今よりもずっと奇書院が零細で武力に乏しかった頃、狂信者派閥が幾つかの悪夢を掛け合わせて大悪夢を生み出したことがあった。誕生から間もなく制御を失ったそれは、暴威を振るうだけの存在へと化して、限りなく命を飲み干していく。
彼らは失敗作の神を宥めようと、その薪として更に多くの人々を集めだした。そして、その中には奇書院に繫がれた怪物が目にかけていた人間も少なからず含まれていたのは想像に難くない。
パスタみたいにへし折られた鉄の檻と、瓦礫で出来た山の中心に、佇むのは20フィートほどある傷まみれの狼。
そして、その目にはこの事態への激しい憤怒と深い嘆きが混ざり合った炎を灯されていて、自らに繫がれた忌々しい鎖にその憎悪の眼差しの全てが注がれていた。
「こっちもボロボロだったんだ、さすがにあの子に関しては情状酌量して勘弁願いたいところだけどねえ」
「我が怒りを鎮めることを願うのなら、その方法は貴様らの無能な頭の首を掲げることだけだ」
「次からはもっと注文はお早めにな、残念だが院長の爺さんなら崩れた屋根の下でプッチンだ」
「首から上なんてまるで潰れたトマトだったな。まあ、それでも欲しいってんなら取ってきてやるけど」
血塗れの青年はプッと口の中のガラス片を吐き出して、輪に掛けられた鍵をくるくる回しながら話を続けていく。
狼はただ、それを憮然たる面持ちで彼を見下す。
「なあ。どーしてお前みたいなただの怪物を親父が飼ってて、そんで逃げもせずに俺がお前のとこにきたと思う?」
「………」
「親父も俺も、お前に賭けてたんだよ。こういう、詰んでるとき、状況を打破できる突破口。」
「有体に言えばお前は切札なんだ。……まあ俺らに値踏みされたとこで嬉しかないか?じゃあ……そうだな」
文句を探しあぐねて少しの間詰まっていたが、ダイバーログの装置を一つ狼へと投げ込むとまた言葉を綴り始める。
「あー、アレだ、お前は誇り高い『わるいオオカミ』なんだろう?なら、自分の獲物は自分で奪い返してこいよ」
鎖の錠前に鍵を差し込む。今この瞬間に、囚われていた狼は完全な自由を得た。
「これでお前を縛るものはもうない、こっからは好きにしな。」
やはり狼は何も答えない。青年はその辺に瓦礫にもたれ込んで身を任せると、精魂尽きたのか、うとうとと目を閉じ、そのまま眠りに就く。ただ、遠ざかる足音だけが彼の耳に響いていた。
その日の夜空には月の光が架かっていて、煌々としたその輝きを以て、2匹の怪物を照らしている。
夢現領域の中央からその圏内のどこにでも聞こえるほど大きな咆哮が、大地さえ震わせる轟音として響き渡った。
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