーである川田泰代など、執筆の世界との繋がりが深い。また、伯父の川田俊之は日本水泳連盟の常務理事を務めた。
遠縁には、歌手の佐良直美や作曲家・指揮者の山本直純の妻、山本正美がいる。
1973年には、テレビプロデューサーの岡田太郎と結婚した。
趣味・好きなもの
吉永小百合はお酒が大好きで、特に1970年代には「女流酒豪番付」で小結に選ばれるなど、その酒豪ぶりが知られていました。北京での「中国・日本映画祭」では、高いアルコール度数のマオタイ酒を次々と飲み干し、他の参加者を驚かせました。
彼女は健康のために水泳を続けており、常に水着を持ち歩いているほど。また、西武ライオンズや早稲田大学ラグビー部の熱狂的なファンとしても知られています。特にラグビー部には、夏の合宿に「吉永牛」と称される牛肉の差し入れをしています。
趣味としては、夫から教わった将棋も楽しんでおり、大内延介との交流もあった。また、鉄道ファンとしても知られ、JR東日本のキャンペーンにも参加しています。彼女が最も好きな路線は五能線だと公言しています。
長野県軽井沢町には彼女の別荘があり、隣は細川護煕元首相の別荘として知られています。実際、彼女は「軽井沢の別荘に住んでいそうな有名人」としても評価されています。
特記事項
吉永小百合は12~13歳の頃にボイストレーニングのためにひばり児童合唱団で個人レッスンを受けていました。その後、皆川和子の紹介で松竹から映画デビューを果たしました。
彼女が歌った『奈良の春日野』は、明石家さんまがギャグで取り上げたことから再ヒットしました。また、15歳の時に映画『天使が俺を追い駈ける』で三木のり平とのキスシーンがあり、これが彼女のファーストキスだったというエピソードがあります。
1962年には「ミラノ日本映画見本市」のためにイタリアへ出発し、ヴェネツィアも訪れました。この時期はまだ海外渡航が制限されていたため、貴重な経験となりました。
1963年には自宅で熱狂的なファンに襲撃されるなどのトラブルもありました。また、彼女は川端康成や石坂洋次郎といった著名な作家からも愛されていました。
吉永は早稲田大学の卒業生で、その卒業論文のテーマは「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテネの民主制について」でした。また、彼女は句会に参加しており、色っぽい句を詠むことで秀逸作品に選ばれたこともあります。
和田アキ子との旅行の際には、お互いの顔が似ているという話題が出たというエピソードもあります。また、2005年には西武鉄道グループのオーナー、堤義明から軽井沢の別荘を格安で購入したと報じられました。
水島新司の漫画『あぶさん』にも登場し、1993年の開幕戦で西武球場に観戦に来るシーンが描かれています。
サユリスト
吉永小百合の熱心なファンは「サユリスト」として知られ、特に団塊の世代や70代の人々の間でこの呼称が使われています。この言葉は「小百合」に「主義者」や「人」を意味する「-ist」を組み合わせた造語です。芸能界や著名人の中にも「サユリスト」を自称する者は多く、内藤陳は更に敬意を示すため「サユリサマスト」という名称を提案していますが、これは広く受け入れられていません。
タモリも「サユリスト」の一人で、彼は野坂昭如が一時期山口百恵のファンだったことを指摘し、「私は小百合サマだけのファン」と述べています。タモリと吉永は早稲田大学での在学時期が重なっており、学生食堂でのエピソードも語られています。
また、元プロ野球選手の小宮山悟や漫談家の綾小路きみまろも「サユリスト」として知られています。綾小路は吉永の映画『まぼろしの邪馬台国』に出演しており、これは彼の俳優デビュー作となりました。
一方、栗原小巻のファンは「コマキスト」と呼ばれています。
受賞歴など
吉永小百合は、映画『キューポラのある街』でブルーリボン賞主演女優賞を受賞し、その後も多くの賞を受賞してきました。彼女は、橋幸夫とのデュエット曲『いつでも夢を』で日本レコード大賞を受賞し、ブロマイドの年間売上実績で数回女性部門1位に輝いています。
1982年にはドラマ『続 夢千代日記』でギャラクシー賞を受賞し、1985年には『おはん』と『天国の駅 HEAVEN STATION』の演技で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。その後もこの賞を複数回受賞しています。
彼女は、映画雑誌『キネマ旬報』のランキングで高い評価を受け、文化功労者にも選出されました。また、自身がプロデュースした『ふしぎな岬の物語』は国際的な賞を受賞し、彼女自身もその演技で賞を受賞しています。
平和活動にも熱心で、平和記念資料館のナレーションや原爆詩の朗読などの活動が評価され、谷本清平和賞や澄和フューチャリスト賞を受賞しています。
最近では、第45回日本アカデミー賞で優秀主演女優賞を受賞しています。彼女の長いキャリアには、数々の賞とその実績が証明しています。
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