ナイスネイチャ(競走馬)

ページ名:ナイスネイチャ_競走馬_

登録日:2023/06/12 Mon 03:54:03
更新日:2024/07/05 Fri 13:57:02NEW!
所要時間:約 19 分で読めます



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ワイド導入の立役者?! 愛すべき善戦マン


週刊100名馬No.41 ナイスネイチャ 表紙より



ナイスネイチャNice Natureとは日本の元競走馬


メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
ナイスネイチャ(ウマ娘 プリティーダービー)



目次


【データ】

誕生:1988年4月16日
死亡:2023年5月30日
享年:35歳
父:ナイスダンサー
母:ウラカワミユキ
母父:ハビトニー
調教師:松永善晴 (栗東)
主戦騎手:松永昌博
馬主:豊嶌泰三
生産者:渡辺牧場
産地:浦河町
セリ取引価格:-
獲得賞金:6億1,918万円 (中央)
通算成績:41戦7勝 [7-6-8-20]
主な勝鞍:94'高松宮杯(G2)


【誕生】

1988年4月16日生まれ、鹿毛の牡馬。父はカナダで重賞6勝のノーザンダンサー産駒ナイスダンサー、母ウラカワミユキ。
ウラカワミユキもナイスネイチャと同じ馬主・豊嶌正雄氏の所有馬で、かつては牝馬最長寿記録の持ち主(36歳0日で他界)でもあった。


生まれた直後は取り立てて目立った点のない平均的な馬だったが歳を重ねていくにつれて筋肉が増していき、その様子が調教師となる松永善晴師の目にとまり、夏に厩舎に入厩した。


【戦歴】

新馬戦は1990年12月の京都。最終直線で前が塞がれながらも僅差2着の激走を見せると、2週間後の「2回目」新馬戦で1着。
翌1991年はクラシック競走を見据えるが、福寿草特別でシスタートウショウの6着、若駒ステークスではトウカイテイオー(母父ナイスダンサー)の3着と勝ち上がれず、さらに骨膜炎を発症してしまい休養入り。
皐月賞と日本ダービーは断念せざるを得なくなった。
復帰は7月。2着の好走から小倉に転戦し条件戦を2連勝、初の重賞は小倉記念。重賞馬を含む古馬らも出走する中での1番人気に支持されると、当時としては優秀な上がり3F34秒6を記録し後続に2馬身つけて1着、重賞初勝利を挙げる。
クラシック戦線では無敗で二冠を達成したトウカイテイオーが故障で離脱。「夏の上がり馬」として菊花賞の有力候補の一角に名乗りを挙げる。
秋は菊花賞トライアル・京都新聞杯に出走。中段で待機し最終直線で進路を失いつつも、取り直してからは猛追、関西3歳S*1覇者・イブキマイカグラと皐月賞2着・シャコーグレイドを交わして1着、重賞2勝目を挙げて菊花賞に乗り込むことになった。


菊花賞当日はイブキマイカグラに次ぐ2番人気に支持されるも第3コーナーから伸びあぐね、最終直線でも末脚を発揮しきれずレオダーバンの4着。
夏からの連戦もあったものの疲れが見えなかったことから鳴尾記念に出走し1着、重賞3勝目を挙げて有馬記念にも出走。
ファン投票では10位圏外ではあったものの、当日は1番人気・メジロマックイーンに次ぐ2番人気。
マックイーンを徹底マークするも直線で突き放され…と思いきやさらに後ろから単勝14番人気・ダイユウサクが猛追、マックイーンすら交わして1着。
「これはびっくりダイユウサク!」とレコードをも記録した後ろで3着。これが有馬記念で最初の3着となった。


翌1992年は持病の骨膜炎が悪化、春を休養に充てて天皇賞(秋)のトライアル・毎日王冠で復帰し3着。
天皇賞(秋)はトウカイテイオーに次ぐ2番人気に支持されたがレッツゴーターキンの4着(テイオーは7着)。
その後マイルCSに出走するもダイタクヘリオスの3着、2年連続となる有馬記念ではファン投票7位、当日4番人気に支持されるもメジロパーマーの3着と勝ちきれないレースが続く。
1993年も現役を続行するも、日経新春杯2着、阪神大賞典3着、大阪杯2着と「善戦ホース」の肩書きを拭えず、さらに大阪杯のあとには骨折。再び秋まで休養に入ることになった。
復帰は前年と同じ毎日王冠で3着。天皇賞(秋)はこの年の天皇賞馬・ライスシャワーに次ぐ2番人気だったもののヤマニンゼファーの15着とかつてないほどの大敗を喫し、ジャパンカップも7着。
3年連続の有馬記念では10番人気にまで人気を落とすが、トウカイテイオーとビワハヤヒデの死闘の後ろで追い込むマチカネタンホイザをアタマ差で抑えて3着。
ここに有馬記念3年連続3着の珍記録が達成され、以後ナイスネイチャの代名詞となった。


ナイスネイチャといえば、なんといっても、「有馬記念における3年連続の3着」である。
これが2年連続の3着なら、まあ、たまにはそういうこともあるだろうなあという程度で、誰も驚かないと思うのだが、3年連続の3着というのはすごい。ケタの違うインパクトがある。「私は自他ともに認める日本一のジリ脚です」と看板を出してしまったようなものだ。
相手が違い、ペースが違い、位置取りだって違ったのに、終わってみたら3年とも3着だったのである。
しかも、3年目の3着は、人気と連動していないのだ。10番人気で3着に追い上げてきたのである。ナイスネイチャは2年連続で3着しているが、今年はこの成績では上位入線は無理だろうとみんなが思っているところへ、まさかの渋太さで3着に追い上げてきたから、みんなビックリしてしまったのだ。有馬記念における伝説のひとつとして語られることになってしまったのである。ひと口で言えばジリ脚なのだが、3年連続3着となっているのがグランプリの有馬記念だけに、大舞台でよくこんな記録を作ったものだなあという一種の畏敬の念を含んで、ジリ脚ながらも頑張ったことに対する親愛の情とともに語られることになったのである。


——井崎脩五郎 『週刊100名馬 Vol.41 ナイスネイチャ』p.34より


同期のトウカイテイオーがターフを去り、7歳となった1994年も現役を続行。
初戦のアメリカジョッキークラブカップでは7着だったが大阪杯では2着と好走し天皇賞(春)、宝塚記念ではともに4着と掲示板は死守。
そして夏の高松宮杯。前年ダービー馬ウイニングチケットや宝塚記念2着のアイルトンシンボリらが出走するなか5番人気。デビュー以来つけていたメンコを外しての出走となり、中団で待機し最終直線でアイルトンシンボリら3頭の追い比べを制し、1991年12月の鳴尾記念以来実に2年7か月ぶりの勝利を挙げる。
この日の中京競馬場には元祖アイドルホース・ハイセイコーが出走した1974年以来ぶりの約6万5000人もの観客がつめかけ、G1もかくやとばかりの大歓声が巻き起こった。


しかしその後は勝ちきれないどころか掲示板すら外すレースが続き、4年連続となった有馬記念もこの年の三冠馬ナリタブライアンの5着。
1996年まで現役を続行するも1996年3月の中京記念の4着が最高成績となり、同年11月のアルゼンチン共和国杯15着を最後に引退、6年に及ぶ現役生活に終止符を打った。


G1勝利こそついになかったが、G2以下では何度か勝利をもぎ取り勝てなかったG1でも入着率が高く、たびたび掲示板に入って賞金を咥えて帰ってきた孝行馬。
通算戦績は41戦7勝(7-6-8-20)、獲得賞金は6億2358万5600円
同世代1位のトウカイテイオーは6億2563万3500円で200万円ほどの僅差で2位、JRAG1未勝利馬としては現在でも第3位の記録である。*2
これはネイチャの現役期間が単純に長い*3うえ、怪我がちはお互い様ながらテイオーほど戦線離脱の回数や時期が少なくてすみ、出走したレースの数がずっと多かった結果である。
これだけ長く多く走り、トップは少なくとも高止まりの成績を残したのは彼の実力といえよう。無事之名馬、という所だ。
その入着率と後述の理由からG1未勝利にもかかわらず人気だったが、引退後広告ポスターに起用されたワイド馬券が現役時代にあれば更に人気だったと分析する人もいる*4
ナイスネイチャに「ワイド」の看板を咥えてもらい「以上のように確定いたしました」のロゴを張ったワイド馬券宣伝ポスター*5は今でも語り草。


【引退後】

引退後は種牡馬になるもノーザンダンサー系以外に特に売りがない血統と普通の戦績からか人気が出ず、わずか17頭の産駒を残し2001年に繁殖からも引退。
その後は母がいる故郷渡辺牧場に引き取られ、牧場の方々の奮闘やネイチャの半弟グラールストーンを引き取った人物が立ち上げた引退馬支援団体「フォスターペアレントの会」の支えで母共々保護される事に。
非常に高齢ながらも栄養斑点が出た年も多く、30歳の時にはダンボール箱に入っていた人参をつまみ食い(!)する様子も確認されていた。
放牧地では同じ引退馬のセントミサイル*6やメテオシャワー*7と仲が良く、よく3頭揃ってワイワイやっていたと言う。
競馬史上稀に見るほど人に恵まれ、そして人に愛され続けている馬である。


そんなナイスネイチャだったが、2023年5月に入ってから食欲の減退がみられており、同月30日には心拍数上昇や自力で立てなくなる等の症状に見舞われ「体力の限界」と判断されたため、関係者の合意を以て同日付で安楽死の処置が取られた。
最期は青空が広がる放牧地の下、牧場の関係者や相棒のメテオシャワーに看取られながら安らかに旅立ったという。
その後遺骸は両親ら渡辺牧場で亡くなった馬達が眠る墓地に共に埋葬。享年35歳と45日という大往生であった*8
亡くなるまでの経緯については、引退馬協会が安楽死直前までのナイスネイチャの写真と共に詳しく報告している。


この長寿記録は、重賞勝鞍のある競走馬としてはマイネルダビテ*9(36歳272日)やシンザン*10(35歳102日)、リキエイカン*11(35歳88日)に続く第4位をマークすることとなった。
ナイスネイチャは最期まで彼らしい記録を残していったのであった。
また、これによって現在所在の確認が取れる昭和生まれの重賞勝ち馬は全てこの世を去った。


【余談】

とある厩務員との絆

ナイスネイチャの話題で切っても切れないのが馬場秀輝厩務員との関係である。
馬場は「馬を恋人のように扱うのが流儀」との持論を持っており、若馬の頃は他の人が手を焼いていたナイスネイチャに対しても優しく接し、
その結果、ナイスネイチャは馬場に対しては引き綱なしでついていくほど大人しくなったが、
一方で彼がいなければ発馬機に近づこうとすらせず、調教も立ち行かなくなるほど馬場を信頼していた。
競馬界でも「それほどまでの信頼感が馬と人の間にあるケースは実に珍しい」とまで言われるほどの信頼関係を構築していた。


また、馬場はレース一週間前くらいから、ネイチャに気合い付けとしてマムシ粉をエサに混ぜて毎食与えていたのだが、1万5千円もするこの高価な栄養剤は馬場の自腹購入だったという。


出走自体が栄誉である有馬記念には旧4歳から選出されており、旧6歳以降は衰えも有ったが1996年には有馬記念6年連続出走・そしてG1制覇の可能性に賭けて調整されていたが、
足に怪我があることに気付いた馬場は、怪我そのものは出走しても問題ない程度であったものの、前年にライスシャワーが予後不良となって安楽死となった一件もあり、
万が一と引退後を考えて涙ながらに引退を進言。調教師はその進言を受けて「馬場が言うなら仕方ない」と引退を承諾した。


先述のようにナイスネイチャは入着率から人気の高い馬であったが、馬場もファンから送られてきた品々を馬房に飾ったり、
レース後にゼッケンなどを配布するなどファンサービス旺盛であったため、ナイスネイチャのファンには馬場のファンも少なくなかったとされている。
ナイスネイチャが種牡馬入りした後、馬場も将来ナイスネイチャの産駒を担当することに意欲を示していたが、引退から僅か2年後の1998年に41歳の若さでこの世を去ってしまった。
ナイスネイチャを通じて知り合ったファン同士の結婚式に出席し、その帰路で交通事故に遭ったことが原因だったというのは、あまりにも皮肉な話である。


現役時代は入賞率の高さで馬主孝行をし、引退後は広報部長として数多くの引退馬たちの救済の柱となった。
馬場がもしもを考えて引退を進言した結果は、夭折した彼よりも長生きし、恐らく彼の予想を超えたものをもたらしている。


引退馬協会の顔としての活躍

フォスターペアレントの会が母体となって誕生したNPO「引退馬協会」で、2011年の協会発足直前に他界したグラールストーンの跡を継いで広報部長を務めており、2023年5月末に没するまで元気な姿を見せてくれていた。*12
広報部長として引退繁殖馬支援のバースデードネーション*13を行っていた。
開始当初は目標未達成で終わっていたものの、『ウマ娘 プリティーダービー』のアニメ1期が放映された2018年頃から徐々に増え始め目標達成できるようになった。
2021年もアニメ2期放送とようやくのアプリリリースによってファンも増え、今年も目標到達は容易…どころの話ではなかった。
開始後わずか数時間で目標の200万に到達、直後目標が300万へと更新されたがこれも簡単にクリアしてしまい、開始から10日ほどで目標を大きく超える2,500万円に到達。
最終的には3,582万円・目標の1791%というクラファンでもなかなか見ない結果となった。なお3333万まではチキンレースの如く寄付が鈍化したが突破すると逆に加速した
主催者からは集まった金額のうち代行会社へ支払う約12%を差し引いた約3150万のうち、30%(945万)はもしものためにプールすると告知。
資金の用途も順次公開するとしている、これにより今後長期にわたり多くの引退馬救済ができるようになった。


その後受け入れ3頭目に種牡馬を引退したばかりのディープスカイ*14が選ばれたことでちょっとした話題となった。*15
更には受け入れ10頭目にメイショウサムソン*16が加わるなどバースデードネーションは非常に大きな効果をもたらしている。


2022年にも34歳のバースデードネーションを実施、今回は「引退馬の再就職」をコンセプトに、乗馬として「再就職」するための訓練や治療・療養のための費用として850万円を当初の目標として設定。
すると開始後数時間で目標金額に到達、さらに受け入れ対象を広げるべく目標を1360万円まで引き上げるもこれも達成。
開始から4日で昨年を超える3700万円もの寄付が集まっている。
開催期間の長さから支援額の伸びが鈍い時期もあったが最終的には5400万円というG2賞金レベルの多額の寄付が集まった。
支援者数も16,296人から17,130人と増加しており改めて影響の大きさが露になった。


2023年には1年の間に彼よりも若いタイキシャトル・ウイニングチケットなどが旅立ってしまったが無事35歳を迎えた。
「地方競馬の重賞馬にも目を向けよう!」ということで地方重賞馬救済を目的に目標額が945万円に設定された。
すると毎年お馴染み目標を僅か8時間40分で目標に到達、そこで開始12時間で2,025万円に目標が再設定するも僅か3時間で到達。
これでも寄付のスピードの速さで一時サイトがダウンしたにもかかわらずである。
そして開始から23時間33分で3333万円突破、24時間15分で一昨年の寄付額に到達という前年以上のスピードで寄付金が集まっている。
その後は何時ものようにスローペースではあるものの寄付金は集まり終盤ブーストがかかる形で最終的には7400万円で終了。
これはネイチャ自身の勝ち鞍として最も高額だったG2時代の高松宮記念の1着6900万円よりも多い。
というか中央G2で最高賞金額を誇る札幌記念(1着7000万円)や、朝日杯FS・ホープフルS(いずれも1着7000万円)や阪神JF(1着6500万円)といった2歳限定G1中山グランドジャンプや中山大障害(いずれも1着6600万円)といった障害G1の1着よりも多い。
支援者数も21,621人と金額増加に比例する大幅増となった。


亡くなった翌年2024年もメモリアルドネーションとして実施。


上記の通りこの莫大な寄付金は現時点でも多くのフォスターホース受け入れの資金となっており、また同時に将来的により多くのフォスターホースが受け入れられる為の資金ともなる。
彼という一頭の偉大な馬が産まれたことで、数多くの競走馬の命が救われる事となるのだ。その功績は現役競走成績や種牡馬成績では測れない、彼ならではの偉業である。


ちなみに引退馬協会ではフォスターホースを題材にした公式LINEスタンプを発表しているのだが(作画:早川恵子)、そこでのネイチャは3と書かれた旗を持っていた。


【創作作品への登場】

初登場回で「ナイスネイチャのないない尽くし」を披露して以降、「〇〇尽くし」芸人として度々出演。後新年会では「ナイス姉ちゃん」と女装してナグルスキーのアッパーカットを喰らった
引退直後には「有馬で勝つ」という叶わなかった夢を寝てるとき見つつ現実でも種牡馬生活に夢を馳せたが、上位種牡馬陣の化け物じみた種付け数に驚愕。つい馬場厩務員の顔と「誘導馬入りしたら」なんて発言を思い出していた。
またロイスアンドロイスと共に、2着・3着常連馬が集う団体にして作中最大のシリーズ物でもある「ブロコレ倶楽部」(ブロンズコレクター倶楽部)結成に携わっている。
しかし、結成時点で既に引退していたため、運営は後輩(主にステイゴールド)に任せっきりであり、出番はメンバー集合回に時々顔を出す程度といまいち影が薄い。
ちなみに「ブロコレ倶楽部」では4着を「ブロンズの前でステイ」と称するのだが、この時ネイチャが寿命面でそうなるとは思わなかっただろう…。


  • 『優駿たちの蹄跡』(やまさき拓味)

馬場厩務員の視点で引退までの足跡を描く「引き手綱の重み」、ナイスネイチャの視点で引退馬達を取り巻く現実とフォスターペアレントの会との出会いまでを描く「構造改革のギセイ者」でメインを張っている。
続編の『令和 優駿たちの蹄跡』でも「ナイスネイチャ~老いては男同志~」で古参の競馬ファンから見たフォスターホース時代のナイスネイチャが描かれている。
なお「構造改革のギセイ者」の前には半弟グラールストーン主役回でフォスターペアレントの会の始原が描かれており、その縁で作者は引退馬協会の理事をも務めている。
ちなみに現在、本作の基本パターンである「競馬関係者視点」「馬視点」「オリジナルの競馬ファン視点」をコンプリートした数少ない馬だったりする。
余談だがネイチャ・ミユキ・セントミサイルは栗東所属馬ゆえか関西弁だったのに、同じ栗東出身なのにグラールストーンは普通の子供っぽい標準語だった。なぜだ。


  • 『優駿劇場』(やまさき拓味)

トウカイテイオーの復活有馬回に出演しているが、特筆する出番は有馬一着有馬3年連続三着の記録の間で揺れ動くシーンぐらい。


気立てのよい下町娘。
史実でのブロコレぶりや長寿ぶりを反映してか、やや言動や嗜好が枯れ気味。
秘めた才能は高いが、どうしても一番には縁がない事からややもすると自嘲的になる癖がある卑屈キャラで、同期のエースであるトウカイテイオーに対して憧れと引け目を感じている。
アプリの育成シナリオではそんな彼女に自信を付けさせるべく奮闘するトレーナーとの二人三脚振りに人気がある。


アニメでは1期から登場するがこの頃は殆どモブ(キャラも定まっていなかったのか口調も違う)。
2期ではスピカ打倒を目指すライバルチーム<カノープス>の一員としてメイン格で登場。テイオーのライバル兼ヒロインその2として出番が多い。2話の熱演は必見。
カノープスメンバーのキャラがキャラのせいか、アプリの自嘲癖を出す暇もなくツッコミに奔走する事になる。


詳しくは当該項目参照。
また、ウマ娘での参戦で知名度が上がったことによって数少ない自身の産駒であるナイスゴールド号*17の同じ渡辺牧場での保護に繋がっている。


追記・修正は、「ワイド」と書かれた紙を咥えながらお願いします。


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  • 昭和の競走馬のすべてを見届けて旅立っていった、偉大な功績を残された名馬でした -- 名無しさん (2023-06-12 10:05:09)
  • 生まれ故郷で最期の時を迎えられたというのは競走馬の馬生の幕引きとしてはこの上ないんじゃないだろうか... -- 名無しさん (2023-06-12 14:51:18)
  • ウマ娘で話題になったおかげで数少ない産駒のナイスゴールドを引き取れたんだよね。ウラカワミユキは既に亡くなってたけど親子3代で同じ場所で静養されたのは奇跡に近い。 -- 名無しさん (2023-06-12 17:03:42)
  • 亡くなってすぐお墓参りしてきたけど父母両方ともすぐ近くで眠るところで本当大切にされてたんだなって… -- 名無しさん (2023-06-12 18:20:58)
  • 重賞勝利しただけでもすごいのに、60年以上の歴史がある有馬記念に5年連続出走は4頭しか達成していない記録だし、その有馬で3年連続3位入着したのは歴とした名馬よな。G1勝てなかったのも、種牡馬としてパッとしなかったのも別に珍しい話じゃないわけだし -- 名無しさん (2023-06-12 20:04:37)
  • 広報部長の席が空いちまったが、ディープスカイが引き継ぐそうな -- 名無しさん (2023-06-12 22:23:22)
  • 骨折などの故障で早逝してしまったりその後の行方すら知れなくなる可能性が付き纏う競走馬という宿命の中、無事に走り切って穏やかに余生を過ごして、みんなに愛されて安らかに最期の時を迎えられたのはとても幸運な馬だったと思う。お疲れ様でした -- 名無しさん (2023-06-13 04:15:21)
  • 俺は自分の死んだ先の天国も地獄も信じないが、この子の行き先としての天国はあると信じたい。 お疲れ様でした。 -- 名無しさん (2023-06-13 10:54:24)
  • さんまのナンでもダービーで「ナイスネイチャン」というポニーが出てたけど、これのパロディだったのね… -- 名無しさん (2023-06-15 15:45:37)
  • 四十九日とか、もうそんな経ったのか… -- 名無しさん (2023-08-19 05:02:48)
  • メモリアルドネーションとしてネイチャの名前は残っていくらしい...もうすぐ一周忌かぁ -- 名無しさん (2024-04-02 19:52:54)
  • 74889338円… 別の意味での賞金王だなこれは… -- 名無しさん (2024-06-02 02:02:02)
  • 空へ駆けていっても引退馬達を守護する偉大なる名馬 -- 名無しさん (2024-06-10 22:51:55)

#comment(striction)

*1 現・阪神JF
*2 1位は2023年5月時点でも現役のディープボンドで6億4591万3800円、2位は2011年に亡くなったキョウトシチーで6億2870万1000円
*3 現8歳まで現役。ただし7歳以降は大半が着外で加算は少ない。
*4 ワイド馬券は「順番は問わず1~3着に入る馬2頭を予想する」というもの。何はともあれ3着に入ってくるネイチャの馬券は、このワイド馬券制度が有ればもっと買われたに違いない。
*5 このポスター、右下に小さくナイスネイチャ号の有馬記念3年連続3着の記録まで書いてある
*6 1990年生 父セントシーザー、母ケイウンファスト(母父トウショウルチェー)短距離の逃げ馬として1998年に引退するまでに中央・地方合わせ82戦17勝。93年度のクリスタルカップ(G3)にて父セントシーザーと親仔2代短距離重賞制覇を成し遂げた
*7 同じ渡辺牧場で過ごしている引退馬で、1995年生。中央で多くの条件戦を戦い抜いてきた。上位入着も多く2勝を挙げている。セントミサイルとナイスネイチャと並んで仲が良かったが、セントミサイルが2018年6月に没してからは2頭は寄り添うように過ごすようになっていた
*8 渡辺牧場では他にもネイチャの産駒であるナイスゴールドも過ごしており、ネイチャの一族は親子三代に渡って同じ場所で過ごせているという非常に珍しいケースである
*9 1984~2021。メロディーレーン・タイトルホルダー姉弟や、スマートファルコンなどを輩出したことで知られる競走馬生産牧場「岡田スタッド」などの代表を務める岡田牧雄氏(兄は「マイネル軍団の総帥」こと故・岡田繫幸氏)の持ち馬。主な勝ち鞍は1987年共同通信杯で、タマモクロスなどの同期の一頭である。共同通信杯当時、牧雄氏は馬鼻肺炎ウイルスのせいで経営していた牧場が窮地に立たされていたが、ダビテが勝った共同通信杯の賞金で窮地を脱することができた。引退後は種牡馬にこそなれなかったものの岡田スタッドで長年にわたり功労馬として繋養され、牧雄氏の良き相談相手となっていたという。
*10 1961~1996。ご存知戦後2頭目のクラシック三冠馬。詳細はリンク先を参照してほしいが、引退後に日本競馬が長きに渡って「シンザンを超えろ」のスローガンを掲げるなど、非常に大きな影響を与え続けた。
*11 1966~2001。主な勝ち鞍は1968年の阪神3歳ステークスと1970年の天皇賞(春)。クラシック時は割と善戦し古馬となってから春の盾を掴んだものの、それ以降は24戦して最高が2着という善戦ホースに逆戻りしてしまった他、途中で管理調教師が不慮の事故死(ばんだい号墜落事故の犠牲者)となった不遇のエピソードも持つ。引退後は種牡馬となるもこれといった結果が出せず引退、処分の危機に瀕するも生まれ故郷の牧場のオーナーがそれを聞きつけて引き取り、以後功労馬として故郷で余生を送った。
*12 ネイチャ自身は現役時の賞金や支援者がいるため困っていないが、引退馬協会支援が満足に得られない引退馬たちのための広告塔として活動している。
*13 バースデープレゼントの代わりに、指定された所へ寄付金を送る寄付文化。クラウドファンディングにシステムは似ているが、見返りがない点でファンディングとは決定的に異なる。
*14 アグネスタキオン産駒。NHKマイル・日本ダービーの変則二冠を達成、重賞レースでも必ず3着以内を保ち、獲得賞金はネイチャより多い6億4213万9000円。ウオッカ・ダイワスカーレットの「大接戦ドゴーン!」でおなじみ2008年天皇賞(秋)にも出走し勝者ウオッカにハナ+クビ差の3着
*15 本来功労馬としてネイチャ同様満足な支援を得られるが、今回の場合ウマ娘にもなっているメイショウドトウ・タイキシャトルを管理し懇意にしていた団体からの申し出だったため、人間に換算すれば90歳を超えいつ亡くなってもおかしくないネイチャに代わる広告塔として引退馬協会へ託された可能性が高い。知名度で言えばシャトル・ドトウも高いがこちらも一般的なウマの寿命に差し掛かるお年頃であることも次世代の期待をかけられているのではないかという読みができる。
*16 母父にダンシングブレーヴを持ち皐月賞・日本ダービーの2冠、天皇賞春・秋連覇のG1四勝を挙げた他当時G2だった大阪杯などでも勝利、凱旋門賞にも出走経験がある。獲得賞金は10億6594万9000円
*17 1998年生・牡 ネイチャの初年度産駒

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