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――私は変わった。
変わらざるを得なかった……私の好きな人を守る為に……。
――メイリン=ザラ
「…………?」
目の前の光景――それに心を奪われる。それが懐かしく、暖かくも――それは直ぐに疑念へと変わる。それが、既にこの世の光景ではないのだと知っているから。
遠くに見える、自分達の家。人工のものであっても、健やかな、青々とした大草原。牧歌的なイメージを持った場所――かつての大戦の発端となった、その名は“ユニウスセブン”と言った。
そして遠い昔、メイリンはそこに住んでいた事がある。父と母、姉と――家族四人で。
(ああ、そうか……これは“夢”ね)
そこまで思いだして、メイリンは思い至る。これが、単なる生理的現象に於ける夢だという事が。考えてみれば、ドイツに向かう飛行機の中で安眠する為に、衛生兵から鎮静剤を貰って服用していた――それの作用だろうか?
(まあ確かに、心健やかな光景よね……)
今の自分からは、到底考えられない――こんなに世界が綺麗に見えた日々があったのだと云う事が。
メイリンは、草原を歩き、自分達の住んでいた家へ向かった。ここが夢なのならば、出来るだけ見ておきたかった。
家の中は、あの時の思い出のままだった――それは当然だろう。この映像は、間違い無く彼女自身の記憶から造られたものなのだから。
メイリンはぐるりと視界を巡らす。家は、丸太を組んで造られたコテージだ。調度品や家具は出来る限り木製で造られており、暖かみのある造りをされていた。メイリンの一家は、父がたまの休日を取ると良くこの別荘に来ていた。科学文明だらけのプラントからは想像も付かない光景に、幼いメイリンもルナマリアも戸惑ったものだ――その当惑は、直ぐに好奇に変わっていったのだが。初めて目にする光景、体験にホーク姉妹は一喜一憂し、それは紛れも無くメイリンにとっての良い思い出だった。
――父が、ユニウスセブンと運命を共にするまでは。
父は、ホーク姉妹に「面白いものをみせてやる」といって、先にユニウスセブンへ向かった。ホーク姉妹と母は、後から追い掛けるという約束で。
それは、運命の分かれ道に間違い無かった。ユニウスセブンへ向かう定期便の中で、「ユニウスセブン崩壊」の第一報を受け、メイリン達はにわかに信じられなかった。……そして、信じられる様になった時には、既に世界は崩壊し始めていた。
大西洋連邦とプラントの血で血を争う殲滅戦争――国力で劣るプラントは長期化する戦線を視野に入れ、学徒動員を発令。徴兵制でこそ無かったものの、殆どの子供達が戦闘訓練を受け、戦地に送り込まれていく状況。……ホーク姉妹とて例外ではなかった。
涙ながらにホーク姉妹を見送った母に、ルナマリアは努めて明るく答えた。
「大丈夫だって、母さん。必ずあたしがメイリンを守るから!」
……よもやそんな思いすら当の自分が踏みにじる事になるとは、メイリン自身全てが終わるまで気が付かなかった。
木製の椅子に座りつつ、メイリンは思う。
(私は……)
選択したのは、自分自身だ。悔やもうが、悩もうが、自分で選択した事だ。――それについて、後悔はしていない。してはいけない。
だが――己が選んだ未来に、ルナマリアや、母は居なかった。友達だった女の子や、ヨウランも、ディーノも。……ちょっと好きだった男の子も。
彼等の事は、片時も忘れた事は無い。――だからこそ、思わなければならない事がある。
(もう私は、昔の私じゃない。今更、戻れやしない……)
甘えん坊で、口ばかり達者で。姉の影に隠れて、姉と下らない事で張り合って。それは、楽しい思い出――もはや、思い出にするしかない事柄。
当時を知る者が今のメイリンを見ると、その変わり様に驚くらしい。……それはそうだ、そうで無ければメイリンとて理性が持たないのだから。違う人間にならなければ、自分が犯してしまった罪業が受け止めきれないのだから。
(それでも、私はアスランを守る。私の夫を――本当に心から愛した、あの人の事を……)
その言葉を胸に、メイリンは立ち上がると、懐かしきコテージを出て行った。もはや過去は過去であると、心に言い聞かせながら。
「ン……」
誰かが掛けてくれたのであろう毛布をどかし、メイリンは伸びをする。――そこそこの時間、眠れた様で頭がスッキリとしている。これから眠れるかどうかも判らないのだ、この様な休息は取る価値があった。
手近な時計を見ると、時刻はもう直ぐドイツに到着する時刻だ。寝癖で乱れた髪を解しつつ、機内のシャワーを浴びようと立ち上がった所で――近くに居たエルスティンが話しかけてきた。
「ザラ隊長。大変申し上げ辛い事ですが――」
「……何?」
この少女がこういう物言いをする事は滅多に無い事だ。寝起きの頭が急速に引き締まる。……だが、エルスティンの次に言った事はメイリンの思惑を遙かに飛び越えた事象だった。
「オスカーが一足先にパラシュートで降下しました。『隊長とは別ルートでドイツに入る』そうです」
「……もう好きにさせておきなさい」
何となく脱力しながら、メイリンはそう言うのがやっとだった……。
『作戦決行は、明日の夜半からだ。よく休んでおけ』
そう言われたのが、まるで別世界の様だ――そうセシルは思った。
この街に帰ってくるまで、「自分は明日死ぬんだ」と思い続けた。それは、何時か必ず来る事にしか思えず、またその運命を受け入れなければならない事も納得していた。自分に投げかけられたその言葉も自分を案じての事ではなく、ただ作戦の成功率を上げる為の方便に過ぎない事も良く解っていた。
「セシルッ!」
だが、これはどうした事だ?
思い描いた夢が、もう捨てたはずの幸せの形が、今目の前に居る。それは、彼女を叱り飛ばした三者を押しのけて、自分に向かって両手を伸ばして――
「――逢いたかった!」
心の底からの笑顔を浮かべ、迷いの欠片も無い澄んだ瞳で、それは自分を包み込む。ふわりとした感触が、あの時の思いをそのまま思い起こす――幸せだった思いを。
シャンプーの良い匂いが、柔らかいふくよかな感触が、セシルから思考の一切を吹き飛ばしてしまった。
「シノ……?」
おそるおそる、そう訊ねる。最後に残った理性が、軋みを上げていた。
「そうよ、貴方に逢いに来たの!」
声には、嬉しさだけがあった。他には、何一つ無かった。心の底からの愛情が、言葉の節々に表れていた。
それは、セシルの凍てついた心に容赦無く侵入し、そして――
「――駄目だっ!」
最後に残った理性が、セシルにシノを突き飛ばさせた。
……シノの視線が、痛い程セシルに突き刺さる。セシルは目を剃らし、拳を握りしめる事しか出来なかった。
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