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――シン、シン……。
遠くで、自分を呼ぶ声がする。
か細く、消え入りそうな声。だけど、何処か懐かしい声。
何時だったろう、その声を最後に聞いたのは。
“あんた、馬鹿じゃない?”
そう、その子は屈託無く笑って俺に言った。
男勝りで、その癖変な所だけ女の子してて。
元気で、朗らかで、嘘が付けなくて。いつの間にか、自分の側に居た女の子。
――ルナマリア。
ようやくその名前に行き当たる。
最初は男友達の様な関係だった。アカデミーでもムードメーカーで、何時の間にか人々の中心に居る。
そういう女の子。
面倒見が良くて、一人で居る事の多かった俺や、レイの側に来ては皆の側へ連れて行ってくれた。戦いになんか、行く奴じゃなかった。あいつには、何時も笑っていて欲しかったのに。あいつの妹は、俺が殺した。そう思っていた。だから、俺はあいつに何かしてやりたいと思った。同情でも、憐憫でも無い。今思えば俺は彼女の為に何かをする事で、俺自身の心の逃げ場を作っていたのかもしれない。
人殺し。そう罵って欲しかった。
俺という人間が、何一つ守る事も出来ず、何もかも壊すしか能の無い人間なのだと、決めつけて欲しかった。でも、あいつはこう言ったんだ。
(あんた、馬鹿じゃない!?あたしはあんたが不器用なりに、一生懸命に何とかしようしてたのを知ってる!……あんたは何時もそうだったから!だから、だからお願い。もう、あたしに誰も恨ませないで……あたしは、誰も恨みたくない!!)
人を恨む事しか出来ない人間が居るのなら、人を決して恨みたくない人間だって居るのかもしれない。ルナがそういう人間だったから、俺は救われたんだと思う。あいつの側に、居る事が出来たから。それなのに俺は、俺は結局……。
――気が付けば、もう夜だった。
バチバチと、溶接される音が聞こえる。格納庫の中ではどうやらサイがまだ作業をしているらしい。どうやダストのコックピットの中ですっかり寝入ってしまったらしい。
《起きたか。良く寝ていたな》
AIレイの電子音声が、シンを完全に覚醒させる。
「今、何時だ……?」
《23時まで後3分だ。もう夜中だな》
空気が冷え込んでいる。ガルナハンの夜は寒いのだ。寒気を感じ――シンは毛布を掛けられていた事に気が付く。
「サイ。もう作業を始めてるのか?」
シンはコックピットから出ながら、サイに声をかける。サイは作業を中断してシンの方に振り向いた。
「ん、シン、もういいのかい?」
「ああ、大分寝かせて貰った。毛布、サンキューな」
「毛布?……ああ、それはソラさんが持ってきてくれたやつだよ。後で礼を言っておけよ。それが無かったら風邪引いてたかもしれないんだからな」
「ソラが、これを……?」
戦場で今にも泣きそうな目で見つめていた彼女の姿が思い浮かぶ。すっかり嫌われていたかとシンは思っていた。
「でも……どうして……」
《俺が言って、持ってこさせた》
こんな外道なAIも無い。
「お前な……」
シンは文句を言おうとして――止めた。別に文句まで言う問題でも無い。それより、サイの作業が気になった。作業は全て終わったはずだからだ。
「何やってるんだ?サイ」
シンの質問に、サイの額に青筋が走る。
「……お前が言ったんだろ、スレイヤーウィップを改造してくれって」
「?……あ、ああ」
(そういや、そんな事も言ってたか)
声には出さなかった。だが言わずとも、サイには十分伝わったようだ。額の青筋が心なしか大きくなっているように見える。
「……すまん。すっかり忘れてた」
珍しく素直に詫びるシンにサイは毒気を抜かれる。
「お前らしい、といえばそうだが」
《気にするな、サイ。俺は気にしない》
何時の間にこいつは混ぜっ返す事まで覚えたんだろう。そう思いつつも結局、シンはサイの作業を手伝う事にした。
今寝たら、流石に殴られそうだったから。
――数日後。朝靄の中、サムクァイエット基地は慌ただしさに包まれていた。
「ザウート隊、発進準備完了!」
「ゼクゥ隊、発進準備完了!」
「マサムネ隊、発進準備完了!」
「ルタンド隊、発進準備完了!」
次々に届く報告に、アデルは満足げに頷く。ドーベルマンは忠実に約束を守ってくれた。なんとガリウス司令に掛け合い、サムクァイエット基地にある全戦力の指揮権をアデルに委ねたのだ。たかが一中隊長にしては異例の大抜擢だが、失敗すればもはや死ぬしか道は残されいないだろう。ここが人生最大の正念場である事を、アデルははひしひしと感じていた。
「ムラマサはどうか!?」
「最終チェック入りました!現在起動シークエンス2!」
たくさんの整備士達が集う格納庫をアデルは見やる。そこには黒い鳥にも似た巨大な爆撃機が格納され、発信準備が整いつつあった。翼を広げた大鷲のようなシルエットを持ち、マサムネと比べてかなり大きい機体だった。
「でかいな……」
パイロットスーツに着替えたアデルは全てを覆わんばかりの巨体をじっと見上げる。彼の呟きが耳に入ったのか、そばにいた整備士が答える。
「前の大戦でテストまでこぎつけたんですが、結局実戦参加に間に合わなかったという曰く付きの機体ですよ。でも性能は完璧です」
それを聞いてアデルはほそく笑む。これこそサムクァイエット基地の最終兵器にしてアデルの切り札、大型モビルアーマー『ムラマサ』であった。こんな代物がマサムネ並みの機動力を持ちうるのか、初めて見た時はアデルも半信半疑であった。だが、先日運用実験した結果、その認識を改めることになった。テストとはいえルタンド中隊を一蹴したのだ。
(こいつなら、ガンダムなど何程の物では無い!)
アデルは込み上げてくる笑いを抑えきれない。
(――ムラマサ、これなら勝てる!)
アデルの自信は、ムラマサだけに寄るものでは無い。ザウート三機、ゼクゥ五機、マサムネ三機、ルタンド五機。更にムラマサと、合計十七機。対するリヴァイブのモビルスーツはダスト一機にシグナス三機。数の上でも性能面でも全く勝負にならない。
(見ていろ、リヴァイブ!貴様等を二度と“再生”など出来ないよう、粉微塵にしてくれる!!)
アデルの狂気を乗せて、共和国軍モビルスーツ隊は発進した。コーカサス州の中堅都市、アリーを目指して。
様子が普段と違うという事は、起きて直ぐに気が付いた。ソラは、隣で寝ているはずのコニールが見当たらなかったからだ。
「……?」
昨日、ソラは部屋で夜遅くまでコニールとおしゃべりをしていた。予想外に二人して盛り上がったので、コニールは「今日はここに泊まるわ。部屋に帰るのも面倒だし、見張りの代わりにもなるから」と言って、そのままソラの隣で寝てしまったのだった。もしかしてコニールも同年代の女の子がいなくて、ちょっと寂しかったのかな?なんて事をソラはぼんやりと考える。ところが今、その彼女がいない。
何も言わずに、居なくなる筈は無い。トイレに行く時でさえ、きっちりとしていたのだ。更に、ソラ一人であればきちんと鍵が閉められている筈の扉でさえ開けっ放しだった。
(……どうしたの?一体)
何か、抜き差しならぬ事態――緊迫感が漂っている。ソラは、それを敏感に感じ取っていた。
誰も迎えに来ないので仕方なく、ソラは他の人を求めて食堂へ向かった。取りあえず食堂は何度も行っているし、機密なども無いと熟知していたからだ。誰か行き会わないかと探したが、こんな時に限って誰にも会えない。
「ねえ、レイ。一体どうしたの?」
《俺にも解らん。が、ソラの判断は間違っていないだろう。取りあえず食堂へ行ってみてはどうだ?》
いつもそばにいる腕時計のAIレイにも促され、ソラは食堂へ向かう。そこは更に緊迫した雰囲気が流れていた。誰もが無言のままテレビの報道に見入っていたのだ。
《早朝、アリーの街に凶悪なテログループが存在するとの報告を受け、政府軍が出動、現在鎮圧中の様です。アリーの町並みに政府軍モビルスーツ隊が駐屯しており、街内は騒然とした雰囲気の中で……》
テレビから流れるニュースを見ながら、サイがつぶやく。
「見せしめって事かな……」
するとロマは、まるでこの場に居る者達の疑問に答えるかのように、自身の考えを語った。
「アリーは元来、東ユーラシア共和国政府に反対的な立場を取っていた街だ。その上交易も観光も盛んで、東ユーラシア共和国の中ではかなり税収を稼いでいる。そのため街としての自治力としては中々のものを持っているんだ。あそこの市長は独立心が旺盛で、反政府派と来ているし、しかも市民の支持も厚い。最近も州政府の増税案に大反対をして、引っくり返した事もあったほどだ。東ユーラシア共和国政府としてはこれを機に反政府派を一掃して、親政府派に街を治めさせたいんだろうね」
そこへ大尉がロマの後を引き継ぐように言う。
「しかし解せないのは、なんで今この時かって事だ。しかもいきなり占領とはやり方が荒っぽ過ぎる。アリーはこれから交易が最盛期に入る季節だ。税収の事を少しでも考えるなら、今この時期っていうのは不自然だし、東ユーラシア共和国本国政府の官僚達でさえ、今までアリーには手を付けずに居たんだ。俺達レジスタンスに物資を流しているのを知りながらな。それだけの旨みがあの街にはある。にもかかわらず攻めたって事は……政府軍の連中に何か起きたのか?」
「政府軍の独断専行、というのが妥当かもしれません。とはいえ、我々としても見過ごすわけにもいかないでしょう。あの街を根城にしている『ローゼンクロイツ』が潰されたら、一気にバランスが向こうに傾きますからね」
いつも通り中尉も大尉の意見に自論を付け加えた。するとそれにコニールが横から口を挟む。
「でもさあ、あの薔薇のお方達なら独力でなんとかするんじゃない? 向こうだって相当の戦力を持ってるでしょ。何せ『九十日革命』の生き残りなんだからさ」
それに同意したのか食堂にいた何人かが頷いた。
――『ローゼンクロイツ』とはCE78年初頭に東西ユーラシアを舞台に勃発した反統一連合勢力による一大反乱劇、『九十日革命』を起こしたレジスタンス組織である。統一連合に反感を持つ旧ザフト軍人や東ユーラシア共和国軍部と組んで彼らが起こしたこの大反乱は、統一地球圏連合全域を大きく揺るがし、苛烈な内戦へと突入した。僅か90日の間に出た死傷者300万人を超え、未だその傷跡が各所に残っている。この戦いで敗北したローゼンクロイツはその後、ユーラシア大陸全域に散り散りなってに逃れ、その主要残存部隊の一部がかのアリーの街に潜伏していたのである。
「関係ねぇよ、そんな話。喧嘩売ってきたんだ、こっちから殴りに行こうぜ!」
血気盛んに少尉は吠えるが、だがそれに冷水を差したのは普段なら合いの手を入れるはずのロマだった。
「政府軍のモビルスーツ部隊の数を見ても、そう簡単に言えるかい?少尉」
テレビに映し出されたモビルスーツの数を見て、さすがの少尉も絶句する。画面に映っただけでもリヴァイブの現有戦力の倍近いモビルスーツの数。他にいる可能性を考えれば、その数はさらに多くなる。
「画面に映っているだけでもこの数だ。恐らくサムクァイエット基地の現有戦力、それも基地防衛用の戦力を除いたほぼ全てが出撃している公算が高いだろう。つまり政府軍にとってもリスクの高い作戦、同時にこちらにとってもリスクは高いんだ。逆にもしこの戦いに勝てばサムクァイエット基地は事実上半壊状態に陥る。勿論、東ユーラシア共和国軍の戦力はサムクァイエット基地だけでは無いけど、それは僕らにとっては圧倒的なアドバンテージとなるからね。負けた方が壊滅する、リスクとリターンが釣り合った作戦だよ。殲滅戦になるかもしれない、これは」
殲滅戦――つまり、この地域のレジスタンスと政府軍サムクァイエット基地との全面戦争だ。そうなれば相当の被害は覚悟しなければならないだろう。事の深刻さに誰もが押し黙る。
「もしこのままアリーを見捨てればどうなる?」
それまで黙っていたシンが口を開いた。それは誰もが持つ問いでもある。全員が注目する中、ロマは一拍おいたのち、小さくため息をついた。
「アリーにいるローゼンクロイツがどの程度戦力を持っているか詳細は不明だけど、このまま事態を放置すれば僕らにとってもあまり嬉しくない状況になる可能性が十分ある」
「……」
「まずローゼンクロイツが単体で戦う事になるだろう。それは彼らの所在が政府軍だけでなく、統一連合にばれてしまうという事を意味している。今まであの街が放置されていたのは、彼らがあそこに潜伏している事が誰にも知られていなかったせいでもあるんだ。だから例え今回彼らがアリーの街を守りきったとしても、九十日革命の主犯組織の居場所が判明したとして、次は統一連合の地上軍が全面的に投入されるのは確実だ。そうなればアリーの街が陥落するのは時間の問題。僕らは貴重な補給ルートを失った上に、統一連合軍によるコーカサス州での全面掃討作戦で、じきに燻り出されてしまうだろう」
「そうなれば……」
「遅かれ早かれジ・エンドだ」
ロマの言葉に全員が沈黙する。つまりこの戦いは避けようが無いというわけだ。
「だったら一つしかねーじゃないか。やるしかないって訳だ!薔薇の居候のために一肌脱ぐといたしますか!」
少尉がパンッと右拳を掌に打ち付けた。全員の眼光が鋭くなる。誰もが覚悟を決めた瞬間だった。するとロマはしばし考えた末、コニールにこう伝える。
「コニール。大変申し訳ないが、軍使をお願いしてもいいかな?」
軍使とは、軍隊同士の間の伝令の事である。
「良いけど何処に?」
「勿論ローゼンクロイツに、さ。どちらにせよ、アリーで戦うならあちらと共同作戦を取る事になる。おそらく、ローゼンクロイツ側も準備を整えているだろうし。攻めるにせよ守るにせよ、こちらも呼吸を整えていかなければ勝つ事は出来ないからね」
「了解。早速コンタクトを取るわ」
そう言って、コニールは食堂から出て行く。ソラに気が付くが、会釈をして去るのみだ。リヴァイブだけではない、この地域のレジスタンスが共同で当たらなければならないような事態に突入しつつあるのだ。その場は、ロマの指示により解散になった。だが、誰の心にも共通の認識が芽生えていた。
――次は大きな戦いになるのだと。
ソラは、自室に戻っていた。センセイにそれとなく戻るよう言われたのだ。ちなみにもうソラに見張りは誰も付いていない。いつものようにAIレイがそばにだけだ。最早、ソラに構っている暇は無いのだから。センセイも、シゲトも、サイも――誰もが血相を変えていた。唯一、変わらないのはソラだけだった。当然と言えば当然なのだが。
《俺で良ければ、話し相手になるが?》
このAIは本当に人間のようだとソラは思う。
「ねえ、レイ。……私、間違っているの?」
《何がだ?》
しばし逡巡した後、意を決してソラは言う。
「私、誰にも死んで欲しくない。戦いなんかして欲しくない。でも、戦いは起きる」
《……それで?》
「人殺しは罪。私はそう教わって、今まで生きてきたわ。でも、みんなは人殺しで、人を殺すための集団で……」
ソラは、懸命に言葉を紡ぐ。それしか、己を知る術は無いから。
「でも嫌いになれない。センセイも、コニールさんも、シゲト君も。サイさんにリーダーだって、大尉さん達……シンさんやレイも。皆優しいのに、良い人達なのに……なんで戦うの?なんで人を殺しに行くの……!?」
何時しか、ソラは子供の様に泣いていた。
人殺しが罪――そう思いながらもソラはそれを否定出来ない。人を殺した事がある人間全てが、悪人では無いという事を知ってしまったから。
『ソラ、あんたはそのままで居てくれ。そのままで――』
シンに言われた言葉が滑り込むように心に響く。あの硝煙と残骸で埋もれた荒野の中で、誰もがソラに『変革』を求めたのに、たった一人、ソラを守ろうとしてくれた人。戦場という異世界の中で、たった一人、ありのままの自分を守ってくれた人。……ようやく、その事がソラにも理解出来た。
(あの人は、私を、私を……)
心の中ですら言葉にならない、混濁した思い――だがソラはこの思いだけは確信をもって言えた。
(私は、シンさんの事を信頼してるんだ)
何処か吹っ切れた様な気がした。その証拠に、鏡に写る自分の顔から険が取れていたから。空はいつか見た時と同じ美しい青空で、どこまでも広がっていた。自分もあの空のように、いつまでも雨ばかりではなく、いつかは晴れるときも来る。――だから頑張ろう。青空を見上げ、ソラはそう思った。
コニールが帰って来たのは、その日の夕暮れを過ぎてからだった。相当に急いで帰ってきたようで疲れた様子ではあったが、早速ロマ達を呼び出すと作戦会議に入った。とても休む気になれなかったのだろう。
「ローゼンクロイツの連中は直ぐにでもアリーを取り返す算段のようね。あたしが到着した時にあたしら宛の軍使が発つ所だったわ」
疲れた様子を見せず、コニールはきびきびと動く。さすがに幼い頃から軍隊に参加していただけの事はある。
「ローゼンクロイツの戦力は?」
戦術を決める者として大尉が聞いてくる。
「今あそこの主力は出払ってて殆ど戦力は残っていないわ。呼び戻すにしても時間が掛かるそうよ。モビルスーツ用のパーツなら十分あるそうだけど、戦力として残っているのはフライルが3機だけらしいわ」
フライルって何度見ても気持ち悪いモビルアーマーよね、とコニールは小声で付け加える。
「するってえとウチの戦力と併せても7機、か。……不利な喧嘩になるな。しかもローゼンクロイツは敵に存在を知られないために全面には出せない。どうしても俺達が仕切るしかないわけだが……」
ぼりぼりと大尉は頭をかく。今その中ではどうやって算段を付けるか、目まぐるしく思考が回転している事だろう。
「策を弄する、しかないと思いますが……」
「一機で二機相手にすりゃ良いんじゃねぇの?」
神妙に考え込む中尉に悪態を突く少尉、対照的な二人にもにも妙案は浮かばない。
「とにかく、今の情報を整理してみようじゃないか。枯れ木も山の賑わいっていうしね。何かいいアイデアが思いつくかもしれない」
そう言ってロマはテーブルの上に地図を広げる。アリー近郊の拡大地図だ。
「まず、アリーの街に駐屯しているのはザウート三機。アリー近郊に駐屯するのがルタンドとゼクゥの混成機動部隊。更に遊軍としてマサムネ隊、と」
次々に地図上にチェスの駒が置かれていく。白が自軍、黒が敵軍。特に駒の種類に拘っては居ないようだ。
「俺達とフライル隊がまず殴りに行くとしても、まずはルタンドとゼクゥの混成機動部隊を相手にする訳か」
「それだと、直ぐにマサムネに挟撃されるでしょうね。更にザウートの射程内であれば、こちらはじり貧です」
「……嫌な事言うなぁ、お前」
「事実なのだから仕方が無いでしょう」
楽観的な少尉にすかさずツッコミを入れる中尉。最早この二人の掛け合い漫才も説明不要だろう。
「とにかく、ザウートから何とかしないといけないわけだ。旧式とはいえザウートの砲撃は厄介だね。彼らの砲撃がある限り、我々は乱戦に突入せざるを得ない。乱戦になれば、如何にパイロットが有能であろうと数の有利が間違いなく働く。人の背中に目は無いからね」
どんなプロのモビルスーツパイロットだろうと疲弊し、注意力が散漫になる時が必ず来る。そうなった時にフォローが効かなくなるのが乱戦の恐ろしさだ。乱戦とは間違いなく数をそろえた方が勝てるのである。それは戦争の鉄則だ。かといって乱戦に持ち込まなければ、各モビルスーツ同士の撃ち合いになる。こちらが一発撃っている内に相手はもっと撃てるので、どちらにせよ圧倒的に不利な事に間違いは無い。
戦闘とは防戦側が基本的に有利だ。攻撃側はまず陣を敷き、その上で攻勢に出なければならない。要するに、相手側にこちらの動きは読まれやすいという事なのだ。無論、相手に読まれない策というものもある。それを総じて奇策と呼ぶ。果たして、ロマの脳裏ではその奇策が出来るのか出来ないのか、詳細に検討が行われていた。しばしの熟考の後、ロマは今まで黙していたシンとコニールに向き直る。
「今、策を考えてみた。皆の意見を聞きたい。……ちなみに君達が、僕の策の要となるんだけど」
ロマの策を聞き、その場に居た全員の頭の上に「?」マークが浮かんだ。搦め手どころか漫画でも今時やらない荒唐無稽なものだったからだ。だが、それだけに確かに意表は突けるだろう。そう判断した大尉は迷った末に了承。シンとコニールも拒否しなかった事で作戦は決定。リヴァイブは再び動き出した。その日は誰もが眠れそうになかった。
いつの間にか、ソラは眠っていたらしい。モビルスーツの機動音が辺りに響き、ソラの意識は覚醒する。
(……出撃?)
窓から外を見ると、丁度大尉達のシグナスが出発しようとしているところだった。その向こうにはトレーラーに鎮座したダストも見える。既に武装は整えられ、人々はその者達の足下で右往左往していた。あちこちに指示を出す大尉、スナイパーライフルの調整に余念が無い中尉、忙しく走り回っている少尉。
「急げ!作戦開始は正午だぞ!」
そんな大尉の大声がここまで聞こえる。だが、ソラの心には一つの事しか思い浮かばなかった。
(ひょっとしたらもうあの人達は……、大尉さん達は二度と帰ってこれないかもしれない)
戦場とは、誰かが死ぬ場所、誰かを殺す場所だ。そこでは男も女も老人も子供も関係無い。敵ならば倒し、味方ならば助ける。それだけの事。ソラは、それをようやく実感していた。だからこそ、不安に、どうしようもなく不安になる。自分に近しい誰かが『死ぬ』という恐怖。その恐怖は、人が本能として持ちうる恐怖――『死』への恐怖に他ならない。
(――それにシンさんにも、もう会えないかもしれない)
それはソラにとってもショックな事になりつつある。世間的には善人とは言えない人達なのに。ソラ自身も驚いていた。いつのまにか彼らの存在は自分にとって、思った程不快なものではなくなっている事に。
不意に、ソラの居る部屋の扉がノックされる。
ソラは一瞬驚くが、良く考えれば危険な訳が無い事はすぐにわかる。しかしAIレイに《一応誰か確認しろ。別に害は無いと思うがな》と言われると、警戒したくなるのが人情である。
「……どなたですか?」
ドア越しにソラは尋ねてみる。冷静に考えたら相手に悪意があればこんなドアなど関係は無い。破れば済む事だ。それでもわざわざAIレイがそういうのは、ソラに『自衛』の意義を教える為だ。
ドアの向こうから「俺だ、シンだ」という愛想の欠片も無い返事が帰ってくる。ソラは安心してドアを開く。そこにはやっぱりいつも通り不機嫌そうな顔のシンが居た。
「あ、あの……」
――どうしたんですか?と言葉を紡ごうとしたら、
「レイが必要になった。一端返して貰うぞ」
相変わらず人との関わりを極力排した物言いだ。ソラならずとも疎外感を感じてしまうだろう。だが今日のソラはそれで怯まなかった。
「戦いに、行くんですよね?」
「ああ」
今までソラは、極力シンとの関わる事を避けてきた。だが、今のソラはそんな自分の行動に懐疑的になっていた。自分がどれ程目を背けようとしても、事実はそこから消えない。それに気が付いたから。ソラが腕時計をシンに渡すと、シンはきびすを返して去っていく。それを見た時、ソラは突発的な衝動を抑えられなかった。
「……あのっ!」
何事かと思うような大声にシンは振り返る。
「どうした?」
そう言われてもソラだって解らないのだ。だが確かに自分の中に沸き立つような思いがある。言葉にはまだ出来ないけれど、幼子のように叫びたい意志がある。それをまだ、ソラは反芻すら出来ないが。
顔に血が上る。
顔が真っ赤になる。
自分は一体、何がしたかったんだろう?そう思うとソラは、俯いてしまった。その場から逃げずに済んだが、さりとて進む事も出来そうもなかった。
(困った。つくづく女の子って奴は解らん)
そんなソラの様子に、顔には出さないものの正直シンは途方にくれていた。
彼からすれば戦いに明け暮れていたので武器の扱いには慣れていても、泣きそうな女の子の扱いなど専門外だからだ。いつもは頼みもしないのにどこからか沸いてくるくせに、こういうときに限って少尉は見当たらない。
仕方なくシンは自身の記憶の中で、この状況に近い状況の事を思い出すことにする。取りあえずその時取った行動を参考にしようと思った。
ずかずかとソラの元へ歩み寄ると、慌てるソラに構わず頭にぽんと手を乗せ、できるだけ優しい顔をして頭を撫でながらこう言った。
「解った解った。こいつは後でちゃんと返すから……そんな顔をするな」
シンの記憶にある今に近い状況。それはマユのおもちゃを取り上げたシンが、泣き出したマユを宥めるために使った方法。
一応効果があったのか、ソラは頷いた。
「じゃあな」
そう言ってシンはソラに背を向け、軽く片手を上げると後ろも見ずに去っていく。
《朴念仁もここまでくれば大したものだ》
シンの腕の中でAIレイが、誰にも聞こえない様な小さな声で、そう呟いた。
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