登録日:2020/03/24 Tue 23:40:00
更新日:2024/05/17 Fri 11:07:37NEW!
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ラジオ番組 ニッポン放送 深夜枠 下ネタ オールナイトニッポン ラジオ bittersweet samba
君が踊り、僕が歌うとき、新しい時代の夜が生まれる。
太陽の代わりに音楽を、青空の代わりに夢を。
新しい時代の夜をリードする、オールナイトニッポンGo Go Go!
(推奨BGM:BITTERSWEET SAMBA)
オールナイトニッポン(ANN)とは、ニッポン放送をキー局に全国で放送されているラジオの帯番組である。
ANNの通称があるが、同名のテレビ朝日系ニュースネットワークとは関係ない。
【概要】
1967年から半世紀以上放送されている長寿ラジオ番組の1つであり、ラジオに一切興味なくてもなんとなく名前は聞いたことがあると言う人が多いほどその知名度は非常に高いと言える。
古くから様々な旬の芸能人や意外性のあるタレントを起用し続けており、安定した人気を誇っている。
基本的に生で放送されているがスケジュールの都合などで録音放送の時もたまにある。
BITTERSWEET SAMBAというテーマ曲がお馴染みで、番組開始時からオープニングやエンディングとして流れているほど切っても切れない関係である。
当初は別の曲が考えられていたが、その時に間違ってこの曲が流れ、それを聞いたプロデューサーが案外こっちの方がいいと考え採用された経緯がある*1。
オールナイトという言葉通り深夜1時~5時までの間、2組のパーソナリティが1組ずつ2時間で生放送している。
しかし近年はオールナイトニッポンGOLDやオールナイトニッポン MUSIC10など夜の10時スタートで日を跨がずに放送終了という、比較的早めに放送される番組枠も設立された。
5年刻みで〇〇周年記念として様々な取り組みが行われている。その中でもかつてレギュラーパーソナリティを務めていた様々な芸能人がその日限りに復活するという企画は周年企画には必ず行われており、長年のオールナイトニッポンファンやその芸能人のファンからすると悦ばしいものである。
そのためその時期がくると今度は誰が復活するのか楽しみにしているファンも多い。
番組冒頭ではパーソナリティによる提供読みが行われるが、通常の番組と異なり「以上、各社の協賛で…」という言い回しで原則統一している。
理由は、開始当初提供スポンサーから番組内容に口出しされることを嫌ったためで、スポンサーを付ける際にも番組内容にはタッチしないことを条件としている。
ただし、オールナイトニッポン0では一部の曜日を除き「各社の協賛で…」ではなく、「…がお送りします」と言っている。
【番組枠】
※項目設立日(2020年3月)時点での番組枠を元に紹介
- オールナイトニッポン(月~土)
深夜1時~3時に放送。
1部枠とも呼ばれ、この番組の1番のメインであり、36局ネットと1番多くのネット局を持つ。
故にこの枠に就任・別枠からの昇格を狙ってる芸能人も多くいる。
近年は他の番組枠と比べパーソナリティの異動がなかなか発生することはない。
- オールナイトニッポン0(ZERO)(月~土)
いわゆる2部枠で、45周年記念以降にこの名前になった。
月~木曜は深夜3時~4時30分に放送だが、金・土は深夜3時~5時に放送と若干ばらつきがある。
新人発掘の意味合いが強く、就任時点でまだ知名度の低い芸人やアーティストなどが起用されやすいだけでなく、たまに行われるパーソナリティオーディションで選ばれた人材もこちらに宛てがわれる。
そして土曜日にはまだレギュラーパーソナリティに就任したことのない様々な有名人が週替わりで1回きりとして起用されており、その後たまにレギュラーパーソナリティになることも。
2020年代に入ると月〜金はTBSラジオの「CITY CHILL CLUB」*2などを打ち切ってこの番組に移行するネット局が増加しており*3、2022年10月改編時点で31局ネットとなって2部時代を含め最多放送局数となる*4。これにより1995年10月から3年間にわたり最大30局ネットだったTBSラジオの『いすゞ 歌うヘッドライト』の最多ネット局数を上回った。
- オールナイトニッポンGOLD(金)
不定期の単発放送の後、2009年から新設された枠。
夜10時~12時に放送。
以前は月〜金曜まで枠があったが、2015年に月〜木曜の枠が後述するオールナイトニッポン MUSIC10の枠に変わったため現在は金曜日のみに。
その週毎にレギュラーパーソナリティが存在しているが、第2・第4のみオールナイトニッポン0の土曜枠のようにまだパーソナリティに起用されてない様々な有名人が週替わりで1回きりとして起用される。
- オールナイトニッポン MUSIC10(月~木)
2015年に新設された枠。
夜10時~12時に放送。
「大人の音楽」をテーマにした音楽番組となっており、それに合わせパーソナリティも全員昭和~平成初期に芸能活動をスタートした女性芸能人である。
- オールナイトニッポン X(月~木)
2021年に新設された枠。
深夜0時~0時53分に放送。Xは「クロス」と読む。
「第3のオールナイトニッポン」として、SNSと連動しスタジオの様子を生配信するなどデジタルとアナログの融合した若者向けの番組となっており、事実上ZEROへの昇格を目指す枠ともなっている。
- オールナイトニッポンサタデースペシャル(土)
元々は福山雅治のレギュラー番組として2000年から深夜11時30分~1時の時間帯に放送されていたが、2015年の放送終了により枠名と時間が関ジャニ∞の大倉と福山雅治と同じ事務所の後輩の高橋優に引き継がれることとなった。
さらに4年後大倉と同じ事務所の後輩であるSixTONESが引き継ぎ、偶然にも2回連続前任者と事務所の繋がりがある人物が引き継がれることとなった。
- オールナイトニッポンPremium
2017年からナイターオフ期間中に放送されるようになった枠である。
2017年・2018年は月〜金まで放送されていたが2019年からは土曜のみとなった。
夜7時スタートと1番早く番組が放送される。
パーソナリティはかつて1部・2部枠でレギュラーパーソナリティを務めていた有名人が主に起用されている。
- 月一放送(日)
基本的にオールナイトニッポンは日曜日の放送は行われていかなったが、2013年中島みゆきが月一放送を始めたのをきっかけに定着。
その後WANIMAへと引き継がれ、現在はニッポン放送出身のフリーアナウンサー・高嶋ひでたけが担当している。
【歴史】
- 黎明期~第一次黄金期~停滞期(60~70年代初頭)
1967年10月2日に放送開始。開始当初は上述の経緯からノンスポンサーでの放送だった。
当時のパーソナリティはニッポン放送アナウンサー・ディレクターと内部の人間だけを起用しており、外部の有名人の起用は一切なかった。
これは当時の編成局長や編成部長が外部のタレントではなく、アナウンサーやディレクターといったニッポン放送内部の人間を起用すると考えていたためである。
放送開始時点は1人のパーソナリティが4時間ぶっ通しで生放送をしており、深夜というのも合わさって非常に大変なものであった。
非常に遅い時間ながらも若者を中心にリスナーが徐々に増えていき、それに合わせてネット局も1969年頃から徐々に拡大していくようになり、1970年には全国ネットを果たす。
この成功を受け、他局でも同様の番組が編成されるようになり、深夜ラジオは「若者の解放区」として社会現象になるほどのブームを巻き起こした。
番組の影響力の大きさの例として
- ある日の新聞一面に米の減反政策とナイジェリアで発生していたビアフラ紛争が掲載されており、そこの難民が食糧危機に陥っていることを紹介し「ビアフラに沢山の米を送れるように、外務大臣に手紙を出そう」と呼び掛けたところ外務省に2000通もの手紙が届き、最終的に5000トンの米がナイジェリアに輸出されることが閣議決定した。
というエピソードも残されている。
1972年には現在に繋がる2部制を導入。
その際月〜土の1部枠を亀渕昭信が、2部枠を今仁哲夫が起用され、他のパーソナリティは降板させるという思い切った改革を行った。そして両者のパーソナリティの負担をより強いられることに。それぞれビバカメショー・ビバテツショーと呼ばれることとなったが、わずか半年で今仁哲夫から池田健に交代。そちらはビバケンショーと呼ばれることとなった。
しかしまたもや半年でこの体制は幕を閉じる。
この時期はオールナイトニッポン最初の停滞期と言われ、担当していた亀渕昭信によればやはり週6日も担当するのはキツかったと語っている。
そしてこの現状を打破する為に大きな改革として行われたのが、番組設立当初は禁止事項とされていた外部タレントの起用である。
- 停滞期~第二次黄金期(70年代初期~80年代中期)
1973年に外部タレントの起用をスタートした。
この時に起用されたのは小林克也やあのねのね、岸部シローなどの外部タレントだった。
また2部制度を廃止し、初期のように1人のパーソナリティが4時間ぶっ通しで放送という体裁をとっていた。
しかしそれが災いし、想像以上に負担を強いられたのかあのねのね以外の外部タレントによるパーソナリティが翌年の夏までに降板という事態に。
これを反省し1974年に再び2部制度を復活。その際引き受けてくれる外部タレントの数と番組に必要なパーソナリティの数が合わなくなったため、人材補充の意味で史上初のパーソナリティオーディションが開催されることとなった。
この頃フォークソングブームも相まって武田鉄矢、長渕剛などといったフォークシンガーが特に多く起用されており、またまだ芽が出る前のビートたけしや明石家さんまなどのお笑い・色物の有名人も起用。彼らのおかげでそれぞれに人気をつけされることができ、ハガキ職人が沢山増えていったことで結果的にオールナイトニッポン自体も活性化させていった。
結果的に外部タレントの起用は大きな成功を納めた改革といえ、前述の類似番組が同時期に次々と打ち切られるなか、深夜ラジオ番組として盤石の路線を築いてゆくこととなる。
80年代に入ってからもお笑い・フォークシンガーだけでなく小山茉美や神谷明といった声優や小泉今日子といったアイドルなどの分野も積極的に起用。
パーソナリティを通して更に新規の開拓を行っていった。
そして20年目に突入した1985年にはALL DOGETHER NOWという特別番組*5が放送され、中島みゆき、とんねるず、小泉今日子、ビートたけし、サンプラザ中野、ABブラザーズの当時の1部パーソナリティ6組が一堂に会した。
そしてこの番組がオールナイトニッポン初の節目に行われる特別企画であった。
そしてこの頃にオールナイトニッポン仕様のスーパーマリオブラザーズも限定で配布。上記の6組がマリオの世界に調和したような内容となっており、現在では入手困難なゲームソフトの1つとなっている。
オールナイトニッポンファンの中にはこの頃が最高傑作な布陣であると考えている人が一定数いる。
- 安定期~第2の停滞期(80年代中期~90年代末期)
80年代末期にバンドブームのきっかけにより、デーモン小暮や大槻ケンヂ、木根尚登などといったバンドマンが続々と起用。
更に演出家の鴻上尚史や「ちびまる子ちゃん」作者のさくらももこなどといった、普段テレビでは活躍しないような業種の有名人も新たに起用。更に新規の開拓を図っていた。
しかし1980年代後半以降、テレビ局が終夜放送を開始し、深夜番組がより充実するようになるだけでなくゲームやレンタルビデオの普及など娯楽が一気に多様化していき、若者のラジオ離れが顕著となる。
ラジオでもそれまで音楽だけを流していたFM局が同様の深夜番組を制作するようになり、そちらなどでリスナーが鞍替えしていくようになったことにより、オールナイトニッポンに届くハガキの数が一気に減るようになった。
そんな中ニッポン放送はこの現状を打破する為にまず、普及したばかりのパソコンや携帯電話、メールなどの新しいツールにいち早く目をつけた。そして、それらのIT機器とAMラジオの関係を融合させるべくオールナイトニッポンを含めた夜帯の大改編を行うこととなった。
しかし・・・
- LF+R期(90年代末期~2000年代初期)
1999年にLF+Rと呼ばれる番組枠をスタート。従来のオールナイトニッポンに加え、平日や土曜日・日曜日・年末年始に「LF+R」の名を冠した番組を放送していた。
この枠がスタートしたことにより番組の時間枠が拡大、それに伴い以下の通りに従来の2部制から3部制に以降。
月曜〜金曜 夜10時~ 12時
『allnightnippon SUPER!』(1部)
月曜〜土曜 深夜1時~ 3時 『@llnightnippon.com』(2部)
月曜〜木曜 深夜3時~4時30分、金曜・土曜 深夜3時~5時(3部)
『allnightnippon-r』
そして今では馴染みとなったインターネットラジオを初導入。
インターネット社会や21世紀を見据えた新たな時代の1歩を築くはずだった。
結果、蓋を開けてみれば
- ハガキの受付を廃止し、 FAXやメールだけだけでしか受け付けなくなったため、それらの環境を持ってないリスナーはネタを送りたくても送れない状況となった(ただし、郵便でメッセージを送ったリスナーは複数いた)。
- メインの1部枠が夜10~11時台に変更されたため、その時間帯に合わせたトークをせざるを得なくなり、以前と比べたらトーク内容が当たり障りのないようなものに成り下がってしまった。
- この番組の顔、BITTERSWEET SAMBAをオープニングに流さなかった*6。
- 初導入したインターネットラジオも、まだ常時接続システムがそれほど普及していなかっただけでなく当時は著作権の問題などもあり、各番組内で流れる曲が殆どオンエアされていなかった。
などなど、多くの不満点・改悪点が見られるようになった。
2002年にはライバル局であるTBSラジオが深夜ラジオ枠「JUNK」をスタートさせる。
この頃のオールナイトニッポンよりも魅力的に感じたリスナーが続出し、結果的に聴取率が低下するようになりこの取り組みは大失敗に終わった。
結局2003年の春改編でLF+Rは消滅、メインの1部枠は元の深夜時間帯に変更、変更後の夜10時~12時台はオールナイトニッポンいいネ!に改題されパーソナリティを一新、そして3部枠のallnightnippon-rはオールナイトニッポンRへと改題されるなどして様々な改編を取り組んでいった。
この4年間はオールナイトニッポン及びニッポン放送最大の黒歴史と呼ぶファンも多い。
『allnightnippon SUPER!』は当初は関東ローカルだったが、半年後には地方局でもネットを開始し、最終的には27局にまで増え、その結果一部地域では当該時間に放送されていた自社制作番組や同様のローカルワイド番組がほぼなくなってしまう事態となった*7。
この時期まではリスナー宅にパーソナリティがやってくるという企画もやっていた*8。『allnightnippon SUPER!』は全国ネット化以降、ネットされる放送局名をオープニングとエンディングで読み上げていた。
- 新規路線(2000年代初期~2010年代初期)
メインの1部枠を戻したりと原点回帰を図り、リスナー回復に勤しんでいたが、その頃の若者たちのラジオ離れが加速していくだけでなく、JUNKにリスナーを奪われたままだったりとで、回復が順調にいかなかった。
そんななか、60年代~70年代にラジオを聞いてた当時の若者リスナーで現在でいう団塊の世代達に向けた番組をラジオ業界が次々と作成。
その流れに乗り、若者向けの枠であるオールナイトニッポンいいネ!は全て打ち切り、夜10時~12時台の枠は一旦消滅、オールナイトニッポンRの月〜木曜日分を打ち切る代わりに、中高年層にむけた「オールナイトニッポンエバーグリーン」の放送を開始。
2009年には夜10時~12時台の枠を「オールナイトニッポンGOLD」という名前で6年振りに復活。
徐々に新たな年代のリスナーを獲得するようになる。
- そして、現在(2010年代初頭~)
2012年にオールナイトニッポンエバーグリーンの枠を変更して「オールナイトニッポン0」が開始し、8年振りに2部枠としての機能を果たす枠が復活した。
そしてこの枠を以前のような若年層向けand新人発掘の場としても機能させるために、プロアマ問わずのパーソナリティオーディションを開催。事務所無所属の一般人を含めた5組の若手が選ばれる。
なお、この番組はサイマル形式で映像の同時配信を実施しており、開始当初はNOTTV、2016年度からはLINE LIVE、2019年度からはミクチャで配信サイトの廃止にめげず配信している。
一方、従来のエバーグリーンの代替番組は中高年層向けの枠は夜10時~12時台に移行し、「オールナイトニッポン MUSIC10」として復活。これに伴い「オールナイトニッポンGOLD」の月〜木曜枠が終了。
こうして紆余曲折ありつつも2017年、50周年を無事に迎えることができ、50周年にちなんだ横浜アリーナでのライブなどといった様々なお祝い企画が実施されていった。
現在も様々なリスナーやパーソナリティに支えられながら放送を続けている。
【パーソナリティ】
当初はニッポン放送の社員しか起用されていなかったレギュラーでのパーソナリティであるが、現在ではアイドル・アーティスト・芸人・役者・タレント・モデル・声優・漫画家etc.と数々の業種の有名人達が数えきれないほど起用されている。
基本的にパーソナリティに起用されるのは、ある程度名前が知られた有名人以上に、ブレイク前あるいはブレイクの予感がする芸歴の浅い有名人が多く起用されている。
実際に関西では人気を博していたが関東ではほぼ無名だった笑福亭鶴光、いいとも司会抜擢前のタモリ、東京進出した直後の明石家さんま、『オレたちひょうきん族』が始まったばかりで本格的にブレイクする前のビートたけし、ヒット曲がまだ少なくフジテレビ系列のドラマにレギュラーで抜擢されたばかりの福山雅治、とぶくすりで全国区に地盤を固めつつあったナインティナインなど数えきれないほどの例がある。
これも若年層をメインターゲットにしたオールナイトニッポンならではであろう。
以下は歴代の中で特筆されるパーソナリティを紹介する。
- 糸居五郎
オールナイトニッポンの初代パーソナリティの1人。
満州国でアナウンサーを担当後、戦後ニッポン放送に入社。
本人が音楽好きというのも相まってトークよりも音楽に重きを置いた内容だった。
冒頭のセリフは糸居時代のオープニングに使われていたフレーズである。
50歳の記念に50時間マラソンジョッキーを敢行、2日とちょっとという長時間を一切寝ずにほぼ1人でパーソナリティをこなすという過酷な挑戦を無事やり遂げることができた。
番組は一時中断しながらも糸居の定年退職後となる1981年まで続けられた。
前述の内容からタレントパーソナリティには批判的で、「あれはディスクジョッキーではなくディスクジョーカー(冗談を言う人の意味)である」と評したこともある。
1984年12月28日に食道がんで死去。翌年の1月12日に追悼特番を放送。その後彼の命日が「ディスクジョッキーの日」として制定された。
- 亀渕昭信
本職はディレクターのパーソナリティ。
初期ANNらしく音楽を主体とする番組であったものの、亀渕の妹はミュージカルでも活躍したゴスペル歌手で、本人も洋楽に造詣が深く、更にはアメリカへのラジオ留学の経験を持っていた。このため洋楽、特にロックミュージックが多くかかり、またディレクターらしからぬ軽妙なトークでも人気を集めた。
歴史の節にある「ビアフラに米を送ろうプロジェクト」を立ち上げたパーソナリティで、「ビバカメショー」で週6・12時間担当していた人物でもある。
また同期である「アンコー」こと斉藤安弘とのデュエット「カメ&アンコー」による『水虫の唄』がヒットを飛ばしたことでも知られている。
1973年を最後に表舞台から退きANNの制作に回る。さらにその後は企画・経営畑に進み、2005年のライブドア・フジテレビ間のTOB合戦の時は社長として事態の収拾にあたった。
宣言通り「フジサンケイグループとしてのニッポン放送」が続くことが確実になったのを見届けるように社長を退任。2009年からはNHKの番組でパーソナリティとして復帰していて、2024年現在は地方局で放送される『亀渕昭信のお宝POPS』という番組を担当している。
- 笑福亭鶴光
上方落語家。
当時オールナイトニッポンでは御法度とされた下ネタを、曰く「亀渕からの「セックスアピールが足りない」というアドバイスを勘違いしたのがきっかけで」なんの悪びれもなく多用するなど、彼が就任した当時は型破りな存在であった。
低俗だと彼のことを嫌うリスナーも存在したが、それ以上に彼を支持するファンが存在しており、結果的にエロで支持される最初のオールナイトニッポンパーソナリティとなり、現在は別の時間帯で『噂のゴールデンリクエスト』を担当している。
なお、この番組のアシスタントは若手アイドルが起用されており、その中には松本明子や日髙のり子の名前も。
この番組は4時間の放送*9で、途中にはアシスタントがメインのコーナーも設けられていた。
特に松本はこの番組の企画で出演したフジテレビの番組でとんでもない大やらかしをしでかしてしまい、謹慎させられて路頭に迷うが、同じナベプロ所属で後に鶴光の後任パーソナリティとなるABブラザーズの中山秀征に「バラエティ班に来ないか」と誘われたことを機にバラエティ路線に転向、見事な復活を遂げた後そちらで地位を固めた。
現在はその大やらかしもたまに自虐で使っている他、後述のオードリーとは『ヒルナンデス!』の「ドケチ隊」という企画で共演しており、武道館公演にも出演。持ち歌を歌った上で春日とキスした。
芸人デビュー2年目のときにいきなり抜擢される。
様々なニュース音声を継ぎ足してインチキなニュースを作り上げる、元祖MADムービーこと「NHKつぎはぎニュース」や「大学対抗悪口合戦」、タモリが目の敵にしていたニューミュージック批判など、密室芸人と呼ばれた初期のタモリ色全開で人気を呼んだ。
タモリは番組をタレントとしての基礎を形成させてくれた重要な存在と見なしており、「笑っていいとも!」開始後も多忙ながら1年継続させた。
その後もタモリとニッポン放送との縁は続き、この番組も不定期特別番組として放送されている。
ツービートの片割れとして名を馳せ、『オレたちひょうきん族』の出演で更にブレイクしつつあったときに起用された。
『ラジオビバリー昼ズ』でニッポン放送のお昼の顔となった高田文夫を相手役に、時事ネタや芸能界裏話、社会現象から下ネタ、自身のプライベートまで、幅広い内容のフリートークを毒舌も交えながら言葉巧みに展開。
たけし自身とその家族と高田文夫やその当時社会で話題のヒト・モノのみならず、「村田先生」「ムッチー」こと村田英雄やジャイアント馬場などの著名人、「TBSの桂さん」こと桂邦彦や「IVSの伊藤」ことテリー伊藤といった後にたけしと組んで名番組を生み出すテレビマンなど、多くの人が話題に挙がった。
番組は穴埋め的に始まったものではあったが、若年層を中心に人気をつけていき、聴取率記録を打ち立て、最終的には10年にわたり放送が続いた。
時にはスタジオを飛び出してリスナーと旅行しその様子を放送していた他、ラジオ体操をしたりスタジオにファミコンを持ち込んでプレイしたり跳び箱を跳んだりと、ラジオながら視覚的なモノを主とする企画も度々行い、特にファミコン回では「犯人はヤス」の元となる言葉が生まれている。
これらの企画により、「音故に想像力を働かせる」というラジオの新しいあり方をも開拓し、毒に溢れたトークと並び、その後のラジオやお笑い文化に影響を与えたとまで称される伝説的番組の1つとされている。たけし軍団の多くもこの番組をきっかけにたけしへの弟子入りを志願して芸能界に飛び込んでいった。また後年のオールナイトのパーソナリティでは伊集院光や松村邦洋が大きな影響を受けたことを公言している。
しかし、1986年末のフライデー襲撃事件でたけしも活動を停止せざるを得なくなり、結果的に半年間番組が休止することとなり、この間は若手や他の歌手、大竹まことなどが代理で繋いだ。
こちらもタモリと同じく、不定期特別番組として復活している他、レギュラー放送終了の2ヶ月後からはフジテレビでこの番組の後継ともいえる『北野ファンクラブ』が5年間にわたり放送されている。
- ナインティナイン
初の冠番組とぶくすりで東京進出を果たしたばかりの時に抜擢された。
1994年の放送開始から変わらずパーソナリティを続けており、2014年矢部がパーソナリティを卒業した時点で歴代最長を誇る長寿番組となった。(次点は福山雅治)
その後岡村のみで放送が続いていたが、2020年に色々あったため矢部が復帰し、歴代最長記録を更新し続けている。
同じ時間帯で放送されているTBSラジオの『おぎやはぎのメガネびいき』とは仲が良く、何度かラジオ局の垣根を越えた事がある。
T.M.Revolutionとして再デビューしてから1年も経たぬうちにパーソナリティに抜擢される。当初の担当は月曜27:00からの2部枠。
キラーチューンとなる「HIGH PRESSURE」を発表した1997年に、金曜25:00からの4時間ぶっ通し生放送枠を担当し話題となる。
西川のトーク力に加え、電話出演させた女性リスナーに野菜を咥えさせ、何の野菜をしゃぶっているかを当てる「お野菜クイズ」といった下ネタで人気を博し、番組開始当初は女性8:男性2の割合だったリスナー層が最終的に逆転するぐらい男性リスナーから支持を得るようになった。
その後LF+R期の火曜1部担当に回される。上述の通り時間帯が早まったことで伝家の宝刀である下ネタが使えなくなったが、それらの悪条件を逆手に取り、今なお伝説として語り継がれるレイヴを屋外ロケにて行うようになった。さらにはアメリカ同時多発テロ(911テロ)が発生した夜も報道特番に切り替える事無く、関連ニュースを挟みながら西川が24時までいつも通りの生放送で現状を伝え続けた。
過激かつ生放送ならではの予測不能なハプニングがリスナーのハートをガッチリ鷲掴みし、その時間帯の聴取率1位を取って裏番組の伊集院光を戦慄させたことも。
また、西川の拘りで当番組のネタは原則葉書でのみの受け付けだったため、職人達は限られた紙面に簡潔にネタを纏めるための技量が磨かれていくこととなり、結果西川ANNからは多くの放送作家やラノベ作家が排出されることとなった。
同じく拘りとして放送は原則生、録音放送は最後の手段としており、西川の全国ツアー中は各都道府県でスタジオを借りて生放送を敢行していた。ファンクラブのイベントでハワイに滞在中も、宿泊先のホテルに機材を運んで生放送を行っている。
西川がアニヲタということもあり、『百獣戦隊ガオレンジャー』とコラボしたり、池田秀一ら人気声優をゲストに招いたり、『しましまとらのしまじろう』のキャストからコメントを貰うといった企画が行われたことも。
しかしながら2005年、未だ衰えぬ人気を誇りながらも上層部のゴリ押し改編の煽りを受けて惜しまれつつも番組は終了。後番組のパーソナリティが記念すべき初回放送でいきなり録音という体たらくだったこともあり、西川ANNのリスナー達は当てつけとして番組ホームページの閲覧数ランキングを数週間連続で1位にするという抗議活動を行っていた。言うまでもなく、放送終了した番組のホームページが現行番組のそれを抑えて1位に君臨したというのは前代未聞の出来事である。
その後数回の特番を経て、2011年に月曜から金曜までの帯番組『T.M.Revolution 西川貴教のちょこっとナイトニッポン』として規模を縮小しながらも復活を遂げていたが、こちらも2022年に終了を迎えている。その翌日にいきなり特番が放送されてるけどな。
これは別の生配信番組を優先したいという本人の意向によるものだと構成作家の石川昭人は証言している*10。
2008年暮れのM-1グランプリ準優勝による一大ブームを巻き起こした直後の時期から何度か特番や配信で起用された後、2009年10月に土曜1部に抜擢。
「土曜の夜、カスミン、ひとつよしなに」*11で始まり、「(おやす)ミッフィーちゃん」「この後また、夢でお会いしましょう。アディオス!」で締められるのが基本。
2時台後半にコーナーをやるまで1時間半近くトークが続くのが特徴。
土曜1部は冠スポンサー番組となっている期間が長く、そのスポンサーに関連するコーナーは毎週行うが、それ以外は名物下ネタコーナーの「死んでもやめんじゃねーぞ」でさえ休止になることがあるくらいである。
その内容もかなり濃く、仕事・プライペート問わず近頃起こったことや筋トレやラップ、阪神と西武などの趣味の話、「谷口くん」や「ショーパブ芸人」などが出てくる昔の思い出話など幅が広い。
2人は「ラジオを楽しんでもらうために普段はあまりプライベートでは喋らないようにしている」ともいう。
抜擢当時のオードリーは春日のキャラが先行しており、若林がじゃない方扱いだったのだが、このラジオで本格的に若林の破天荒な本性が顕になりじゃない方から脱却。春日も春日で開始当初はお世辞にもトークが上手いとはいえなかったが、年が経つ事に克服していき、トーク番組でも安定した力を見せるようになっていった。
テレビとはまた違うオードリーを聴けるとあってファンも多く、番組内でこれは「リトルトゥース」と名付けられた。
水卜麻美(日本テレビアナウンサー)、弘中綾香(テレビ朝日アナウンサー)や日向坂46のメンバー、大竹真一郎医師、あばれる君といった番組での共演者や、星野源、新内眞衣を始めとする乃木坂46のメンバー、SixTONESの髙地優吾と松村北斗、Creepy Nuts、フワちゃん、佐久間宣行、鈴木杏樹などのオールナイトニッポン担当パーソナリティ、高田文夫やパンサー・向井慧、山崎怜奈、山里亮太など他時間帯・他局で番組を担当するパーソナリティのみならず、高橋ひかる、佐藤栞里、戸塚純貴、富田望生、成田凌、朝井リョウ、三谷幸喜、野口聡一、花澤香菜、月ノ美兎、内田篤人、秋山翔吾など、多彩な著名人がリトルトゥースを公言している。
『日向坂で会いましょう』ではこの番組のネタがよく使われており、佐久間がプロデューサーとして手がける『あちこちオードリー』は雰囲気がどこかこの番組と近いものになっている。
また、スタッフ集団は「チーム付け焼刃」と通称されており、これまた個性の強いスタッフが揃う。
番組では節目の機会に大規模なイベントを開いていて、2014年には東京国際フォーラムで「ショーパブ祭り」を開催。
2019年3月には10周年記念の全国ツアーを行い、最終公演地に日本武道館を選ぶ。当初は通常通りのアリーナ+スタンド席としていたもののチケットは即完売。急遽ステージ後方も追加で発売されたがそちらも即完したためライブビューイングが行われることとなり、全国各地のスクリーンがリトルトゥースで埋め尽くされる活況を呈した。
そして2024年2月には、ラジオ番組では初となる東京ドームでのライブを開催。
発表時は「いくらなんでも4万5000席を埋められるのか?」という疑問の声も聞かれたが、いざチケット予約が始まってみれば先行抽選で落選の声が多数聞かれるほどとなり、案の定一般は即完売。このため前回同様ステージ裏5000席が追加販売されたがそちらも売り切って、お笑い芸人の単独公演として史上初めて5万人を動員するイベントとなった。最終的には機材の配置変更により捻出された席も含めて5万3000人を動員。当然、ラジオイベント及びお笑いライブとしては過去最大の動員数である。
そのチケット応募総数は5万3000人に対して19万人(重複除く)。ここまで応募が集まるとは本人たちも思っていなかったという。転売が横行したこともあって、転売されたチケットを無効化した上で空き席を前々日夜から販売するという救済措置を行うほどであった。
ライブビューイングも200館+LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)に拡大して実施。追加で5万2000席だがそこでもやはり需要を吸いきれないためか、今回はオンラインでも同時配信されることに。こちらも視聴数5万5000人を記録したことで、実に約16万人が同時に見届けるメガイベントとなった。
「よふかしのうた」の後特別アニメと「フィールド・オブ・ドリームス」「メジャーリーグ」のパロディからのBittersweet Samba。自転車で場内一周して登場した若林の「こんばんは、ラジオモンスターです!今日はラジオやります!」宣言、チーム付け焼刃を引き連れて1塁側ベンチからチャーリー・シーンの姿で現れた春日の「東京ドーム、カスミン!」の挨拶からスターツ。
普段のラジオらしい「ドームの舞台に立てる喜びと東京ドームホテルでの一夜」「自転車の活用方法でウーバーイーツの配達を始めた若林」「2人(と星野源)の阿佐ヶ谷の思い出の味をラーメン屋を経営するHEY!たくちゃんの協力も仰いで作ろうとする春日」のトークのみならず、トークの間にはショーパブ芸人の皆さんとステージゲストから降格させられた松本明子が一芸で盛り上げた。
ひろしのコーナーでは春日が年の瀬に買ったゲレンデヴァーゲンを引っ張りつつ若林や岡田マネージャーが汚していく企画が敢行され、味玉をつけたくないヒール・春日vs味玉をつけたいクミさん援軍のベビーフェイスとは言えど卍固めを食らわしておいてそこから春日を他撮りする、春日から奪い取った布製凶器を使う、助っ人にクミさんや舟橋ディレクターや石澤マネージャーを呼び特にクミさんはプラスチック製凶器を使うなど割とやりたい放題だった・フワちゃんによるスペシャルシングルマッチ*12、若林によるBittersweet Sambaのリミックス*13、そして星野源のコラボレーションによる「Orange」「Pop Virus」の披露、いつも通りの死んやめ、エンディングの「A Heady Tale」に合わせての場内一周とハイライト。数瞬の静寂の後、「SHOWがはじまるよ」が流れて歴史と感謝をテーマにした新作漫才が披露された。そしてクライマックスでは「何年後になるか分からないけど、それまで俺たちがトゥースだったら、またやろうや」と再びの公演をも宣言。まさに「東京ドームでラジオをやった2人」による「最高にトゥースな夜」となった。
なお、2019年には『全プリキュア大投票』で『フレッシュプリキュア!』に1話のみのゲストで出たオードリーが何故か10位台に入っていたのだが、これはリトルトゥースの仕業ではないかと話題となった。
- 星野源
俳優兼アーティスト。
作曲も手がけるアーティストである故にオールナイトニッポン全体のジングルも多数作成した。
また、彼自身サブカルに造詣が深いためか、宮野真守や尾崎由香などといった声優、小島秀夫といったゲームプロデューサーをゲストに迎えている。
その中で2016年に安元洋貴、下田麻美が共にゲスト出演した際、安元は「ぶっかけ星人(ぶつ兄)」、下田は「ぬるぬる星人(ぬる姉)」と扮しオールナイト宇宙という世界観の中で放送と、とにかく終始カオスな様相を呈していた。
星野はリトルトゥースにして『コサキンDEワァオ!』のリスナーでもあった。
このためオードリーの2人のみならず、クミさんをゲストに招いたことがあり、本人も若林とのコラボ曲、ドームイベントの主題歌を作曲し、更にはドームイベントにはサプライズで出演。ある時にはTBSの夜の番組『Sessions』のパーソナリティを務める萩上チキとの時事放談企画を行ったこともある。『コサキン』に関してはそのパーソナリティと放送作家をゲストに招き、『コサキン』の名物コーナー「意味ねぇCD大作戦」を復活放送したこともある*14。
- 菅田将暉
仮面ライダーWの右側としても知られる俳優。
彼のラジオには殿こと松坂桃李が度々ゲスト出演するのだが、ゲストの身でありながら遊戯王のトークを彼一人で長時間語り、菅田のラジオをほぼ乗っ取ってしまうほど。あまりの遊戯王ガチ勢っぷりに菅田は困惑するばかりであり、後日遊戯王ばっか話すという理由で出禁を告げた(勿論菅田なりの冗談である)。
出禁を言い渡された数ヶ月後、なんだかんだ言ってまた登場。もちろんその時も遊戯王の話題で持ち切りだった。
また、最終回前にもコロナに感染した菅田のピンチヒッターとして再登場を果たしている(最終回は1週延期)。
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▷ コメント欄
- ラブライブのGOLDが終わってしもーた……(;_; -- 名無しさん (2020-03-25 15:45:21)
- ANNの凋落と言えばあのバカの話が欠かせないがANNだけじゃなくニッポン放送の問題だからなあ -- 名無しさん (2020-03-26 15:59:55)
- 鴻上尚史だったか、この番組内でドラクエ3のBGM「そして伝説へ…」と「冒険の旅」に歌詞をつけた曲を出してオリコン初登場29位を達成したのは… あと確かドラクエ3のアッサラームの劇場の座長がこの人モデルにしてるとか -- 名無しさん (2020-03-26 23:06:17)
- 福山雅治のラジオ聴いてたなぁ -- 名無しさん (2023-04-16 02:32:30)
#comment
*2 月替りのパーソナリティが2時間(地方によっては1時間)音楽を選曲して流すだけというシンプルな番組。かつてはトラックドライバー向けに演歌や歌謡曲を中心に流していた『いすゞ 歌うヘッドライト』の枠だった。大多数のネット局はANN1部とセットで放送されていた
*3 移行した局はいずれも次番組『上柳昌彦 あさぼらけ』もセットで放送している。
*4 土曜のみ23局。
*5 この年は国際青年年と制定され、記念コンサートとして開催された「ALL TOGETHER NOW」のパロディ。
*6 半年間のみ。ただし、レギュラーで流さなかった期間でも特番の時は流されていた。
*7 リスナーから放送して欲しい要望が多数あったこともさることながら、全国の大半のラジオ局がラテ兼営局のためテレビの地デジ化で莫大な費用を捻出しなければならず、制作費削減のためネットせざるを得なくなったためである。終了後は自社独自の編成・自社制作に戻った局もあるが、大半の局は引き続きニッポン放送からのネットを継続している他、それを打ち切って新たにTBSラジオや文化放送の番組に切り替える局も現れている。
*8 事前応募の当選者。一応全国募集の形は取っているが、この企画自体ニッポン放送の聴取率調査週間に合わせたものであり、調査自体あくまでも首都圏の調査であることと、パーソナリティの移動上の制約もあったため、事実上当選者は都内などの首都圏在住者に限られていた。
*9 一部放送局では1部パートの3時で終了。
*10 西川が今でも生放送でのリスナーとの交流に拘っていること、『ちょこナイ』は野球中継で潰れる機会が多いこと、媒体の違いでラジオでは言えないような発言も可能なことなどが理由として考えられる。
*11 鶴光と並んで土曜1部の先達である『松任谷由実のオールナイトニッポン』で使われていた挨拶「土曜の夜、ユーミン」をアレンジしたもの。学生時代の春日は深夜ラジオリスナーだったことを公言していて、その中には松任谷ANNも含まれているとのこと。後に特番で鶴光・ユーミン・カスミンの共演が実現している。
*12 フワちゃんの所属団体であるスターダムと、所属する宮脇純太がリトルトゥースという縁からプロレスリング・ノアが協力。もちろん宮脇もトレーナー兼セコンドとして参加している。
*13 春日のみならずDJ KOOもネタにされていたが、この日はTRFが同じ時間帯に武道館ライブだったので登場できなかった。それでもSAMは「時間があったらぜひ赴きたい」と述べていたという。
*14 元々CD大作戦は「レコード大作戦」と称したニッポン放送時代の『欽ドン!』のコーナーが元になっているため、数十年ぶりにニッポン放送でこの趣旨のコーナーが放送されたことになる。
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