二十四の瞳

ページ名:二十四の瞳

登録日:2025/03/05 Wed 13:05:21
更新日:2025/04/12 Sat 12:01:40NEW!
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文学 涙腺崩壊 ビターエンド 戦争 終盤は鬱展開の嵐 小豆島 不朽の名作 映画 邦画 日本映画 神作 神映画 反戦 太平洋戦争 第二次世界大戦 香川県 二十四の瞳 壺井栄 木下恵介




この瞳を、どうしてにごしてよいものか!




二十四にじゅうしの瞳』とは、壺井栄による小説作品。
1952年(昭和27年)に発表され、2年後の1954年(昭和29年)に高峰秀子主演で初の映画化。
1980年には倍賞千恵子主演でアニメ化され、1987年には1954年版のリメイクとして田中裕子主演で再び映画化。その後もキャストを変えて幾度もドラマ化されている。



【概要】


昭和初期から終戦直後の日本を舞台に、主人公の女性教師とその教え子たちの人生を通じて「戦争が世の中にもたらす苦しみや虚しさ」を描いた作品。
中盤までは「新米先生の奮闘ぶりと、教え子たちとの平和な日常」といった内容だが「その平和がいかに脆く貴重なものであるか」もテーマのひとつ。


タイトルの「二十四の瞳」とは、教え子が12人いて、その子供達の純朴な(12対=24個の)瞳について「あんなに可愛い瞳を、私どうしても汚しちゃいけないと思ったわ」と主人公が思いを固めるシーンに因む。
主人公が24歳だったり名前が瞳だったりする訳ではない。
『2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-』とも関係ない。



【あらすじ】


昭和3年(1928年)4月。瀬戸内海に浮かぶ離島の分教場に女学校を卒業したばかりの先生が赴任してきた。
島では珍しい洋服姿で、これまた島では珍しい自転車に乗って通勤する先生は、大人たちからは敬遠されてしまうが、優しく朗らかな人柄で子どもたちからは慕われるようになる。
色々と苦労もありながらも楽しい日々が過ぎていくが、やがて戦争の影響によって世の中は変化していき……



【登場人物】


大石 久子(おおいし ひさこ)
本作の主人公。小柄な体格と「大石」という苗字から、あだ名は「小石先生」
1年生12人を受け持つことになり、父兄からは陰口を叩かれながらも教え子たちと親交を深めていくが、ある時、誰かがいたずらで掘った落とし穴にはまり、アキレス腱を断裂してしまったため休職することになる。
その休職の最中に教え子たちが長い道のりを歩いて会いに来てくれたことで父兄からも認められていくが、怪我が治った後も暫くは、松葉杖生活であり、自転車に乗ること、つまり分教場への通勤が不可能になったので本校に転任。
のちに船乗りの婿*1を迎え、5年生になった教え子たちと担任として再会するが、「お国のために命を捨てるのは立派なことだ」と説かなければならないことに嫌気が差して、みんなの卒業と同時に教師を辞職。
戦争で夫、戦後の食糧難の時期に子供の一人を亡くし、残された2人の子供を養うため終戦後の昭和21年から再び分教場で教壇に立つことになり、新しい教え子たちに新任当時の教え子たちの姿を重ねて涙ぐむ姿から、今度は「泣きミソ先生」と呼ばれるようになる。


川本 松江(かわもと まつえ)
大工の娘。あだ名は「マッちゃん」
2人弟妹がおり、島から本土の本校に通うようになる5年生に進級する数日前に新しい妹が産まれるが、母親は産後に体調を崩して他界。そのせいで本校にわずか一日通ったのを最後に学校に行けなくなる。
その後妹が夭折すると奉公に出され、修学旅行中の大石先生と奉公先で偶然再会。
それからも色々あったようだが、最終的に千里という娘をもうけ、なぜか自分は娘を島に置いた後また本土で働いており、名簿上は父(千里の祖父)の娘という扱いになったが千里もまた大石先生の教え子となる。千里によれば、昭和21年4月の時点では大阪で暮らしていたらしい。
母親を亡くしたばかりの時に大石先生からもらったある贈り物は、松江にとって防空壕にまで持ち込むほどの宝になった。


加部 小ツル(かべ こつる)
チリリン屋*2の娘。あだ名は「小ツやん」
仕事で島中を巡っている父親の影響で情報通だが口が軽いところがあり、辞職していく大石先生に餞別として注意された。
卒業後は大阪の産婆学校に進学し、優秀な成績で卒業。夢を叶えて産婆になった。
休職中の大石先生に会いに行こうとみんなに提案したのは彼女。


山石 早苗(やまいし さなえ)
同級生でいちばん成績優秀だが、無口で引っ込み思案な少女。作文に「将来の夢は教師」と書いていたが、大人しすぎる性格を大石先生に心配され、小ツルとは逆に、もっとおしゃべりになった方がいいと餞別の言葉をもらった。
卒業後は夢を叶えて教師になり、母校(本校)に赴任。終戦後に大石先生が本校に勤められるように校長にかけ合うが、先生の年齢が年齢なのでそれは叶わなかった。
小ツルとは大人になっても付き合いが続いており、盆と正月に土産を持って、2人で競うように大石先生を訪ねて来る。


西口 ミサ子(にしぐち みさこ)
造り酒屋、西口屋の娘。あだ名は「ミイさん」
苦労知らずのお嬢様であり、勉強が苦手。そのため、県立の女学校に進ませたい母親の希望に反して無試験で入学できる裁縫学校に進みたがっていた。
卒業後はミドリ学園という全校生徒30人ほどの小さな裁縫学校に進み、そこから東京の花嫁学校に入り、在学中に婿を迎えて出産。
戦争で夫を亡くす不幸はあったものの、それでも同級生の中でいちばん安泰な人生を辿り「風の強い冬の日に、ひとり日光室で日向ひなたぼっこをしているような存在*3」となった。


香川 マスノ(かがわ ますの)
料亭「水月楼」の娘。あだ名は「マアちゃん」
学芸会で独唱を披露し、歌声を褒められたことをきっかけに音楽学校の教師になることを夢見るようになり、そのために女学校に進もうとするが、家業を継いでほしい家族に反対されて叶わなかった。その後は家出をしては連れ戻されるを繰り返し、最終的には家出中に知り合った男性と結婚して母親から女将の座を継いだ。
彼女が「荒城の月(映像作品では「浜辺の歌*4」)」を歌い上げる中、物語は幕を閉じる。


木下 富士子(きのした ふじこ)
旧家の娘で、先生曰く「滅多に泣かず、滅多に笑わない少女」
一年生の時点で家が傾き始めており、それでも家柄ゆえか何を茶化されても無言で睨み返す様から「腐っても鯛」なんて呼ばれたが、修学旅行の頃にはついに家が没落し、卒業間近で家族揃って僅かな荷物と共に兵庫へ渡る。
その後は消息を絶ってしまい、二度と級友たちの前に現れることはなかった。小ツルや仁太との会話から、遊郭に売られたのではと大石先生は推測し、ミサ子は「戦時中に成金にうけだされた」なる噂を聞いていたが、真偽は不明である。


片桐 コトエ(かたぎり ことえ)
早苗に次いで成績優秀で、特に算数が得意な少女。あだ名は「コトやん」
子沢山で女ばかりの家の長子であり、漁師の父親を手伝えないため、自分が女だということを申し訳なく思っている。
そのため、自身の希望に反して進学できないことを始め、人生の全てを「女だから仕方ない」と諦めているふしがある。
卒業後は本校に通い始めた妹に代わって家事をするために進学を諦め、数年後に奉公に出るが、奉公先で肺病を患い、誰にも看取られることなく物置の隅で他界。享年22歳。
なお戦後に彼女の妹も他のかつての生徒達の親族と共に大石先生の教え子になったが、大石先生から姉の名前を聞いても覚えてはいない様子だった…。


相沢 仁太(あいざわ にた)
声も体も大きく、お節介なガキ大将。あだ名は「ニクタ」
卒業後は父親の石鹸製造を手伝っていたが、やがて出征していく。
徴兵検査で合格を言い渡された瞬間に思わず「しもたぁ!」と叫ぶが、その場に居合わせた人々にとってあまりに予想外のことだったためか叱られたり罰を受けたりすることはなく、笑い話として島に伝わっていった。
出征の際に大石先生に言った「勝って(生きて)戻って来る」という言葉は実現することはなく、正と竹一と共に兵隊墓に埋葬された。


森岡 正(もりおか ただし)
米屋の息子。あだ名は「タンコ」
徴兵されるまでは神戸の造船所で働いており、徴兵検査の帰りに大石先生に会った際は労働者らしくいかにも鍛えられたという顔つきになっていた。


竹下 竹一(たけした たけいち)
漁師の網元の息子。
卒業後は東京の大学に進学し、徴兵検査の帰りに同級生男子全員で大石先生に会った際は都会の人間らしい雰囲気になっており、真っ先に先生に挨拶した。


徳田 吉次(とくだ きちじ)
大人しい性格の少年。あだ名は「キッチン」
卒業後はどこに行くでもなく山で木を切ったり漁をしたりして暮らしていた。やがて出征するが、同級生の中でただ1人五体満足で生還する。


岡田 磯吉(おかだ いそきち)
豆腐屋の息子。あだ名は「ソンキ」
大石先生が分教場で初めて出席を取る時に最初に呼ばれたのが彼であったが、生まれて初めて「くん」づけで呼ばれたことに驚いて返事ができず、仁太が代わりに返事をした。
卒業後は大阪の質屋に奉公しながら主人に夜学に通わせてもらっていた。
その数年後に出征するが、両目を失明して除隊。終戦後はマスノの口利きであんまに弟子入りする。
ラストで彼が取ったある行動は、大石先生と級友たち、そして多くの読者の涙腺を崩壊させた。


【余談】


「『二十四の瞳』といえば小豆島の話」というイメージが強く、小豆島には実際に「二十四の瞳映画村」というテーマパークが存在するが、
作中には「農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村」と書かれているだけで、具体的な地名は登場しない
では何故「二十四の瞳イコール小豆島」が定着したのかというと、壺井の故郷が小豆島であり、
ここから最初の映画化の際に「舞台は小豆島」と設定され、撮影も現地で行われたためである。それ以降の映像作品でも、冒頭のナレーションやテロップで「小豆島」という地名が明言されている。


映画ではラストに「大人になった教え子たちから新しい自転車を贈られ、それに乗って分教場に向かう大石先生」というシーンが追加。
これは、原作者も同じことをやりたくて伏線として最初に自転車を登場させたものの、終盤はあまりに急いで書いたために自転車が贈られるシーンを抜かしてしまったからだとのこと。そのことを映画化の打ち合わせの席で監督兼脚本家の木下恵介氏に話したところ、すでにそうするつもりで脚本を書き進めていると聞いて安心した*5らしい。
原作者とスタッフの解釈が一致した、良い実写化の例と言えよう。


さよなら絶望先生』においては、コミックスのおまけである『絶望文学集』ならびにサブタイトルに本作の一節をパロディしている。
七人のナナ(アニメ)』において中学生の小野寺瞳が急成長する話で「24(歳)の瞳」と本作のありがちな誤解がネタにされている。


1977年(昭和52年)、エース山沖之彦を擁する高知県立中村高等学校が第49回選抜高等学校野球大会に出場。部員12人で決勝まで勝ち進み準優勝。本作にちなんで「二十四の瞳」と称された。


追記、修正は、小学生時代のクラス写真を見ながらお願いします。


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  • 最後にアレがずれていたけど誰も指摘しなかったってのが本当に泣ける。 -- 名無しさん (2025-03-05 13:07:25)
  • 安部 大代版、高田 靖彦版のコミカライズ読んだが、どちらも非常に良く出来てた。活字はどうもって人には推薦したい。 -- 名無しさん (2025-03-05 22:36:42)
  • 黒木瞳主演の実写からもう20年か。ニクタは憎たらしいニクタや!という女の子の悪口を今でも覚えてるし、戦争によって失われるものの大きさを描いた作品だった -- 名無しさん (2025-03-07 10:47:22)
  • 読書感想文に選んで、案の定あらすじ書きになって登場人物多くてどないしよ…ってなった小学生時代 -- 名無しさん (2025-03-07 12:54:13)

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*1 ちなみに1954年版で夫役を演じたのは天本英世氏。
*2 腰に鈴をつけて用聞きをする便利屋。
*3 本文中から抜粋。
*4 「あした浜辺をさまよえば」で始まる、音楽の教科書などでお馴染みの曲。
*5 新潮文庫「シナリオ 二十四の瞳」あとがきより

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