転変の序曲

ページ名:転変の序曲

この世の中で誰にでも平等なものを二つ挙げよ――そう問われれば、ソラ=ヒダカはこう答えるだろう。“時と自然”と。

今、ソラの頬を風がそよいでいく。

それは心地良いもので、そうしたものを感じる時、ソラは思う。


――生きていて良かったのだと。


人が優しくなれるのは、人が嬉しくなれるのは、そうした時の気持ちを伝える術を知っているからだと、何時か子供の頃、孤児院のシスターが語してくれた事がある。今、ソラは確かにそれを感じている。それはとても良い事で、とても素晴らしい事なのだと、様々な経験を通じて知った。

遠く、ガルナハンの地で。

温かな木漏れ日、優しくそよぐ風。あらゆる生命に満遍なく降り注ぐ自然の息吹。それは世界そのものへの自然からのメッセージと言って良いだろう。それを感じる事は正しい事なのだとソラは思う。


「……ねえ、ターニャ見て。ここが……」


ソラはそこで一息つくと立ち上がり、遠くを見据えた。遙か彼方の水平線、青い空と白い雲、温かな日差しに照らし出された広大な都市――オーブ、オロファトの街並み。


「……私のふるさと、生まれ故郷。貴方と約束した場所だよ……」


ソラが大地に埋めた花が、さわさわと風に揺れる。それはまるでターニャが喜んでいる様に、ソラには感じられた。






「帰りに展望公園に行きたい、なんて言うもんだから何かと思ったが……」


穏やかな日差しが暖かい、ようやく真冬日も抜けた冬の休日のオーブ。アスラン=ザラはそんなソラの様子をサングラス越しに、そっと見守っていた。邪魔しないように遠目から。

歌姫の館からの帰り道、車で送ってくれたアスランに不意にソラは海が見える公園に寄りたいと言い出した。何か思うところでもあったのだろう。そう察したアスランは少し寄り道をして、オーブ一番の展望公園に寄る事にした。

そこはオーブを包む蒼い大海とオロファトの街が一望できる絶景が望める有名な場所である。公園に着くと、ソラは一番見晴らしのいいところを選んで、そこに一輪の花を埋めた。それが何であるか、聞かずともアスランにもすぐに分かった。


「そうか……。あの子も大事なものを亡くして来たのか……」


でも、ソラは泣いていなかった。

笑っている。

その笑顔にアスランはふと思い出す。7年前の大戦で失ったニコルの事を。自分を庇ってニコルは死んだ。あれから自分は、心の底から笑った事があっただろうか?彼女を見ていると遠い昔に自分が忘れていたものを、思い出させる――そんな気分すらした。


(情感の豊かな子だな、あの子は)


笑い、泣き、そして――その様な子が苛烈な戦場を生き延びたのかと思うと、時々アスランはやるせない気持ちになった。そこで如何なる運命が彼女を襲ったのか――それは、戦場に生きた者だけが共有する記憶。

忌まわしく、狂おしく、そして忘れられない思い出の数々。大の大人ですら号泣する苛烈な場所を、彼女は潜り抜けてきた。そしてそれでもなお、あんな風に笑う事が出来る。それは一種の奇跡なのだろう。

アスランはサングラスをかけ直すと、瞑目する。彼女を助けた運命の数々に、感謝したいと自然に思えたから。






ソラ=ヒダカを巡る環境は段々と平静を取り戻しつつあった。寮に戻り、学校にも通っている。アルバイトも再開したいなあ……、というのは彼女の弁。


――喫茶『ロンデニウム』のバイト潰れちゃったんですよ。代わりの子が入っちゃって。半年も留守にしてたんだからしょうがないんですけどね。


そう愚痴交じりにソラはアスランに話していた。まあ何はともあれ、世間的には彼女は以前のお祭り騒ぎは鳴りを潜め、いつもの日常に戻っている。

しかしそれはあくまで周囲からそう見えるだけの話であって、実は当のソラは未だ激動の渦中だった。それというのも後日『歌姫の館』で再会したラクスから、とんでもない申し出が飛び出して来たからだ。


――ソラさん、私とお友達になって頂けませんか?


と。

統一地球圏連合において事実上の最高位に就き、そして世界中から尊敬と敬愛の念を一身に受ける、平和の歌姫ラクス=クライン。そんな人と対等の関係である”友達”になろうとは、まさに想像外の事だった。

半月ほど共に暮らしていたとはいえ、彼女からすれば未だラクスは雲の上の人で、しかも『歌姫の館』で保護してもらった大恩人なのだから。だからこそソラにとってはそれは、想像も出来なかった申し出だった。

それはある日、何度目かの歌姫の館に来訪の時の、茶会の席。不意に、それもさりげなく出されたラクスその言葉に、当時ソラは耳を疑った。


――ソラさん。あの……ひとつお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?

――もちろんですよ、ラクス様。私に出来ることなら何でも言って下さい。

――じゃあ、お言葉に甘えさせていただきますわね。

――はい。

――私とお友達になっていただけますか?

――へ?……え、えっとすいません。今なんて仰られたのでしょうか……?

――ソラさんに私のお友達になっていただきたいのですの。

――……。

――ソラさん?

――は、は、はい!ふ、ふ、不束者ですがよ、よろしくお願いしたしますっっ!!


まるでプロポーズでも受けたかのような慌てっぷり。思い出しても恥ずかしかったなあ、とソラは時折赤面する。ただ当のラクスがとても喜んでくれたので、それだけはとても嬉しかった。

こんなちっぽけな自分が、ラクスの様な素晴らしい人の役に立てるのだから。そしてソラ自身もラクスの側にいられる事に、、とてつもない幸福と安らぎを感じていた。

そんなわけでソラは日程が合う限り、歌姫の館に足を運ぶようになる。ただ普通にバスなどの公共交通機関で行ける場所ではないので、もっぱら送り迎えはアスランの役目だ。またラクスも多忙な日々を送っているので、二人の予定が合う事はあまりない。いくつかの休日に会うのがやっとだ。

それでもその少ない機会に二人は『歌姫の館』で出会い、一緒に本を読んだり、お喋りをしたりとささやかな余暇を楽しんでいた。時々、キラやカガリも混じって、ちょっとした賑わいを見せる事もしばしばあった。日々そんな光景を眺めていたアスランは、ふと考える。


(俺やキラ、それにラクスやカガリ達と一緒に戦って、今こうして世界の中心にいるが、そんな俺達の四人の間に外の風を持ち込んだのは、ソラが初めてじゃないかな?)


今まで自分達に関わった人間は数多くいたが、それでも階級や上下関係、あるいは主義主張や思想が壁になり、他人と対等に話し合う機会にほとんど恵まれなかった。

特にラクスとカガリはそうだ。

キラにはトールが、自分にはイザークやディアカ、ニコルといった共に戦う戦友がいたが、彼女達にはそれもない。ハイスクールに通う同世代の普通の少女達であれば、当然いるはずの友達も、当時彼女達は持っていなかったのである。

こうして考えると、ラクスやカガリがいかに孤独の中にいたのか痛感させられる。そんな中ソラはまるで風のように二人の前に現れた。それは運命のいたずらだったかもしれないが、何の地位も名誉も持たない彼女がラクスやカガリにとってどんなに重い意味を持っていただろうか。世間のしがらみや責務に惑わされずに、一人の人間として初めて素直に付き合える人物。

それがソラという少女の持つ意味なのだろう。アスランがソラの護衛を買って出たのは、おそらくはこの想いが有ったせいなのかもしれない。アスランは思う。


“これからの時代に、この様な少女は必要なのだ――”と。


……暫く経って、ソラが帰ってくるとアスランは車のドアを開けて出迎えた。車の中に居る物体が跳ね回り始めたからだ。


《ソラー!オソイー!》


ぴょんぴょんと、空色のハロがソラの元へ跳んでいく。その仕草は、確かに人を和ませるものだろう――少々、五月蠅いが。


「ただいま、ハロ」


少々辟易した様子があるが、跳んできたハロを優しく抱きしめるソラ。


《ドーシテオイテッタ!サビシイゾ、プンプン!》


……創造主が「そんな言葉インプットしたか?」とぼやく。ソラも苦笑するしかない。


「ご、ごめんねハロ。今度は連れて行くから……」

《必ズダゾ!》


なおも拗ねる(?)ハロに、見かねてアスランも言う。


「その辺にしてやれ、ハロ。余り五月蠅いと、マイクにテープを貼り付けるぞ」

《ソレハ嫌。ソレハ嫌―!》

「だったら、大人しくしろ。……さ、ソラも乗ってくれ。もう昼だしな」

「あ……もうそんな時間なんですか」


言いながら、ソラは助手席に座る。早速その膝に“我が席得たり”と鎮座するハロ。何となく苦笑しつつ、アスランは運転席に座る。


「今日の昼は何を食べに行くかな。ソラは何が良い?」

「んー、なんでもいいですよ」

「じゃあ、スプリング通りにあるステーキハウスにでも行くか。あそこは和牛が美味いんだ。何しろ東アジア共和国からの直輸入だからな。確かマツザカ牛とかいうブランドなんだよ」


どうも聞くところによると、またどこかの高級レストランのようだ。車を運転しながら嬉々とした表情で話すアスランに、ソラは怪訝そうに尋ねる。


「あのー、アスランさん。ひょっとして毎日そんな食事なんですか?」

「まあな。忙しい時は官邸の食堂で済ますが、そうじゃなかったらそんな感じかな?それがどうかしたのか?」

「……アスランさん、太りますよ」


その言葉にアスランは思わず噴き出す。危うくハンドル操作を誤るところだった。


「い、いきなり何を言い出すんだ!君は!」


しかしそんなアスランにソラは静かに説く。


「……ここしばらく、ずっとアスランさんの食事を見てましたが、お肉ばかりでしたよ。それじゃその内脂肪やコレステロールが溜まって、体壊しちゃいます。たまには野菜をたっぷり取らないと」


ちょっとした世話女房のような言い回しに、アスランはたまらず苦笑した。


「メイリンみたいな事をいうなあ、君は」

「あ、メイリンさんにも同じ事言われたんですか」

「……ああ、忙しいのは分かるがたまには体のことを考えろってね。この間なんか、納豆を食えって言われたよ。俺、あれ嫌いなのに」

「ええ~?美味しいじゃないですか、納豆。血がサラサラになるんで、美容や健康にもいいんですよ」

「そうかあ?俺はあの匂いとネバネバが、どうしても駄目でなあ……。キラは平気みたいなんだが」


ふとソラの脳裏に、軍神と謡われるあのキラが、必死に納豆をかき混ぜている姿が思い浮ぶ。日頃のイメージとの落差に、つい笑いがこぼれてしまう。


「分かりました、アスランさん。今日のお昼は和食にして、納豆を食べましょう!」

「おいおい!本気か!?」

「大丈夫です!私が美味しい食べ方を教えてあげますから」

「か、勘弁してくれよ~」

《ナットウ!ナットウ!フトルゾ、アスラン!》


頭を抱えるアスランをハロが囃し立てた。するとその時、突然ソラの携帯電話が鳴り出す。


「……誰?……ハーちゃん?」


ディスプレイに映し出された情報を見て、それがソラの二人の親友の片割れ、ハナ=ミシマからの電話であると直ぐに解る。


「あれ?今日はシーちゃんと一緒に出かけてたんじゃないのかな?」

今日は休日だから、二人ともショッピングに出かけると言っていた。それにソラもラクスの所に行くことを二人に告げていたので、ハナがわざわざ電話をかけてくるとは思っても見なかった。

……何かがおかしい。

嫌な予感が走る。


「とにかく出てみた方が良い。緊急の可能性もある」

「は、はい」


アスランにそう促され、ソラは電話を取る。聞こえてきたのは、ハナの荒い声と――悪い知らせ。


「ソラっち……! シーちゃんが……。シーちゃんが……」

「落ち着いてハーちゃん!一体何が起きたの!?」

「……シーちゃんが居なくなっちゃったのよ!」


この世に運命の神が居るのなら、その采配はこの日、再び切られたのだろう。だがソラには密かに近づいてくる軍靴の足音を、まだ聞き取る事が出来なかった。






――闇夜の中、西ユーラシアに向かう航路を、一隻の貨物船が進む。このまま無事に航海すれば、明後日には地中海に入れるだろう。

オーブ船籍の貨物船『オーロラ号』。

それ自体は、別にありふれた光景で何ら不自然な事は無い。しかしその両側には、二隻の”護衛艦”と称する艦船が付き従っていた。その甲板は90mm艦載砲や対艦ミサイルなどいくつもの重火器で武装している。民間船と組む船団というには、それはあまりに異様な光景であった。


「貧乏ゆすりですか。落ち着きませんな、船長。明後日には地中海だというのに」


貨物船『オーロラ号』の船長室。

十歳年上の副長にじろりと見据えられ、トマスは不機嫌の度合いをさらに上げた。

副長と船長、この二人を並べるとどうしても副長の方が人間として存在感が出てしまう――それがトマスのコンプレックスだった。


「……嫌味なら聞かんぞ、ヘイズ」


今度はトマスは爪を噛みだした。そんな子供じみた船長の様子に、ヘイズと呼ばれた副長はつい肩を竦める。


「嫌味と取るか諫言と取るか、そこに人間性は表れると先代は仰っておりました。即ち……」

「嫌味なら聞かんぞ、と言ったぞ!」


トマスがバン、と力任せにデスクを叩く。無作為に置かれた数々のトロフィーが揺れ、倒れそうになった。そのどれもが先代の船長であるトマスの父が受賞したものだ。それらは目の前にいるヘイズと組み、幾多の困難な航海を乗り越えた勲章としてオーブ政府から貰い受けたものである。

だがトマスの代になると、そんなものとは一切縁が切れてしまい、会社も没落していった。所詮、才能の差というものなのだろうか、と時折トマスは思う。自他共に名船長として称えられた父と今の自分。その落差を思うとあまりにみじめだ。そんなトマスの心境を知ってか知らずか、ヘイズはため息をつく。


「解りました、もう申し上げる事はありません。……しかし、一つだけお教え願いたい。第三船倉の積荷、あれは一体何なのですか?」


副長ですら積荷を知らない。それは紛れも無く異常事態だ。しかし船長であるトマスの返事は短かく、不機嫌なものだった。


「……下がれ」


一瞬ヘイズは鼻白んだ――だが、敢えて食い下がる。


「しかもあの“護衛艦”とやら。あれは一体何者なのです? 我々はあくまでも民間の貨物業者です。あの様なものつけられる謂われは有りません。まさか船長、密輸か何か……」

「下がれと言ったぞ!」


もう一度トマスは激しくデスクを叩いた。ヘイズは無言で一礼すると、船長室を出て行く。彼がが出て行った後、トマスは棚から酒のボトルを取り出すと一気に煽った。


「……オヤジの代とは違うんだ。俺は一気に成り上がってやる、見てろよ……!」


暗い欲望――ともすればそれは周囲をも燃やし尽くす類の。トマスは未だ、その危険性に気が付いていなかった。






暗い世界――その更なる深淵。

海中に潜む者達が蠢き出す。


「アズマ小隊各機へ、“お客さん”がお目見えだ」

《サーカス了解。俺はどっちを?》

《ウェイブ了解。右でしょ、順当に》


小隊長アズマはレーダーに目をやると、“お客さん”の様子をもう一度確認した。

貨物船が一つ、その他――おそらく戦闘艦――が二つ。

水雷戦の場合、初期攻撃が全てと言って過言ではない。魚雷の雷速はミサイルと違って遅い以上、初手で決めるのが重要なのだ。ややあって、アズマは部下二人に指示を出す。


「サーカス機は右舷より、ウェイブ機は左舷より五月蠅い奴を黙らせろ。俺は下方から近づいて足を止める。……派手にやれよ」

《了解》

《了解。サーカス、良かったわね。“派手”で良いってさ》

《抜かせ。化粧濃いんだお前は》

《なんですって!ジャグリングしか出来ない能無しが偉そうに!》


そんな言い合いに鋭い声が突き刺さる。


「無駄口はそれぐらいにしてけ。仕事を始めるぞ」


深い海の色一色に染め、円柱に手足を生やしたようなモビルスーツが三機、海中に潜んでいた。

ローゼンクロイツの下部組織である彼等が操るそのモビルスーツは、その独特の外観からこの様に呼ばれていた――“ウミボウズ”と。

古の大航海時代から、船乗り達に恐れられた妖怪の名を冠した彼らは、今また得物たるトマスの船団に襲い掛かろうとしていた。






突然起きた重い振動が、貨物船『オーロラ』号を激しく揺さぶる。船長室にいたトマスも慌ててブリッジに上がってきた。


「何事だ、ヘイズ!」

「見てください、船長!襲撃です!!」

「何ぃ!?」


見れば、随伴していた護衛艦の横から巨大な水柱が立っている。それはサーカス機が放った魚雷であった。


「良く鳴く犬は弱い犬、ってね……」


二隻の護衛艦が、海中を猛スピードで突き進んでくるサーカスのウミボウズ目掛けて、対潜魚雷を撃ってきた。

だがサーカス機は、難なくかわし、護衛艦との距離をますます詰めくる。のろのろと迷走する魚雷を尻目に、サーカスはコックピットの中で自慢のドレッドヘアを時折いじりながら、口笛を吹いていた。まるでお遊びだといわんばかりに。


「艦長、アスロックがかわされました! 止まりません!」

「泣くな!爆雷、主砲一斉射!何としても近づけさせるな!」

「了解!」


護衛艦の艦橋で悲鳴を上げるクルーを、艦長は叱咤する。


(水中用モビルスーツがこうも手ごわいシロモノとはな)


護衛艦の艦長は内心歯噛みする。

旧地球連合時代から艦船乗りを任務にしている彼は、幸か不幸か当時交戦していたザフトの水中用モビルスーツと敵対する機会がなかった。ただ生き残った戦友からその脅威を聞いてはいただけだ。

だから、これほどとは思っていなかった。その脅威を目の当たりにする今、この瞬間までは。


「目的地まであと僅かだというのに……。だがまあいい、こっちにも用意はある。モビルスーツ隊を出せ! こっちも水中戦だ!」


艦長の命令で二隻の護衛艦の後部格納庫が、それぞれ開いていく。中から出てきたのは旧ザフトの水中用モビスルーツ、アッシュ。前大戦で無数の旧地球連合の艦船を海の藻屑にしたグーン、ゾノに連なる海中の獣。


(来るなら来てみろ)


船を揺さぶる振動に耐えながら艦長は、そう口に出さず呟いた。


「サーカス、ウェイブ! お客さんだ、注意しろ!」


隊長アズマが叫ぶ。

彼らの針路に四機のモビルスーツが立ちはだかる。センサーが迎え撃つべき敵の正体を明らかにする。

旧ザフトの水陸両用モビルスーツ、アッシュだ。

爬虫類を思わせる浅い緑色の地肌に、半漁人の様なシルエット。最大の武器である両腕部のビームクローは、如何なる装甲も紙のようにたやすく引き裂いてしまう。しかも数は敵がこちらより一機多い。

だがアズマは特に焦ることもなかった。敵が水中用モビルスーツまで用意していたのは予想外だったが、いつものように冷静なままだ。アッシュは確かに強力だ。しかし――。


「見せてやろう。対水中モビルスーツ戦専用として、初めて開発されたこのウミボウスの威力をな!」


アズマ隊が護衛艦を守る四機のアッシュ目掛けて、次々と突進する。紺青の妖怪と、深緑のモンスターが大海原の中で、今激しく激突していく。






一機、また一機と味方の識別信号が消えてく。


「馬鹿な……! アッシュが押されているだと……!?」


戦術モニターに写る状況は味方の劣勢を余すところなく写していた。

アッシュは旧ザフトの中でも新型に当たる機体である。戦後、ザフト消滅に伴いその多くがオーブをはじめとした海洋国家に売却されていた。この船団を護衛するアッシュもそんな機体のひとつだ。これを上回る機体は統一連合が正式に採用したディープブルー以外に思い当たらない。しかしそんな最新鋭機体をレジスタンスが使っているはずもない。

一体海の下では何が起きているのか。足元の遥か底に潜む未知の脅威に、護衛艦艦長は恐怖していた。

深い海の中で、アッシュがスーパーキャビテーティング魚雷を放つ。魚雷は細かい泡の軌跡を残しながら、ウミボウズの背後目掛けて、猛スピードで追尾していく。しかしウミボウズは慌てる事もなく驚異的な速力で、一気に魚雷を引き剥がす。瞬く間にあとに取り残された魚雷は、目標を見失って海中をあらぬ方向に流されて行った。


「なんて速さだ……。全く追いつけないとは……!」


水中戦での唯一必殺の武器がこうも通じない。護衛艦の艦長がそうであったように、アッシュのパイロットもまた未知の敵も性能に戦慄していた。いかに速力を誇ろうとも、音紋が捕らえられている以上、魚雷から逃げるのは至難の業のはずなのに。


「それをこうも易々とやってのけるとは……。音紋撹乱……、それに無音潜航機能まで持っているのか……!」


戸惑うアッシュを尻目に、ウミボウズはまるで水の抵抗など無いかのように、するすると滑る様に海中を突き進んで行く。手足を背部に折りたたみ、胸部を突き出して進むその姿は、まるで太古の魚竜を想起させた。


「遅いなあ、遅すぎるぜ! アッシュさんよお!!」


敵の魚雷をやすやすと振り切るその性能。ザフトの失われた血統は、今その力を遺憾なく発揮していた。

ウミボウズは前大戦末期、ザフトの最新型水陸両用モビルスーツとして開発された機種だ。それもより水中戦を重視する形で。だがプラント消滅により寄るべき場所を失い、密かに横流しされたそう多くない数の機体は全て、統一連合に反攻するレジスタンス達の手に渡っていたのだった。


魚雷限界深度まで一旦深く潜り、アッシュを振り切ると、再び浮上。ウミボウズが生み出した水流の軌跡が、深海に大きく孤を描く。海面間近では味方のウミボウスに翻弄されるアッシュが無様な醜態を晒していた。深海からサーカスは隙だらけのアッシュ目掛けて、躊躇なく引き金を引いた。






戦況は、一方的だった。

右舷に居た護衛艦はあっさりと魚雷を食らって撃沈され、左舷の護衛艦はたった今艦橋を破壊されて無力化されていた。モビルスーツ隊が出動した様だが、ただの一機も帰ってこなかった。

水柱が立ち、船体が大きく揺れる。振動。どこかが爆発したようだ。


「船長! ボイラー室で火災発生!!」


乗員が悲鳴のような声で報告する。


「こんな……こんな筈では……」


トマスは恐怖におののいていた。統一地球圏連合からの内々の依頼――報酬は望むままの、出世街道を約束されたかの様な仕事。古株のヘイズの諫言など、聞く気にもならなくなる大仕事だった筈なのに。


「船長! きゅ、救難信号を……! 船長!!」


いつも冷静沈着だったあのヘイズも我を失っていた。


「こんな所で死ねるか!まだ、俺にはやりたい事が……!」


トマスは呪詛のようにそう喚き続ける。だがもはや理解せざるを得なかった――自分が間違ったのだと。

最後の否定は、甲板によじ登ってきた敵モビルスーツによって行われた。深青色に染まった鋼鉄の腕が、トマスのいる艦橋目掛けて振り下ろされる。

悲鳴を上げる暇も無かったのは、せめてもの救いだったのだろう。





《……例のものを回収したわ、隊長》


ウェイブからの通信に、アズマは胸を撫で下ろす。


「そうか。万が一傷つけたり、深海にでも落したら取り返しがつかないところだったぞ。……無事で良かった」


それはトマスの貨物船の第三船倉に搭載されていた積荷。統一地球圏連合が偽装部隊による護衛まで繰り出して、守りたかったものである。


《なんだってんだよなぁ、そんなモンが価値有るのかね?》


サーカスのぼやきに、ウェイブが反論する。


《なきゃ困るわよ。それなりに苦労はしたんだからね》


それはウェイブ機だけでも持ち上げられるサイズのコンテナだった。それを守る様にアズマとサーカスは付き従う。


「母艦に持ち帰るまでが仕事だ。気を抜くな」

《ハイハイ、判りました隊長殿。で、そのあとは?》

「ズールに向かう。ローゼンクロイツのお歴々がお待ちだからな」


ウミボウズ達はあっという間に暗闇の中へ消えていった。来た時と同じように。

――闇は、何一つ世界の事を語ろうとはしなかった。



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