仮想第26話:ガルナハンの春(後編):第二十幕A

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☆第二十幕:モスクワの土産



ゴランボイとメディクスでピースガーディアン先遣隊とレジスタンス連合のゴランボイ守備隊との間で一戦あった頃、モスクワではレジスタンス連合代表ロマ=ギリアムと東ユーラシア共和国代表ホーコン=カレロヴィチとの間での交渉がいよいよ大詰めを向かえていた。

内務省本省ビルの一室にて代表者2人のみによる腹を割った会談。ここ数日それを続けた成果として、両者の合意が今まさに結ばれようとしていたのだ。


「早速だが見てほしい。

一、コーカサス州南部は東ユーラシア共和国アルメニア自治州として承認、西部と東部は両地区の選挙によって自治州分離か州政継続かを判断する。

一、軍事力は自治州兵として条約に定められる範囲内での保有を承認、ただし戦時下には自治州兵は国軍に編入される。

一、外交国防権は共和国が保有、委譲する権限も当面は共和国が管轄し、漸次委譲してゆくが5年以内に委譲すべき全ての権限を共和国は委譲する。

一、最大の争点である自治州域内で発電された電力は原則発電所々有者の裁量で利用先ないし価格設定を定めてよい、ただし前年度総発電量の内3割を域内利用枠として定め、各所有者は必ず自治州域内に還元しなければならない。

………以上が、前回の会合を受けて我々が作った草案だ。ロマ、君が望むべきものは成し得る限り詰め込んだと思う。これが正真正銘の我々が提示し得る最も寛容な和解案だ。君がこれに頷いてくれると私は信じて疑わない。」


 カレロヴィチの言葉に嘘は無い。カレロヴィチと彼のスタッフは東奔西走してモスクワを駆け回り、コーカサス側が納得できるように可能な限りの譲歩を各方面から勝ち取っていた。ギリアムがこれに是と頷けば和平は成立、そして万が一にも否と首を振ればコーカサスは再び東ユーラシア共和国との泥沼の争いを続けるしかなくなる。ならば選択肢は一つしかない。はずである。


「ホーコン、君と君のスタッフが我々コーカサスの為に想像を絶する努力をしてくれた事は想像に難くない。だけれども、僕はそれを踏まえた上で敢えてこの条約に異を唱えなければならない。」


 ホーコンの顔色が変わる。


「………!………そうか………なら、最後に一つだけ聞かせてほしい。理由は何故だ?」


「敢えて言うけれども………最初の項目の『州政』は『州政』じゃなくて『州制』だ。だから言ったんだ。『君と君のスタッフが我々コーカサスの為に想像を絶する努力をしてくれた事は想像に難くない。』ってね。」


 いつも冷静沈着な、そしてこのギリアムの悪質な言葉に翻弄されていた時でさえ顔面には平静の仮面を映していたホーコンの顔に邪気の入った笑顔が映る。


「ロマ、一つ言おう。政治家にウィット(機転)は必須だが、君のウィットはフィヴィレス(軽薄)以外の何物でもない。私に忍耐が無ければ君は今までの多数の人々の労力を僅か一言でバベルの塔に落ちた雷のように無に帰していたという事だ。」


 そう言われたギリアムの方でも、こっちはこっちで仮面越しながら無邪気な笑みが入る。


「まあ、君とは長い間話していたから、この程度の事で席を蹴るとは思っていなかったんだよ。」


「………私はこれから一生かけてロマ=ギリアムと同じ交渉のテーブルに立ってしまった事について悔やむ事になりそうだ。君という難敵を一人で受け持ってしまった不幸をね。」


「なら僕はこれから一生かけてホーコン=カレロヴィチと同じ交渉にテーブルに立てた事について喜ぶ事にしよう。君という賢人と2人で語り合えた幸運をね。ありがとう。」


 そう言ってギリアムは右手をカレロヴィチの方へと差し出す。


「こちらからも礼を言おう。ありがとう。」


 同じようにカレロヴィチも右手をギリアムの方へと差し出して、両者の手が互いを握り締めようとするその時であった。



「悪いね。残念だけど、交渉は永久に中断だ。」


 2人だけの交渉室に無配慮に侵入してきた3人目の男。浅黒肌で隻眼隻腕、2人の意見は一致する。


「「アンドリュー=バルトフェルド………」」


「ご名答。いやー、名が売れているのも面倒だね。わざわざお忍びできたっていうのに当人に会った瞬間に面が割れるんだから。」


 まるで偶々そこにいるかのようなバルトフェルドの軽口であるが、対する2人の方は少しも緊張が解けるはずも無い。


「バルトフェルド長官、先ほど『交渉は永久に中断だ。』とおっしゃられましたが、私はボラーゾフ大統領直々にコーカサスとの交渉について全権を委任されています。いくら統一連合の長官といえども、そのお言葉には従う事ができません。」


「んっ、君か。内務省秩序保障部の一枚顔ホーコン=カレロヴィチ君ってのは。まあ、確かに直接的には俺にこの話に介入できる権限は無い。だがね、俺が動かなくてもこの交渉はもう最初から茶番だったんだよ。」


 そうバルトフェルドが言い終わると同時に入ってきた内務省役人を見るなりカレロヴィチの目付きが険しくなる。


「何!?貴様!?」


「悪く思うなよカレロヴィチ。元からこの件に関して和平をしようなんて気は東ユーラシア共和国政府には更々無かったんだよ。お前さんが受けたって”言い張っている”大統領の全権委任もあるもんじゃない。全てはお前の独り善がり、”単独暴走”だったんだよ。

ってわけだ。お前はもうこの場にいる必要が無いわけだ。来な、部長がお呼びだぜ。今度はサハの課長だそうだ。ヤクーツクの冬は寒いぜ。ウォッカが凍らないように気を付ける事だな。クックックッ………」


 憮然とした表情でカレロヴィチはその内務省役人と共に去ってゆく。カレロヴィチが無念の内に退場したのを見届けると、今度はギリアムがバルトフェルドに言った。


「………で、僕を逮捕する為だけに情報管理省は東ユーラシア共和国の内務省まで巻き込んで、こうも手の込んだドッキリを仕組んだってわけなのかな?統一連合も堕(お)ちたもんだ。高々一敗の為だけに国を巻き込んで抵抗勢力のリーダーを罠にかけるなんてせこい手段に出れるんだからね。」


「ああそうだとも。お前さんの言ってくれる『高々一敗の』汚名を雪(そそ)ぐ為なら、統一連合は何だってするんだよ。ましてや、お前さん一人だけを捕まえて終われるのなら、せこい手の一つや二つ喜んでしてやるさ。」


「だとしたらあなたは大きな勘違いをしている。僕を逮捕しても無意味だ。レジスタンス連合は瓦解する事もないし、本来の目的を取り下げる事も無い。情報管理省は無駄に威張って介入した挙句、その顔に自分で泥を塗っただけだ。可笑し過ぎて、呆れて笑う事もできないよ。」


「それも了承済みさ。何せ、お前は所詮ただの”お土産”なんだからな。”ユウナ=ロマ=セイラン”。」


「えっ!?何で、僕の名前を―――――」


 さすがのギリアム、否ユウナも動揺した。自分が、セイラン家のユウナ=ロマ=セイランが生きていると知る者はごく僅かである。ましてや、それがロマ=ギリアムと名を変えてリヴァイブのリーダーとなっていると知る者に至ってはシン以下数えるほどしかいない。

だが、ユウナも伊達にリーダーをやっていたわけではない。すぐに強引に心の動揺を収めると、現状を分析して最も合理的な解を出した。


「………そうか。叔父上か。やはり、叔父上は捕まられてしまったのか。なら、あなたが僕の正体を知っている事も説明は付く。オーブ本国で僕の正体を知るのは叔父上ただ一人でしたからね。」


 と、そこまで聞いてからバルトフェルドはカッカッカッと高笑いを始めた。あまりに唐突な不自然な大笑いにユウナも不気味になって問い掛ける。


「お………おい………な………何がおかしいんだ!………」


「ハッハッハッハッ!!!いや失礼失礼。だが知らないっていうのは当人にとっちゃ幸福かも知れないが、他人にとっては滑稽過ぎるようだ。まあ、仕方が無いといえば仕方が無いんだろうが、”二度も裏切られておいて”未だに信じ込んでいるとはな。ハッハッハッ!!これを笑わず何を笑えというのかね。」


 『二度も裏切られておいて』その言葉がユウナに違和感として残った。そして、その違和感はユウナの明晰な脳内回路の中で見る間に合理的なある結論を導き出し、ユウナを愕然とさせた。最早、仮面を通さずともユウナの動揺は明らかであった。


「そ………そんな………でも………そう考えれば………確かに辻褄(つじつま)は………辻褄は確かに合うが………でも―――――」


「そうだともユウナ=ロマ=セイラン。恐らくは真実とお前の予想は今現在において限りなく等しくなっている。お前の正体を俺が知っているのは、ティムール=ロア=セイランが逮捕されて自供したからではない。お前の正体を知っているのも、お前の現在地を知っていたのも、そしてお前が”生きている”のも、全ては”それ”が理由だからさ。

残念だったな、ユウナ=ロマ=セイラン。軍の連中から聞いたお前の前情報を知る身としては、お前は随分成長したと褒めてやりたいぐらいだ。だが失敗したな、人選に。次の時にはもう少し人を疑ってみる事だ。………次があればの話だがな。」


 愕然として全ての気力を失ったが如きユウナ。そして、バルトフェルドは部下にユウナの連行を命じた。両腕を屈強な兵士に担がれユウナが部屋の外に運び出されようとした時である。


「………センセイ………何で………何で裏切ったんだ!センセイ!答えてくれ!センセイ!!」


「おい、黙れ!おとなしく連行されろ!」


「センセイ!近くにいるなら答えてくれ!あなたは何故裏切った!!コーカサスの人々を!僕達リヴァイブのみんなを!そして、あなたの密告のせいで皆殺しにされたコーカサスの夜明けのみんなを!あなたは何故裏切った!!何故裏!!!―――――」


 ヒステリックで甲高い叫び声に業を煮やしたユウナを連行する兵士の一人がユウナの首筋に手刀を叩き付ける。神経通路に強烈なダメージを受けてユウナは気絶し辺りには静寂が戻った。そして、バルトフェルドはその状況を見送る事も無く、ただ自分が打ち崩した和平案の草稿をパラパラと流し読みしていた。




 ユウナが連行されてから、草稿を流し読みしていたバルトフェルドはふと後ろに気配を感じた。


「まさかあなたともう一度会う事になるとは思ってもいませんでしたよ、アリーナ=アマルフィ。かれこれファクトリーで会ってから7年ぶりといったところですかな。」


「………その名前で呼ぶのはよしてください。バルトフェルドさん。」


 振り返って自分の方を向くバルトフェルドに対して、緑茶色のボリュームのあるロングヘアーの持ち主はためらったようにそう答えた。


「おっと失礼。ならセンセイと呼ぶべきですかな?」


「………どちらも気が引けますね。もう一つぐらい名前が欲しい気分です。」


「名乗りたければ名乗れば良いですよ。あなたの踏ん切りがつくのであれば、統一地球圏連合加盟国全土に通用する新戸籍だって創って差し上げましょう。」


「………優しいんですね、バルトフェルドさん。情報提供者への便宜の一環ですか?」


「いえいえ、俺はどうも女性に弱くてね。美しいレディの為ならば、例え火の中水の中草の中森の中、土の中雲の中レディのスカートの中ってね。」


「………優しいついでにもう一つお願いして良いかしら?今すぐ、こちらの屈強な兵隊さん達を下がらせてほしいのだけれども。」


 そう言ってセンセイはセンセイの周囲をやんわりと囲む兵隊に冷ややかな視線を向けた。いずれもバルトフェルドの命令でセンセイを”保護”している兵隊である。


「難しい相談ですね。別に俺はあなたをどうこうしようって考えているわけじゃないんですよ。ただ、色々と話してくださる範囲内でお話が聞けると、仕事の都合上非常にありがたいというだけでね。後はあなたも新生活の為に色々と手続きが必要でしょう?」


「………レジスタンス連合の有力幹部ロマ=ギリアムの居所、『お話』できるのはそれだけですよ。それに、新生活の準備なんて結構です。まだここで、やり残した事がありますから。」


「『やり残した事』?」


 バルトフェルドが怪訝そうな表情を浮かべる。


「ええ。”私なりの”後始末がまだ残っていますから。ガルナハンに行きます。」


 それだけでバルトフェルドは全てを察した。ただ、確認の為に問いを一つ発するだけである。


「確認したい。ミス、アリーナ=アマルフィ。あなたは本当に”それ”で『あなたの踏ん切りがつく』んですか?」


「ええ。私は仮面を2枚被れるほどに強くはないですから。」


 その答えを聞いて、バルトフェルドは兵隊に向かって隻腕をひらりと振り上げた。


「そうですか。お前達、ミス、アマルフィを放してやれ。彼女にはもう俺達は必要無い。」


 バルトフェルドの指示を受けてセンセイを保護していた兵隊はばらばらと散っていった。兵隊が散ったのを確認すると、センセイはバルトフェルドに一礼してから内務省ビルの外へと歩き始めた。背を向けて歩くセンセイを見ながら、バルトフェルドは無意味な事を承知で言い放った。


「もし気が変わったのでしたら遠慮無く情報管理省職員にお話しください。あなたへの報奨はまだ未払いだ。俺が情報管理省にコネを持っている限り、然るべき謝礼はお渡ししますよ。」


「………本当に優しいんですね、バルトフェルドさんは。

でも結構です。もう”永久に”私と出会う事はあり得ないんですから。」


 バルトフェルドに顔を向ける事も無く、センセイはそう言って歩き去っていった。


 かくしてバルトフェルドは一つの『お土産』を得る事となった。ロマ=ギリアムの捕縛、それすらただの『お土産』の域を脱し得ない。コーカサス崩壊は今始まったばかりである。






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