大泉 洋
大泉 洋(おおいずみ よう、1973年4月3日 - )は、日本の俳優、タレント、声優、コメディアン、作家、歌手、元・北海道のローカルタレント。愛称は「洋ちゃん」。所属事務所はCREATIVE OFFICE CUE、業務提携先はアミューズ。演劇ユニット・TEAM NACSに所属している。かつては、音楽ユニット・FAN TANにも所属していた。北海道江別市大麻 出身。北海学園大学経済学部卒業。身長178cm。妻はフジテレビドラマプロデューサーの中島久美子。
小学生時代に両親が車でかけていた落語のテープを、暗記するまでに聴き込んでいたことがトーク力を養った。小学校では同級生2人と一緒にしたコントがウケたことから、人気者だったという。
一方、中学・高校時代は目立たない存在で、物事を斜めに見るようになっていた。理由に関しては「人前で何かをするのがカッコ悪いように思えたのと、高校時代に僕をウワッと押す人がいなかった」「期待されていたらやっていたけど。『やれよ大泉!』って言う場がなかった」と話している。
大学時代も、2浪しながら、志望校ではない北海学園大学に入ったため、当初は死んでもいいと思うくらいに落ち込んでいた。音尾琢真も「全く喋りし笑いもしない。ブスッってしていて雰囲気悪かった」と話すように、当初は後のTEAM NACSのメンバーとも馴染めなずにいた。そんな中、大泉が『ルパン三世 カリオストロの城』の物真似をして、周囲に馴染むようになった。受験の失敗が結果的には、TEAM NACSのメンバーとの出会いや、テレビ出演につながったことから「最低な出来事も、実は自分にとってものすごく最高な出来事だったりする。悪いことが起きると、若干ちょっとワクワクするところあるんです。きてるよ、いいことあるよって」と何事も前向きにとらえられるようになったという。
大学時代に高等学校地理歴史の教育職員免許状を取得しており、大学卒業後は教師になる予定だった。当時のテレビ出演はあくまでアルバイトであり、「テレビは思い出作り」と公言していた。このため、大泉の母は未だに(冗談ながらも)「今からでも先生になってくれないか」と言っている。実際のところは、大学卒業当時、不況で就職難だったため「とりあえず目の前にあるテレビの仕事や劇団の活動をしっかりやっていこう」という意識も強かったとのこと。
テレビ初出演は大学一年生の頃の1994年にHBCで放送された夕方のニュース番組での特集インタビューに一般人としての出演であった。この時、HBCが北海学園大学の取材に来ることを事前に把握しており、テレビに出演したいが故にスタッフの目の前を何往復もウロつき、最終的にスタッフに呼び止められる型で取材に応じたという。ドラマ初出演は、エリアコードドラマシリーズでHTBが制作し、1995年7月から9月に放送された『TV局物語 今にみてろ』である。ヒロミ扮するテレビディレクターがオーディションで素人のつまらない一発芸に閉口するというシーンの素人役で、完全なエキストラだった(森崎博之も、このときに一緒に出演した)。裸になって「乳首が喋る」という芸を全力でやった結果、白けねばならないところをヒロミが思わず噴き出してしまい、そのことがバラエティ番組出演にあたっての自信になった。
大泉自身はリスクを背負ってでも人に笑ってほしいと考えており、以前のポルトガル映画祭でウケる必要はないのに「こんにちは、クリスティアーノ・ロナウドです」とボケた。大泉がそのように考えるのは「世界中から好かれたい」「嫌われたくない」という気持ちからでもあり、それについてさらに「僕にとっては“マグロが泳いでないと死んでしまう”みたいなもので、笑いがないとつらくて仕方がなくて。さすがに家では違いますけどね」と表現している。
自分自身の出演するバラエティ番組は大好きであるという。また、映画の宣伝でバラエティ番組に出演するのは本当にとてもありがたいと思っており、役者としてはバラエティ番組は絶対にやらないほうがいいと分かりつつも、バラエティ番組に出る理由は「それはやりたいから」、「役者としての正解よりも笑いを取りたいっていうほうが勝っちゃう」と話している。
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