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暗闇の中、青白く周囲をディスプレイの明かりが照らしていた。
何かの演算処理の途中経過がつぶさにモニタリングされている。PPARデルタによる運動能力の向上。テロメアの操作による延命処置。免疫細胞に対して意図的に行われる遺伝子操作による先天性免疫力向上。
それら全てのコーディネイト技術に対するシミュレート。
それがディスプレイに映し出され続けていた。
その溢れ出し続ける情報を男はただ見つめていた。
「蒼き清浄なる世界のために……か」
男は誰に言うとも無くつぶやいた。不思議とその言葉には何の感情も宿ってはいない。喜びも悲しみも憎しみも。
そんな人間らしい感情が一切感じられない言葉が誰もいない室内に生まれては消え去っていく。
男はキーボードを操作し、シミュレートされているコーディネイターの命に手を加える。見る見るうちに数値が変化していく。その変化を見て男は少しだけ満足そうな表情を浮かべる。
「……ふむ、外部刺激に対する反応速度は最高で0.20秒か。これに約5年間の習熟期間を設ける……。それでも0.18か」
男は少し考えて別のファクターをシミュレートに加えた。即座に演算が始まる。と、同時に男はもう一つのシミュレーターモニターに目を移す。
「薬物による体に対する悪影響の吸収はやはり少ない。しかしこの結果ではブーストの幅も限定的……」
しかし、男はふとモニターの片隅のグラフに気がついた。そのグラフはルーティンワークに対する反応速度の変化を表していた。時間軸を横軸にとったそのグラフはとある刺激に対しての反応速度が一定条件化で急激に悪化することを示していた。
「この刺激……エンジェルダスト投与時の精神負荷……」
この結果が示すこと。それを男は瞬時に理解した。
「つまりコーディネイターはエンジェルダストによる洗脳に脆弱である……か」
そのまま、男は薬物による洗脳の可能性をシミュレートするようにプログラムを変更する。同時に量子コンピュータが怪しげな光を暗い部屋に放ち始める。
「となれば、この洗脳作業を生まれた瞬間から施し、ある種の『狂戦士』を作り出すことも可能か……」
そして男は最初のシミュレートの結果をモニターに映し出した。
やはり薬物によるコーディネイターの肉体能力のブーストには限界がある。それがそのシミュレーションの結果だった。
「ならば生まれながらの『狂戦士』ではどうかな……」
男はシミュレートに条件を加えた。
作り上げられた『狂戦士』が最高の能力を発揮するであろう状況。
目の前で恋人を殺されたコーディネイターがその敵に相対する状況。
かつてあのキラ=ヤマトが軍神として目覚めた、その状況を。
まもなく、モニターにはその驚くべき結果が示された。
「……反応速度0.015……だと? 馬鹿な! 反応速度が10倍以上に跳ね上がるなんて……」
即座にシミュレートされた情報のチェックを始める。代謝速度、反応速度、判断力、筋力に至るまでありとあらゆる能力向上が見て取れた。
「エンドルフィンの増加……いや、そんなものだけではコレの説明にはならない。もっとほかに何かが起きているはず」
くまなく、情報を整理し続けるにつれ、男は一つの現実に突き当たる。
「だが、薬物投与による強化では能力の増加は一時的なはず。だが、このシミュレートではその効果は継続的に発生している」
それはつまり、薬物を継続投与せずとも、その薬物を投与されているがごとくの結果を出していることを意味していた。
「つまり、薬物を体内で精製している……ふっ……馬鹿な」
と男はつぶやいてみたが、やはりそこは確かめておかなければならない。
シミュレートされているコーディネイターの血中薬物濃度をモニターに映し出す。
次の瞬間、男は愕然とした。
そこにありえないものが表示されていたからだ。
「何で、投与もされていない薬物濃度が上がっているんだ」
そこに表示されているのは脳内麻薬、LSD、PCP、MDAなどありとあらゆる一過性の能力向上をもたらす薬品濃度の上昇だった。
「これでは、体が持つはずがない……が」
そう、持つはずが無かった。しかしその効果は絶大。精神的な刷り込みと薬物投与によって、コーディネイターは一瞬だけ最強の兵器となりうる。最後の瞬間に持てる能力の全てを発揮して死んでゆく最強の兵器。
「これはニュートロンジャマーキャンセラー以来の発明かも知れんな」
男はゆがんだ笑みを浮かべながら、目だけはモニターに表示さら続けている情報を凝視していた。そして次の瞬間、男の表情から笑みが消える。
「……馬鹿な……伝染する……だと!?」
モニターに表示される結果を男は疑わずにはいられなかった。同様の『狂戦士化』がその『狂戦士』のいるコミュニティ内で爆発的に増加することを情報は示していた。
「しかも……ナチュラル、コーディネイターの区別無く……」
そこまでたどり着き、男は全てのシミュレートを止めた。
これは間違いなく人類にとってのパンドラの函だ。
もしかしたら、この逼迫した世界そのものを救う『希望』と同時に人類を滅亡させる『災厄』の双方がこのシミュレートには入っているのだ。
その函を手にした人間は何を思うのだろうか?
男は自分に問い続けた。このことを『どうするのか』と。
しかし、それと同時に男は知っていた。
人はパンドラの函を二度と閉めることは無かったことを。
意を決して男はアドレスからとあるあて先を選択し、電話をかけた。
「……長官へつないでくれ」
それが、男の答えだった。
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