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貴方が何もかも一人で背負う事なんて無い。助ける事が私でも出来るのなら、私は助けてあげたい。それが私のやりたい事なんだから……。
――シノ=タカヤ
西ユーラシア自治区、チューリンゲン州の一都市ズール。
旧世紀、かつてドイツ連邦と呼ばれた国家にあった街だが、今ではその国の面影は無く、歴史の1ページに記されているだけに過ぎない。
街の一角は古い城壁に囲まれており、街角のあちこちには石造りの建物が残っていて、中世の面影をそのまま現代に伝えている。内陸あるこのズールは、古来より優秀な職人の街として有名であり、また幾多の戦火から運よく逃れてきた街でもあった。
街のあちこちでビルや建物の建設工事が盛んに行われ、主要道路は車の群れで渋滞し、軒を連ねる商店街には売り買いする人々の活気で満ち溢れている。
二度の世界大戦が起きる以前は、この街の周辺には数々の精密機器メーカーが集まり、日夜その製品技術開発を競い合っていた。それはコズミックイラの時代になっても変わらない。優秀な技術者を輩出し続けているズールの技術力の高さを裏付けていたのは、なにより古くから根付く優秀な教育と勤勉な性格、それを認め奨励する人々が住む土地柄であった。だからこそこの街は”職人の街”として栄えてきたのだ。
しかし街に残った企業もあれば、戦火に怯えて立ち去った企業もある。それらの門は固く閉ざされたまま二度と開かず、あとには廃墟が物言わぬオブジェと化して取り残された。そんな沈黙し、赤錆びた壁を持つ工場棟の一角で、人知れず蠢く者達がいた。
ガランと空いた薄ら寒い工場の中に、まるで猛禽の様な鋭く細い目付きをした女一人いた。そばには中年の男が、かしずく様に一歩下がって控えている。彼女の部下である。二人はここに持ち込まれたばかりの、あるものを見上げている。
「こいつが例の品かい?」
「はっ。三日前、喜望峰沖でアズマ率いるウミボウズ隊が奪取したものです。昨晩ここに届きました」
二人の前には、真新しい白い大型コンテナがひとつ。女はまるで値踏みでもするかのように、それを見上げる。
「やったのはあのアズマかい。アイツの仕事は荒っぽいからねえ。中の品に傷はついちゃいないだろうね」
「それは問題ありません。こちらで確認しました。情報通り、全てがそろっています。なお解析のために不足していた人員は街の失業者に声をかけ、補充いたしました」
「何人集まった?」「遺伝子工学系が2名、生体物理学系が3名、高分子素材系が1名です。いずれもかつてこの街にあった有力企業に勤務していた技術者です」
「いいねえ、さすがズールの街だ。腕のいい職人集めるのには事欠かないよ。”向こう”に連絡は?」
「すでに完了しております。三日後にここに来るとの事です。なおミハエル様にも任務完了の旨を連絡しておきました」
「よろしい。コイツは作戦の要にもなる大事なお宝だ。ここで私達がヘタを打つ訳にはいかないよ。分かってるね」
「もちろんであります、シーグリス様」
部下の男はシーグリスと呼んだ女に深々と一礼をする。
反統一連合レジスタンス組織『ローゼンクロイツ』の幹部の一人、シーグリス=マリカ。彼女は目を細めて満足そうに言う。
「あとはセシル坊やが来るのを待つばかりだね。さあて、どうやってこいつで統一連合に、一泡ふかせてやるとしようかねえ。クックックッ」
低い笑いが何もない工場内に静かに響いていく。しかしそれを耳にするものは、他の誰もいない。そばにたった一人いる部下の男を除いては。
延々と続く国道を四輪駆動の大型車で駆りつつ、アスランは一人物思いに耽る。
(やれやれ、何でこんな事になってしまったんだ。全く)
見れば助手席のソラは窓辺に流れる風景をずっと眺めていて、後部座席の”野次馬”ジェス=リブルは、いびきをかいてすっかり寝込んでいる。
アスラン、ソラ、ジェス。これまでの経緯を考えれば、あり得そうで決してあり得ない、奇妙な組み合わせ。これがオーブであれば万が一の可能性として、三人の出会いもあったかもしれない。しかし今アスラン達一行がいるのはオーブではなかった。
ここは地球を半周、遠く離れた西ユーラシアなのだ。
ソラは相変わらず疲れきった様子でぼーっと、車窓を眺めている。そんな彼女を見ていると、アスランの中ではなんともやりきれない想いがこみ上げてきた。
(ったく俺としたことが情けない。もっと上手いやり方があったんじゃないのか?)
この様な事態に至った経緯を、アスランはこれまで何度と無く反芻していた。
――事の発端は、ソラの親友シノ=タカヤの失踪だった。
「……見失っただと!? どういう事だ!」
夕暮れの主席官邸。
その一角にある近衛師団監査部事務局のオフィスで、アスランは電話口で思わず怒鳴りつけた。ソラの親友ハナ=ミシマから伝えられた、シノ=タカヤの失踪。その第一報をソラから聞いたとき、アスランすぐに手を打った。
「安心しろ。この時代に、一人の人間を捜す事など簡単だよ」とソラを宥めつつ。しかし上がってきた報告に愕然としたのはアスランだった。
《すでに対象者は既にオーブ国外に出ている模様でして……》
「だから何だというんだ!国内にいなくても経路から追跡できるだろう!?一体どういう事だ!!」
《そうは言われましても……。ザラ近衛総監……》
捜索対象者ロスト。予想外の事態であった。
オーブでは全ての国民に対してID登録が義務付けられ、移送機関や公共機関を利用すれば、必ずその記録が残る。だからすぐ見つかると考えていた。まして相手は一介の女子高生なのだ。だが結果はこの有様だった。
しかしここで担当官を怒鳴りつけても埒は明かない。申し訳なさそうに報告する治安警察の担当官の様子に、アスランは深呼吸して冷静さを取り戻すべきだと自戒する。焦っても事態は変わりはしないのだから。
「とにかく判明した範囲で、報告してくれ」
とにかくオーブ国内での経路は割り出せる。その先は別方向から調べなければならないが、切っ掛けさえ見えれば幾らでもやりようはある筈だ。例えば公共交通やホテルのチケットなどからID探索が出来るだろう。――そんな風に考えながら、アスランは報告を待った。
《シノ=タカヤはオロファト国際空港より13:40発、西ユーラシア自治区パリ国際空港行き、ヴァージンブリティッシュ航空337便に搭乗。14:45に到着しています。》
「僅か二時間後にもうパリに入ったのか。シノはスペースプレーンを使ったんだな」
《はい、その模様です。パリ到着後はエアバス451便に乗り換え、ベルリン近郊のテーゲル空港で降りています。その後は鉄道でチューリンゲン州に向かい、ズール駅で下車。そこから先は……追跡不能です》
「ズールか……」
すぐにアスランは地図でズールの場所を確認する。旧東ドイツの国境に近い、古い街であった。
「そうか、わかった。では今判明している彼女の全データをこちらに送ってくれ。シノ=タカヤの経歴、交友関係、資産、そして今回彼女の辿った経路。あらゆるもの全てだ」
《了解しました。なおすでに自治省を通して、現地警察に捜索するよう手配しておきました》
「……ありがとう、協力を感謝する」
そう言ってアスランは通信を切ると、ふうっとため息をついた。
スペースプレーンとは大気圏外を弾道飛行する超高高度旅客機の事である。通常のジェット旅客機とは違い、十数倍の速度を有し、僅か数時間で地球を半周する事も出来る。第一次汎地球圏大戦以前は頻繁に飛んでいたものの、二度に渡る大戦でその航路も途絶えてしまう。だが戦争終結とともに近年、再び復活したのだった。
世界の首都たるオーブのオロファト国際空港には、真っ先にスペースプレーンが就航し、世界各国の首都を最短時間で結んでいる。とはいうもののまだその数はそう多くなく、価格も目が飛び出るほど高い。しかしそれに乗ってシノは西ユーラシアに旅立ってしまった。
(女子高生一人ぐらいすぐに見つかると思ったんだが……、どうやらその見込みは甘かったか。俺達が騒ぎ始めた頃にはすでに現地に入ってるとは、想像以上に手際がいいな)
アスランは事態を推理してみようと頭を無理矢理動かす。
(金に糸目をつけず時間を優先したという事は、一刻も早くこちらの追跡を巻く必要があったからだろう。だがスペースプレーンの搭乗チケットなんて、一介の女子高生においそれと手が出せるシロモノじゃない。ひょっとして何者かの手引きでもあったのか?)
正直な話アスランはこの程度の事件は、すぐに解決出来るだろうと考えていた。何しろ今の自分は世界政府、統一地球圏連合の一員で、しかも上から数えた方が早い立場にいる人間なのだ。この手に強大な権力を握っている――。
それは自惚れだと自戒しつつも、アスランは思考を巡らす。とにかく自分には出来る事があり、それが誰かを助ける事である。その気概は、アスランを沸き立たせるに十分なものだった。
(報告によると、空港で飛行機に乗ったのはシノ一人だけ。随行者は見あたらなかったとの事だ。携帯電話の履歴でも特に怪しいものは無かった――ならば本人の意志によるという事か? しかし何故……?)
アスランは部下に命じて、シノの銀行口座も確認させた。それによると残高ゼロ――本日朝8:00の開店と同時に全額払い戻しの手続きがなされている。結構貯めていたらしく、年齢の割には相当の高額の預金で、旅行するには十分、いや十分すぎる金額であった。
部下からの報告によると今、ソラやシノの通うアスハ女学院やその寮では、上を下への大騒ぎらしい。ソラがやっと帰ってきたと思えば今度はシノが失踪したのだ。無理もない。
(学校や寮のシスター達の証言によると、”そんな事をする筈が無い生徒”だという。兆候は全く把握出来て居なかったらしい。……つまり動機探しから始めなければならないという事か)
面倒な事になった、とアスランは思わず呟く。だがオフィスの隣の部屋で休んでいるソラの事を思い出し、次の瞬間には気を引き締める。ようやくこれから、という時に何故もこうトラブルばかりが、ソラの周りで巻き起こるのか。待合室で待つソラの事を思うと、アスランは彼女が不憫に思えてならなかった。
暫く後、アスランはソラの休んでいる部屋にやってきて”把握した事態”について説明した。
「君の親友であるシノ=タカヤは西ユーラシア自治区にあるチューリンゲン州の一都市、ズールへ向かった様だ」
「ズール?」
「オーブで聞くほどに有名な街じゃない。向こうではそれなりに知れているかもしれないが……」
ソラには初めて聞く街の名だ。アスランもそうだったらしく、少しどこか説明がたどたどしい。
喉が渇いたのか、彼は自分でコーヒーを煎れると、ブラックのまま一息で煽る。苦いコーヒーが喉に刺激を与え、思索に喘いだ脳に活を入れてくれる。そして再び話し始めた。
「シノ=タカヤがその街の駅で降りた所までは確認している。だがどうして彼女が誰にも何も言わずに、そんな遠くの街に行ったのかはわからない。ただそれが自分の意志だという事は間違いなさそうなんだ」
「…………」
国家権力をいくら動員しても決して解らないものは、人の心だろう。そうアスランは思う。レジスタンスしかり、今回失踪したシノしかり。うつむくソラにアスランはコーヒーを一杯煎れてやる。
「彼女が失踪した動機について、何か心当たりとかないか?」
するとソラはカップにミルクを入れながら、少しずつ話し始めた。
「ハーちゃん……ハナちゃんが教えてくれました。私がいない間、シーちゃんには付き合っていた男の子が居たんだって。交換留学生で二週間程度しか居なかったそうだけど……。きっと、シーちゃんはその男の子を追って行ったんです。一途な子だったから……」
「なるほど、動機はそれか……」
一途なところは君も人の事は言えないと思うな、とふとアスランはソラを見ながら内心呟く。
「家族も、友人も捨てて、か。漫画や恋愛小説辺りならロマンチックとでも言うべきかもしれないが……何を考えているのやら」
「そういう言い方は止めて下さい。確かに、思いこんだら一直線だったけど……」
「なら、早い所彼女を連れ戻さなければならないだろうな」
「……?」
ソラは怪訝な顔をする。
「彼女が向かったチューリンゲン州には、テロリスト組織ローゼンクロイツの本拠地があるらしい。しかも近々、連中は大規模なテロを画策しているという噂もある。……到底、観光はもちろん女の子一人が、迂闊に行けるような場所じゃないんだ」
「……!」
その言葉を聞いたソラの顔が一瞬青ざめ、カップを持った手が僅かに震える。シノの身に何か起きていないか、シノを一刻も早く見つけないと、という恐れと焦りがソラの中でグルグルと駆け巡る。動揺が隠せない。だがそれ以上に、彼女の心を捉えて離さない言葉がもう一つあった。
ローゼンクロイツ。そしてその名を持つ組織とコーカサス州、ガルナハンで組んでいたのは――リヴァイブ。
「彼女の捜索は俺達は任せれば大丈夫だから。君は大人しく待っているんだ。いいね」
アスランは肩に手をやってソラをなだめる。しかし今の彼女にはその声すら、どこか遠いものに変わっていく。奇妙な縁と、懐かしい人々との思い出が、ソラの心を鷲掴みにしていた。
――その数日後、二通の手紙が二人の男の元にそれぞれ届く。
一通は近衛監査局にいるアスランの元に、もう一通はオーブタイムス新聞社にいるジェス=リブルの元へ。奇しくも同日同時刻、二人はそれぞれの職場で同じ叫び声を上げたのだった。
「「なんだってぇっー!?」」
手紙にはソラがシノを探すために、単身西ユーラシアに向かったと書かれていた。
もちろんソラ直筆の文字で。
「……やれやれ、年頃の女の子というのはわからないもんだ」
西ユーラシアに向うスペースプレーンの機上で、サービスのワインを傾けながらアスランはごちる。
アスランとジェスの二人を乗せたスペースプレーンは今、大気圏の外を飛んでいた。あと一時間もすればパリに到着するだろう。
ソラの手紙を読んだ後、アスランはまず真っ先にジェスに連絡を取った。彼女からの手紙にジェスにも同じ内容のものを送ったとあったからだ。ところが急いで電話をかけると、丁度同じ様にソラの手紙を読んだジェスが、血相を変えて慌てて自分に電話をかけようとしていたところだったのである。瞬く間に意気投合した二人はソラを追いかけるべく、取るものも取らずその日すぐに搭乗できるスペースプレーンに飛び乗った。
行き先は西ユーラシア自治区の首都パリの国際空港、『パリ国際空港』調べたところソラが乗ったのは通常の国際便だという事だから、自分達の方が先に着くのは確実だ。上手く行けば到着先の空港で彼女を捕まえられるだろう。
「しかし一体何を考えてるんだ?ソラは。人探しなんて一人で出来るもんじゃないし、もしかしたら今回の件には犯罪組織やテロリストが絡んでいるかもしれないんだぞ。ヘタをすれば逆に誘拐されたり、殺される危険だってある。なんて無謀な事をしでかしてくれたもんだ、全く……」
アスランの愚痴に思うところがあったのか、隣に座るジェスも頷く。
「今度ばかり俺も同意見ですよ。失踪した親友を探しに行きたいという気持ちは分かりますが、いくらなんでも無鉄砲過ぎます」
「ああ、こればっかりは女の子一人でどうこうできる問題じゃない。だから待ってろと言ったのに……」
ジェスはソラから送られた手紙をさっと眺めてみた。そこには行き先と経路、飛行機の空港発着時間などが書かれていて、手紙の最後は「一日も早くシーちゃんを連れて帰りますので、どうかご心配なく」と結んであった。
「『ご心配なく』なんて書かれても、はいそうですかと、納得できるわけないだろう……」
呆れたようにジェスは呟く。頬杖をつくアスランもまた、何も言わなかったが心の奥底では彼の言葉に同意していた。
チューリンゲン州は先の大戦での連合のデストロイ侵攻や、東西ユーラシア内戦の戦火を辛うじて免れた地方で、昔と変わらず健在な街が所々に残っている。古都ズールもそういう街の一つで、その規模は比較的大きい都市だ。今やこういう都市は貴重な存在なので、西ユーラシア復興事業の重要拠点のひとつとして統一地球圏連合の保護も厚い。そのため比較的治安は保たれている。しかしそれはある地域を除いて、の話だ。
――実はチューリンゲン州には東西ユーラシア最大のテロリスト組織『ローゼンクロイツ』の本拠があると噂されているのだ。実際にそれが確認できたわけではないが、数々の戦乱により土地に住む人々の反統一連合・反オーブ感情は強く、そのため以前より治安当局はこの地方一帯を怪しみ、マークし続けている。
そんな所にオーブ人の女の子が、のこのこと一人で出かけたら一体どうなるか。国際カメラマンとして名をはせるジェスが青くなったのも、実によく分かる話だった。
(一刻も早くソラを見つけて、連れ戻さなければ……)
眼下に広がる青い地球の光景を眺めながら、アスランは確かな決意を心に決めていた。
――しかしそれは実にあっさりと叶ってしまう事になる。
パリ国際空港ロビー。
「あれ? 早かったですね」
先回りして待ち構えていた二人を前に、到着したばかりソラはあっさりとそう言ってのけた。その口調はまるで二人が来る事を、あらかじめ予想していたと言わんばかりだ。
特に慌てる風でもない、そんなソラの様子にアスランは、彼女がわざわざ自分達に手紙を送った意図を悟った。
(つまり……、最初からソラはシノの捜索を、俺達に手伝わせるつもりだったんだな。普通の頼み方では断られるのは目に見えているから、一芝居打ったという訳か。全く……何て子だ)
芯の強そうな娘だとは思っていたが、まさかここまでやるとは当のアスランも想像していなかった。
思いこんだら純情一途――言い換えれば猪突猛進。一国の宰相の娘でありながら中東のレジスタンスに参加したカガリや、自分への恋心だけで国も姉も捨てた妻メイリン、プラントのアイドルから世界の頂点に上り詰めたラクス。今回見せたソラの行動力は、そんな女傑達の姿をアスランの中に想起させた。
(なんで俺の周りにいる女性は、こうも無駄に行動力ばかりあるんだろう? カガリはともかくとして皆、外見だけなら大人しそうなのになあ……)
怒るよりも呆れてしまう。だが何はともあれ無事ソラと再会できたのだ。それに大事にならなかったとはいえ、自分はともかくジェスにも大きな迷惑をかけたのは間違はない。何か一言きつく言ってやらないと。
アスランがそう思ったその時、不意に隣にいたジェスが無言でつかつかと前に出る。一方のソラは近づいてくるジェスを見て、いつものように親しげに話しかけた。
「たぶん現地で会う事になるだろうと思ってたんですけど、私――」
と、ソラがそこまで言いかけたとき。
ぱんっ。
瞬間、辺りに乾いた音が響いた。
「……ジェ、ジェスさん……?」
一瞬、彼女は何をされたのか分からなかった。頬が熱く、そしてじわりと痛みが広がる。
ジェスがソラを引っぱたいたのだ。
「なんでこんな無茶な事をしたんだ!皆心配してたんだぞ!」
ジェスが怒鳴った。
「だ、だって……私……」
そこまで言いかけて、ソラははっと気づく。
自分を見下ろすジェスの目が怒りに染まっていた。見たこともない恐ろしい目でソラを睨みつけている。
――ジェスは本気で怒っていた。
「どうしてアスランさんに任せて、大人しくオーブで待っていなかったんだ!? そんなにあの人が信用できないのか!?」
怒鳴り声に行きかう人々が何事かと、振り向く。だがジェスは構わず怒鳴り散らす。
そうしなければならなかったから。
「どういう理由があろうとも、たった一人でこんな遠くに来る事がどれだけ無謀で危険な事か、君だってわからない訳じゃないだろう! まして女の子一人で危険な土地で人捜しなんて、滅茶苦茶もいいところだ! もし万が一君に何かあったらどうする!? 一体どれだけの人が悲しむか判っているのか!?」
世の中にはほんの僅かな不注意で、取り返しの付かない事態を引き起こす事だってある。それは時には人の命すら奪う事も。幾多の戦場を見てきたジェスにはそれが痛いほど判っていた。体に染み付いているといってもいい。だから一人の大人として、ジェスは心の底から怒った。今それを目の前にいる少女に教えるのが、人生経験を積んだ大人としての役目なのだ。
「だって……だってシーちゃんが、友達がここに来てるんですよ! ちっちゃい時からずっと一緒にいてくれた幼馴染なんです! 大事な親友なんです! ……だから私……!」
「それは知っている! だからと言って君がこんな所に来て何の役に立つ! ここは軍や警察に任せて、君は大人しくオーブで待ってるんだ!」
ソラの目に涙がじわりと浮かぶ。
だがジェスは引かない。
常識で考えればテロリスト組織の本拠地があるといわれる地域に、女の子一人が向かうなど死に行くようなものだ。戦場カメラマンとして、幾多の戦場や危険地帯を潜り抜けてきたジェスには判る。リヴァイブの一件は稀有な幸運にすぎないという事が。
だから一人の大人としてジェスはソラに説教をする。当然だろう。しかしソラは頑として譲らなかった。
「嫌です! 私が行かなかったら誰がシーちゃんを連れ戻せるんですか! 誰もシーちゃんの事判らないのに!」
「だからそれは軍か警察に任せればいい!」
「だってシーちゃんは好きな男の子を追いかけていったんですよ!駆け落ちなんですよ!」
「か、駆け落ちぃ?」
”駆け落ち”
その一言にジェスは思わず絶句した。
(厄介な事になったなあ……)
そしてアスランは頭を抱えた。拉致や誘拐、行方不明など事件性のあるものであれば警察も動き易いが、こと恋愛沙汰が入るとややこしくなるのが常である。民事不介入の原則により、現地警察も二の足を踏む可能性があるからだ。そうなるとどうしても発見が遅くなるだろう。
「アスランさん。シーちゃん……じゃなかった、シノ=タカヤには捜索願は出ているんですか?」
「ああ。先にこっちの方で現地警察には指示して置いたが、手続きとして学校側からも出してもらったよ。しかしどうやって連れ戻すかが難しい所だろう。まさか逮捕というわけにもいかないしなあ」
「私が説得すれば、シーちゃんも分かってくれると思うんです。シーちゃんがオーブに帰るんだったら私も一緒に帰ります。どうかお願いします! ジェスさん、アスランさん!!」
深々と頭を下げるソラを見て、ついにジェスも困り果ててしまう。
親兄弟がいれば簡単だ。保護者として連れ帰ってもらえばいい。しかしシノはソラと同じく孤児なのだ。頼れる近親者もおらず、かといってプライベートな問題では国や役所はどうしても一歩引かざるを得ない。その観点から見ればソラのいう事にも一理はある。友達ならば説得しやすいからだ。
ジェスもその点については理解はしていたが、しかし一方で「はい、判りました」とすんなり納得するわけにもいかないかった。理由がどうにせよソラのやった事は無茶無謀だし、そのために自分も含めて心配した人々も、たくさんいたのだから。
さてどう落とし所をつけようかとジェスが思案していると、するとそこへアスランが一つの条件を提案をしてきた。
「……判った。君がそこまで言うなら許可しよう。ただし条件がある」
「条件?」
「まず一つ目、俺とジェス=リブルさんの指示には絶対に従う事。次に二つ目、何があっても俺達から絶対に離れない事。この二つを必ず守る事だ。これを守れない様ならすぐオーブに帰ってもらうからな」
「……判りました」
アスランにとってもやや不本意だが、今はこうするしかない。
「というわけだ。厄介事を押し付けるようになってすまないが、頼まれてくれないか?ジェス君」
「しょうがないですね。ま、こうなる事は予想はしてましたから。ただアスランさん、俺の方からもひとつ頼まれてくれませんか?」
「何だい?俺に出来る事だったら何でもやるよ」
「貴方の名前で俺の会社の方に、一言言っておいてくれませんか?このままじゃ仕事のサボりになっちまって俺、会社クビになっちまう」
「分かった、そうしておこう。政府から内々に同行取材を頼んだという事でいいかな?滞在費用もこっちの経費で落としておくよ」
「それで十分です。恩に着ます」
そんな二人にソラが謝る。
「あ、あの、ジェスさん、アスランさん。……本当にご迷惑かけてすいませんでした」
さすがのソラにも、自分がしでかした事の問題性が、ようやく理解できたらしい。骨身に染みたのかペコリと頭を下げるソラに、ジェスもいささかバツが悪そうに返した。
「い、いやあ、俺もいきなりひっぱ叩いたりして悪かったな。でも本当に心配したんだ。それだけは判ってくれ。……痛くなかったか?」
「痛かったですよ、思いっ切り」
「ハハハ、ごめんよ。次からはもっと手加減するようにするよ」
「もう、ジェスさんたら」
少し涙の残る蒼い眼差しで笑って答えるソラに、ジェスは思わず苦笑いをする。
(存外、ジェス君にも俺と同じく女難の気があるのかもしれないな)
そんな二人の姿にアスランは内心苦笑した。
「ところでアスランさん」
「なんだい?ジェス君」
「シノ=タカヤが追いかけていったというその男の子の名前とかは分かってるんですか?」
「ああ、それならここに資料がある。」
「あ、私も写真持ってます。ハーちゃんが持たせてくれたものですけど」
そう言ってアスランは鞄の中から一枚の書類を取り出してきた。同じようにソラも写真を取り出す。写真に写っているのは、艶のある綺麗な金髪をした一人の青年。
名をセシル=マリディア。
彼こそはシノ=タカヤの想い人であった。
金髪の青年が、暗闇を歩く。
そこは隠喩でもなく本来の意味での暗闇――遠くに灯りがぼんやりとあるだけの暗黒の地下通路だった。
古くに廃鉱になり、忘れられた鉱山跡地。元々は岩塩の掘削地であったというが、今ではそれを知る者はほとんどいない。通路になっている坑道の足下には、外から引っ張った電力のコードが無造作に置かれており、それが道案内代わりだった。慣れた足取りで青年は進む――通路の先に見える明かりの下へ。
しばらく歩き、明かりのある場所へ入ったその瞬間、それは直ぐに彼の目に飛び込んで来た。岩を切り出して作った四方100mはあるかという広い空間に、横たわる巨大な物体。
黄金のモビルスーツ――いや、モビルスーツとは到底言えないサイズの代物。かつてベルリンを大惨事に追い込んだ、規格外の巨大モビルスーツ『デストロイ』の意志を継ぐもの。――巨大可変重モビルスーツ『オラクル』であった。
「…………」
整った面持ちが苦渋に歪む。青年の瞳には憎悪があった。相手が物言わぬモビルスーツであるにも拘わらず。その姿が、己から全ての幸せを奪っていったのだと言うかの様に。
握られた両の拳が強く握られる。相手が人間であれば、直ぐにでも殴りかかりそうだ。
「壊すのは勘弁して貰いたいな。ようやく形にしたのだから。とは言っても、いくらお前でも素手では無理な話か」
青年の背後から、一人の女性が近づく――ローゼンクロイツの幹部、シーグリス=マリカであった。
「この機体だと知っていたら、貴方の案には乗らなかったよ」
青年が苦々しく吐き捨てる。それが子供の理由だと知っていながら。
「だがお前は、既に金を受け取った。違うか?」
「…………」
女――シーグリスは青年の肩を抱く。まるで招き入れるかの様に。
「大病を患う弟の医療費のために命を賭ける。泣ける話じゃないか。……コード三〇八、セシル=マリディア」
「…………」
「“エクステンデッド”としてのお前なら、存分にこの機体を使いこなせるだろうねえ」
セシルはもう一度機体を見上げてみた。横たわるその巨体にセシルの心は憤怒と憎悪で満ちあふれる。そして無念も。
(俺の故郷を……ベルリンを灰にしたコイツに……、父さんと母さんを殺したコイツに、俺が乗ることになるなんて……!!)
あの日の事は一度たりとも忘れていない。燃え尽きた街、瓦礫と死体の山。いつまでも残る、漂う死臭と立ち上る黒煙。
崩壊したアパートの下敷きになった両親の死に様が、瞼の裏にすっと蘇る。
眼が熱くなる。
だがここで泣く訳にはいかない。弱みを見せるわけにはいかないのだ。
代わりにセシルは更に強く掌を握る。強く握りすぎて、手のひらが切れたのか、血が滴り落ちた。
――セシル=マリディアはC.E74年に起きた、ロゴスが差し向けた超巨大可変型重モビルスーツ『デストロイ』によって引き起こされた、ベルリン大破壊の生き残りだ。
それまでセシルは市内のアパートで両親と病弱な弟カシム、家族四人でつつましくも幸せに暮らしていた。そして誰もがそうであるように、ごく当たり前の日常を過ごしていた。
朝、寝坊を母親に起こられて急いで学校に行く。
学校では勉強はもちろん、級友達と遊ぴやスポーツに興じ、時々いたずらが過ぎて先生に怒鳴られる事もあった。
カシムとはたまに兄弟喧嘩もしたが普段は仲もよく、夕食は決まって家族四人でテーブルを囲む。
よく笑って喜んで、時々泣いて怒って、それが幾度も繰り返される当たり前の日々。
ベルリンに住む誰もがそうであったように、セシルもそうだった。
だがあの日、セシルの運命は一変する。
デストロイの襲撃によって街は完全に崩壊する。セシルの父と母は崩れたアパートの下敷きになり、死んだ。後に残ったのは病弱な弟カシムと全てを失ったセシルだけ。その日から、弟を守るセシルの戦いは始まったのだ。
巨大モビルスーツ、オラクルを睨み付けるセシルを揶揄するかのように、シーグリスは呟く。
「お前の才能は、我々に必要なものなんだよ。己の意思でエクステンデッドになったお前。お前は才能を持ちながらも金を求め、我々は資金を持ちながらも才能を欲していた。その我々がこうして巡り会う。これこそまさに、オラクル(神託)じゃないか」
白々しい物言い。だが青年はそれを否定できない。
――エクステンデット。
すでにセシルは悪魔に己が体を明け渡してたからだ。貧困から、弟カシムを守る為に。
元より体の弱かったカシムは大病を患っており、専門の医療機関が無ければ生命の維持すら難しかった。両親が生きていた頃はその治療費も何とかなっていたが、その死後はセシル自身が代わりに治療費を稼がねばならなくなってしまった。
だがハイスクールそこそこの若者に、そんな高額の治療費を工面する事など到底不可能である。一生懸命働くも、日々の生活費だけでやっとの有様だった。当然、弟の病状は日に日に悪化していく。切羽詰った彼は、ついに裏の世界に飛び込む。
行き着いた先は『人体革新開発研究機関』
セシルは裏の情報屋から、そこがホームレスや自分と同じような貧し人々を餌にする闇の血液・臓器銀行と同じだと聞いていた。人体改造や人体実験を、金儲けの手段としている非合法組織だと。
だが実際はもっと大規模で、底知れぬ組織だと知ったのは後のこと。機関は旧連合の作った人間兵器エクステンデッドを、秘密裏に製造・研究をする準軍事研究所だったのである。しかしそれを知ってなおセシルは引き返すことなく、その道を選んだ。エクステンデッドとしての道を。
おかげで自分は厚遇を受け、弟はいい病院で治療を受けている。他のところに行けばこれ程厚遇もされず、弟カシムは既に死んでしまっていただろう。セシルはこれを幸運だと信じた。
彼がエクステンデッドになり、機関で受けた各シミュレーションで生み出した数々の好成績も、その幸運の一つだったかもしれない。その結果、セシルはオーブに表向き交換留学生として送り出された。組織の命令による“主要各国の偵察”という任務を受けて。
彼の命の事など一切考慮しない組織だと知りつつも、今のセシルにはこの”幸運”を信じて進むしか道はなかった。
「……で、俺は何をすればいい? 国内での戦闘以外はやってやる」
それは悪魔との取引に他ならない。それを知って解っていても。
「安心おし、その辺に関してはこちらも考慮している」
シーグリスの言葉にセシルはただ無言で俯く。だが場所が変わろうとも、これから自分がやろうとしているのは、あのデストロイと同じ事なのだ。 しかしそれに抗う術はすでにセシルの手にはない。
(結局……俺はこうなるのか……)
留学先のオーブで友達になった女の子が居た。いや、好きになれた”かも知れない女の子だった。
自分の通っていた男子校の陸上部。そこが催したアスハ女学院陸上部との合同練習が、出会いのきっかけだった。お互い戦火で両親を失い、それでも世間の荒波の中で生きてきた者同士打ち解けたのは自然な流れだったのだろう。病床の弟が気になる自分を、いつもあの子は励まし、時に慰めてくれた。
シノ=タカヤ。今頃、彼女はどうしているのだろうか?
――大丈夫だよセシル。何かあったら、きっと私が力になるから。
一時はあの時が永遠に続けば、とも思った。だがそれも叶わぬ望みに過ぎない。だとしたら、それは思い出にするしかない。
(シノ――俺なんかの力になんて、ならない方が良い。俺は……力なんか持っちゃいけない人間なんだ……)
彼にとって、人並みの幸せなど望むべきでは無いのだ。もうここまで来てしまっては。
オーブでの淡い思い出が、ここでは自分を苦しめるだけになっている――それがセシルには辛かった。
西ユーラシアの片田舎にある朽ちかけた古城。
今では土地の者もほとんど近づかないそこに、ローゼンクロイツに属する各グループのトップ達は今リーダー、ミハイル=ベッテンコーファーの以下、組織の幹部達が集まっていた。
集まったのはミハエル、そして老軍師ニコライを含めて計十一人。『円卓の騎士達』と呼ばれる、ローゼンクロイツ最高幹部会である。その数は全員揃えば十二人いるのだが、今は一人だけ不在の者がいる。
彼らはその国籍も素性も解らない、しかし間違い無く戦争屋――彼等によってローゼンクロイツは運営されていると言っても、過言ではないだろう。
昼間でも薄暗い古城の一室で行われているのは、秘密会議。巨大なテーブルを囲んで議論が進む。題目は『コーカサス州攻略作戦』、すなわち西ユーラシアへのエネルギー供給の要、ゴランボイ地熱プラント攻略についてであった。
「作戦準備の進捗状況はどうかね?」
「現在、75%の完了を確認している。ほぼ予定通りだ」
「それは結構。この戦いで我等が命運は決せられよう」
初老の男が呟く。
「全面攻勢をかけるという事は、それは覚悟を決めるという事。我々の血と命をガルナハンの大地に捧げると言う事だからな」
その一言は会場にいる人間の気に障ったらしく、何人かがそちらを睨み付ける。
「勘違いしてもらっては困りますな。攻略はあくまで手段に過ぎませんよ。我々の目標はあくまで東西ユーラシアを再び統一し、大ユーラシアを復活させる事。あの様な僻地に命を捧げるなど、愚かなマネは出来ません」
別の若い男が初老の男を鼻先でせせら笑う。それに同調したように何人かが嘲笑の笑みを浮かべた。だが初老の男はさして動揺もせず、さらに言ってのける。
「目前の敵に全力で当たる覚悟すら持たず、大望を語るなど笑止千万。未だその様な事を言うのが貴殿の“闘争”か。……なるほど、落ちぶれる事だけはある」
まるで挑発するかのような物言い。その言葉に会場は一気に沸騰する。
「おのれ!嬲るかっ!」
「我らが怖気づいているとでも言うのか!我らの闘争をこれ以上愚弄するならば、貴方といえど容赦はせんぞ!」
口論が加熱し、沸点を突破しそうになったその時、不意に感情の無い、冷たい声が差し挟まれた。
「……止めたまえ」
たちまち波が引くように一斉に会場は沈黙に包まれる。リーダーのミハイルだ。
「作戦はすでに開始されているのだ。それをいかにして完遂するか、どう問題を排除するか。それだけを議論したまえ。無駄な時間は我々にはないのだよ」
この中では若輩に位置する彼だが、思考は年寄り達に近い。若者の熱意だけで、組織は動かせないという現実を彼は一番よく認識していた。
「では単刀直入に伺わせていただきますが」
壮年の男がすっと立ち上がる。
「今回の攻略作戦。西ユーラシアから増援があった場合、どう対処なされますか? 現有戦力では二面作戦を行うのは到底不可能ですが」
その問いに別の男が声を上げた。
「さよう、敵はコーカサス進駐軍のみにあらず。コーカサスの西には黒海のディオキア基地、南には紅海のマハムール基地もある。ここから統一連合の増援が一斉に押し寄せてみたまえ。我等はひとたまりも無く全滅だ」
「そもそもこの作戦自体が、最初から無謀ではなかったのかね。今からでも遅くは無い。再考すべきだ」
「コーカサスなど、いっそ見捨てるというのも一つの選択肢だと思うがね」
次々と上がる疑問の声。だがミハエルは答えない。
今回の作戦は、以前より幹部達の間でも反対の声は多かったが、あえて彼は強行した。そもそもローゼンクロイツは既に九十日革命で敗北して以来、ずっと厭戦ムードが漂っていた。あの戦いこそが本来は、組織の命運を賭けた戦いだったのである。
今でも生き残った者達は、散発的に反政府活動を繰り返してはいるが、それは組織の総意等というものでは無い。このままでは立ち枯れ、滅びの道を歩むだけ。ならば組織が衰退しきって身動きが出来なる前に、決着をつけるしかないのだ。
しかしそれが未だに理解できない者が、幹部の中ですらこうしている。
「黙っていないで何か答えたらどうかね、ミハエル」
無言のミハエルに苛立ったのか幹部の一人が詰め寄る。とその時。
「西のディオキア? 南のマハムール? 心配する事は無い。私達にはすでに切り札があるんだからね」
まるでミハエルに異を唱える男達をあざ笑うかのように、不意に一人の女性が室内に入ってきた。艶やかなその髪から、わずかに薔薇の香りが辺りに漂う。その妙に醸し出す色気は、明らかに場違いな雰囲気をこの場にもたらしていた。だがミハエルは特に表情を変えるでもなく、冷たいままの声で彼女を迎える。
「来たか、シーグリス=マリカ」
「ああ、ようやくお膳立てが整った。その報告にね」
シーグリスはそんなミハエルに、ふっと微笑を返す。
ローゼンクロイツ十二人目の幹部、シーグリス=マルカ。
彼女はこのメンバーの中では紅一点にして、最も新しい幹部であった。だがその才能は非凡なものがあり、特に秘密工作作戦などでその手腕を発揮してきた。そのため革命以前から重用されてきた人物でもある。
シーグリスは集った男達をまるで品定めでもするかの様に一様に見回すと、さっと彼らの前に一枚のファイルを投げ渡す。全員の視線がそれに集中する。それは一体のモビルスーツの資料だった。
「ミハエル。オラクルは昨日無事、稼動態勢に入った。パイロットもすでに確保している」
「ご苦労」
それを聞いた一同がどよめく。
旧連合が大規模殲滅戦用に開発した巨大モビルスーツ『デストロイ』の流れを汲む、巨大モビルスーツ。その戦力は一個連隊に匹敵するという。前大戦、このモビルスーツはロゴスの作戦の元、東ユーラシアからベルリンにいたる各都市を崩壊に追い込んでいる。その記憶はここにいる誰もが知っており、中には肌身に覚えている者もいた。彼らにしてみれば、これは核兵器を手にした事と同じ意味を持つのだ。
「ミ、ミハエル! オラクルなどいつの間に手に入れたのだ!? 最高幹部会に黙って……! 君は……!?」
不意に知らされた一人の老幹部が、うろたえた様に立ち上がる。だが。
「お黙り、ご老人。これは我々の後顧の憂いを無くす唯一の手段なんだよ。わかっているのかい?」
シーグリスの鋭い一喝の前に、誰もが黙り込む。もはや代替手段など望むべくも無いのだと、その場にいた誰もが改めて実感させられていた。そしてすでに賽は投げられたのだという事を。
会場に沈黙が落ち、すっかり大人しくなった幹部達を他所に、ミハエルは淡々とシーグリスに問いかける。
「ところで例の品は、すでに機関の手に渡したのか?」
「いや、明後日引取りに来る予定だよ。あれがこれまで行った我々への支援の見返りってわけかい」
「その通りだ。対価と代償無くして得られぬものは無いからな。またそれを払っている以上、彼らも我らと縁を切れんよ」
「確かにそうだねえ」
ミハエルが静かに笑みを浮かべる。
シーグリスが低く笑う。
薄暗い部屋に、二人の嘲笑が満ちていった。
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