ドゥアルテ1世

ページ名:ドゥアルテ1世


ドゥアルテ1世はポルトガル王(在位期間:1433年8月14日 - 1438年9月9日)。異名に哲学王(o Rei-Filósofo)や雄弁王(o Eloquente)がある。15世紀にポルトガル文明の発展に貢献した「輝かしき世代(Illustrious Generation)」の最年長のメンバー。ガーターの騎士でもある。なお、サン・ヴィセンテの祭壇画において弟であるエンリケ航海王子を描いたとされる肖像画は、実はドゥアルテ1世を描いたものであるという説が近年出ている。


1391年 ポルトガル王国のヴィゼウで、ジョアン1世フィリパ(ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘)との間に生まれる。王位に就くまでは父親の後を追いかける日々であった。
1415年[24歳] セウタ攻略戦に参加し、セウタがポルトガル王国領になると彼は騎士になった。
1428年[37歳] アラゴン王フェルナンド1世の娘レオノールと結婚した。2人は9子をもうけた(一覧は下段の「子女一覧」へ)
1433年[42歳] ジョアン1世が亡くなり、王に即位する。即位後はすぐに国内政治の統一に関心を示し、ポルトガルのコルテス(国民議会)に5回以上出席*1して政治問題について話し合った。アフリカ西海岸の探査を進める父親の考えにも従ったとされ、ボハドル岬以遠の新規到達地における商業上の利益の内5分の1をエンリケ航海王子に支払う旨を約した。


1437年[46歳] 弟のエンリケ航海王子フェルナンドは彼にタンジールを攻めるよう説得する(タンジール戦)。コインブラ公ペドロジョアンは共にこの意見に反対したが、タンジールへの遠征は決行された。結果的に遠征は失敗し、アラブ軍にフェルナンドが人質となったが、「セウタ返還がかなえば王子を釈放する」というアラブ側の要請にコルテス(議会)*2が難を示し、交渉は難航した。彼は王子の救出に有効な措置がとれないことで精神的に追いつめられていた。
1438年[47歳] 当時流行していたペストに罹患し、ポルトガル王国のトマールで死去した。「ドゥアルテは理不尽な兄弟の運命に悲しみながら亡くなった。」と語り継がれることが多い。遺体はバターリャ修道院に埋葬された。


死後
彼の早死はポルトガルの政治危機を引き起こした。兄弟が摂政をして息子アフォンソを引き継ぐのが一般的だが、ドゥアルテは彼の妻レオノール(アラゴン出身で不評だった)を摂政に任命した。ジョアンは市民を率いて、コインブラ公ペドロを摂政にするよう蜂起した。しかし、貴族たちはレオノールの主張を支持し内戦を脅かした。緊迫した政治危機はレオノールとペドロ間の取り決めによって一時的に解消され、結果的にペドロが摂政となった。
他観点
ドゥアルテは政治に関心のある人物だったが、思慮深く学術的な側面もあった。特にLeal Conselheiro(忠実なカウンセラー)とLivro Da Ensinança De Bem Cavalgar Toda Sela(全てのサドルに上手く乗る教えの本)という2つの論文を書いたことが知られている。死去する際もポルトガル王国の法典を改訂していた。
子女一覧
 ・ジョン(1429年 - 1433年)→4歳で亡くなる。
 ・フィリパ(1430年 - 1439年)→9歳で亡くなる。
 ・アフォンソ5世(1432年 - 1481年)
 ・マリア(1432年 - 1432年)→幼児期に亡くなる(12月7日-12月8日)。
 ・フェルナンド(1433年 - 1470年)
 ・レオノール(1434年 - 1467年)
 ・ドゥアルテ(1435年 - 1435年)→産後直後に死亡(7月12日)。
 ・カタリーナ(1436年 - 1463年)
 ・ジョアナ(1439年 - 1475年)


*1 この回数は即位した1433年から亡くなる1438年のものである
*2 この議会はポルトガルのレイリアで行われ、エンリケ航海王子はセウタの保持を優先する意見だった

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