一人百首の一覧 - いにしえwiki
類(実隆・他)散位長綱百首(藤原 長綱)続群書類従394殷富門院大輔百首(殷富門院大輔)続群書類従399如願法師百首(藤原 秀能)雅経百首(飛鳥井 雅経)鷹百首(藤原 公経)続群書類従357実朝卿百首(源 実朝)為家卿藤河題百首(藤原 為家)続群書類従390為家一夜百首(同)成茂
類(実隆・他)散位長綱百首(藤原 長綱)続群書類従394殷富門院大輔百首(殷富門院大輔)続群書類従399如願法師百首(藤原 秀能)雅経百首(飛鳥井 雅経)鷹百首(藤原 公経)続群書類従357実朝卿百首(源 実朝)為家卿藤河題百首(藤原 為家)続群書類従390為家一夜百首(同)成茂
原隆信朝臣集金槐集(源実朝)金槐集解(衣川長秋)金槐集和歌註釈(田中常憲)真淵書入本金槐集(賀茂真淵)訂正増評金槐集(賀茂真淵)明日香井集(飛鳥井雅経)季経入道集(六条季経)拾玉集(慈鎮)異本拾玉集(慈鎮)無名歌集(慈鎮)明恵上人集壬二集(藤原家隆)如願法師集(藤原秀能)小侍従集
きゅうあんろくねんおんひゃくしゅ 崇徳天皇 170 正治二年第二度百首和歌 しょうじにねんだいにどひゃくしゅわか 後鳥羽天皇, 飛鳥井雅経 171 内裏名所百首 だいりめいしょひゃくしゅ 順徳天皇 172 弘長百首 こうちょうひゃくしゅ 西園寺実氏
(あしかが よしのり)足利義尚(あしかが よしひさ)足利義政(あしかが よしまさ)足利義満(あしかが よしみつ)足代弘訓(あじろ ひろのり)飛鳥井雅顕(あすかい まさあき)飛鳥井雅有(あすかい まさあり)飛鳥井雅孝(あすかい まさたか)飛鳥井雅親(あすかい まさちか)飛鳥井雅経(
林良材抄(一条兼良)絵入歌林金葉抄(同)さよのねざめ(同)苔莚(心敬)東野州聞書(東常縁)兼載雑談(猪苗代兼載)栄雅記ならの葉和歌道しるべ(飛鳥井雅親)和歌入学抄飛鳥井家秘伝抄筆のまよひ飛鳥井家秘伝抄飛鳥井家式和歌口伝和歌部類抄和歌六部抄和歌口伝和歌次第博物館本無名抄正広筆記宋世
にまたれて 程もなく 身にしみかはる 秋の初かぜ(斎藤摂津守三友)079.御秡せし けふは名ごしに いひなまし 我恋せじの こころをやしる(飛鳥井雅章)080.逢ひみての 後にも残る 言の葉の 暮まつ程に うきやつくさじ(藤原頼母室女)081.松の葉の 千世経る御代の 初雪に あ
蹴鞠部 536 内外三時抄 飛鳥井雅有 鎌倉中期蹴鞠部 536 蹴鞠条々大概(蹴鞠十箇条)飛鳥井雅康蹴鞠部 537 晩学抄 飛鳥井雅康蹴鞠部 537 蹴鞠百首和歌 飛鳥井雅康蹴鞠部 538 蹴鞠百五十箇条 作者不詳蹴鞠部 538 鞠道三十首之和歌 飛鳥井雅康蹴鞠部 539 蹴鞠九
て。おうとも我懸にけ上て。又軒にけかけての時は。必々おうのこゑ成べし。ありとはこふべからず。乍去又おうのこゑはそこつに有べからざる儀也。今は飛鳥井殿などの外いかにもこふべからず事也。一、一段三足と云事又あり。右の一卷にもしるし候也。尚こま/"\の事在。けあげを一段といふは。け上て
原定家)懐紙短冊書法口伝(今川貞世・等)和歌功能(宋世)和歌愚僻抄建保寛正間歌詩会記(一条冬良)和歌書様和歌次第之事花月恋五十体色紙当流口伝飛鳥井家和歌之式法類会座訓(冷泉為和)和歌条々和歌書様和歌会次第永正聞書和歌式和歌玉屑抄(也足軒)歌会作法聞書(木戸寿之)飛鳥井家之式(飛鳥
いまだ有也。此懸は後鳥羽院始て植給ひしかゝり也。一、根本の鞠の足の次第の事賀茂成平。其弟子成通卿、其弟子賴輔。その弟子宗長雅經此人也。宗長は飛鳥井の雅經は弟也。自是難波流飛鳥井流と道をたてられけり。賴輔までは賀茂流也。〔御子左の流足も後鳥羽院の御說をあづかり給ふゆへに賀茂流と同意
かたに立給。內のおとどは坤の木の東。大納言殿はたつみの木のにし。帥大納言〔實雅〕いぬゐの木の南。日野大納言〔資任〕たつみの木の北にたつ。次に飛鳥井中納言主上の御むかひつめにひつじさるの木の北にすゝみたたる。扇はながみをばおほくは座のうしろにをかれ侍り。大納言殿ばかりはふところにか
片耳を断たれ撤退。よく逃げることができたなしかしそれまでの洗脳行為によって、全く異質にして別次元のMPLS「イマジネーター」の異名を持つ男、飛鳥井仁に目を付けられる。心身共に追いつめられた彼は統和機構の上から支給されていた強力なパープルヘイズ・ディストーション細菌兵器の使用を決意
蹴鞠条々大概しゅうきくじょうじょうたいがいは室町時代の後期の作品。著者は飛鳥井家の第7代当主雅世の次男、飛鳥井雅康あすかい まさやす。続群書類従の蹴鞠部、第五三六巻に収録。身體事書云。凡人のうけたるところ。性に利鈍賢愚あり。體に好惡大少あり。父よけれども子かならずうけず。師妙なれ
姉):加藤治子徳川家康:中村竹弥徳川家光:中山仁浅宮顕子(家綱正室):藤純子徳川家綱:香川秀人→津川雅彦矢島局:木暮実千代姉小路局:大塚道子飛鳥井局:八木昌子鷹司信子(綱吉正室):藤田佳子お伝の方(綱吉側室):中村玉緒右衛門佐(大奥上臈):若柳菊大典侍局(綱吉側室):三浦布美子竹
内外三時抄ないげさんじしょうは鎌倉時代の中期の作品。著者は飛鳥井家の第3代当主の飛鳥井雅有あすかい まさあり。続群書類従の蹴鞠部、第五三六巻に収録。序文内外三時抄(序)鞠場篇内外三時抄(庭作)内外三時抄(塞縁下)内外三時抄(石畳)内外三時抄(傍前栽)内外三時抄(懸樹)装束篇内外三
事で各地の中古ショップで品切れになるほど売れた。のだが……ストーリー主人公は両親が海外に出ており、叔母夫婦の元に預けられる。そこには従姉妹の飛鳥井霞がおり、叔母夫婦が旅行に出た直後に、お兄ちゃん、ボクのこと、奴隷にしてと申し出たのだった。こうして、奇妙な同棲生活が始まった。まぁ、
宗良親王千首(宗良親王)群書類従162耕雲千首(藤原長親)群書類従378為伊千首(冷泉為伊)群書類従163為伊卿千首和歌題抄()雅縁卿千首(飛鳥井雅縁)続群書類従377栄雅千首(飛鳥井雅親)続群書類従379正徹千首(正徹)続群書類従380牡丹花千首(肖柏)文明千首将軍家千首侍従大
の夢を捨て、ただの「イナズマ」へと身を落とした。フォルテッシモとの再戦で勝利し、正樹に自らの"死"を分け与えて姿を消した後は"提案者"である飛鳥井仁と共に戦い続けている。ビートのディシプリンを見るとフォルテッシモを退けていることは統和機構でも知られており警戒されている様子。フォル
A. 飛鳥井雅庸は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿・歌人です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E4%BA%95%E9%9B%85%E5%BA%B8
ら奇襲しショックバイトで狙ったが、かわすと同時に突き立てたビームサーベルでコクピットを直撃され戦死。目次へ移動するジム・スティフ[]声 - 飛鳥井豊イエロージャケットのモビルスーツパイロット。マーベットの乗るハンガーと合体したコアファイターのビームライフルに狙撃され、ビームライフ
A. 飛鳥井雅経は平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E4%BA%95%E9%9B%85%E7%B5%8C
A. 飛鳥井雅章とは、江戸時代前期の公卿・歌人です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E4%BA%95%E9%9B%85%E7%AB%A0
皇百人一首集成抄百人一首弁蒙抄百人一首師説抄(祐海)百人一首御講釈(後水尾天皇)百人一首抄(8)百人一首抄(9)道晃親王百人一首御講尺聞書(飛鳥井雅章)百人一首抄(10)松永貞徳小倉撰歌要聞記貞徳首書百人一首抄(加藤盤斎)百人一首見聞抄(河瀬菅雄)百人一首実葛(同)百人一首抄(1
029.脇指も 刀もぬきて たつ時は なをる圓座の 脇にをく也030.びんずりや うつぼながしは 曲足の 中にもまりの 大事なりけり這三十首飛鳥井家中納言雅康。述作也。以前大納言雅章卿。本書写?合矣。同作之和歌百首也。其内五十首或卅首書分之本有之。仍三通也。今二通追而可写者也。寛
なぐさめぐさ 応永25 正徹 334 伊勢紀行 いせきこう 永享5 尭孝 335 富士紀行 ふじきこう 永享4 飛鳥井雅世 335 覧富士記 ふじをみるき 永享4 尭孝 335 富士御覧日記 ふじごらんにっき 永享4 335
遠く 晴れ渡る夜の 月かけて 松の数のみ 天の橋立 (三条西季知卿)049.神や知る 春日の野辺の 若葉にも 君が千歳を かねて摘むとは (飛鳥井雅久卿)050.真白斑の 手馴の鷹を 引きすゑて 駒うちいづる 松の下道 (三条実万卿)051.敷島の 大和心を 人とはば 朝日ににほ
んぎょき 354 成通卿口伝日記 なりみちきょうくでんにっき 藤原成通 354 蹴鞠略記 しゅうきくりゃっき 飛鳥井雅経 354 蹴鞠簡要抄 しゅうきくかんようしょう 飛鳥井雅康 355 遊庭秘抄 ゆうていひしょう 二条為定
(一条兼良)群書類従287古今和歌集抄(浄弁)宗祇古今集聞書(飯尾宗祇)宗祇両度聞書(同)宗祇加筆古今和歌集古聞十口抄(東常縁)古今栄雅抄(飛鳥井雅親)古今和歌集註古今延五記(尭恵)古今尭恵抄古今和歌集鈔古今序註(甘露寺親長)詁訓抄古今集抄古今集序註函底抄(飛鳥井仍雅)古今渭𣲾抄
。且は一流の者後代の當論をやめつる爲に詠之侍りぬ。當家之門子遺葉之輩は。尤此道の至寳として。明鏡に守るべき者也。深く是を秘すべし。穴賢/\。飛鳥井二樂在判天正十九閏正月下旬之比。和州宇多之郡井足殿に御坐候を申請候て書之寫畢。越前之國吉田之郡田谷寺之住僧童[次+酉](鞠図用語/とり
き也。亞相之譜にも一段にかゝれたるは此義也。抑身に傍鞠とまり合は人思亂物也。能々分別すベし。肝心抄に又分明也。右一卷努々不可有聊爾之儀者也。飛鳥井雅康卿華押後號二樂軒宗世(花押)九里伊賀守殿タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
書類従143金玉集(藤原公任)群書類従159三十六人撰(同)群書類従159九品和歌(同)歌仙歌集()群書類従歌仙歌集書入本願寺本三十六人家集飛鳥井卿写本願寺本歌仙歌集補歌仙補翼抄歌仙歌集校合本歌仙家集三十六人集補(山川真清)歌仙家集要(山本明清)三十六人家集校本歌仙抄(下河辺長流
A. 飛鳥井家は、藤原北家花山院流難波家の庶流であり、公家・華族の家格を有した家です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E4%BA%95%E5%AE%B6
1 1005 和島一行 民主 全市1区 1 886 社会民主党(1) 飛鳥井佳子 社民 全市1区 8 656 日本維新の会(1) 村田光隆 維新 全市1区
A. 元KBS京都アナウンサー参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E4%BA%95%E9%9B%85%E5%92%8C
朝云。疊紙は能々用意あるべし。落しぬれば失禮也。不持にはしかじ。不持して難澁の事あらば能々懷中すべし。晴に取出てたかくかむみぐるし。かた/\にむかひて用意してかむべし。木に立て疊紙取出てかむ事なし。若はなたりし。䘐(ハナヂ)など常にたる人は。ふかく懷中にはさみて持べし。それもあら
朝云。只やはらかなるをよしとす。こはきは鞠あたればやれ損じ。歸足の時も鞠を走しきて。かた/゛\わろき物也。うすぬりぞよけれど。若人は當時の風儀にそむくべし。油塗とかや云物にてぬらすべし。やはらかなる也。引入事は可斟酌。古くはわざとも有其興けり。又常にしければ無苦。承元のころ有雅卿
朝云。鞠にはいつも夏扇を持也。當家には束帶の時も夏の扇を持也。彫骨尤爲宜。ことに指ためよき也。細骨勿論也。骨多かさなりたる扇は。指時まろびてわろし。此道の長老ことに年闌ては檜骨に檀紙をはりて持之有例。かゝる振舞はいかさまにも五旬以後事也。仍荒凉に不可持之。扇仕事は。初參又極信之時
朝云。是殊無別義。京都には如法內々私會之外不可有事也。承元にぞ故成勝寺にて直垂の御會とて上下結構事ありき。革匊記にみえたり。是にも葛袴。狩袴。張裏袴。侍などは襖袴などを着也。直垂上下は袴しあつかふ物也。[糸+舌]を上ばみじかく。たゞはながし。或は腰を折反。或はそばをはさむ。革匊記
朝云。履は堅柔人の好によるベし。古も然あり。又庭の樣によるべし。筵道若はいたくかたき庭の然も小石まじりたるには。かたき履わろし。あやまり有。やはらかなるよしとても。やがてひらみぬるもわろし。平みぬる沓は延足もわろく。又ぬけやすき也。普通の沓よりはちと廣くて。はなすこしながきが能也
朝云。布衣は尋常の服。當道に所執也。其も只よのつねにたがふことなし。但香の色をぞ長老の用る色にて。荒凉には不着。若重代若さるべき人の此道も相傳たしかに故實ぞむじためる人着べし。こき引のりうらなど汗にわろき間。右のみ用ざる歟。其外ことなる事なし。口傳集等のごとく。尻は常よりはみじか
朝云。是又無殊子細。能くびを折付べし。頸紙の肩よりすそを直に折付れば能也。布の單水干などはすきて。わろく折ぬればみにくし。すぐに折付ぬれば。透か四ほそにて能也。紐を結に三說あり。尋常にはうちむすびて。うはかへの下へ入なり。是はまりの時はむねあく也。一には右の紐はうしろなれば。前へ
朝云。老者若は肥滿の人。わかき人もことの外に汗多たる人などは。無力事なれば。持こと何條事有哉。あらはにひろげひらめかしなどすベからず。夕云。若は老者若は肥滿の人は可持之。さればとて露顯しひらめかしなどすべからず。且由緖有。應和二年四月廿八日。御仁壽殿。侍臣蹴鞠。昌子親王以汗巾令賜
朝云。韈は古くは口傳故實おほかりき。承元の程品以後任彼又無別子細。但件式云。有文燻革韈。不論尊卑。不謂緇素。三十以後可着之云々。此文然而故實に無左右不着之。凡稽古の物とも世にも聞。人にもさる好士としられ。師說もたしかに受たる物。長者の免を蒙てはく也。任雅意て着する事なし。是を習と
朝云。禁中后宮春宮坊常事也。仙洞にもまゝ着之。行幸御逗留日。若朝覲又警固之時御會等。皆可着人は直衣卷纓。若緌有人兵衞府事也。凡直衣禁裏にてはゆりたる外は凡人の公卿は無左右着事なし。然而當家には公卿の後又未昇殿の時も。御鞠之時は着直衣也。衣冠は鞠にあつくらはしき故也。予以此法公卿之
書云。先例希歟。大底同先段。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
洞五十首()続類聚399道助法親王家五十首頓阿五十首北野宝前夏五十首津守国冬五十首行文五十首正徹五十首隆源僧正五十首文明五十首(三条西実隆)飛鳥井雅親五十首いその玉藻逍遥院五十首部類尭空五十首(三条西実隆)大永二年恋五十首()続類聚399天正五年親王家五十首素然五十首光広卿五十首
書云。御直衣。冠御烏帽子隨節。御布衣。若內々會之時。御小直衣御狩衣等也。無殊儀。後鳥羽院は御直垂御葛袴御狩袴。是は別儀也。筵道建保之比被用之。予云。其比行幸之比也。即御會有之。其時筵道後被用。其上非故儀。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
書云。御冠懸は未見先規。但御冠難澁の御事ならば。縱雖無先例不可有子細。紙捻は無下也。組もあまり下ざまの心地して。にくひけやせん。弦あそばされば尤可優。又くみも何條ことあらんや。御直衣に御大口はさみ上らる。又御指貫建久八年に諸卿に御たづね有てはじめてめす。帳臺試夜着用ありとて被准。
書云。鞠足は小袖に用意すべし。只出仕といへども可用意。寒天にはあまた重きるに。鞠俄にあるに。其まゝにてければあつし。かねてぬげば始つかたはさむし。このあはひ尤大事也。常の小袖を俄にぬげば煩し。されば小袖の帶する程より切たるを着たれば。俄にぬぐにわづらひなし。可用意。又春の季つかた
夕云。狩衣水干直垂等の袖の活をぬく事あり。若は勝負若は人に爭。又袖(抽?)忠節之時事也。其作法。木の後に立入て或蹲踞。或は突膝。如指扇作法。又等輩之時は。乍立木の方の袖之絬を拔也。此作法を用時は兼󠄁可令用意。絬は常は閉付。續飯付にする物也。この時は不然。拔やすき様にすべし。必非木