群書類従(和歌部) - いにしえwiki
文永3 後嵯峨天皇 178 文治六年女御入内御屏風和歌 ぶんじろくねんにょうごじゅだいごびょうぶわか 九条良経, 藤原俊成, 藤原定家 178 昭慶門院御屏風押色紙和歌 しょうけいもんいんごびょうぶおししきしわか 冷泉為相 178 最勝四天王院障子和歌
文永3 後嵯峨天皇 178 文治六年女御入内御屏風和歌 ぶんじろくねんにょうごじゅだいごびょうぶわか 九条良経, 藤原俊成, 藤原定家 178 昭慶門院御屏風押色紙和歌 しょうけいもんいんごびょうぶおししきしわか 冷泉為相 178 最勝四天王院障子和歌
羽天皇御口傳 後鳥羽天皇御撰八雲御抄 順德天皇御撰和歌色葉 上覺三體和歌新古今和歌集兩序長明無名抄 鴨長明瑩玉集 鴨長明近代秀歌(遣送本) 藤原定家近代秀歌(自筆本) 藤原定家詠歌大概 藤原定家每月抄 藤原定家秀歌大體 藤原定家先達物語(定家卿相語)越部禪尼消息 俊成女八雲口傳(
あり)と、その詠み人を中心とした漫画の「和歌うた物語」、 おまけ要素として四コマ漫画「ショートショート」、本作の主人公で百人一首の撰者である藤原定家による解説「ていかメモ」で構成されている。超訳百人一首うた恋い。『新勅撰和歌集』の不本意さと評判に腐る出家後の藤原定家に、同じく出家
ろ)藤原国経(ふじわら の くにつね)藤原言直(ふじわら の ことなお)藤原惟成(ふじわら の これしげ)藤原伊尹(ふじわら の これただ)藤原定家(ふじわら の さだいえ)藤原定家母(ふじわらのさだいえのはは)→ 美福門院加賀藤原定方(ふじわら の さだかた)藤原定成(ふじわら
)四条大納言日記(四条隆房)後鳥羽院口伝抄家隆卿口伝抄(藤原家隆)無名抄(鴨長明)瑩玉抄(同)八雲御抄(順徳院)三体和歌和歌伊呂波近代秀歌(藤原定家)異本定家卿和歌式詠歌大概(藤原定家)詠歌大概詠歌大概抄(宗祇)詠歌之大概(一条冬良)詠歌之大概抄(三条西実隆)詠歌大概抄詠歌大概音
ゆゑに ものおもふみは(後鳥羽院)100.ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり(順徳院)小倉百首百人一首(藤原定家)百人一首同同百人一首散形曲書百人一首司百人蜀紅錦紅梅百人教訓種千載百人一首倭歌女教小倉色紙孝貞教訓群玉百人一首千歳宝女教万宝全書東
大中臣輔親)源賢法眼家集道命阿闍梨集参議為頼集(藤原為頼)源重之女集清少納言集馬内侍集前大納言公任卿集(藤原公任)藤原惟規集権中納言定頼集(藤原定頼)和泉式部集和泉式部続集赤染衛門集藤原道雅集藤原家経朝臣集伊勢大輔集弁乳母集入道右府頼宗公集(藤原頼宗)玉藻集(相模)藤三位集(大弐
ぶのないし)054.伊勢大輔 (いせのたいふ)055.清少納言 (せいしょうなごん)056.権中納言定頼 (ごんちゅうなごんさだより) = 藤原定頼057.相模 (さがみ)058.大僧正行尊 (だいそうじょうぎょうそん)059.周防内侍 (すおうのないし)060.三条院 (さんじ
月夜 潮みちくらし 難波江の あしの若葉を 越ゆる白波 (藤原秀能)055.駒とめて 袖うち払ふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕ぐれ (藤原定家)056.末の世の 末の末まで 我が国は よろづの国に すぐれたる国 (僧宏覚)057.思ふこと なくてぞ見まし ほのぼのと 有明の
『どうけ百人一首』・『神社仏閣 江戸名所百人一首』と並ぶ、近藤清春の「百人一首」シリーズのひとつ。今様職人尽百人一首の全首一覧001.のきのけた かりほぞあなの のみをゑらみ はかてしどもの せいをだしつつ*1 (てんちてんわう)002.かるすぎて のふじよのげいを うらやむも
ァハァ。まんがライフWINで更新中の4コマ漫画。作者はくずしろ。既刊11巻。姫と書いて「きみ」と読む。枕草子の作者、清少納言とその主君である藤原定子を中心とした宮中の人々の愉快な日常を描いたギャグ作品。●あらすじ宮廷文化花盛りの平安時代。清少納言は、そんなのお構いなしに藤原定子を
の日、花下に死せん/13p〔詩歌〕対訳/13p〔藤原俊成〕と定家(老若を論ずる歌)/15p〔藤原俊成〕此道の外に仏道を求むべからず/16p〔藤原定家〕此儘、詠みつのれば天下第一の人たらん/17p〔藤原定家〕筆跡、拙し/18p〔兼好〕と美婦人(道徳堅固)/18p〔兼好〕と頓阿(米銭
(寛保元年2月29日)崩御1762年8月31日(宝暦12年7月12日)陵所月輪陵追号桃園院(桃園天皇)諱遐仁称号八穂宮茶地宮父親桜町天皇母親藤原定子女御一条富子(恭礼門院)子女英仁親王(後桃園天皇)貞行親王(第十七代伏見宮)皇居京都御所テンプレートを表示桃園天皇(ももぞのてんのう
もの。その中で最も有名で、多くの人が百人一首と聞いて思い出すのが、本項目で扱う小倉百人一首である。13世紀前半(鎌倉時代)、歌人として名高い藤原定家が選んだものとされる。定家自身の和歌も入っている。小倉山(京都市内の山)の別荘で定家が選んだと伝わるため、 この名がある。飛鳥時代か
A. 藤原定子は、日本の第66代天皇・一条天皇の皇后であり、中宮と号しました。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E5%AD%90
俊成卿述懐百首 大蔵卿行宗百首 忠度百首 寄恨百首 五社百首 沙弥恵空百首 順徳院御百首数人百首 堀河百首選百首()内は撰者 小倉百人一首(藤原定家) 百人一首改観抄 若鶴百人一首 百人一首図絵 御家百人一首千歳文庫 女訓宝文庫 躾方百人一首 鶴寿百人一首 永寿百人一首宝蔵 慶寿
け 海はあせなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも (源実朝)036.曇りなき みどりの空を 仰ぎても 君が八千代を まづ祈るかな (藤原定家)037.末の世の 末の末まで 我が国は よろづの国に すぐれたる国 (宏覚禅師)038.西の海 よせくる波も 心せよ 神の守れる
註釈古今教長註(藤原教長)古今和歌集註(同)古今和歌集註古今和歌集序註(顕昭)群書類従巻486古今和歌集註(同)続々群書類従巻15顕註密勘(藤原定家)古今秘註抄僻案抄(藤原定家)古今和歌集聞書(藤原為家)群書類従七為家抄古今和歌灌頂部(津守国夏)古今集序註(源親房)続群書類従巻4
後花園院御消息 ごはなぞのいんごしょうそく 後花園天皇, 後土御門天皇 143 贈定家卿文 ていかきょうにおくるふみ 西行, 藤原定家 143 定家卿消息 ていかきょうしょうそく 藤原定家 143 越部禅尼消息 こしべのぜんにしょうそく 藤原俊成女
年中行事 とうぐうねんじゅうぎょうじ 089 三節会次第 さんせちえしだい 089 釈奠次第 せきてんしだい 藤原定家 090 建久九年五節記 けんきゅうくねんごせちき 090 綾小路俊量卿記 あやのこうじとしかずきょうき
357 後京極殿鷹三百首 ごきょうごくどのたかさんびゃくしゅ 九条良経 357 鷹三百首和歌 たかさんびゃくしゅわか 藤原定家 357 小鷹部 こたかぶ 藤原定家 357 鷹百首 たかひゃくしゅ 慈鎮 357 鷹百首 たかひゃく
きょうくん 宗祇 312 無名草子 むみょうぞうし 313 拾遺百番歌合 しゅういひゃくばんうたあわせ 寛喜3 藤原定家 313 百番歌合*1 ひゃくばんうたあわせ 313 源氏物語願文 げんじものがたりがんもん 314 伊
花 秋の野風に うちなびき 心ひとつを 誰によすらむ (左大臣時平)028.秋ならで 逢ふことかたき 女郎花 天の河原に おひぬものゆゑ (藤原定方朝臣)029.女郎花 うしろめたくも みゆるかな あれたる宿に ひとり立てれば (兼覧王)030.紅葉せぬ ときはの山は 吹く風の
の ほどろが下も ふみわけて 道ある世ぞと 人に知らせむ (後鳥羽天皇)042.春の夜の 夢のうき橋 とだえして 嶺に別るる 横雲のそら (藤原定家)043.あけば又 こゆべき山の 峯なれや 空ゆく月の 末の白雲 (藤原家隆)044.山ざくら 峰にも尾にも 植ゑおかむ 見ぬ世の春
.むかし誰 かかる桜の 種をうゑて 吉野を春の 山となしけむ (藤原良経)028.春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峯にわかるる 横雲の空 (藤原定家)029.明けばまた 越ゆべき山の 峯なれや 空ゆく月の すゑの白雲 (藤原家隆)030.道すがら 富士の煙も わかざりき 晴るゝま
吾が庵の 嶺より出でて 行く月の 傾くかたは 山の端もなし (藤原家隆)058.春の夜の 夢のうき橋 とだえして 峯にわかるる 横雲の空 (藤原定家)059.人住まぬ 不破の関屋の 板びさし 荒れにし後は ただ秋の風 (藤原良経)060.浅茅生や 袖に朽ちにし 秋の霜 わすれぬ夢
み ねやの衾の さゆるにも わらやの風を おもひこそやれ (後鳥羽天皇)022.玉ほこや 路ゆく人は なへて見よ 國榮えたる 秋津洲かな (藤原定家)023.何ことも ゆめとのみ見る 世のなかに かみのまことそ 現なりける (藤原家隆)024.わか國は あまてる神の 末なれは 日
A. 藤原定頼は平安時代中期の公卿・歌人です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E9%A0%BC
A. 平安時代後期の歌人。藤原北家の流れを汲む中納言・藤原俊家の子で、藤原定家の祖父にあたる。歌人としては「余情歌」と呼ばれる独特の詞風を築き、後代の歌人に大きな影響を与えた。また、歌人としての才能だけでなく、有職故実や学問にも優れた知識人としても知られている。参考URL:htt
八代集に関する古典二四代集(藤原定家)八代集八代集八代集秀逸八代集抄(北村季吟)甘露考(富士谷成胤)八代集抄書入(清水浜臣)八代集和歌全集類(田沢千卿)八代集恋類抄八代集中てには(飛鳥井雅俊)タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
法式袋草紙(藤原清輔)袋草紙遺編(同)八雲作法篇(順徳院)和歌書様並会之次第(藤原定家)懐紙短冊書法口伝(今川貞世・等)和歌功能(宋世)和歌愚僻抄建保寛正間歌詩会記(一条冬良)和歌書様和歌次第之事花月恋五十体色紙当流口伝飛鳥井家和歌之式法類会座訓(冷泉為和)和歌条々和歌書様和歌会
類従368月詣和歌集補脱門葉集玄玉和歌集自讃歌後集十七家選自讃歌抄自讃歌註自讃歌註自讃歌飛鳥井抄ねなしかづら自讃歌管註(恵南)秀歌之体大略(藤原定家)百人一首(同)八代集秀逸(同)撰歌秀略万代和歌集万代集緊要(橘守部)万代和歌集類題楢葉和歌集残篇現存和歌六帖()群書類従150東撰
暦1207年7月17日*31)廿二日(ユリウス暦1207年7月18日*32)上皇、大内に御幸あらせらる。*33左近衛大将藤原道家、左近衛中将藤原定家を近衛府の年預に補す。*34廿三日(ユリウス暦1207年7月19日*35)廿四日(ユリウス暦1207年7月20日*36)是より先、仁
は かさなる雲に あけやらで 夏の夜ながき さみだれの空俳句白炭の忠知木枯しの言水凩の荷兮蛇之助常矩住居・領地河原左大臣(源融)三条右大臣(藤原定方)堀河右大臣(藤原頼宗)宇治殿(藤原頼通)京極殿(藤原師実)後京極殿(九条良経)東三条殿(藤原兼家)富家殿(藤原忠実)上総御曹司(源
藤原 実宗(ふじわら の さねむね)とは、藤原北家・藤原南家流の人物で、約3名ほど存在する。藤原実宗 (山蔭流) : 藤原北家山蔭流[1]の藤原定任(定佐)の子、章家(春宮少進)・頼範・依緑(僧侶)・範緑(僧侶)・廉慶(覚暹)の兄、季孝の父、家周の祖父、光隆の曾祖父、朝宗[2]・
玄孫、頼連の曾孫、頼澄の孫、頼時の子、之頼の弟、頼則の兄。脚注[]↑ 『尊卑分脈』↑国政・能勢国基・敦光の父。↑ 藤原章家(藤原北家山蔭流の藤原定任(定佐)の子、春宮少進・筑前守を歴任した)の娘を娶った。関連項目[]源頼弘この記事は 『多田頼弘』 のための曖昧さ回避ページです。下
氷上大刀自(ひかみのおおとじ)引田部赤猪子(ひけたべ の あかいこ)肥後(ひご)→ 藤原定成女日野資枝(ひの すけき)日野俊光(ひの としみつ)美福門院加賀(びふくもんいんのかが)平賀元義(ひらが もとよし)広河女王(ひろかわのおおきみ)タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨
三代集に関する古典僻案抄(藤原定家)群書類従288三代集問事(同)群書類従288三秘抄三代集三集秘抄三代秘書三代集拔書三代集総説(賀茂真淵)三代集仮名句題三代八百首(林諸鳥)三代集肝要(岡崎真弘)三代集詞解花のやま口(本居大平)みよし野六百首(同)三代枕詞例(高橋残夢)三代集標記
ん!(可愛理絵)スペースコブラ(シエラ)特装機兵ドルバック(ルイ・オベロン[14])パーマンプラレス3四郎(アンリ、マーシュ)まんが日本史(藤原定子)みゆき(鹿島みゆき)1984年Gu-Guガンモ(浅草紀子先生)星銃士ビスマルク(シンシア)宗谷物語(少女)ナイン 完結編(高木洋子
喜撰法師・小野小町・大友黒主) 六家集(長秋詠藻・山家集・秋篠月清集・拾遺愚草・拾玉集・壬二集) 新六歌仙(藤原良経・慈円・藤原俊成・西行・藤原定家・藤原家隆) 和歌六人党(藤原範永・平棟仲・藤原経衡・源頼実・源頼家・源兼長) 和歌六体 六大浮世絵師(鈴木春信・鳥居清長・喜多川歌
のしょうぞくしょう 鷹司冬平 116 装束抄 しょうぞくしょう 三条西実隆 117 次将装束抄 じしょうしょうぞくしょう 藤原定家 117 三条家装束抄 さんじょうけしょうぞくしょう 117 雁衣鈔 かりぎぬしょう 117 布衣記 ほい
基成)古葉類聚(村上真澄)万葉集句分(度会正兌)万葉歌辞目録(渡辺政香)万葉集類林雑考百葉時代難事(顕昭)万時(藤原俊成)万葉集長歌短歌説(藤原定家)仙覚奏覧状詞林釆葉(由阿)続詞林釆葉集(同上)詞苑採要万葉和歌難儀集万葉略韻字近衛公爵家蔵万葉集目録釈万紀源(藤全昌)改定万葉集後
島御幸記 たかくらいんいつくしまごこうき 治承4 土御門通親 329 後鳥羽院熊野御幸記 ごとばいんくまのごこうき 建仁元 藤原定家 330 海道記 かいどうき 貞応2 鴨長明? 330 南海流浪記 なんかいるろうき 道範 331 東関紀
藤原通俊 撰)金葉和歌集(源俊頼 撰)金葉和歌集(源俊頼 撰)詞花和歌集(藤原顕輔 撰)千載和歌集(藤原俊成 撰)新古今和歌集新勅撰和歌集(藤原定家 撰)続後撰和歌集(藤原為家 撰)続古今和歌集続拾遺和歌集(藤原為氏 撰集)新後撰和歌集(二条為世 撰)玉葉和歌集(京極為兼 撰)続
法師003.俊成卿 (しゅんぜいきょう) = 藤原俊成004.家隆卿 (かりゅうきょう) = 藤原家隆005.定家卿 (ていかきょう) = 藤原定家006.源頼政 (みなもとのよりまさ)007.小侍従 (こじじゅう)008.平判官康頼 (へいはんがんやすより) = 平康頼009.
がなく、断絶した。長野氏 (藤原氏) : 藤姓長野氏とも呼ばれる。藤原北家魚名流の藤原秀郷の庶長子の知時(千時入道)[3]の後裔の長野定宗(藤原定宗)を祖とする。定宗は上記の中原姓長野氏の最後の当主の長野貞宗の婿養子となって、その名跡を継いだという。直系に近江多賀氏があった。定宗
A. 青表紙本は、源氏物語の写本のうち藤原定家が作成したとされるもの、およびそれを写して作成されたとされるものをいう。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E8%A1%A8%E7%B4%99%E6%9C%AC
A. 鎌倉時代後期の勅撰和歌集であり、後鳥羽上皇の命により藤原定家らが編纂しました。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E8%91%89%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86
A. 平安時代前期から中期にかけて活躍した歌人。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E6%96%B9
A. 藤原定家が書いた日本最古の歌集『新古今和歌集』の序文や、自身の歌論をまとめた書物。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%9C%88%E8%A8%98